2018年 01月 07日 ( 1 )

六甲山と瀬織津姫 154 イカルガの謎

風神・龍田大社(奈良県生駒郡三郷町)を巡り、
ふたつの謎があった。ひとつ目は三室山について。
東の隣町・斑鳩町の竜田川沿いにあるのを見た帰り
だったので、三郷町にも同名の山があることに…??
こちら、JR三郷町駅前ロータリーに立つ案内板。
a0300530_11232895.jpg




案内板がどれも真新しかったことから、調べると、
ここ三郷町と西に隣接する大阪市柏市が連携して、
一昨年から「龍田古道」の整備とPRを始めたという。
どうやら、その動きには、斑鳩町vs.三郷町による
「三室山の本家争い」の一件も含まれているらしい。

そして、その「三室山」が、ふたつ目の疑問だった
「斑鳩の里の地主神・伊香流我 」を解く鍵になる?
また、「セーナナー(琉球海人族)はイカルガへ行った」
という語り部への神託解明へのアプローチになるか?


さて、その龍田大社。社殿の設えは感動的だ。
注連縄は雲を、紙垂(しで)は雷を表すというが、
そうした自然神のエネルギーをとても強く感じる。
a0300530_15141088.jpg




風や雲・雷・雨・土は、五穀豊穣をもたらす神だ。
まず、風(気)と火(陽)があった。そして、雷。
雷とは稲妻、稲作の伴侶だと考えられていた。雷は
空気中の酸素を分解して窒素にするといい、それを
 含む雨が降れば、土の栄養素となり豊作をもたらす。
そして風が吹き、よい土は周囲に広がるという好循環。

雷神と風神は、この地で稲作と産鉄を盛んにした
 らしい先住の民の大いなる祖神だったのだろう。


境内の池のほとりには、摂社・下照社があった。
傍の石碑には「紀元二千六百年」と刻まれている。
神社の由緒には「創祀二千百年前」とあったので、
それ以前から下照姫は祀られ、祀る人々がいたのか。
a0300530_11493714.jpg




下照姫は大国主の娘、天若日子と婚姻したと記紀に。
天若日子とは凡河内国造の祖・天津彦根命の亦名で、
下照姫は天御影命と比売許曽神(赤留姫)を生んだ。
またその末裔には、日子坐王に嫁した息長水依姫が、
さらに末裔には、神功皇后こと息長垂姫命がいる。


さて、本題…。
淀川の流域・茨田で生まれたとされる饒速日命の
の六世孫、伊香色雄(いかがしこお)命と、
伊香色謎(いかがしこめ)命の同母兄妹は、
予想に違わず、この地に痕跡を残していたようだ。

龍田大社の由緒に、崇神天皇の名がある(要約)。
〜 第十代崇神天皇の時代、凶作となり五穀は育たず
悪疫が流行したとき、自ら天神地祇を祭らせると、
夢に龍田の大神が現れ「この地に祀れ」と宣った 〜

龍田大神とは、天御柱大神(志那都比古神)
と国御柱大神(志那都比売神)。
志那(しな)とは、気・風・息長(長寿)を意味
すると同時に、この地に蟠踞した古代豪族・息長氏
の氏名の由来にもなっていると言われる。

その崇神天皇の母こそは、伊香色謎命だった。
その時代に五穀豊穣を甦らせた神とは風神、
そして、風神と一対神とされる雷神だったのだろう。
雷神(いかずちのかみ)とは「伊香」の語源である。

いっぽう、息長氏の系譜にも「いか」がいる。
天津彦根命---天御影神(天一箇目命)--意冨伊我都命
---彦伊我津命。物部氏と息長氏の両方に見る
雷神に由来する「いか」は、海人族たちが稲作と鍛治
の技術を携えて、渡来してきたことを物語っている。

すると、斑鳩(イカルガ)の語源は鳥ではない?





by utoutou | 2018-01-07 11:36 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)