カテゴリ:洞穴(ガマ)( 6 )

シャコ貝とアザカと猿田彦 5⃣ 赤い実の神木

猿田彦が死んだ地名と同じ
「アザカ」を探して那覇市を歩き、
首里の末吉公園で、それを見つけた。
長実(ナガミ)ボチョウジ(通称リュウキュウアオキ)。
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緑、黄色、赤と、色を変化させて成熟する
楕円形の実。石灰岩の土壌に育つのが特徴。
いっぽう丸い実のボチョウジは、
沖縄本島なら、北部の非石灰岩地帯に育つという。


ボチョウジが「アザカ」と呼ばれる由来の
ポイントは、葉が「対生」していることだ。
写真 ↓ の葉を見ると「対生」ぶりがよく分かる。
「アザカ」の葉は、東西南北に十字に生えている。
ゆえに、魔除けの力を秘める神木と考えられてきた。
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語り部曰く、沖縄では十字路を「アジマー」
と呼ぶように、十字に交差している
ことを「アジマー」という。そして、
十字形になったものの総称が「アザカ」。
やはり魔除けの呪力を発揮すると信じられている。

ボチョウジが「アザカ」と呼ばれるように、
ススキの葉を十字に結んだものも「アザカ」。
またシャコ貝は、噛み口が波状に交差するため
「アザカの貝」=「アジケー」と呼ばれる。

基本を「アジマー」として、
十文字の呪力認められる
「アジ○」「アザ○」という転訛が成立する。

『おもろさうし』や『琉球国由来記』にも、
「アザカ」を用いた祭祀のことが記されている。

いっぽう、王府時代よりはるか昔、
2500年前の頃から、シャコ貝の呪力が
認められていたことは、武芸洞遺跡で知った。

しかし、そこで疑問に思うのは、
貝1枚で呪具として用いられていた埋葬人骨
の場合、「アジマー」(十字)の用いられ方
とは趣きが異なるということだ。
「死霊の封じ込め」というシャコ貝単体
の呪力とでも言おうか。

縄文時代には、そうであったのだろうか。
そうすると、猿田彦の死は、
シャコ貝単体の呪力と「アザカ」の呪力
ダブル呪力にかかったことになる。


首里城に近い末吉公園。
蒲葵、棕櫚など亜熱帯樹林がそこかしこにある自然公園である。
擂り鉢状になった広大な園内にはジャングル地帯もあり飽きない。
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実は、神木・アザカを追い求めたのには、
もうひとつ理由がある。「アザカ」は
神の島・久高島と往古より非常に縁が深い。

たとえば、イザイホーの最終日、
神女たちはハブイ(草冠)を被ったうえ、
両耳にフボー御嶽から採った「アザカ」の葉を飾る。
ならば、その効用は「呪いの力」とは呼べない。
あえて言えば「永遠の霊力」。

もしや『古事記』における「猿田彦の死」とは、
永遠の霊力を願っての説話だったのではないか。
そして、その死の舞台とは…?


末吉公園の上に見えるのは末吉宮(赤い建物)。
末吉町も古い土地で、大陸から渡来したと伝わる旧家があった。
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by utoutou | 2015-01-01 02:32 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(0)

シャコ貝とアザカと猿田彦 4⃣ アメノウズメ

話は先週の沖縄旅に戻って、
ガンガラーの谷ツアー最後の見学ポイント・武芸洞遺跡。
石棺墓に埋葬された人骨の腰部にはシャコ貝が乗っていた。

ガイドさん解説中。フリップ右上がシャコ貝。
人骨の頸部からはオオベッコウガサの装飾品、
左前腕部からは12個のイモ貝を繋げた腕輪も発掘された。
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南城市武芸洞遺跡の調査は'07〜'09年に行われた。
王府時代、東西に開口部のある
この洞穴(ガマ)は武芸の練習場だったという。
ガマの東側から出土して、2500年前とされる人骨は、
うつ伏せで左に頭を安置。↓シャコ貝は現在も展示中。
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かつて沖縄本島中部読谷村の木綿腹原遺跡からも
頭部を2枚のシャコ貝で包まれた人骨が発掘されたが、
アマミキヨ伝承の残る本島南部の遺跡から、
それも大里が源流地である雄樋川沿いの遺跡から、
シャコ貝を伴う人骨が出土したことは、何やら重要。

大里は、天孫氏王朝の本拠地のひとつと伝わる。
その主は渡来豪族の和邇氏だと、私は思う。
また猿田彦は綿津見神の子、その和爾氏系図に在る。

天孫氏王朝の存在は神話にすぎないとされるが、
大里西原集落では、天孫氏二十五代を祀る拝所
天代大世(あまよたいせい)」が代々祀られてきた。

人を食う鬼となった兄が
妹のホト(女陰)に食われそうになり、
崖から転落する鬼餅(ムーチー)伝説も大里が起源。
武芸洞、サキタリ洞を通る雄樋川を5km北へ遡ると大里。
右下方向が港川、そして太平洋。
※MAPは『武芸洞遺跡発掘調査概要報告書』
(沖縄県立博物館・美術館刊)より拝借。
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「猿田彦の死」伝は、鬼餅伝説にそっくりだ。
『古事記』にいわれる「猿田彦の死」とは、
猿田彦が阿耶訶にいたときに漁をしていて、
比良夫(ヒラブ貝)に手を挟まれて海に溺れた…だが。

比良夫貝とは、沖縄以南でとれるシャコ貝のこと。
それはアメノウズメ(天宇受売命)のホト
の比喩であると、私は思う。
「下の口は鬼を食う口」と脅した妹のように、
アメノウズメはハニートラップで、
猿田彦を死に追いやったのではないか。

なぜならアメノウズメは、
猿田彦の死後、猟奇的な行動に出る。
『古事記』天孫邇邇芸命の段の最後はこうだ。
〜天宇受売命は、
猿田彦を送って帰って来ると魚たちに言う。
「お前たちは天つ神の御子にお仕えするか」と。
多くの魚は「お仕えしましょう」と言ったが、
海鼠(なまこ)だけは言わなかったので、
天鈿女命は海鼠に「この口はものを言えない口」
と言い、紐のついた小刀でその口を裂いた〜

「縁結びの女神」「芸能の祖神」と
呼ばれるアメノウズメだが、実のところ
猿田彦大神を狙う女刺客だったのでは?

女のホトに例えられるシャコ貝は妖艶で扇情的。
海底の珊瑚岩に埋まってネオン色に光るという。
シークァーサーをかけて食べる刺身が美味。
※写真は「沖楽」さんの「おさかな図鑑」から拝借。
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語り部によれば「鬼を祀りながら封じる」
…鬼餅の真の由来とはそういうことだという。
鬼餅を包んだ後の月桃の葉は、
十字に結んで家の軒下に下げるのが風習。  
十字のことを「アジマー」と呼ぶ。

「魔除け」の意味がある。
シャコ貝は噛み合わせが十字に見える。
ゆえに、別名はアジケー(十字の貝)。

さて、猿田彦はアザカで死んだというが、
沖縄にはアザカと呼ばれる聖木も自生する。
長実ボチョウジ。
そう言えば、ガンガラーの谷に行く前日、
那覇市で唯一そのアザカが見られる公園に行った。

by utoutou | 2014-12-30 18:52 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(2)

シャコ貝とアザカと猿田彦 3⃣ 琉球石灰岩

昨日26日、国会図書館に寄ろうとしたが、
地下鉄有楽町線・永田町の改札口に張り紙。
「本日は休館日です」
ガーン、早くも年末年始の休みに入っていた。

仕方なくホームに戻ろうとして、思い立ち
国会議事堂の見学者入口まで行って訊く。
「中央玄関ロビーの見学はできますか?」

琉球石灰岩でできているというその壁を、
実は、一度見てみたかった。
女性の警備員さんが言う。
「見学コースの最後が、その中央広間です」
ちょうど5分後の午後4時から出発という。
「いえ、その中央広間の壁を見たいだけなので」
「ああ、珊瑚石灰岩ですね。でも単独では入れません」
というわけで、
1時間かかるという見学に参加することに。 


結局、議事堂内は写真撮影禁止。
出て来て、午後5時の外観 ↓
中央塔の下が中央広間。2階から6階まで吹き抜け。
その壁と柱にはすべて、琉球トラバーチンが使われている。
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案内では「沖縄産の珊瑚石灰岩」とだけ説明されたが、
琉球トラバーチンは、琉球石灰岩のなかでも、
とくに再結晶化が進み、珊瑚や有孔虫化石が含まれるもの。
沖縄本島中部の平敷屋(へしきや)で採掘される高級石材だ。


出発前の参観ロビーで撮った、中央広間の展示写真。
いわば「議事堂の顔」にあたる場所に、なぜ琉球トラバーチン?  
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政治的な経緯はいざ知らず、選ばれた理由は、
琉球石灰岩の持つ特殊な魅力にあると思う。
見た目も、コーラルがかった色と艶が美しく
中央広間の壁と柱は、他を圧倒していた。

思えば、サキタリ洞の
埋葬人骨も石灰岩で覆われていた。
古代人もその効能を知っていた証しだろう。

再生を願って死者を悼むための「祭具」だったか、
逆に、霊魂の封じ込めに使った「魔除け」だったか。
いずれにしても、珊瑚石灰岩には魂を浄化する力がある。

本島の南東部がパワースポットと言われる要因は、
珊瑚石灰岩が発するマイナスイオンにあると思う。
この海から吹くミネラル分たっぷりの潮風は、
植物や農産物を半端なく成長させ、
酸化した人間の体を否応なく調整する。


そんな沖縄の海産物…珊瑚や貝は、
古代から世界の人々の羨望の的だった。
殷王朝(紀元前1600年〜1046年)
では、沖縄の子安貝(タカラ貝)が
貨幣として使用されたという。

貝の流通を担ったであろう古代琉球人の存在を、
騎馬民族渡来説で有名な故・江上波夫博士は、
生涯にわたって研究していた。

古代の大陸人は子安貝の産地として、
沖縄を認識したという仮説を、博士は立てた。
その内容について国会図書館で調べたかったが、
お楽しみは年明けに持ち越しということで…。


衆議院門からの外観。ちょうど昨日の午前、
第188特別国会開会式が参院議場で行われたが、
御臨席の天皇陛下がお使いになった玄関が、あの中央広間。
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by utoutou | 2014-12-27 16:46 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(0)

シャコ貝とアザカと猿田彦 2⃣ ガンガラーの谷ツアー

種之子御嶽(さにぬしーうたき)。
またの名はイキガ(男)洞。地元では珍珍洞。
いずれにしても、ズバリな名称の聖域である。

斎場御嶽のイナグナーワンダー、イキガナーワンダー
もそうだったが、生命の生まれ出流る源への情熱と、
古代人の擬き好きな気質を、直に感じ取ることができる。
(先に光が見えるが、ツアーコースはここでユーターン)
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こちらはイナグ(女)洞こと、満満洞。
珍珍洞とともに、いまも安産や子孫繁栄を願う人々が足を運ぶ拝所。
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それにしても快適な「神秘の森」だ。
道は程よく舗装され、石段には手すりがあって楽々。
セグウェイに乗るツアーもあるのだから、
整備されているのは当然のこと。
洞穴と谷底に流れた万古の時間を旅する  
ここは、ネイチャー・アミューズメントパークなのだ。
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MAPの3⃣イキガ洞からこのように引き返し、コースに戻る。
イキガ洞内ではランプを借りて男岩へと進んだものだったが、
ランプ置き場は拝壇らしき平岩だった…utoutou(合掌)。
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観光名所である大主ガジュマルを直角に見上げたり、
鐘乳洞の大崩落跡に感嘆したり、古い門中墓 ↓ の前を通ったり。
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ツリーハウスから港川方面を遠望 ↓したり。
そして参加者20人、ガイドさんに率いられたー行は、
コース終盤の見学ポイント・武芸洞(ぶげいどう)へと進んだ。
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ツアー中、イキガ岩の残像に猿田彦を重ねた。
猿田彦大神は天狗似のビジュアルで描かれてきた。  
その天狗の鼻こそは生殖信仰の象徴であり、
各地で地主神として崇められる国津神の証し。

神話では天孫ニニギを先導した「八衢(やちまた)の神」。
「岐(ちまた、くなと)の神」とも呼ばれる。   
くなと神といえば、アラハバキと一対の男神である。

約5㎞離れた奥武島付近に
「くんなとぅ」という地がある。
地元では「小さな港」という意味だと言われるが、
語り部からは「クナト神」の「くなと」の訛りだと聞いた。

by utoutou | 2014-12-26 18:34 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(0)

シャコ貝とアザカと猿田彦 1⃣ 死霊封じ

おきなわワールド(南城市)のケイブカフェ
その開口部・サキタリ洞遺跡から出た埋葬人骨は
9000年以前のものと見られているが、
後期旧石器時代(3万5千〜1万数千年前)
の可能性もあるという。


もしもこの洞穴がカフェとして開発・開店される
前に、発掘調査が始まっていたら、それこそ
考古学的に宝の山だったに違いない…などと思いつつ、
ガンガラーの谷ツアー」出発までの時間を、ちょうど
やっていた調査展示を眺めて過ごした。
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カフェ入口付近の遺跡(写真左)から出た埋葬人骨の胸と腹には、
30㎝大の石灰岩が4個も乗っていたと新聞に。死霊封じなのか!?
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前日、語り部と猿田彦神について話していたところだった。
ことに、猿田彦の死について。
『古事記』によれば、猿田彦は、阿邪訶(あざか)で釣り
をしていて、比良夫貝に手を噛まれて溺れ死んだというが、
その地・伊勢の阿邪訶は山の中。私はどうも腑に落ちなかった。

「しかも、比良夫貝は沖縄のシャコ貝のことですよね。
それに手を噛まれて死ぬなんて、あり得ないでしょう?」

すると、語り部は言った。
「シャコ貝は女の口と言われますから、暗喩だと思います。
鬼餅(ムーチー)の昔話と同じです」
「鬼退治の…!? 女の上の口は餅を食う口、
下の口は鬼を食う口と言って、
ホト(女陰)を出して、鬼を退治したあの…」
「古い神霊を鬼と呼んで封じる話です、あれは…」


さて、ツアー出発の時間。ガイドさんの案内でケイブカフェを出る。
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アッと思ったのは、森を歩き始めてすぐのことだった。
鐘乳洞の崩落でできた「ガンガラーの谷」を川が流れていた。
雄樋(ゆひ)川だ。そして、その源流は約5㎞離れた大城ダム。
天孫氏王朝の本拠地のひとつと語り部が言う、
大里西原集落のすぐそば。
また大里は、あの鬼餅の民話が生まれた場所でもある。
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鬼を食うのは下の口。
猿田彦の手を噛んで死なせたシャコ貝は
その形状から、女の下の口に例えられる。
ずいぶん無様な死に方に描かれたものだ。

by utoutou | 2014-12-25 18:54 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(0)

港川人なのか〜国内最古の埋葬人骨

洞穴に萌えるタイプなのか、普天間宮に参ったら
無性に他の洞穴にも潜りたいという気になった。


毎年暮れになると発掘のニュース
が相次ぐ、サキタリ洞遺跡(南城市)。
昨年は8000年前のものらしい沖縄最古の土器が、
今年は9000年前に埋葬されたらしい成人一体の人骨が出た。
人骨(頭、上腕、大腿骨、骨盤)を被うように、
石灰岩が置かれていたという。 
発掘現場は「おきなわワールド」の「ケイブカフェ」開口部にある。
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地下3mの洞からは、人骨だけでなく土器も出土。
これが沖縄最古で、サキタリ洞は自己記録を更新。
1㎞離れた八重瀬町から人骨が出て、旧石器人骨の代表例
となった港川人(1万8000年前)との関係はいかに? 


沖縄では、旧石器時代の人骨化石と、縄文土器文化
(最古は嘉手納町出土、7千年前の無文土器)、
それぞれの調査研究が同時進行で行われてきたものの、
ここ数十年間は、目立った進展が見られなかった。
旧石器時代と縄文時代の間には1万年の空白があった。


その空白が埋められたわけで、ここで
沖縄県立博物館・美術館が5年続けた発掘調査の成果は絶大。
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国内最古の埋蔵人骨が出たサキタリ洞遺跡では発掘作業が続行中。
その横で、サキタリ洞遺跡発掘記念展とホエールウォッチング展が開催中。
「ケイプカフェ」が出発地点「ガンガラーの谷ツアー」も絶賛継続中。
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大自然の散歩。エコツアーは2200円と料金高めだが、
連日満員の大人気。前日予約して、かろうじて滑り込んだ。
↓ケイブカフェから原始の森への出口付近も発掘現場ナマ。
こちらは、カニの爪、カタツムリなど動物遺骸を含む堆積層。


海産貝も出土。海産物は海から人為的な搬入されたもの
と考えられ、破片からは人為的な加工痕、使用痕が見られた。
ツノガイ類はビーズとして使用されたものと考えられるという。
(沖縄県立博物館・美術館発行 サキタリ洞遺跡発掘調査報告書より)
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ツアーガイドさんは「港川人の人骨かも」と言ったが、
さて…。
旧石器人が縄文人に進化したということだろうか。
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考古学と人類学上の成果で盛り上がる
サキタリ洞遺跡だが…

1万7千802年の歴史があると
『中山世鑑』の言う天孫氏王朝の痕跡
がいよいよ出たかと、 秘かに萌えてしまう。

by utoutou | 2014-12-23 19:20 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(0)