カテゴリ:琉球の神々( 7 )

普天間宮(宜野湾市)の洞穴

今年最後の沖縄旅。まずは思いつきで
琉球八社のひとつ普天間宮(宜野湾市)に参拝。
またの名を、普天間権現という。


参詣客もまばらな境内で、
宮司さんらが正月準備に追われていた。
例年の正月の人出は、およそ11万人とか。
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本殿の裏には、横穴洞穴の古層が広がる。
太古の昔から、琉球古神道の自然神を祀ったことに始まり、
第一尚氏琉球王朝の尚金福王から尚泰久王の時代
(1450〜60年)に、熊野権現の神々を合祀したと伝わる。

祭神は、琉球古神道神の、日の神、竜宮神(ニライカナイ神)
普天満女神(グジー神)、天神、地神、海神。
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そして、熊野権現、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、
天照大御神、家都御子神。
正面の磐座に「立ち入り禁止」の立て札。奥宮への入口か。
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天井の高さは4〜6mほどで、ライティングが施されており、参拝は楽々。
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洞穴の入口付近には、数万年前に絶滅した
琉球シカ(200頭以上)を含む厚い化石層があるという。
土器も発見され、洞穴全体が遺跡になっている。
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太古の時代、洞穴内には湧水があったが、
その水位は地殻変動で次第に下降したという。
それは洞穴入口近くに数カ所あるノッチ(浸食跡)の高さが、
異なることで証明されると、境内の説明板に書いてあった。
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神社の裏側からは、米軍基地のフェンスが見えた。
海兵隊施設・キャンプフォスター。
宜野湾市には至るところにフェンスがあり、
普天間宮がまるで包囲されている錯覚に陥るほどだ。
普天間飛行場の地下にも、鐘乳洞が網の目のように
発達しているという。拝所や古墓も多いとか。
跡地利用策に期待がかかる。

さて、この普天間宮、今回の旅にどう関係するのか。
無関係かもしれないが…ちょっとだけ胸騒ぎがする。



by utoutou | 2014-12-19 16:21 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(0)

天祖・皇祖・人祖〈6〉瀬織津姫

久高島の月の神・マチヌシュラウヤサメーと瀬織津姫が同じ神魂である
と知ったのは、先日、語り部と電話で話していたときのことだった。

実は、月の神の名前がふたつあることがよく分からなかった。
イザイホーの最後半で唱われるティルルの歌詞に、それはある。

「グゥキマーイのティルル」
〜アガリトトゥウプヌシ(太陽の御神様)
 チチヤトトゥウプヌシ(月の御神様)
 久しく、めぐってくる、イザイホー、ナンチュホー
 久高神人が、拝んでいる、神アシャギ、神の真庭
 マチヌシュラウヤサメー(月の御神様)が管掌している、神酒〜
(※マチ・ヌ・シュラ・ウヤサメーとは「月の出を待つ美しい親女神」の意味)

「月の神にふたつの名前があるのはどうしてですか?」
訊くと、語り部が言った。
「月の神には神魂が二面あるのです。荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)のように」
「荒魂と和魂…。伊勢神宮の正宮と別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)と同じような?」
「はい。正宮でお祀りする天照大神と、別宮でお祀りする荒魂…」

正宮と別宮。確かに構造は似ている。久高島の場合、同じ月の神様でも、
マチヌシュラウヤサメーは外間家に、チチヤウプヌシは大里家の神壇に祀られている。

昨年参った伊勢神宮を思い出しながら言った。
「で…、天照大神の荒魂とは、瀬織津姫のことという説がありますね」
すると、語り部が訊いた。
「瀬織津姫というのは、どういうご祭神ですか?」

「瀬織津姫とは大祝詞に登場する祓いの女神ですが」

私は『エミシの国の女神 早池峰〜遠野郷の母神 瀬織津姫の物語』
(菊池展明氏著、00年、風琳堂)に記されたその来歴をかいつまんで話した。

「でもその女神の姿を辿っていくと、天武天皇の時代に封印された天照大神(男神)
と一対の女神だったという話。持統天皇の時代、伊勢神宮の祭神は変更されたと。
天照大神は女神としての生まれ変わりを余儀なくされ、伊勢の地に古くから
祀られていた女神である瀬織津姫は、祓いの神として封印されたと…」

「なるほど、そうですか」
何かひらめいた気配が電話の向こうでする。
「瀬織津姫はアカツキ。思い出しました」
「曉、ですか?」
「それもありますが、赤月。昇る月・沈む月は赤い。瀬織津姫は月の神です」
「月の神……!?」
「十五夜(じゅーぐーや)には、外間殿に赤い天幕をかけて祈願しますが、
このアカヤミョーブとはマチヌウヤシュラサメー、つまり瀬織津姫のものだったのです」
                                   (つづく)

1981年の十五夜。東方にアカヤミョーブ(赤い天幕)と提灯をかけて礼拝した。
中秋の名月のこの祭りを「ウンナウヤガミ(女親神拝み)」とも言ったという。
1年でいちばん月の守護力が充満している旧8月15日、月の出を待って行われた。
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     (『神々の古層 久高島の年中行事』比嘉康雄氏著、'90年、ニライ社刊より借用)


伊勢神宮の正宮と別宮・荒祭宮は対の関係。昨年春の撮影。遷宮準備中のため、
白い天幕で囲まれている正宮(南)に参拝後、半周して後ろの別宮(北)へという順路。
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by utoutou | 2014-08-23 04:53 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(2)

天祖・皇祖・人祖〈5〉北斗七星と四方拝

多忙でバタバタしていて投稿を休んでいたが、あることが夢にまで出てきた。
6月末の沖縄旅でドライブした、伊計島に関連する話である。

沖縄本島東の太平洋上に、久高島から北へ7つの島が連なっている。
津堅島、浮原島、浜比嘉島、平安座島、宮城島、そして、いちばん北が伊計島。         

南北に点々と連なる7つの島は、方言で「ニブトゥイ」と呼ばれる。北斗七星の意味。
「北斗七星=柄杓(ひしゃく)」のカタチになる。↓ こちらは伊計島の入口にある伊計ビーチ。
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本題はここからで、沖縄の工芸品に「クバニブ」というものがある。
蒲葵(クバ)製の柄杓(ニブ)である(写真右下)↓写真は海洋文化研究所さんのFBから拝借。
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さて、かつて久高島に「ニブトゥイ」という名の男性神職がいた。
古祭イザイホーの締めくくりに、神酒桶からクバニブですくった神酒を酒杯に注ぐ役だった。
ニブトゥイはまた、神女たちが禊をするイザイガー(川泉)の管理も担っていた。
つまり、イザイホーの運営に深く関わる、重要な公職だった。

ニブトゥイは代々、久高島の旧家・糸数家より輩出されると決まっていたという。
糸数は屋号を「イチャリ」という。船の碇(いかり)が語源だそうだ。また、
イザイホーの「イザイ」は「漁り」だとも言われる。いずれにしてもイチャリに縁が深い。

イチャリの男たちは海人だった。古くから、北上するイラブー(海蛇)を追って外洋で漁をした。
主な漁場は奄美本島付近。イラブー漁をする久高島の海人(1850年代)を描いた絵が残っている。

海人(ウミンチュ)=天人(アマンチュ)。
「海(あま)は天(あま)である」と、籠神社の海部宮司は言った。
イチャリは古代の海人部(あまべ)の末裔であると考えられる。アマミキヨの語源である。

↓写真はイザイホーの最終日「アリクヤーの綱引き」の後、四方拝をする久高ノロ。
「アリクヤー」も海人の意味。掲げる大扇は、古くは蒲葵製だった。蒲葵は龍蛇に例えられる。
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     (写真は比嘉康雄氏著『神々の古層 主婦が神になる刻 イザイホー』より拝借)

四方拝とは、天皇が年の初めに臨む儀式として知られるが、沖縄で四方拝を行う祭りは、
このイザイホーと天親田(アマウェーダ、年の初午の日に行われる田植え神事)。
現在はミントン家が祭主を務めるが、元々は天祖(アマス)家が執り行ったと考えられる。
稲作の祖は「天祖のアマミツ」たち。明治以降にアマス家は廃絶したと伝わるが…。

神酒、四方拝、龍蛇、北斗七星、海人部。久高島には、日本の古代が確かに眠っている。
by utoutou | 2014-08-13 15:42 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(0)

天祖・皇祖・人祖〈4〉蛇神は満月の夜に来る

36年前、1978年が最後となったイザイホーは「巳(み)」と関係の深い祭りだった。
巳=蛇。祭場の神アシャギは巳(南南東)を向き、神女たちの入場口も巳(南東)の方向。
祭事関係者は巳年の人が選ばれ、二重の輪を作って踊る様も、蛇の動きを模したものだった。

神女たちの髪がみな背中に届くほど長いのも、蛇の擬きだったのだろうか。
↓神女たちが禊ぎをする西海岸のイザイガー(階段下)。久高殿はここから巳(南東)の方向。
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イザイホーには、新儀(陰陽五行による南北軸)と古儀(太陽の運行による東西軸)
が交差していると書き遺したのは、民俗学者の吉野裕子氏だった。

以前にも引用したが、イザイホーが行われたのは12年回りの午年の子月(旧暦11月、新暦12月)。
子月卯日(ねのつきうのひ)に始まり、午日(うまのひ)に終わる。
「子」から「午」へ。その意味でイザイホーは「子午線(しごせん)の祭り」でもあった。


祭場・久高殿。中央の神アシャギの奥、「子」(北)に神女たちが籠る七ツ屋が置かれた。
そこに籠り神女として誕生した女たちは、「子」の七ツ屋から「午」の祭場へと躍り出た。
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十二干支図で見れば「子」から「午」への軌(みち)は「懐妊から出産へ」
という「陽」の軌であったと、吉野裕子氏は『十二支』('94年、人文書院)に書いた。
つまり「子」で妊られた新生命は「巳」で極まり「午」で誕生する。
神女たちが身に受ける霊力(しじ)も同じように考えられていただろうと、私は思う。

子月の中卯日に始まり午日に終わる、イザイホーと同じ日取りで行われる祭りに、
践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい、天皇命更新の祭り)がある。
その理由は、古代からの聖なる祭りが、子午線の陽軌を踏まえているからに他ならない。


↓明治度大嘗宮御図の錦絵。(「践祚大嘗祭」田中初夫氏著、1975年、木耳社刊)より借用。
天皇は卯日戌の刻(午後8時)まず「子」(右手)に建つ廻立殿(かいりゅうでん)に渡御なされた。
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さて、改めて吉野氏の慧眼に驚くのは、祭りと潮の干満についても言及していたことだ。
次のような記事が残っている。
「(イザイホーの)神事開始の12月14日(※新暦)午後6時は満潮の時点であった。
そして終了時、12月17日午前11時は引き潮の時。祖先神の神蛇は、海彼のニライから
満潮に乗って祭場に到来し、4日後、引き潮とともに去って行ったのである」
           ('79年「沖縄タイムス」連載「蒲葵と蛇と北斗七星と」より)

満潮から干潮の4日間に行われたイザイホーは、まさに「月と蛇」の祭りでもあった。
「グゥキマーイ」で祭りを締めくくったのは、月のリズムに合わせてのことだった。
神酒造りは古来、イザイホー初日の満月の夜から始まったと思う(※'78年は2日目から)。
そして祭りの最後、新しく誕生した神女たちによって、島の人々に振る舞われた。

イザイホーはこの日のように干潮のなか、波が引くように終わりを告げた。
↓写真は昨年旧暦11月、干潮の伊敷浜。
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「月と蛇」から、ついイザイホーを再考することなったが、ここで新たな謎が…。
「日本における強力な蛇信仰の担い手は物部氏と推測される」と吉野氏は書いた。
では、天皇の祭りもイザイホーも、物部氏に関わる祭りだったということなのか?
by utoutou | 2014-07-30 19:04 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(7)

天祖・皇祖・人祖〈3〉イザイホーの月と蛇    

古祭イザイホーを締めくくる「グゥキマーイ(神酒桶を廻る円舞)」のティルル(神歌)。
そこには古代日本史を解く暗号が潜んでいると考えていたとき、絶好の書に出会った。

Amazon.co.jp の古代日本史ジャンルで上位にランキングされるベストセラー。
『月と蛇と縄文人 シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観』
(大島直行氏著、2014年、寿郎社刊)。大島氏は医学博士、北海道考古学会会長。
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妊婦と土偶が並ぶカバー写真とタイトルは意味深で、その印象に違わず、
縄文時代の人々の心理に肉薄する切り口は斬新明快。一気に読み終えた。

縄文人は月をどう見ていたか。私が注目した心理とは、次の3点。
・毎月3日間、太陽に隠れ闇を招く月は「不死と再生」のシンボルだった
・月からもたらされる水(精液)で、女性は身ごもると考えられていた
・顔が上を向く土偶や、壷を抱える縄文土器は、「月の水」を乞い願う姿

これらを鍵として「グゥキマーイのティルル」を読むと、意味がスルスルと分かる。
(※ところどころ現代語意訳)

「グゥキマーイのティルル」
〜アガリトトゥウプヌシ(太陽の御神様)
 チチヤトトゥウプヌシ(月の御神様)
 久しく、めぐってくる、イザイホー、ナンチュホー
 久高神人が、拝んでいる、神アシャギ、神の真庭
 マチヌシュラウヤサメー(月の御神様)が管掌している、神酒
 左に抱き、右に抱き、ヌルらは ※中略
 ナンチュたちよ、百二十歳までも、御嶽が栄え、森が栄え、息子が栄え〜

実は私は、ティルルの歌詞のなかで、次の3点を不思議に思っていた。
・月の神様がなぜ2柱(上の赤文字)いるのか?
(実際、久高島では月の神をチチヤ大主と呼び、同名の男性神職者がいた。
 マチヌシュラウヤサメー(月の女神)の霊力は、代々外間ノロが継いだ)
・マチヌシュラウヤサメーがなぜ、神酒桶を管掌するのか
・ヌル(ノロ)らは、何を左に抱き、右に抱きしたのか

大島氏の書を拝借すれば、チチヤ大主(男)は月の水をもたらす神、
マチヌシュラウヤサメー(女)は月の水を待ち受ける神(赤字が対応)と考えることができる。
そして古来、神女たちは壷を脇に抱え、月の水を待ちながら礼拝した。子孫繁栄を願って。

桶の中の神酒は、かつて女性たちの唾液で造る噛み酒だったと、久高島の古老に聞いた。
噛み酒の元になる麹を発酵させ育むのもまた、月の引力。
イザイホーで誕生した神女たちの最初の仕事が神酒作りだったことは、容易に想像がつく。


現代のミキは「飲む極上ライス」。スーパーやコンビニで見かけるノンアルコール飲料。
見た目と喉ごしは濃い甘酒。沖縄の大手スーパー・サンエーのオンラインショップでも買える。
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ところで、神女たちが円舞する写真はイザイホーを代表するものとして有名だが、
ではなぜ、円舞のステップが、蛇の動きを模したものだったのか。
それも、大島氏の書で読み解くことができる。
縄文の人々は、男根に似た蛇を、月の水を運ぶ使者と見なしていたという。
ゆえに神女は蛇の動きで舞い、神酒桶にクバの葉を被せ、クバの葉製を杓子を使った。


イザイホーの主祭場だった久高島殿。
昨夏の「テーラーガーミ(太陽の祭り)」の夕方、子どもたちの舞踊が披露されていた。
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王を太陽神と崇める時代になっても、久高島では月の神を崇めた。
子孫繁栄、五穀豊穣の神として。夜を司る神として。
太陽に隠れる闇(死)があるからこそ、月は生まれ変わり(不死)太陽がまた昇る(再生)。

月と蛇の暗喩がヤマトでは土偶だったとすれば、久高島では祭りに隠されていた。
またそれは、天祖・皇祖・人祖を考える大きなヒントになる。
by utoutou | 2014-07-27 07:16 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(0)

天祖・皇祖・人祖〈2〉神歌の暗号

天祖を探すという、とんでもない難題が降りかかったが、
語り部から回答を示される前は、自力で解決しようとしていた。
そして、謎解きの手がかりを、イザイホーを興した久高島の始祖ファガナシーに求めた。

約650年前の英祖王統時代。従兄弟のシラタルと刳り舟で久高島に渡り、
島建てをしたと伝わるミントングスクのひとり娘。その母の実家が屋号アマス家だという。

ファガナシーの母方が屋号アマス家ならば、そして、アマスが「天祖」の意味ならば、
イザイホーの興りは、天の御祀りだったのか。
そこまで思い至って初めて、ああ…と、気がついた。

語り部の話は、イザイホーをより理解するためのヒントだったのだろう。
「王が太陽の化身と崇められるようになってから、ニラーの神々は消えたが、
太陽の神・東大主(あがりうぷぬし)と、月の神・チチヤ大主(ちちやうぷぬし)
は一対神として崇めら、そのティルル(神歌)がイザイホーのなかに残っていた」

ただし、ヒントから先は、自分で探らなければならない。
こんなとき、頼りになるのは比嘉康雄氏の著したイザイホーに関する何冊かの本。
イザイホーに関する著書は数多あるが、外間ノロ・ウメーギ(補佐役)の西銘シズさん
に聞いた話と照合した比嘉氏の取材記録は、ディテールの確かさで他を圧倒する。

ところが、比嘉本に浸って片っ端からティルルを拾い読みしたが、見つからない。
それもそのはず、4日間にわたるイザイホーの最後の儀式で、それは歌われていた。

「グゥキマーイのティルル」。
グゥキは「桶」、マーイは「廻る」という意味だそうだ。
神酒(みき)桶の周囲を神女たちが舞う、イザイホーを締めくくる儀式に歌われる神歌。
語り部に聞いた通り、太陽と月の大神様に、そして外間ノロの始祖に、終了を報告する内容。

アガリトトゥウプヌシ(太陽の御神様)
チチヤトトゥウプヌシ(月の御神様)
ムムトゥマール(久しく)
ティントマール(めぐってくる)
イザイホー ナンチュホー
クダカシーガ(久高神人が)
ハイティメール(拝んでいる)
ハンアシャギ(神アシャギ)
ハンガマミヤ(神の真庭)
マチヌシュラウヤサメーガ(月の御神様が)
タボーチメール(管掌している)
タルマミキ(神酒)
ピザイダチ(左に抱き)
ニギリダチ(右に抱き)
サシプターラ(ヌルらは)※中略

ティルルの解説として、外間ノロウメーギ、外間ノル、久高ノロの3名が
「グゥキマーイのティルル」を歌い、他の神女たちはこれを復唱するとある。
最後の歌詞(現代語訳)は、
「ナンチュたちよ、百二十歳までも、御嶽が栄え、森が栄え、息子が栄え」

ニライカナイへと戻り行く神を見送り、一世一代の就任式を無事終え、
一人前の神女となった女たちに神酒を振る舞われた島人たちが、子々孫々の繁栄を願う…。


ノロ、ウメーギ、ハタ神たち…先輩神女たちが右手に持つ、ンチャティオージ(大扇)。これは
久高島資料館にあるレプリカ(水彩)。表に赤い太陽と鳳凰、裏に白い月と牡丹の花が描かれている。
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グゥキマーイ。
祭場の中央には、クバの葉を被せた神酒(みき)桶が据えられている。
引退した神女や神人らが正座して見守るなか、白い神衣姿の神女たちは、
左足を半歩進め、右足を引きつけるといった動作を繰り返しながら、入場したという。
以前、円舞は蛇がトグロを巻く擬きだというを書いたが、まさにその通りの動き?
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(比嘉康雄著『神々の古層 主婦が神になる刻 イザイホー[久高島]』より、2度目の拝借


ティルルには、謎のフレーズがあった。曰く…
「チチヤトトゥウプヌシ(月の大神様)が、神酒桶を掌握している」
これは、久高島が日本の神々の原郷であることを示す暗号だったと思う。

ともあれ、古代天孫氏王朝に繫がる拝所・チチンガーの月の神が、
消えることなく琉球王朝の国家的神事で暗黙のうちに歌われ、現代にまで続いていたのである。
by utoutou | 2014-07-23 09:27 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(2)

天祖・皇祖・人祖〈1〉神々の原郷

「天祖を探せ」とのメッセージを受けてから2週間。語り部から連絡があった。
「天祖・皇祖・人祖が分かりましたよ」
「とうとう、分かりましたか…」

「玉城には、天祖・皇祖・人祖がいらっしゃる」
古代天孫氏王朝に繫がるという屋号新門(みーじょう)家の神女ウメおばあが遺した言葉。
遥かなる神世からの言い伝え。その謎が解けたというのだ。私はすかさずペンを握った。

ウメおばあの口伝は、物語形式で語られたわけではなく、すべて断片的な仕立てだ。
それらを心に止め、繋げて、古代の神々を悟っていくのは、容易なことではない。
琉球は「日本の神々の原郷」と言われてきたが、その意味を突き止めた人はいない。

この度の「ナーワンダーに行く前に天祖を探せ」という託宣も、謎めいていた。
天祖と、斎場御嶽の奥宮・ナーワンダーが、どういう関係にあるのか。
それを推測するためにも、私が拾ったいくつかの断片をここにメモしておきたい。
語り部から聞いた「天祖・皇祖・人祖」について書く前に…。

まず「天祖」について。ミントン門中の屋号アマス家とは、
まさしく天祖ではないかと、私は語り部と出会ってから秘かに考えていた。
「久高島の始祖ファガナシーはミントンの娘、その母はアマスの女」と、島でも聞いた。
その少女が久高島に渡り「神の島」を再興したという。ヤマトの斎宮のように親元を離れて。
「神の島」伝説には、琉球の大いなる記憶が込められているように思えてならなかった。


ミントングスク(南城市仲村渠)。石段の上はアマミキヨの居城跡にして祭祀場跡。
ミントン門中(男系神族)のアマス家は、グスクの目と鼻の先にあった。
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次に「皇祖」について。
戦前生まれの神女たちの口伝には、皇祖の天照大御神(女神)は登場しない。
琉球の始祖たる古代の神々のなかに「日本の皇祖がいらっしゃる」というのである。

そして「人祖」について。
人祖を思わせる御嶽は、玉城にあった。ミントングスクから歩いて5分。
百名小学校を見下ろす小高い場所に「ちんさーの御嶽」がある。
「角の生えた大昔の男の人が住み着き、眠る御嶽」と伝わる。男塚である。
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「ちんさーの御嶽」からさらに徒歩5分。百名公民館の敷地内にある「ちんたかーの御嶽」。
こちらは「大昔の女の人が住み着き、眠る御嶽」。こちらはいわゆる女塚。
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男女別のお墓に入るのが、人祖の特長であろうか。
出雲大社の近くで、女性だけが眠る墓地に迷い込んでしまった経験がある。
10基以上並ぶ墓の碑銘がすべて女名。古代の墓ではなく縦型で近代のものだった。

後で、出雲大社の社家では、夫婦でも別の墓地に入るしきたりがあると聞いて、
玉城のこの「ちんさー・ちんたかーの御嶽」を思い出したのだった。
by utoutou | 2014-07-20 08:41 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(0)