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猿田彦の下駄 6⃣ 甦る根の彦

「魚根家(イン二ヤー)の“魚”とは、鰐鮫ですよ」
と、聞いたときのことは書いておかねばならない。
昨年末、語り部が霊視した。

「やはり和邇氏ですか?」
と聞くと「和邇氏です」と言う。
古代大和豪族・和邇氏のトーテムは鰐鮫で、
龍蛇神を崇めた。
そして猿田彦は和邇氏の祖神。ならば「下駄」
が示すのは和邇氏なのだろう…とは思っていたが。

大和朝廷の成立には欠かせない氏族と言われるいっぽう、
その名を記紀で見ることはほとんどなく、研究も少ない。

ただし、上古、玉城の和名に和邇氏の村があった
という口伝は、ミントングスクで秘かに語られてきた。


魚根家(イン二ヤー)の拝所は、魔除けの「石敢當」と
アジケー(シャコ貝)が並ぶ、のどかな集落内にある。
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それでも、話をすぐには飲み込めなかった。
イン二ヤーの拝所があるのは久高島である。
神の島とはいえ、祀られる必然はどこに。

「下駄だけで和邇氏と判断してよいですか?」
「拝所の場所からしても、そうだと思います」
「拝所の場所…?」

一帯は、久高島で「くんぶち山」と呼ばれる。
その歴史がどれほど深いかは、確かに地名に表れている。
「くんぶち山」は漢字で「国淵山」。国の淵の山。

「淵」を辞書で調べると「物事の出てくる根源」とある。
つまり「くんぶち山」とは、国ができた根源の山。
ここが、日本という国の原郷と解釈できる。

いっぽう、イン二ヤーは「(魚)根家」。
根家とは「もっとも古い家」という意味だが、すると、
くんぶち山の魚根家は「国の根源にある元家」となる。

かつて「くんぶち山」の由来を島人に尋ねると、
少し困った顔で、目を中空に泳がせていたものだ。
ここはただならぬ歴史を秘めた場所なのだと思った。


↓久高島にある「くんぶち山」の御嶽付近。
威部(イビ)に石臼も祀られる。古代、石臼は御神体だった。
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「くんぶち山で、何があったのですか?」
私は聞いた。
「王権の委譲が行われたのだと思います」
「王権の…」
「国津神から天津神に、そして神武に」
「何を譲ったのですか?」
「神代の剣です」

剣とは記紀に登場する「神代三剣」のことで、現在
そのひとつは石上神宮(奈良県)に祀られているという。

「誰が譲ったのですか?」
「猿田彦ですよ、ミントングスクのソネ彦」
ソネ彦!!
ミントン古伝の『如件のごとし』に、
「アマミキヨの夫」として、その名が見える。

「猿田彦がソネ彦だったとは。で、ソネの意味は?」
「私は、蘇・根彦なのだと思っています。
または、祖・根彦。彦は日子、日の御子です」

「根」という字は、沖縄の歴史に頻繁に登場する。
根家には、祭祀を司る根神(女)と根人(男)がいる。
百名玉城は「根の国」と呼ばれ、根所という旧跡がある。
話は飛んで、和邇氏関連の天皇の諡号にも「根子」がつく。

猿田彦と呼ばれた「蘇・根彦」が「アマミキヨの夫」
で、記紀によって名前を変更された神なら、
後世、末裔が願いを込めて「蘇る根の日子
=蘇根彦=ソネ彦」と語り継いでも不思議はない。

「蘇民将来の蘇でもありますね」と、語り部。
和邇氏、ソネ彦とは素戔男尊に繫がる系譜なのか。
何やら「根の国」の真意が解けてくる気配…。


和邇氏の和邇は、和珥、和爾、丸子とも表記される。
↓斎場御嶽の下、海岸にある御嶽「マルチャ龍宮」。
「マルチャは丸子の意味だろうと思う」と語り部は言う。
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by utoutou | 2015-02-18 16:43 | 久高島 | Trackback | Comments(3)

猿田彦の下駄 5⃣ 番外編

久高島からスピンアウトして、一昨日、
武蔵国一之宮・小野神社(東京都多摩市)に参拝。
うららかな春の兆しが感じられた。

沖縄では緋寒桜が満開と聞くが、
こちら関東も、朱塗りの拝殿が春陽に映えて眩しい。
ちなみに祭神は、瀬織津比咩、天之下春命。
(※拝殿横の南から撮影)
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その場で何げなく振り向き、棕櫚(シュロ)の木を発見。
ぐるり境内を見回すと、その数ざっと10本は下らない。
久高島の聖樹・蒲葵(クバ)を思い起こさせる南国の趣き。
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いっぽう、反対側の拝殿横には椿の花がポツリ。
北側のせいか未だ冬の佇まいだが、椿大神社(三重県)を思う。
椿大神社は猿田彦大神を祀り、猿田彦大本営を名乗る。
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平日は社務所が無人で、境内には参拝客もまばら。
鳥居は西面。十六菊紋を戴く隋身門の先が拝殿。
神社のすぐ北を多摩川が流れる。
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境内を一周した後、
聖蹟桜ヶ丘駅(京王線)へ戻るべく南門を出ると、
隣接する児童館の道端にふたつの小祠を見つけた。
いつもは駐車場に車を停めるので、気づかなかった。
左が地蔵尊、右が庚申塔。
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こちらが地蔵尊。児童館から子どもたちの声が聞こえる。
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↓ 右の庚申塔に説明板があった。

〜「庚申塔の由来」
この庚申塔は、庚申信仰に由来して
江戸時代の中頃の寛延四年
(一七五一年)に造立された石碑です。
村へ悪疫や災難が入ってこないようにとの願いを込めて、
旧一ノ宮一番地先(現一ノ宮二八番地九号先)に
建てられていたが、都道府中四谷橋関連道路
の新設により当地にお遷し申し上げお祀りする。
(中略)平成十二年二月吉日 小野神社役員 地域有志一同〜
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261年前に、村の守護神として建てられた
という庚申塔。そして地蔵尊。
ペアで寄り添う配置に、ふと思う。


小野神社の祭神・天之下春命の奥深く、
もしや違う神が、隠されてはいないか。
瀬織津姫と天之下春命が一対神とは思えない。


小野神社という名前の由来は、
この地に武蔵秩父国造・小野利春が
着任したことによるという。
武蔵秩父国造の祖神が天之下春命だ。


いっぽう、地元には
「昔はニギハヤヒを祀っていた」
との秘伝があるらしいが、
至極まっとうな口伝だと思う。


『先代旧事本紀』の「国造本紀」に、
ニギハヤヒが大和入りした際、高天原から
派遣された供奉衆に、天之下春命の名がある。
天之下春命が付き従ったのがニギハヤヒ。
瀬織津姫の一対神とされる神である。


思わぬところで、
久高島に繫がる神系統に出会ったものだ。
小野氏は、古代豪族・和邇氏の有力支流。
ニギハヤヒとは猿田彦の神魂を継いだ神である。



by utoutou | 2015-02-14 18:25 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

猿田彦の下駄 4⃣ つまりアマミキヨ

ニライ大主とは、ニライカナイの主神。
聖なる他界(常世の国)にはニライ大主がいる。
(※ここまでが比嘉康雄氏による「島人の他界観」)

そのニライ大主を代々司るが魚根家(イン二ヤー)。
拝所には、猿田彦を思わせる下駄と杖が祀られている。

それは本当に猿田彦大神のレガリアなのか。
誰かに聞こうにも、
魚子家とニライ大主(神役)は途絶、
ニライ大主が司祭した祭り(どれも行列するお祓い神事)を、
リアルタイムで見た人も、由来を語る人も既にいない。

それでも、ニライ大主は猿田彦のことであり、
渡来神であり、最高の国津神であり、
地主神であり、つまりアマミキヨである。
それゆえ、岐(くなと)の神、先導神でもある。

そう考える根拠のひとつに、
アカララキ(曉の御嶽)がある。
王と聞得大君の一行は久高島行幸の際、
この港(ちみんとぅまい)に着くとアカララキに参詣した。
まさに「神の島」を守る地主神、
そして先導神である。

またテーラーガーミ(男たちによる太陽の祭り)で、
お祓いの行進の出発地点になるのも、この御嶽。


アカララキの下の港は、王府時代の大君の港。
遠く正面に、本島側にある斎場御嶽が見える。
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ところで、アカララキに
座す神は太陽神であり、龍蛇神でもある。

アカララキは、出雲大社の龍蛇神
の小祠と似ていると語り部は言った。
私にもこの神体石が、トグロを巻いた蛇に見える。
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こちら出雲大社「神在祭」。稲佐の浜で迎えられた龍蛇神。
絹垣(きぬがき)という白幕で囲われつつ大社へ進む。
一昨年の神在祭の夜、出雲地方で流れたTVニュースより。
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さて、猿田彦に関して、
語り部がまたひとつ重大なことを思い出した。
郷土芸能『長者の大主』にまつわる話だという。

「あの劇に、ニライ大主が登場するのですよ」
私は観たことがないが、
「沖縄の各地にある芝居ですね、夏祭りで演る」
「ニライ大主は長者の前に現れ、
アマスのアマミツに授けた五穀の種を
与えて、作り方を教えるんです。
 『百名の長者の大主』ではギレー大主ですが、
 あの神様がニライ大主、つまり猿田彦大神なのです」

なるほど…
太陽の霊力を継いだ渡来海人族の祖先神は、
海においては龍宮神であり、
陸においては稲荷神だった。

そう言えば…
各地の稲荷神社には猿田彦大神が祀られている。

by utoutou | 2015-02-09 19:13 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

猿田彦の下駄 3⃣ みちひらき

魚根家(イン二ヤー)の下駄には、日付があった。

一九六七年 十一月十三日

半世紀も前の話だ。ただ、
比嘉康雄氏のイン二ヤー拝所図(1979年調べ)には
描かれていないので、後からこちらに移されたようだ。

下駄ははたして、猿田彦にちなんで奉納されたのか。
いや、私はそう確信しているのだが…。

系図上、猿田彦は綿津見神(海の神)の子であること、
また安曇氏の祖神であることは、既に何度か書いた。
いっぽう沖縄では、海の神を「龍宮神」と呼ぶのだから、 
竜宮神(猿田彦)は、イン二ヤーの始祖である。


さらに、古来、久高島で受け継がれた
ニライ大主(うふぬし)という神役も、
イン二ヤーの女が継ぐとという決まりがあった。
ニライ大主について、
比嘉康雄氏は次のような口伝を遺している。

・ニライ大主は島の最高神である
・聖地ニラーハラー(ニライカナイ)の主である
・しかし、結婚できない神役だったため途絶した
・正月にはニライ大主が先頭に立ち、行進をした

最後の口伝は、とても貴重な情報だ。
正月神事の先頭に立つ…
その神を、猿田彦と言わずして何と言おうか。
「みちひらき」の神とは、まさに猿田彦のことであった。


↓ ニライカナイの海(2枚とも昨年の旧正月に撮影)。
ニラーハラー(ニライカナイ)とは
「東方の聖地」のことだが、「始源の地」という意味も。
つまりニライ大主とは「渡来神・猿田彦」のことでもある。
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やはり去年の旧正月の伊敷浜。古来、数々の神事が行われた。
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旧正月の行列神事。先頭を行くニライ大主の後には、
ソールイガナシーや根人(ともに男性神役)や神女が、
そしてまた島人たちもついて外間殿まで歩いたという。

〜先頭のニラー大主の親戚の人がビービタトゥという笛を
吹き、行列して外間殿にお迎えし(中略)ニライ大主は
外間の中央に座した。それから正月の行事が始まった〜
※比嘉康雄氏著『神々の原郷 久高島』より


正月行列の到着地・外間殿。(やはり去年の旧正月に撮影)。
今年は来たる2月19日。三線と太鼓で新年を寿ぐ風景が見られる。
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男性が健康を祈願、神人が神酒を振る舞う酌とぅい(酌とり)。
※写真は南城市観光協会WEBサイトより拝借。
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外間殿に掛かっている七福神の掛け軸。
なぜ久高島に七福神?と思っていたが、
寿老人(中左)は白鬚明神とも呼ばれる。
つまり猿田彦のこと。ようやくその意図が飲み込めた思い…。
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by utoutou | 2015-02-07 17:46 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

猿田彦の下駄 2⃣ 古代海人族

失礼しますと拝礼しつつ
「イン二ヤー」と呼ばれる拝所の扉を開くと、
拝壇の隅に高下駄があった。手に取るとズシリと重い。
また、壁の上部には、木の長い杖も掲げられていた。

高下駄は、一本歯ではなかったが、
杖も祀られているとなれば、猿田彦の立像を想像せずにいられない。


魚根家と書いてインニヤーと読むことも知った。
方言読みで、魚は「いゆ」、根は「に」、家は「やー」。
そうすると、屋号の意味は
「魚根の家」「魚の根家」または「魚の根の家」か。
いずれにしても「根」がつく以上、
相当な旧家であることは間違いない。
古代海神族の痕跡ここにあり?
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インニヤーは既に廃絶したようだが、
比嘉康雄氏の著書『神々の原郷 久高島』には、
旧家のひとつとして拝所図が載っている。

インニヤー家(1979年調べ)として、
次のような説明文が。
「当家は龍宮神で、昔はフシマを管掌していた」。
また拝壇の香炉名も「龍宮神」「根人」とある。


イラブー海蛇の漁場でもあるフシマの漁獲権は外間根人が持つ
というが、それはイン二ヤー家から受け継いだものと聞いた。
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↓ 図に描かれた、フシマの神馬を繫ぐ「がじゅまる」(写真の右)。
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ここで、イン二ヤーの情報を整理すると…
・根人(男の神役)を輩出した旧家
・ニライ大主(女の神役)をも輩出
・龍宮神(=龍蛇神)の神魂を継ぐ
・フシマのイラブー海蛇の獲る権利
・神馬を繫ぎ止めていた聖木がある


久高島の真南に浮かぶ、龍宮神の棲むフシマ(火島)。
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そして、
あっと、下駄の鼻緒に気がついた。
イザイホーの「アリクヤーの綱引き」で使う
稲藁と酷似している。
水の少ない久高島では稲は育たないため、
祭具として使う稲藁は、アマミキヨの居住地と伝わる
ミントングスクから送られていたのだった。



by utoutou | 2015-02-05 08:01 | 久高島 | Trackback | Comments(9)

猿田彦の下駄 1⃣ 神託の続き

久高島・西海岸にある御嶽・アカララキ。
王府時代には「ちみんとぅまい」(聞得大君の泊)
と呼ばれた港のすぐ前にある。
1月末に島に寄ったときにも、いちばんに足を運んだ。

御嶽名にちなんで「曉の御嶽」とも呼ばれる。
石祠に祀られている神の名前は不明だ。これまで、
アラハバキ・瀬織津姫では? と書いたが、ふと、
ここには龍宮神が祀られているのではないかと思った。


昨秋訪れた、伊勢・伊雑宮の奥宮「天の岩戸」の祭神
猿田彦大神と瀬織津姫とよく似た、龍神の神気が感じられた。
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実際、アカララキの大きな神徳は、
久高島最大の祭・イザイホーでいかんなく発揮された。
イザイホーの開始前には、ここで「御願立て(うがんだて)」
が催され、またイザイホーの期間中、アカララキの祠は祭祀場
に出張して、神女たちの成巫儀礼(神魂の転生)を見守った。


このアカララキで
不思議な現像に遭遇したのは、1年前の旧正月
祠の中に、白い玉がくっきりと投影された。

島人に尋ねると、
「フシマ(火島)へ行けという神託ですよ」と言う。
さすがに「神の島」。噂に聞く霊能で即座に言い当てた。

↓ 島の真南(まふぇー)の離れ小島・フシマ。
旧正月と違い、この日は極寒。釣り人もいなかった。
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1年前に語り部が言ったことを思い出す。
「フシマに棲む龍宮神は、神馬に乗って来たそうです。
そしてその馬は、イン二ヤーという拝所に繫がれていた」


尋ね尋ね集落を歩き、どうにかイン二ヤーに辿り着いた。
右に立つのが、神馬が繫がれたと伝わる、がじゅまるか。
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扉のある拝所は初めてだった。
作法が分からず、知り合いの島人に電話すると…。
「下駄が祀られているはず。杖もあるはず…」とのこと。
恐る恐る中を覗いてみると、本当に下駄が祀られていた。

しかも、高下駄。上には毛筆で「魚根家」と。
イン二ヤーとはこう書くのだったか!
魚根(いんに?)家か、魚の根家(にーや)か。

それにしても、どうして下駄と杖が祀られているのか。
猿田彦の下駄!? まさか…。

by utoutou | 2015-02-02 21:59 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

久高島・テーラーガーミ(太陽神の祭り)

1週間前の9月16日(旧暦8月12日)。
神の島・沖縄久高島でテーラーガーミ(太陽神の祭り)。
日没迫る夕刻。西日を背に祭りを追う者たちの影も長い。
写真右端、マイク持つ影はドキュメンタリー映画のクルー。

数日間行われた「八月祭り」の最後を飾る男たちの祭り。
テーラーは太陽、ガーミは神、テーラーガーミとは太陽神のこと。
島の大主(ウプシュ、50歳〜70歳の男性)たちは
今、太陽の霊力(しじ)を受けたテーラーガーミとして、
第二祭場であるユラウマヌ浜(王府時代の君の泊、現在は漁港)
を出て集落を行進。悪霊を祓いをしているところだ。

テーラーガーミのティルル(神歌)
を歌いながら練り歩く大主(ウプシュ)たち。年齢順に並び、
扇を上へ下(胸の前)へと振る。その動作は「お祓い」の表現。
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そのお成りを、島の人々は木陰に座って見守っていた。
ソールイガナシー(神職)の経験者であるおじいが来て怒った。
「太陽神たちを座って拝むとは何事か」。怒るのも無理はない。
ソールイガナシーはテーラーガーミと関係が深く、古くは、
この祭りの第二祭場(ユラウマヌ浜)で神事を司祭していたのだと。

ソールイガナシーは龍宮神を司る神職。そして、
「それはアカララキを仕切っていたということでもあったよ」
と言うのだ。これはとても重要な情報。

アカララキとは「ミントンの娘とイザイホー〈5〉」の項(←こちら)で書いた、
かつては「門の番」(じょうのばん)とも呼ばれた御嶽(うたき)。

降臨する神は、生命の根源を司る縄文の女神。男たちは
女神アカララキに導かれ、島を守護する太陽神として転生したのだ。
では、その源になる太陽神とは? ヒントはティルルの中にありそうだ。


【テーラーガーミのティルル】
ハチガツヌハジマリ ヘイ(八月のはじまり)
テーラーガーミ スルティ マブル ヘイ
※囃子「太陽の霊威を受けた男たちが揃ってこの島を守る」
ハチガツヌシバサシ ヘイ(八月の柴差し)
アムトゥカラアサンハリ ヘイ(元家から各家まで)
タティマンヌワカグゥラー ヘイ(ソールイガナシーは)
シマハニティイモーリ ヘイ(島を囲ってきて下さい)
クニハニティイモーリ ヘイ(国を囲ってきて下さい)
ナガハマニムチウルチ ヘイ(長浜に持ち降ろして)
サウルカラクダユル ヘイ(サウルから下った)
アカワンヌユナワシ ヘイ(赤碗の世直し)
ヤマトカラクダユル ヘイ(大和から下った)
クルワンヌユナワシ ヘイ(黒碗の世直し)
※柴差し=悪霊祓い。スゥバ(茅)
奇数本に桑の葉を束ね、屋敷の四隅の軒先などに差す。
※ソールイガナシー=村頭を経て就任する男性神職者。
龍宮神とアカララキを司祭する。
※世直し=神酒(ウンサク)を神に供えるための容器、
木製大椀(沖縄大百科事典より)。 

♪サウルから入った赤碗の世直し。大和から入った黒碗の世直し。
意味深な、赤椀と黒椀の対比。
赤椀の「サウル」(ソウル)とはどこを指すのか。

その謎を解きたくて、久高島に足を運んだのだった。
島の古老は「サウルというのは唐、中国のことだよ」と言った。
「昔のウチナーンチュは、外国とは中国のことだと思っていた」と。
まさに定説。が「サウル」に関する新情報は得られず、謎は深まる…。

テーラーガーミの第一祭場・ハンチャアタイ(神の畑)。
午後5時、大主(ウプシュ)たちが黒い着流しに草履履きで集合。
手には赤丸の描かれた扇。午後3時開始の予定だったが、
司祭する外間根人(ニーチュ)が体調不良のため遅れた。
根人と大主たちがハンチャアタイに着座。神酒を交わし、ティルルを唱和。
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下は、いつものハンチャアタイ(神の畑)。
左下の石山は「天の門」(てぃんぬじょう)と呼ばれる拝所。
「天と地をつなぐ石」。神社によくある「さざれ石」と似ている。
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テーラーガーミでは「天の門」に、ふたつの赤椀(大椀)が供された。
ティルルに謡われた赤椀・黒碗(神酒杯)か。しかし見た目はいずれも赤。

ユラウマヌ浜(比嘉康雄氏著『神々の原郷 久高島下巻』93年、第一書房)。
後ろがアカラムイ(森)。ここには古代祭祀を知る鍵があると思う。
琉球王朝の繁栄を支えた神の島。その古層には古代の神々が眠る。
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イザイホーが神女たちが蛇神になる祭りであったように、
テーラーガーミでいう太陽神とは龍蛇神のことだと思う。
テーラーガーミもバイカンヤー(イラブー海蛇の薫製小屋)のある
御殿庭を第三祭場とし、ニライカナイの神様への報告で終了。
このイラブーの乾燥小屋、別名を「タルガナー」(神様)という。

凪いだ海の西、斎場御嶽に太陽が沈む。
祭りの後、女人解禁となったユラウマヌ浜で「角力大会」が始まった。
ミナーラ川(洞穴)の上に立って、子どもたちの声やどよめきを聞く。
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by utoutou | 2014-09-18 22:28 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

久高島の夜明け〈完〉消えたニラーの神々

昨日はスーパームーンだったが、リアルタイムで見られなかったので、
1年前に久高島で撮ったスーパームーンの画像を引っ張り出してみた。

2013年6月23日の19時半ごろ。「久高島の夜明け」ではなく、夜のはじめ。
久高島の集落に新築されて間もない教職員住宅の上に、満月が、さりげなく浮かんでいた。
どう見ても普段の2割増に見える大きい月だったが、光のシャワーは優しい印象。
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その数分前まで、↓西海岸の漁港で本島側に沈む夕陽をぼんやりと眺めていた。
西(いり)に沈む太陽と東(あがり)に出る月を、久高島ではこうして同時刻に楽しめる。
周囲8kmの細長い島、西海岸から東海岸までは徒歩10分。500mも離れていないのだ。
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ついでに明けて24日、伊敷浜の朝日。東海岸・ウパーマ浜の先に、やはり太陽は昇ってきた。
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さて今年。先日のウパーマ浜の夜明けは結局、空が一転かき曇り激しいスコールに見舞われた。
宿に戻ろうとして振り向くと、太陽の周りだけ雲が薄くなり明るかったのが不思議。
(青い傘の下には、スコールをモノともせず太陽に向かい瞑想中の女性が…)。
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そんなわけで、夜明けウォッチングの幕切れは突然にやってきた。
こういう時こそ、語り部の見える力が頼り。アドバイスをもらおうと電話した。

「天祖・皇祖・人祖、どちらもナーワンダーグスクに関係があるのですよね?」
 そんな難しい質問は、「神の島」からでもなければ、私は決して発しないが。
 質問には答えず、語り部は言った。

「正しいという字は、どう書きますか? 
 天を横一本で表し、その下に止まるを入れると、正になる。祖先は天下りした、
 という伝えは正しいと思います。霊に止まると書いて“ひと”と読むこともある。
 逆に、不と正で、歪むになりますよね。だから…」
「だから…?」
「歪められた歴史を正すには、過去に倣いて新しきものを開け…だそうです」

これは語り部が代理で受け取ったメッセージだと、私は神妙に受け止めた。

「王が太陽と崇められるようになってから、太陽の神様は琉球から消えましたけど、
太陽の神・東大主(あがりうぷぬし)と、月の神・チチヤ大主(ちちやうぷぬし)が
一対神として謡われているティルルが、久高島には残っていたはずですよ。
ニラーハラーの神々はもう、ほとんどが伝えられていないですけど」
なるほど、ニラーの神々は消えた…。(※ニラーハラー=ニライカナイの久高島方言)

36年前の午年に行われた最後のイザイホーでは、謡われていたはずのティルル(神歌)。
帰京してから、それは「ムトゥティルル」というものらしいと知った。
おそらく古代から伝わるティルル、元家にだけ伝わるティルルという意味だろう。
 
by utoutou | 2014-07-13 18:08 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

久高島の夜明け〈4〉ニライカナイの意味

私はたぶん、ナーワンダーグスクの意味をより深く知るために、
久高島のウパーマ浜で日の出を迎えることになったのだろう。

琉球王朝の歌謡集『おもろさうし』が「あけもどろ」と詠んだ東の朝空は、
いつになく美しく、「びんぬすぅい(七色の羽の不死鳥)」の羽根を思わせた。
語り部に「ウパーマ浜へ行け」と言われたが、神と話す方法を知らないので、ただ空を見た。
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久しぶりに「地球を直せ」というメッセージについて振り返る。「直す」とは、
久高島の神事で言う「ノーサ」だと、後で知った。意味は「立て直す」「作り直す」。
島を清め、本来の姿に戻すこと。神女がお祓いで持つススキの束も「ノーサ」と呼ばれた。

『赤椀の世直し』というティルル(神歌)もある。それは男たちが島を清め祓う
8月の「テーラーガーミ(太陽神の祭り)」で、いまに歌い継がれている。
ちなみに赤椀とは「お酌」の歌詞があることから、赤い酒杯のことと思われる。

ヤマトにも「直し」はある。奈良の大神(おおみわ)神社に参ったとき、付近で看板を見た。
ちょっと歩く間に「旅館・万直し」「食堂・万直し」。他に「株・万直し観光」もあるとか。
調べてみたら、万(運)を上げるための三輪明神詣でを「三輪の万直し」と呼ぶそうだ。

神人が「地球を直せ」を「歴史を正せ」と言い換えたのも、古語を知ってのことだったか。
などと考えていたとき、メッセージの続きらしきものが浮かんだ。

この明々たる理(ことわり)のありようを伝えよ。

これはまた、難しいお告げ。ただし、
同時に蒲葵扇(くばおーじ)が思い浮かんだのが幸い。それなら分かりやすい。

愛読書『扇』(吉野裕子氏著)の中のイラストで見た、日扇と月扇。
古来、沖縄の村々の根屋(宗家)の神棚に必ず祀られていたという、一対の神の依り代。
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右の日扇は太陽(男)を、左の月扇は月(女)を表すが、それだけではないと思う。
月(扇)の「欠け」は、太陽と月の位置を決める地球の存在を暗に示している。

太陽と月。陽と陰。その二極関係は常に一定ではなく、逆転もする。
ときに、月の裏に太陽があり、太陽を見ている地球の裏に月がある。たとえば、
この日、夏至のすぐ後の太陽は高い軌道を通り、逆に低い月は大きく見える。
何千年もの間、私たちの祖先は空を見上げ、そうした陰陽のバランスを見てきた。


月の神が棲むという西の御嶽チチンガー(大里)ナーワンダーグスク(斎場御嶽)
そして私がいまいる久高島の東海岸。3点を結ぶ聖なる東西ラインの先、
東方の海上にニライカナイ(理想郷)はあると古代より信じられてきた。
その異界へと繫がる竜宮(海)が、眼の前に広がっている。
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生々流転。物事は常に移り変わる。それならば…と自問する声が湧き上がる。
ニライカナイ(久高島ではニラーハラー)とは東方海上にある他界で、
豊穣も平和も幸福も、そこからもたらされると信じられてきたというが…。

移り変わる…多様な意味のニライカナイという観念も、あったのではないだろうか。
ニライの意味を、外間守善氏は『沖縄の歴史と文化』(1986年、中公新書) でこう記した。

ニ=根(中心)を表わす名詞
ラ=地理的空間を表わす接尾辞
イ=方向を表わす接尾辞

その説を借りれば、「ニライ」にはふた通りの意味が考えられる(※カナイは対語)。
ひとつは、琉球でもっとも古いところ(根)。つまり人祖の里。
もうひとつは、祖神が天下りたところ。つまり天祖の里。

そこで、斎場御嶽の奥宮ナーワンダー(=なでるわ=祖霊の力の意味)に思いを馳せる。
農耕時代以前の古代人が葬られた男女岩。その意味で、ナーワンダーはニライカナイだ。
人骨とともに機織機が発掘されたという御嶽。神降り伝説のナーワンダーもニライカナイと言える。

またイナグ(女)ナーワンダーの拝所には、御神体である「鏡」が祀られているという。
そうだったのか…。聖地ナーワンダーとは、皇祖の里でもあった!?
by utoutou | 2014-07-11 09:27 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

久高島の夜明け〈3〉御嶽のマリア

7年前、ウパーマ浜に至るには、御嶽廻りというアプローチが必要だったらしい。

1ヶ所目。神人は私を島の西海岸にある、聖なる川泉ヤグルガーへと案内した。
見下ろす海は今年の旧正月に撮影したものだが、あの日は夕陽に照り映えていた。
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神女の就任式イザイホーを除き、島の年中神行事の前にはいつも、
白衣に身を包んだ島の女たちがこのヤグルガーで ↓ 禊ぎをしたという。
作法を知らない私は、備え付けの杓子で水を汲み、神社の手水舎でやるように手と口を浄めた。

今だから分かる禊ぎの意味。神霊からの霊力(しじ)を受け継ぐための準備。
最大の霊力とは、例えば神が宇宙を創造した始源の力。それを受け取るための潔斎である。
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2ヶ所目は島のほぼ中央にある「中の御嶽」へ。ヤグルガーから至近。一体となっている印象。
久高島至高の御嶽といえば「フボー(蒲葵)御嶽」だが、ここはその拝殿のようだ。
「ご挨拶を…」と神人が言ったので、私は石香炉に向って手を合わせ住所と名前を呟いた。
「神の島」にお邪魔しているまっとうな旅人になれた、かもしれない。
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3ヶ所目に廻ったのは、聖母マリアの祀られる御嶽。
深い茂みに分け入った先の名も知らない御嶽に、高さ30㎝ほどのマリア像が立っていた。
久高島に隠れキリシタンの歴史があるわけではない。
伊敷浜に漂着した陶製のマリア像を救い上げた島人が、森の奥深く祀ったという現代の神話。

最近、御嶽からある屋敷に遷され、こうして手厚く祀られ、神々しい立ち姿を現している。
「光あれ」という涼やかな声が響き渡るような気がする。
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それにしても、私はなぜ「御嶽のマリア」へと導かれたのか。
神人がこのマリア像を「宇宙のマリア」と呼んでいたことを思い出す。
歳月を経て、あの御嶽廻りの最終地ウパーマ浜に戻り、その意味も少し分かった気がした。

宗教によらず、天に在る女神こそが「天祖(てんそ)」と呼ばれる。
たとえ呼び名がいくつあっても「神様は元ひとつ」と、神女ウメおばあは語り部に言い遺した。
天祖=天つ祖(おや)の住む宇宙を、琉球の古代人は「ニライカナイ(常世)」と観念したと思う。
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あの夜の白髪仙人が脳裏をよぎった。舞い降りて来ることはなかったが。
轟々たる波の音を伝えよ…で始まるメッセージには、重要な続きがあったのだろう。
by utoutou | 2014-07-08 06:08 | 久高島 | Trackback | Comments(0)