2017年 10月 06日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 136 聖徳太子〈その6〉

四天王寺を守護鎮守するという七宮を巡り歩いた。
四天王寺七宮が、七寺でなく、なぜ神社かについては
諸説あるようだが、ともかく聖徳太子による建立で、
四天王寺と共に創建されたと神社の由緒が伝えている。

七宮を巡り終えて登ったあべのハルカス展望台からは、
こう見えた(上が北、中央が四天王寺、赤線は加工)。
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地図上では北斗七星に見えなくもないが、はたして…?
七宮のうち③⑥⑦は、明治時代①大江神社に合祀された。

①大江神社 ②堀越神社 ③土塔神社 ④河堀稲生神社
⑤久保神社 ⑥小儀神社 ⑦上之宮神社
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①大江神社(天王寺区夕陽丘町)
祭神/豊受大神 素戔嗚尊 欽明天皇 大己貴命 少彦名命

由緒要約〜かつての天王寺北村の産土神であり主祭神
として豊受大神(稲荷神と同一神)を祀る。
明治期に合祀した祭神は、(小儀と土塔の素戔嗚尊、
上之宮の欽明天皇、大己貴命、少彦名命)〜
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旧鳥居。私が立っている背後(南)には柵があり通行不可
だが、かつてはこちらからの参拝が正式だったのかも。
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②堀越神社(天王寺区茶臼山町)
祭神/崇峻天皇 小手姫皇后 峰子皇子 錦代皇女

由緒要約 〜 時の摂政・聖徳太子が叔父の崇峻天皇を
偲び、風光明媚な茶臼山に四天王寺と同時に建立した 〜
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由緒にもあるように茶臼山古墳と天王寺公園に隣接、
四天王寺南交差点にも至近。境内を横切る通行人多し。


大上神仙鎮宅霊符尊神(通称・ちんたくさん)。
神木の威容と、四天王寺を拝む配置に度肝を抜かれた。

由緒要約 〜 霊符の元祖の神。前漢時代に始まった節分
や七夕などの星祭りはこの神のお祭り。旧暦の七夕には、
星霊の力で復活再生を願う。「鎮宅さん」はまさに家宅を
鎮め、玄武を神の依代にする 〜 つまり天御中主神が祭神? 
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③河堀稲生神社(天王寺区大道)
祭神/宇賀魂大神 崇峻天皇 素戔嗚尊

由緒要約 〜 景行天皇の時代、夏目入穂の孫である
逆輪井が神地を賜り稲生の神を奉斎。後に聖徳太子が、
四天王寺創建のとき社殿を建て、崇峻天皇を祀った 〜
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本殿の南に摂社(八幡宮、桜樹大神)が並んでいる。
祭神に天皇を祀り、「四天王寺七宮一の宮」だった。
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④久保神社(天王寺区勝山)
祭神/天照皇大神 速素戔男尊 伊邪那岐尊
伊邪那美尊 宇賀御霊尊

由緒要約 〜 旧久保村の産土神であり、また四天王寺の
守護鎮守の神として創建された天王寺七宮のひとつ 〜
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伊勢神宮遥拝所。神社創建より後世に築かれたか?
四天王寺の東大門にも伊勢神宮遥拝所があった。
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摂社・願成就宮。傍に説明板が立っていた。
〜 聖徳太子の深く信仰あらせ給い御願の成就を遂げ給う
により願成就宮と称え、今に庶民の信仰たえず霊験
あらたかなりと伝えられております 〜
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なんと、ここにも…と、お宮の前で思わず佇んだ。
四天王寺境内にある「守屋祠」の別名も願成就宮である。
「守屋の霊が願いを成就してくれるご利益スポット」と
同じ社名を持つこちらも「守屋祠」ならば、当然のこと
祭祀するのは、物部守屋の末裔ということになろうか。

そして、七宮に祀られる聖徳太子の叔父・崇峻天皇、
欽明天皇、天御中主神、豊受大神、素戔男尊など、
記紀成立以前から崇められた神々は、何を物語るのか…?
あるいは、聖徳太子は誰かという問いに答えてくれるか…?


七宮巡って16時33分、あべのハルカス展望台からの西、
淡路島(左)、明石大橋(中央)、六甲山(右)を遠望。
六甲山が、まるで対岸に横たわっているように見える。
甲羅を持つ6亀+1=7。ピンと何かが閃いた。
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by utoutou | 2017-10-06 21:39 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)