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ヤマトタケル ⑱ ウカノミタマ〜 久高島のフボー御嶽

沖縄久高島、第一の聖地・フボー御嶽が、
海岸植物群落とともに国の名勝と天然記念物に指定
されることに決まったと、沖縄の新聞に出ていた。


沖縄県南城市の「至宝」久高島のフボー御嶽(右)。
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熱田神宮の草薙の剣について、あれこれと
書いていたところだったのでタイムリーな朗報。
というのも、
草薙の剣にまつわるヤマタノオロチ神話は、
久高島と切っても切れない関係にあると思うからだ。

久高島の西海岸には7つの川泉がある。
古来それは「7つの首の蛇」と呼ばれたと
語り部は言う(記事はこちら )。

「7つの首の蛇」に例えられたこの久高島には、
上古、7つの川泉に沿って海人族が住み、
ウカノミタマを祀っていたと。そして
それは、ヤマタノオロチのことであると…。

かつて久高島は有見島とも呼ばれた。本島からは、
津見島(現在の津堅島、久高島の北に浮かぶ)
と双子の島と見られていたからで、
有見島(久高島)に渡るには、津見島経由
の船で渡ったと、昭和初期の新聞記事で読んだ。

その津堅島にマータンコーという祭りがある。
八つの首の蛇が娘を狙って来訪するのを、
酒入りの甕で迎え撃つ内容。
まさにヤマタノオロチ神話を彷彿とさせる。

今年はぜひ見学したいと思っているが、
例年、祭りの日時は旧暦11月14日。
久高島で12年ごとのイザイホーがあった時代は、
その前日、津堅島でマータンコーが挙行された。
祭りもまた双子のリレーように連続していた。

「マータンコーでは2名の男性が勇者を演りますが、
これはスサノオを想定していたのだと思います。
久高島にもソールイガナシーという男性神職
がいましたが、この神職もふたりでした」
と、語り部。

スサノオの再来とも言えるヤマトタケルに、
建稲種命という片割れがいたことは、
前回書いたところ。

スサノオ、ヤマトタケル(小碓命)。
草薙の剣にまつわる神話の主人公は、
どちらも「双子」。そのことと、
久高と津堅の「双子島」がダブって見える。



さて、国の名勝指定を受ける
ことになった↓フボー御嶽。
400年以上続いたと言われる秘祭イザイホーは、
当初、フボー御嶽で行われたと聞いたことがある。
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後継者不足のため37年前に途絶したイザイホー。
それまで記録に残る祭祀場は ↓久高殿だったが…。
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「イザイホーは昔、フボー御嶽でやった」
という伝承は、『沖縄学(第8号)』
('05年、沖縄学研究所発行)に掲載のインタビュー
記事で、久高島出身の高田普次氏も語っている。
高田氏は、1919年、
神人である掟小(ウッチグァ)の生まれ。


記事に曰く、
「私が小さい頃自分のお婆さんに聞いた話だと、
昔はフボー御嶽で行われていた…
(久高殿の)七つ橋とかハンアシャギにしろ
七つ屋にしろ、極めて人工的…あれは
新しいもので、本来はフボーの中に作られるもの…
ナンチュ達も本来はフボーに籠ったのだ…
“冬至の祭り”というような形で
フポー御嶽でお籠りをしたというのが
イザイホーの原初の形ではなかったかと…」


何年か前、この記事を読んだとき、だから
フボー御嶽が神の島のなかでも特別に
「何人も立入り禁止」の聖域なのだろう
と、合点がいったものだ。

そしていまはこう思う。イザイホーの
祭神はウカノミタマではなかったかと。


こちら東海岸にあるウパーマ浜の植物群落。
北端のカベール岬に続く、緑がしたたるような林。
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島の中央に携帯電話キャリアのアンテナが並ぶが、
土地共有制が保たれており、古来の植生も遺る。
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by utoutou | 2015-06-20 22:00 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑭ 聖域の解禁 〜 熱田神宮

ヤマトタケルを追う旅もそろそろ終わり。
では尾張へ行くか…ということで、
熱田神宮(名古屋市熱田区)に参拝。

祭神は、熱田大神(あつたおおかみ)
相殿神は、
天照大神(あまてらすおおかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)


さて、東征を終えたヤマトタケルは、
尾張の火上山(名古屋市緑区)にいた
宮簀媛命の元に神剣を置いたまま、
能褒野(のぼの、三重県亀山市)で没した。

残された神剣は、宮簀媛によって
尾張国造の本拠地である氷上に祀られ、
やがて一族の祭祀場だった熱田に奉斎された。
それが、1900年前に遡る熱田神宮創建の経緯。

3年ぶりに訪れた熱田神宮には、その
古代祭祀場跡とおぼしき森を抜ける散歩道
(こころの小径)ができていた。
2012年末に公開されたという。


熱田神宮のご神体であり、
三種の神器のひとつ草薙の剣。
保管場所に関する情報は極秘だが、神宮の
もっとも奥深い場所にある?とは、誰しも思うところ。
おそらくその聖域であろう禁足地の封印が、
こうして、さりげなく解かれていたとは驚きだ。



聖なる森を通り抜けると、本殿の北西に鎮座する
「一之御前神社(いちのみまえじんじゃ)」に出る。
9時〜16時のみ、こうして開門されている。
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「こころの小径」へは、MAP中央の
本宮・神楽殿の右から入る。
森を廻り、本宮北を通ると③の一之御前神社に。
逆に、本殿の左を直進すると正面に見える。
熱田神宮HPの境内全体のMAPはこちらより、
以下のMAPは失礼ながら北半分をトリミング。
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「こころの小径」の入口は、正確には清水社の先。
開閉式のフェンスからフェンスが聖域の核心で、
いまなお禁足の森だが、右奥に何かしら屋根が見える。
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明治まで草薙の剣が保管されていた土用殿は、
戦前まで周囲に蒲葵が繁っていたという。
同じ海人族であろうアマミキヨとの関連を求めて、
いつも足を向けてしまう。
この入口で「こころの小径」を知ったのだった。
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さて、一之御前神社の祭神について、
上の境内案内ではこう説明していた。
〜熱田大神(あつたおおかみ)の荒魂(あらみたま)
をお祀りしています。〜 

いっぽう、一之御前神社の前に立つ説明板には、
〜天照大神の荒魂を お祀りします(後略)〜

いずれにしても、熱田大神=天照大神の荒魂。
なんと伊勢神宮の荒祭宮に祀られる瀬織津姫と同神。
とすれば、縄文の女神の封印は既に解かれていた。

では社名の「一之御前(いちのみさき)」とは、
いったい何の御前のことだろうか?




by utoutou | 2015-06-20 21:58 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(2)

ヤマトタケル ⑰ 神剣を守る者〜 熱田神宮

飛騨一之宮水無神社の祭神は火明命…
という説は『飛騨一之宮 水無神社の歴史』
('98年 水無神社刊)にも記されている。
「飛騨国造の祖・大八椅命は火明命の末裔」とも。

尾張氏の始祖・天火明命が繫ぐ系譜が浮き彫りになる。

火明命は亦の名を饒速日速命(=ニギハヤヒ)
といい、物部氏や海部氏の祖神でもある。

主だった海人氏族は同神を祖としたわけだが、
それが火明命ということは、
まさに語り部が言う「火の一族」の証。
「日玉の国」と呼ばれた飛騨もまた…。
太陽を崇め、火継の皇子が治め、製鉄技術を持つ民。

飛騨は古代「斐陀」と表記したそうだ。
火は日、緋、陽、樋、斐…などとも記される。
そして、そこに流れる川には「ひ」がつく。
氷川、日川、斐川…、沖縄では樋川(ひーじゃー)。
元来すべて「火川」だったのではないか?

フシマ(火島)のある沖縄久高島も「火」の痕跡を残す。
イザイホーで神女たちが胸に抱いた大扇に描かれた鳥は
鳳凰と言われるが、元々は「紅(ビン)の鳥」
つまり火の鳥だったのではと、語り部は言う。
火の鳥=不死鳥(フェニックス)。
これも「火の一族」の象徴。

ちなみに久高島の火島は「龍宮」とも呼ばれた。
龍神のいる島だと。火の一族は海人族でもあった。



「火の鳥と太陽」が描かれた大扇(久高島・外間殿)
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そんなことを書いていると、語り部から電話。

「びしゅう…尾州とは尾張のことですよね?
なぜ草薙の剣が尾張に祀られてきたかが分かりました。
尾州の意味は、ヤマタノオロチの“尾を守る国”。
草薙の剣を守るべき理由があったのだと思います」

話を聞いて、ああそれでと、目から鱗がボロボロと。

草薙の剣はヤマトタケル亡き後も
なぜ熱田の地に祀られたのか。
尾張からそう遠くない伊勢に
戻してもよさそうなものをと思っていたが、
尾張にこそ、その必然があったのなら納得だ。

また宮簀姫の兄で熱田神宮に祀られる
建稲種命(たけいなだねのみこと)は、なぜ
ヤマトタケル東征の副将軍として随行したのかと
不思議だったが、草薙の剣を守る者なら当然だ。

建稲種命は「火明命十一世の孫」。そして、
「亦の名は須佐之男」と『海部氏勘注系図』に見える。
スサノオとは唐突な神名だと思っていたが、
建稲種命はヤマトタケル同様、まさに、
海を統べる神・スサノオの再来だったのだろう。

語り部は言っていたものだ。
「ヤマトタケルこと小碓命は大碓命と双子と言いますが、
私にはどうしても他に片割れがいるとしか思えない」と。
記紀が隠したその片割れとは、建稲種命だったのか…。




熱田にあるヤマトタケル御稜の「白鳥御稜」
白鳥は産鉄場に立つ水蒸気のことだと書いたが、
白鳥とは「火の鳥」の意味もあったかもしれない。
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左は白鳥稜に隣接する曹洞宗・法持寺(ほうじし)。
南に熱田の海を見下ろす立地から
山号は「白鳥山(はくちょうさん)」と呼ばれた。
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法持寺。
白鳥稜の宝物を護持したため、昔は「宝持寺」と。
白鳥稜は6世紀初めの古墳。尾張一族の栄華が偲ばれる。
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by utoutou | 2015-06-18 19:31 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(2)

ヤマトタケル ⑯ 超縄文の女神 〜 熱田神宮

一之御前神社の社名について語り部は言った。
「いちのみさき…と読むのですね。
私には“みさき”が“みささぎ”に聞こえます」

みささぎ=古陵。
そうかと、私にも思い当たる節があった。


「こころの小径」を行くと、
本宮裏に出たので参拝し写真を撮ったが、
見上げてしか撮れず、こうして横長になった。
それほど、小径は細かった。
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振り返ると、小径の端に侵入禁止のロープ。
その先には突き出た庇、そして奥に重々しい扉が。
建物は見えず、地下壕の入口のようだった。


本宮の北西、一之御前神社も緩い勾配の途中に。
本宮の裏が古陵だとすれば、その主は誰か。
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で、昨日、改めて語り部に聞いた。

「陵の主は誰ですか? そして
一之御前神社の祭神・熱田大神とは?」

「私にもよく分からないんですよ」
語り部にしては珍しく歯切れが悪い。

「陵の主は、宮簀姫の父・乎止与(おとよ)命?」
「はい、尾張の一族の長だと思います」
「では、熱田大神は天照大神のことではなく、
尾張氏の祖神・火明命となるのでは?」
「いえ、どうもそれも違うと思うんです。
熱田から北へ行った方向が気になります」
「まさか、飛騨高山…超縄文の女神ですか?」
「はい…」

岐阜県、飛騨高山にある位山(くらいやま)。
飛騨一宮・水無(みなし)神社の神体山である。
その地で祀られたという古代飛騨王朝の女神は
天照日大神(あまてるひのおおみかみ)。
私が一度位山に登ったとき、案内の人はそう言った。

それにしても、なぜ、
超縄文の女神を尾張氏が祀るのか?
「草薙の剣は戦時中、水無神社に避難したそうですし、
縄文時代から、飛騨と尾張は関係があったのでは」
と、語り部。

水無神社に参ったときの会話を思い出す。
案内の人は「祭神は水無大神」と言ったが、
やはり歯切れが悪く、こう付け加えたのだった。
「火明命という説もあるのですが、
実は本当の祭神は分かっていないのです」

謎深き尾張〜飛騨への南北ライン。
備忘のため東経を列記しておこう。
熱田神宮 東経136度54分
水無神社 東経137度15分
位山   東経137度11分


ところで、熱田神宮の創祀は1900年前と
されるが、紀元前の伝説が残っている。

往古、海に面していた熱田の地は
蓬莱島と呼ばれたそうで「徐福伝説」が伝わる。
徐福はご存知、約2200年前の渡来人だ。

鎌倉末期の書「渓嵐拾葉集」は、
「蓬莱宮は熱田の社これなり、
楊貴妃は今熱田明神これなり」と記す。

「楊貴妃が熱田明神」とは驚いたが、
もしや天照日大神のことか? 
ともあれ、
「こころの小径」に入る手前の「お清水」
には、楊貴妃に由来する霊石がある。

柄杓が立て掛けてあり、それで霊石に
三回水をかけて拝むと綺麗になるという。


説明板には 〜その苔むした石は、
享楽の古図(一五二九年頃)にも描かれ、
楊貴妃の墓(石塔)の一部との説もある。〜
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熱田と楊貴妃との関係を示す伝説とは…

唐の玄宗皇帝が東海の国日本を侵略する計画
を立てたと知り、迎え撃つかたちになった
日本では、熱田大神が絶世の美女に変身。
その美貌で皇帝にアプローチする作戦を
実行したが、やがて反乱が起き、
熱田に逃げ帰って来たというもの。
※以上「あつた郷土史」を参照。



「お清水」を出ると、やがて「こころの小径」に。
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さて、徐福伝説の残る熱田と聞いて、
沖縄にも何ヶ所かある熱田という地名を思う。

徐福伝説の残るミントングスクから至近の高台に、
熱田原(あったばる)貝塚、そして古代製鉄所跡がある。

中部では、太平洋側の和仁屋近くにも熱田が。
西海岸では、恩納村の屋富祖に熱田海岸がある。
地名の一致に、徐福・尾張・飛騨との関連はあるか?




by utoutou | 2015-06-16 09:36 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑮ ふたつの神剣 〜 熱田神宮

熱田神宮創祀1900年('13年)という
時期に解禁となった
一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)。
本宮の北西に位置する謎めいた神の社。
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社名の意味を考えるためのヒントになりそうな
連絡が、語り部から来た。

ヤマトタケルの没後、熱田神宮が創祀される
まで草薙の剣が祀られていたという境外摂社
・氷上姉子神社のことも前回書いたが、
その氷上(ひかみ)の由来について。


「氷上というのは、火上とも書きますか?」
こうして語り部の質問はいつも唐突。
「はい、最初は火上の里といったとHPにありました。
火災があって、現在の氷上に変えたそうです」
すると一瞬の間の後、語り部は言った。
「火上では、火の神をお祀りしていたのでは。
尾張も火の国、火の一族だったということですね」



火の一族と聞き、
草薙の剣がここにある必然が分かる予感。
この地・熱田が産鉄地であることは言うまでもなく…。
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火の一族…確かに尾張氏の祖神は火明命。
草薙の剣を祀ったヤマトタケル妃・宮簀媛命の
父・小登与命(おとよのみこと)は火明命の末裔だ。

『先代旧事本紀』の巻十「国造本紀」には、
尾張国造として
「天火明命十世孫小止与ノ命」の名が見える。

また始祖を彦火明命として同族の海部氏
に遺る「勘注系図」(籠神社蔵)も、
小登与命は「火明命十一世の孫」と記す。

その「勘注系図」によれば、
彦火明命は火瓊々杵尊の兄。『古事記』と同じく、
天照大神の孫(天押穂耳命の子)
として併記されている。

『日本書紀』では、
天照大神ー天押穂耳命ー瓊々杵尊、
それから一世代下って火明命がいたが。

そうすると、尾張家と海部家の祖神である
火明命も「火継の皇子」であって、
天叢雲剣を持って高天原から降臨した可能性がある。
つまり神剣が尾張の地に祀られたのは至極当然のこと。


そこで、アッと思い出すことがあった。
「実は、草薙の剣はふたつあると思っているのです」
と、語り部はかねがね言っていたものだ。

天孫・天皇家の神剣。
天孫・海人系の神剣。

仮にそうなら、ヤマトタケルの草薙の剣は、
2振りのうちの1振りということになる。

これまで禁足地だった熱田神宮の一之御前神社。
「一」とは「1振りの剣の御前」
という意味ではないか?
仮にそうなら、こうも思うのだ。
いつか、2振りの剣は統合されるのではないか?



熱田神の境内に展示されていた
「神話と歴史でたどる熱田神宮千九百年の歴史」より
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こちらも展示より
「大和武尊、宮簀媛命に宝剣を預ける図」
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by utoutou | 2015-06-12 18:35 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑬ 古代稲荷跡 〜 走水神社

走水神社境内にある稲荷社。
背後の磐座には、洞穴状の祠が3つ。

そのいちばん左は、水神社といい、
小さな社に可愛らしい河童が祀られている。


傍に掲げられた額の説明は以下の通り(要約)。
〜 かっぱ(河童)は想像上の動物で、子どもや
動物を引き込むという悪さの反面、水の化身や
水神として尊ばれた。漁業の手引きをして大漁を
もたらしたり、遭難者の人命救助をした。
水と縁の深い走水では、昔から水神として祀られた〜
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河童やオシラサマ神は、封印された瀬織津姫を
崇めた民がつけた異名だと言われるが、
私は河童を見て、沖縄のキジムナーを思った。

キジムナーは、ガジュマルに住む森の精霊。
ただし昔は海のキジムナー(ブナガヤ)もいた。
船の舳先に飛び乗って、大漁を
もたらしたという民話も、各地にある。
まったく河童や水神と同じような神技。

キジムナーが瀬織津姫とは思えないが…。

ちょうどお年寄りが参拝に来たので、
水神社について聞いてみた。
「昔はここに水が湧いていたんですか?」
おじいさんは言った。
「この岩はいつも湿っているから、そうでしょう。
ここの手水舎の水は富士山の湧き水だし、
大昔は神社のすぐ下が海だったらしいですよ」

思えば、すぐ近くに「走水水源地」がある。
明治時代、横須賀造船所の設立当時にできたという。
今では「おいしい水」が飲める場所として有名。

改めて、沖縄の受水走水を思う。古代は、
走水神社と同じように、海に向って鳥が羽根を
広げたようなかたちの海岸線に、台地から
出た幾筋もの湧水が流れ込んでいたという。

その葦原にはスズが成り、製鉄が行われていた。
…というのは私の推理だが、ともあれ
玉城・垣花樋川の斜面には、古代製鉄所跡がある。



ヤマトタケルが平定の旅をした
各地の古代産鉄地は、多かれ少なかれ
同じような地勢だったようだ。走水神社の
社殿から奥宮へ登る坂も、迂回しなければかなりの傾斜。
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坂を登ると「古代製鉄所跡」の表示があった。
〜西暦百十年十月 日本武尊東征の折 上総国に
渡る際、この地 走水を訪れ、蝦夷征討の祈願を
したと伝えられている祠のあった跡地です〜
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ヤマトタケルが祈ったという祠。
またもや、3宮。後ろに廻ってみたが刻字はない。
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なんだか「3」が目につく御嶽だ。と、そこで、
古代産鉄地とは物部氏の居住地なのだと思い至った。
三峯、秩父三社しかり、産鉄地にはとかく「3」がつく。

物部と言えば、この地で没した弟橘媛。
穂積氏忍山宿禰の娘。穂積氏は物部氏と同族である。
ちなみに、穂積氏の創建した青麻神社
(宮城県仙台市)は、別名・三光宮という。


改めて沖縄の古代信仰を思った。
沖縄の蒲葵(くば)は、神と崇められた龍蛇
に見立てられたが、一般的に龍蛇信仰の強力な
担い手は物部氏、そして同族の海人族だった。

伊勢神宮の初代斎宮となった倭姫、そして
その甥のヤマトタケルも、母系は海人族と見られる。
大和朝廷の成立以前、皇后は海人系の豪族から選ばれた。


by utoutou | 2015-06-07 16:45 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑫ 草薙の剣 〜 走水神社


走水神社の奥宮には、三社が鎮座している。
本殿から、左へとうねる山道を登って辿り着き、
鳥居を見上げると、太陽光線が目に入った。
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午後1時ごろ。
それほど急峻な山の途中に奥宮はある。

走水神社によれば、祀られるのは下記の神々。
神明社(中)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)
須賀神社(右)は、須佐之男命(すさのおのみこと)
諏訪神社(左)は、建御名方神(たけみなかたのかみ)
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ただし、すべての神が、古来
この地に座していたのではないらしい。
神明社は伊勢山崎に鎮座しており、
諏訪神社は御所が崎に鎮座していたが、
明治18年からこの形態で祀られるようになったと。


須賀神社のみこの地に鎮座していた。
つまり、元々祀られていたのは、須佐之男命。
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ということは…と、小祠を覗きながら考えた。

ここ駿河の走水を訪れたヤマトタケルは、
伊勢で、伯母である倭姫から授かった神剣
(天叢雲の剣=草薙の剣)を持っていたのだ。

スサノオがヤマトノオロチを退治した
ときに、その尻から出た神剣。
いわば「勝者の証」だ。けれども後に、
アマテラスのに献上されたものだった。

そして天孫降臨するニニギノミコトに授けられた。
以来、代々宮中で祀られれることになった。

その失われた神剣を持って現れた
ヤマトタケルは、この地の民の目には、
まるでスサノオの再来に映ったに違いない。

ヤマトタケルの旅の間、草薙の剣が
「水戸黄門の印籠」として機能したはず
だと思うのには、そんな経緯があるからだ。

ではなぜ、
垂仁天皇の皇女・倭姫は、
景行天皇の皇子で甥のヤマトタケルに託したか…。

やや長くなりそうな考察は、次回以降に
つづく…



走水にあるビューポイントからの東京湾。
横浜ランドマーク、ベイブリッジ、房総半島を一望。
運がよければ、夕景の富士山も見えるとか。
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by utoutou | 2015-06-05 20:42 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑪ 弟橘媛の入水 〜 走水神社

駿河から上総へ、浦賀水道を渡ろうとするも
暴風雨に遭い立ち往生したヤマトタケルのため、
身を投じて海を鎮めたという弟橘媛。

以前から、弟橘媛は「人柱」だったのだ
ろうと思っていたが、初めて参った走水神社
は、ヤマトタケルとオトタチバナヒメという
主祭神の「夫婦愛」物語に彩られていた。


こちら絶世の美女だったという弟橘媛
のレリーフが目を引く「舵の碑」。
その献身を讃え、また浦賀水道の安全を願って
昭和50年の国際婦人年に建立されたという。
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弟橘媛レリーフのアップ。
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↓ こちらの記念碑(右)も弟橘媛の美談を偲ぶ。
左の碑は、ヤマトタケルに料理を供した記念の包丁塚。
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社殿の奥にも「弟橘媛命の記念碑」があった。
弟橘媛が身投げする間際に詠んだ歌を
竹田宮昌子内親王が御書したものという。

その歌は、『古事記』に見えている。
〜 さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
火中に立ちて 問ひし君はも 〜
(※「さねさし」は「相模」の枕詞)

現代語に訳すと、
「相模の小野で戦があったとき、
炎の中で、私の名前を呼んだ君よ…」
これを見ると、この地で何らかの抗争が、
姫の身投げの前段にあったことが窺える。
 

その舞台「相模の小野」とは、一説に
弟橘媛の祖父・橘モトヒコが賜っていた国。
現在の大山安夫利神社のある伊勢原市とも、
小野神社のある厚木市とも言われる。

そして、弟橘媛の父は、
「穂積氏忍山宿禰(オシヤマスクネ)」
であると『日本書記』に見えるので、
歌の意味は 〜 貴方と私の家が敵味方に別れても、
炎の中から私を呼んでくれたね 〜といったところ。
何やらロミオとジュリエット的な展開。


ところで、
母の放橘(ハナタチバナ)媛は再婚だった。
その前夫(=弟橘媛の実父)は田道間守
(タジマモリ)であると『ホツマツタエ』に。

田道間守とは、ご存知、垂仁天皇の勅命
により、不老長寿の仙薬と言われた
非時香木実(ときじくのかぐのこのみ)
を探しに常世の国に行った忠臣。
新羅から渡来した天日槍
(アメノヒボコ)の玄孫とも伝わる。

ようやく見つけて帰ったときに天皇は
すでに亡く、嘆き悲しんだ田道間守も死んだ
と、記紀は伝える。つまり殉死したと…。

思えば、ヤマトタケルは垂仁天皇の孫。
田道間守と弟橘媛は、二代にわたり皇家に殉じた。

ちなみに、天日槍とは、
新たな産鉄技術を日本にもたらした人物。
穂積氏とは、物部氏の正統とされる古代産鉄族。 
田道間守父娘の殉死は、ヤマトタケルが、
新旧の渡来産鉄氏族を治めたことを示す説話だと思う。

ではなぜ、ヤマトタケルは総統に成功したか。
火打袋と草薙の剣を持っていたからだ。
それは、いわば水戸黄門の印籠だった。



走水の漁港から神社(集落の中央)を見る。
背後の山は観音崎公園、散策する観光客も多い。
波止場を左へ進むと、媛が身投げした岬に出る。
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港の突端。媛が身を投げた「御所ヶ崎」。古来この地に
祀られていた弟橘媛は、明治末期に走水神社に合祀された。
訪れた日は真夏日だったが、人影はまばらだった。
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by utoutou | 2015-06-03 21:07 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑩ 白鳥の一族 〜 走水神社

酒折宮でヤマトタケルが火打袋を授けた
翁は国津神の子孫だと、語り部は言った。
つまり翁が祀っていたのは、この国の地主神
である国堅大神(くにかためしおおかみ)だろうと。

また、上古の時代、
酒折宮は富士山にあったと言った。
「山頂付近の久須志神社に、
その神様は隠されていると思います」

そこで、古史古伝『ホツマツタエ』
に答えを求めると、ヤマトタケ(ホツマではタケ)
が火焚きの翁に会ったのは、富士山南麓
のハラミのミヤだと記されていた。

そして、ホツマには、ヤマトタケの
妃・弟橘媛が入水したのは大磯の海だとも。
あらら……
道々あれこれ調べつつ、着いた先は横須賀の海。
走水(はしりみず)神社に来てしまっていた。

ま、ホツマのヤマトタケ物語は別途考える
として、今回は記紀に倣って走水神社に参拝。



走水神社。京急馬堀海岸駅からバスで5分。
横須賀市走水に鎮座。海岸のバス通りからすぐ。
祭神は、日本武尊、弟橘媛。
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沖縄の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)の走水
と同じ地名なので、いつか参りたいと思っていた。
↓ 境内から振り返ると、太平洋の水平線が見える。
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そんなわけで、予習抜きでやって来た走水神社。
やはりと言うべきか、本殿横に稲荷社が鎮座していた。
この地も古代産鉄地だったか。
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↓ 稲荷社の横、海を見下ろすように磐座がそびえる。
いつの時代のものか、磐座を背に石の小祠も並ぶ。
古代祭祀場に、いわば稲荷社が重なっている格好。
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磐座を見て、ふと思う。
ヤマトタケルが実在し、この地へ来たとしても。

各地にこの赤い稲荷神社が広まったのは、
秦氏が伏見稲荷を建てた奈良時代(711年)以降だ。

従って、ヤマトタケルの4世紀、
各地に古代稲荷神が祀られていたとすれば、
こうした磐座を依り代にしていただろう。
では、誰が祀ったのか?
それは、白鳥伝説を持つ一族?

語り部のこんな話を思い出す。
「弥生時代の産鉄地には、白鳥伝説が残ってますね。
受水走水もしかり、白は何の例えだと思います?
湯玉ができるときに立つ白い水蒸気ですよ。
だから産鉄地には、白鳥が飛ぶ言い伝えがある。
それは、白の一族とも重なります」

語り部が常々言う、
沖縄の始祖・シロミキヨに繫がる民である。



磐座の横に廻ると、石をくり抜いた祠もあり、
なんとアザカ(ナガミボチョージ)の木が、
どうした偶然か、自生していた。
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アザカで思い出すのは、
久高島の古祭・イザイホーだ。
「イザイホー ② 十字の霊力」 に書いたが、
祭りの4日目、神女就任の儀式を終えた女たちは、
祝いの円舞を前に、髪にアザカの葉を飾った。

それは、一族の司祭となった証。
あのとき、私は語り部に聞いた。
「で、一族とは、どんな民族なんです?」
「火の神の民族でしょうね」

ちなみにアザカの葉は、十字に対生している。
十字とは、水・土・火・風…
万物創造の4大エネルギーを表す。

アザカのお陰で、ミッシングリングが繫がった思い。
火の神の一族とは、稲と鉄を生す一族。
またの名を「白の一族」という。

ヤマトタケルもその一族に繫がる皇子
だったと、考えられる。





by utoutou | 2015-05-29 20:46 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑨ 国津神の子孫 〜 酒折宮

ヤマトタケルが、秩父からの帰路に
立ち寄ったという酒折宮(山梨県甲府市)。
御祭神は日本武尊(ヤマトタケル)。

この神社には、実は
秩父三社に参る半月前の週末に訪れていた。
泊まりがけで石和(いさわ)温泉に
行った折り、足を伸ばしてみたのだった。


JR中央本線・酒折駅から徒歩5分。
甲府市の東玄関といった位置。いまでは
山梨学院大学や付属校のある学園町に鎮座。
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古来、酒折は甲斐の国の中心だったようで、
他国に通ずる9つの主要街道は、
すべてこの酒折を起点としていたという。

近くに流れる笛吹川を源流へと遡ると、
秩父との国境にあたる雁坂峠に行き着くという。
秩父の産鉄地帯とは、まさに地続き。

ヤマトタケルは、ここで、
御火焚の翁(おひたきのおきな)に出会った
というから、やはりここも産鉄地だったのだろう。



その名も塩海足尼(しおのみのすくね)という翁
に、ヤマトタケルは、伊勢で倭姫から
授かった「火打嚢(ひうちぶくろ)」を授け、
甲斐国の将来を託したというのが、創建の由緒。
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さて、酒折宮は「連歌発祥の地」。
ヤマトタケルが御火焚の翁・塩海足尼と、
歌の掛け合いをしたという。
ヤマトタケルが「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる
(新治や筑波の地を過ぎて、幾夜寝たのだろう)」
と詠むと「夜には九度、日には十日を
(日数を重ねて、夜で九夜、昼で十日でございます)」
と、塩海足尼はすぐさま返歌を詠んだ。
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それにしても、不思議な由緒だ。
翁が歌を返したことに感動したとはいえ、
ヤマトタケルはなぜ火打袋を手渡したのだろう。
倭姫から草薙の剣とセットで賜った神器である。
もしや、翁は神器を授けるに価する人物だったのか。



ともあれ、相当に古い土地柄ではある。
酒折宮公式サイトによれば、
塩海足尼が社殿を建てた当初の酒折宮は、
現社地より北側の月見山にあったという。
この山は三角錐型の神奈備山(かんなびやま)。
「古天神」と呼ばれる磐座が御神体だった。
※ 写真は酒折宮公式サイトより拝借。
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磐座を守り火焚きをしていた翁とは誰か?
意見を求めると、語り部は言った。
「その方は、塩土老翁だと思います」
「この地に、シオツチノオジが?」

混乱する頭で、私はもう一度聞いた。
「それは、どういうことですか?」
「国堅大神(くにかためしおおかみ)です」
語り部は言った。
「大国主であり大物主であり、オオナムチであり、
記紀では猿田彦と呼ばれたこの国の地主神…
つまり、国津神の子孫だった
のだと思います。そして…」
「そして…?」
「本当の酒折宮は、
富士山の7合目にあったと思います」
「はあ〜」



私が参った酒折宮は記紀が記した史蹟だが、
異伝を継ぐ古史も存在するというのだろうか?
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by utoutou | 2015-05-26 21:12 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(2)