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ナーワンダーグスク登頂〈5〉天照(アマテル)は男神

太陽と月に挟まれた星、
地球に生を受けた「人」。
「人」は「霊止(ひと)」に通じると、
語り部から以前にも聞いたことがある。
何万年、何百万年のことになるのか…。
そういう言い伝えが沖縄にはあったと。


沖縄の開闢物語は、神話ばかりでなく、
ときに歴史として語られるが、
ナーワンダーの岩陰に並ぶ3つの香炉は、
壮大な宇宙を思わせる配置にあった。


本来の意味で、
3つの香炉は「火之神(ひぬかん)」なのだ
と、語り部は言う。沖縄の家庭では、
台所のガスコンロの奥に香炉を祀り、
それを「火之神」と呼んで家内安全を祈願するが、
古来の呼称は「おみちむん」。
「3つのもの」、
つまり3つの石を御神体として崇めていたという。


首里城の祭祀部屋「おせんみこちゃ」にも、
「おみつもん」と呼ばれる3つの金の香炉
(御日御前・御月御前・御火鉢御膳)が祀られていた。


これまで多くの学説によって
様々に解釈されてきたが、
実際にナーワンダーの巨岩に身を置き、
「おみつもん」と対峙すると、
「太陽・月・そして星(地球)」という説明が、
とてもしっくりと馴染む。
琉球王朝による「日月星辰」信仰のかたちが、
ナーワンダーに具現されている。
やはりここは斎場御嶽の奥宮なのだと思う。



ナーワンダーグスクの3つの香炉はこの東の海、
ニライカナイに向って並んでいる。
左手の崖上には鏡。王府時代、
日月星辰への信仰をノロ(巫女)は赤衣で司祭した。
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語り部に聞いた。
「日月星は分かりました。では、辰は何の意味?」
「太一でしょうね」
「たいち…北極星?」
「そうです」 
     
なるほど。
古代中国では北極星を中心に星々が巡る
ことから、北辰とも呼んだ。
いわば、宇宙の要。天帝。
道教にいう太一神である。
陰陽道においては、
太一は宇宙生成と森羅万象を司る神。
ただし、琉球の伝承では、あまり聞かない呼称だ。

「太一、他に呼び名はありますか?」
「アマテル、天照大神ですね」
「アマテル! あぁ、天照」

それなら分かると、思う。
沖縄の伝承にいう「アマテル」とは、
女神ではない。
国家神道における皇祖アマテラスが、
ヤマトに誕生する前の男神。
語り部が交流した神女のおばあたちは、
みなアマテルを男神だと信じていたという。


太一で思い出したのが、
伊勢神宮別宮である伊雑宮(いざわのみや)。
毎年6月に行われる、御田植祭を思った。
見学したことはないが、竹取神事の…
男たちが泥んこになり奪い合う大団扇に「太一」と、
見た覚えがある。
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※「皇大神宮別宮 伊雑宮のしおり」(神宮司庁)より借用


それを言うと、驚くべき推理が飛び出した。
「ナーワンダーの祭祀は、古代の海人によって、
伊雑宮に運ばれたと思います」
「おみつもん信仰が、黒潮に乗って!?」


考えてみれば、古代海人族の祖は
おしなべて「アマテル」である。
尾張氏の祖・火明命は「天照国照彦」。
物部氏の祖・ニギハヤヒも「天照国照彦」。
そうすると伊雑宮の「太一」は、本来、
男神の「天照」だったいうことになるか。


9月の沖縄旅は、伊勢への旅に変更するかなと、
ナーワンダーを下山して思った。
斎場御嶽下の「あざまサンサンビーチ」。
古の久手堅の泊(港)。
海人族はこのあたりから、さらなる東方へと出帆した?
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※投稿日が2015年8月になっているのはカテゴリを変更したためで、
ナーワンダーグスクに登頂したのは、'14年8月27日のことでした。
by utoutou | 2015-08-26 13:35 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(0)

ナーワンダーグスク登頂〈4〉火の神(ヒヌカン)

斎場御嶽のナーワンダーグスクで
祈願していたらしいノロを詠った
「おもろ」(853番)について、語り部と電話で話していた。

風直り 煽(あお)らちへ
(ノロは鷲の羽の髪飾りを風に揺らして)
赤の御衣(あかのみそ)煽らちへ
(美しい衣を風になびかせて)

この「赤の御衣」を『おもろさうし』
の校訂をした外間守善氏は、
「美しい御衣」と現代語に訳しているが、
本当は何色だったのだろう?
というのが、私の素朴な疑問だった。
すると語り部は言った。


「赤は女神の色、月神の色ですから、
その霊力をいただく神女は
赤い神衣を着ていたと思います。その名残りから、
沖縄の婚礼衣装は赤を基調にしています
。琉球舞踊のルジン(胴衣)も赤。
久高島の十五夜には、
アカヤミョーブ(赤い天幕)を下げてお祝いします」


そんな折りも折り、
久高島では十五夜(ジューグーヤー)を迎えていた。
9月8日(旧歴の8月15日)。
もう10 日も前のことで、
ややタイミングがズレてしまったが、
島に住む友人や、祭りを見に行った知人から、
続々と写メが送られてきた。
それはそれは美しい赤色。
そして伝統のしつらえ。月の力が注がれる思い。
こちらには比嘉康雄氏の本から拝借したモノクロ写真)


十五夜の祭場・外間殿の東に立つデイゴの木に掛けた竿に、
月神を象徴する赤い天幕が掛かる。
夜更けには天幕の上に満月が浮く。
月の女神を呼ぶための提灯は、
古くは7個あったそうだが、いまは3個。
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月が昇ると、アカヤミョーブの下で神女たち
が祈願してお祭りは始まる。
こちらは祭りの後の神女たち。
外間殿の正面にも赤い天幕が下がっている。
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来年こそは是非と思う久高島の十五夜。
島ではスーパームーンは話題にならない。
太陽神(テントゥガナシー)と
月神(マチヌシュラウヤサメー)が最高神である。
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さて、話は戻って…。
ナーワンダーグスクの祭祀空間には、
3mほどの間隔で3つの香炉が並ぶ。



沖縄中の御嶽のなかでも、
香炉が等間隔で並ぶ御嶽は珍しい。
何しろ、東(久高島)と、
西(大里西原)を結ぶ線上に、香炉が3台。
相当に古代の祭祀を偲ばせるが、
この数字、この配置は何を意味しているのか。
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私は勘を頼りに言った。
「向って右(東)の香炉は太陽神ですよね。
すると左(西)は月神」
「考え方は合っています。ただし、太陽は左、月は右です」
「左神(ひじゃいがみ)!? 
出雲大社の鳥居の注連縄と同じ、神様目線?」
「そうです。では真ん中は?」

それが、私には分からなかった。
太陽と月という最高神の間にいる神?
「星ですよ、地球。そして…」
語り部は言った。
そして…?

「人です。太陽と月の間にある星(地球)
でしか、人は生まれない。
「……」 
「火という字を考えてみてください」
「火……」
「左が太陽、右が月とすると、真ん中が、人。
つまり3つの香炉は、
火の神(ヒヌカン)を表しているのです」


※投稿日が2015年8月になっているのはカテゴリを変更したためで、
ナーワンダーグスクに登頂したのは、'14年8月27日のことでした。
by utoutou | 2015-08-26 13:35 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(0)

ナーワンダーグスク登頂〈3〉王の船を守れ

ナーワンダーが王権祭祀から消えたのは、
1677年ごろだと思う。
王府が国王の久高島行幸を廃止したのが、
1673年だった。

尚真王時代に聞得大君制度が
成立してから200年近く。
その初期、国王の航海安全祈願が、
斎場御嶽の寄満(ゆいんち)で行われたのは、
そこがナーワンダーを見上げる拝所だったからだ。
王の渡海が廃止されたとき、
王権にとってナーワンダーの霊的価値は失われた。


尚真王と聞得大君が、
八重山征伐(1500年)の戦勝を祈願した
「おもろ」(謡)には「なでるわ(=ナーワンダー)」
の文字が見える。


「おもろ34 きこへきみおそいが節」
(外間守善氏校注「おもろさうし」岩波文庫刊を参照して意訳

聞得大君ぎや 斎場嶽 降れわちへ
(聞得大君が斎場御嶽に降り給うて) 
うらうらと 御想ぜ様に ちよわれ
(穏やかに物思うようにあられる)
嗚響む精高子が
(霊力高い聞得大君が)
寄り満ちへに ちよわれ
(寄満に坐しておられる)
(中略)
威部の祈り しよわちへ
(神聖なる聖所で祈り給う)
浦々は寄せて 司祈り しよわちへ
(国中の岬を代表する拝所で神女が祈り給う)
撫でる曲は寄せて
(なでるわ(霊的守護力)を集めて)


寄満で聞得大君が祈願している間、
ナーワンダーの天頂では、
司(久手堅ノロ)が祈っていたのだろうと、
ここで風を感じたとき、ふと思った。


巨岩の真下に位置するのは寄満、
その先に大庫理、三庫理、5.3㎞先に久高島。
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斎場御嶽の神女(久手堅ノロ)の様子が
リアルに描かれた「おもろ」もある。


「おもろ853」※こちらも( )内は私の意訳

せぢ新神泊 雲子寄せ泊
(霊力新たな港、宝の集まる久高島の港から船が出る)
波風 和やけて
(波風を穏やかにして)
斎場嶽 君々しよ 守れ
(斎場御嶽の神女たちよ、王の船を守れ)
(中略)
風直り 煽らちへ
(ノロは鷲の羽の髪飾りを風に揺らして)
赤の御衣(あかのみそ)煽らちへ
(美しい衣を風になびかせて)
(後略)



天頂には畏れ多くて立つことはできなかったが、
上の画像を撮った姿勢のまま、右手に見える海を撮った。
もし久手堅ノロがここに立ち、祈っていたなら、
その姿は久高島を出た王の船からも見えていたはずだ。
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王権祭祀から解き放されたとはいえ、
ニライカナイを望む
東方(あがりかた)が聖域であることに違いはなかった。


  「おもろ847 あけしのがこばもりかなもりが節」
にそれが伺える(意訳)
      
聞えあけしのが
(名高い神女あけしのが) 
斎場嶽 降れわちへ
(斎場御嶽でお祈りをしている)
蜻蛉御衣 召しよわちへ
(蜻蛉の羽のように美しい衣を着て)
風直り 差しよわちへ
(鷲の羽の髪飾りを頭に差して)
波轟ろ 海轟ろ 押し浮けて
(船々が海に浮かび)
百名の 浦走りが 見物
(百名の浦を巡航するさまは見事)
(後略)



斎場御嶽の海側にある知念岬公園から見た
百名・玉城方面(6月に撮影)。
この内海(イノー)を見下ろし、ノロは風を操った。
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※投稿日が2015年8月になっているのはカテゴリを変更したためで、
ナーワンダーグスクに登頂したのは、'14年8月27日のことでした。
by utoutou | 2015-08-26 13:34 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(0)

ナーワンダーグスク登頂〈1〉新月の日に

そこに鏡はあった。本当にあった。
これが祖神の霊を祀る日巫女の鏡だ。
沖縄至高の御嶽・斎場御嶽の奥宮と言われる
ナーワンダーグスクの聖なる頂き。


極秘に伝わる御嶽とはいえ、
まさか天頂に、本当に鏡が祀られていたとは。
5mほど先にそびえる巨岩の上に祀られた鏡と
対峙して、それだけを思った。
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イナグ(女)とイキガ(男)。
巨岩一対を成すナーワンダーグスク。
かつては斎場御嶽の拝所・寄満(ゆいんち)
の対面に登り口があったが、
現在、登山道は「立ち入り禁止」。
ナーワンダーは原始の森に隠された。


ただし、裏からの道は何本かある。
2ヶ月前にそこから森に入った。
が、案内人はイナグの巨岩に登ったことはなく、
麓から引き返したのだった。


いっぽう語り部は、裏道は知らないが、
寄満から登ったことがある。
巨岩の麓まで行けば、登ることができるという。
ふたりで行けば登頂できるだろうと、
語り部に同行を頼んだ。
      
数日前から沖縄入りして機を待ち、
登ったのは8月27日(水)。
「新月の日がいい。27日に登りましょう」
と語り部が言ったその意味に、
鏡を仰いでようやく気がついた。


「そうだったのか! 月…。
鏡とは月のことだったんですね」
ただ、そうピンと来た。
「そうですよ。鏡は月を意味していると思います」
天頂へのクライミングを試みている語り部の声がした。


鏡の一段下の祭祀空間へも、このような絶壁を登る。
およそ高さ8m。墜ちたら事件、登れたら発見。
40度近くある気温にクラクラしつつ、
岩にへばり付いて登った。
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あと一息で天頂。最後の巨岩クライミングに挑む前、
太平洋の画像を撮った。
見慣れた海を初の視座で見る。11時17分。
森に分け入ってから30分経過していた。
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※投稿日が2015年8月になっているのはカテゴリを変更したためで、
ナーワンダーグスクに登頂したのは、'14年8月27日のことでした。
by utoutou | 2015-08-26 13:33 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(0)

ナーワンダーグスク登頂〈2〉消えた女神

イナグ(女)ナーワンダーグスクの天頂
に祀られた鏡を拝するべく、
女神岩の絶壁を登ってみると、
それはステンレスのカーブミラー状のものだった。
足のあるスタンド型。特製か。
案外と新しいように見える。

かつて荒俣宏氏の著書に掲載されたと同じ
ものかどうかは分からない。

確かなのは、古来の信仰を伝える誰かが、
この御嶽を管理しているという事実。
伊達や酔狂で鏡を祀るほど、
ナーワンダー天頂への道は平坦ではなかった。


絶壁に挑みつつ、
ジーパンのポケットに入れたカメラ(スマホ)が、
スポっと滑り落ちないかと心配し、
普通のスニーカー履きなのを後悔した。
登るのに両手を空けようと、
水入りのペットボトルは、麓の木陰に置いた。
そして語り部の指導通り、神への挨拶を唱えながら登った。



直径約40㎝の鏡の前には香炉と石が。
こちらもさほど古くはないようだ。今次の戦争中、
ナーワンダーは日本軍の砲台として占拠されたというが、
戦後再び、この自然造形の神壇で、古代祭祀は甦った。
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絶壁に張り付いたまま背伸びすると、
斜め右(北東)の先に久高島が見える。
久高島と斎場御嶽の位置関係は過去ログに詳しいが、
その姿勢で左に振り返れば、
6〜7m下の祭祀場跡に香炉が三つ
(下の画像は真ん中のを間近から撮ったもの)。


祭祀空間を囲んで緩やかにカーブして立つ岩壁、
その裾に一直線に並んでいる。
香炉の向きについては、
次回以降で考えていくとして…。
痛切に感じるのは、
この古代祭祀場を秘かに守ってきた人々の信仰の力だ。
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もちろん時代によって、
聖地としての機能は変遷したと思う。
ナーワンダー「グスク」と名が付くので、
三山時代には城として使われただろう。
天頂からは、琉球王朝第一尚氏の本拠地だった
佐敷を見下ろせる。第二尚氏時代には、
王族の久高行幸という渡海儀礼を見守る
守護霊(なでるわ)であったことは
『おもろさうし』にも唱われている。


時の権力者たちは、
ニライカナイの東方海上にもっとも近い斎場御嶽と、
周辺に残る古代からの地方祭祀を内包しつつ、
中央祭祀をかたちづくった。
それゆえ、古層においては、
ナーワンダーの祭祀は守られてきた。


このナーワンダーが歴史から消えたのは、
私は第二尚氏時代だったと思う。
羽地朝秀の財政改革「羽地仕置」により、
王の久高島参詣が中止された17世紀後半。


1677年、王府は聞得大君の継承を
王の姉妹(血縁)ではなく王妃に限る決定をした。
それは、姉妹が兄弟を霊的に守護した古来の
「おなり神」信仰との訣別を意味した。  
その祭祀場・イナグナーワンダー(女神、月の神)は、
王権祭祀から消えた。



ナーワンダーグスクの麓に埋もれる
「女神」の神石に、思わずutoutou(合掌)。
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※投稿日が2015年8月になっているのはカテゴリを変更したためで、
ナーワンダーグスクに登頂したのは、'14年8月27日のことでした。



by utoutou | 2015-08-26 13:18 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(0)

聞得大君のナーワンダーグスク〈3〉ここは日巫女の里

ナーワンダーグスクは、
王城のあった浦添からも首里の地からも見えた。
日の昇る東方海上に浮かぶ久高島。
その視界に同時に映る、
知念半島のランドマークである。
一対の巨岩は、農耕時代以前の生殖信仰の証し
との説もあり、歴史の深さは計り知れない。



3月中旬の日曜日、まるで夏! の空を
ハングライダーが飛び交っていた。
最寄りの知念岬公園がテイクオフポイント。見物客も多い。
斎場御嶽の真下にあたるこの位置では、
近すぎてナーワンダーは見えない?
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首里の東端(城とは約1㎞離れている)
に位置する弁が岳(高さ165m)。
国王の祈願所として造られた大嶽と小嶽があり、
こちら小御嶽付近の沖縄神社。
大嶽は久高島への、
小嶽は斎場御嶽への遥拝所として機能したという。
弁が岳はいわば太陽の神殿だが、
現在は建造物が多くて、東方は見えない。
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さて、斎場御嶽の「せーふぁ」の意味を、
地元の歴史家・新垣源勇氏は語った。
し〜=大きな岩
え〜=穴
ふぁ〜=地名に付ける接尾語。だと。


久手堅にあるお宅に伺って話をお聞きした3年前、
私はその「大きな岩」と「穴」を
三庫理のことだと解釈していたが、
ナーワンダーのことを指していたのかもしれない。


この話をしている間、新垣翁の目は、
テーブルの一点を凝視して動かなかった。
「せーふぁ」の意味を改めてお聞きする間もなく、
1年後、翁は他界された。96歳だった。


新垣源勇氏の父上・新垣孫一氏に案内され、
ナーワンダーグスクを訪れたときの話が、
吉野裕子氏の著書『扇』(1970年、学生社刊)にある。
孫一氏によれば、
「イナグ(女)ナーワンダーの岩下には穴があり、
その穴の中から、だいぶ前に
たくさんの人骨が織機などとともに出土した」という。


なんと、織機!?
この地で、棚機津女(たなばたつめ)の行事を
思わせる埋葬品が出たとは驚きだ。
七夕の起源のひとつとされ、
記紀では木花咲耶姫とも、天照大神とも例えられる。
その穢れなき巫女が、
神衣を織りながら神の降臨を待ったという七夕は、
沖縄の旧盆の一週間前にあたる。


昨年、ここ久手堅側から山に入ろうとしたが、
ナーワンダーには辿り着けなかった。
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久手堅(くでけん)という地名は
「オコデ」に由来するとも、源勇氏は言った。
コデ(=くで)とは門中の神役のことで、
「クディ」「クディングァ」とも呼ばれる。
門中の人々はこの神女(かみんちゅ)を媒介
として祖霊神を、そして太陽神を崇めた。
また、久手堅の堅(けん)とは君(くん)の転訛で、
こちらも神官の意味だという。


ナーワンダーグスクのある久手堅は、
太陽神を祀りその霊力を戴く日巫女の里。
男神と女神=ヒコとヒメを祀った集落は、
古代倭(ヤマト)の名残りを今に留める。


ニライカナイ橋の途中から、
知念半島の台地の尾根を見上げる。
王朝時代、
お新下りに臨む聞得大君一行は、首里からの往路、
この尾根伝いに斎場御嶽(右方向)へと進んだ。
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by utoutou | 2015-08-23 12:04 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(2)

聞得大君のナーワンダーグスク〈2〉皇室が持ち去った鏡

ナーワンダーとは「なでるわ」の転語で「守護霊の霊力」だと
言ったのは、琉球大学名誉教授・湧上元雄氏。その御嶽は、
グスク時代(13〜15世紀)以前にできた守護霊の祭祀場で、
聞得大君が国家祭祀のために崇める以前は、村の聖地だったと。

伊従勉氏(こちらにも)は琉球王府時代の「浦を守護する神霊」だとした。
ナーワンダーグスクとは、斎場御嶽のある久手堅から百名にかけ
広がる内海(イノウ)から黙視できる、一対の聖なる巨岩であると。

聞得大君と国王による久高島渡海も、ナーワンダーに守られた。
久高島へ向うフェリーから見たナーワンダーグスク(白い矢印、昨年末)。
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荒俣宏氏も著書『風水先生 四門の謎を解く』( 00年、世界文化社)
で、偶然の出会いからナーワンダーグスクを訪れた体験を記した。

このブログを読んだ方から「ナーワンダーらしき御嶽が書いてある」
とコメントをいただいたので、早速、本を取り寄せてみたところ…。

荒俣氏は、ナーワンダーの御嶽名を知らずに訪れたようで、
斎場御嶽の一部として挙げているが、地元に在住する知人に
写真をメールで送ると「この鏡はナーワンダーのですね」と返信がきた。

↓こちらが荒俣氏の本に載っているナーワンダーグスク。
キャプションは、「斎場御嶽 沖縄本島知念村 
沖縄でもっとも神聖な、祭祀の場所。御神体の鏡が祀られている」
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荒俣氏のグスク探検のくだりを、以下に要約すると…。

斎場御嶽の三庫理で、おばあさんが話しかけてきた。
「御嶽の奥の森のいちばん高い岩の上に、御神体の鏡が祀られている。
今の鏡は二代目で、前の鏡はだいぶ以前に本土から皇室の方が見えて
どこぞへ持ち運ばれたそうですよ。理由は知りませんけどね」と。

とにかく荒俣氏は、おばあさんの話に興味をそそられた。
天皇までがこの御嶽に関心をもっていたとは、ただごとではない、
とにかくその鏡を見たいと。そして探し回り、遂に大岩を発見。
林の中のハブの巣窟のような、切り立った大岩をよじ登ると、
頂上は、大人が5、6人座っていられる平場の拝所になっていた。
またその向こうに、さらに2メートルほどの岩がそそり立ち、
鏡はその上に南を向いて立ち、光り輝いていた。

皇室が持ち去ったという鏡(の代替品)を見た荒俣氏は書いた。
「ほんとうに驚いた!」「不可思議なスポットだ!」(要約、以上)

荒俣氏の登った大岩は、イナグ(女)ナーワンダー。
5mほど離れた場所にそびえるのが、イキガ(男)ナーワンダー。

その鏡とは関係ないが、斎場御嶽が世界遺産になった翌年(01年)
秋篠宮殿下ご夫妻が訪沖。その際の写真が久高島の食堂とくじんに。
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徳仁港にある食堂とくじん。こちらテラス(港)側。玄関は反対側。
とくじん店内の壁に貼られた“秋篠宮様ご夫妻への特製メニュー”に、
イラブーの煮込みも記されてあった。普段は観光客と島人とで賑わう。
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by utoutou | 2015-08-23 12:00 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(1)

聞得大君のナーワンダーグスク〈1〉

斎場御嶽の奥にあるナーワンダーグスク。
今では忘れ去られたローカルな御嶽
かと思いきや、なんと、
琉球国王と聞得大君が共に祈願した国家的聖所だった。

ナーワンダーグスクを
「斎場御嶽の祭場としての古態」として挙げたのは、
伊従(いより)勉氏(京都大学大学院、人間・環境学研究科教授)。

『琉球祭祀空間の研究 カミとヒトの環境学』
(平成17年、中央公論美術出版)で、
『おもろさうし』にある一遍のオモロを参照して、
次のように指摘した。


(オモロは)
「尚真王時代の一五〇〇年に八重山征伐(「戦船旅」)
を前に斎場御嶽で謡われたもの」で、
「大君(オナリ)と大君が守護する国王(エケリ)が揃って、
斎場御嶽の「寄満(ゆいんち)」の聖所に隣席して、
はるかかなたの八重山に遠征する兵たちに
戦の霊力を授かるよう祈願している。」


なぜなら、
寄満とナーワンダーグスクは1ユニットだからだと。
「寄満という聖所は、周囲の内海から
目立って視認できる一対の巨岩
「ナーワンダー」の足下にある聖地なのである。」




↓ナーワンダーグスク(矢印の山)を、
目を凝らしてよく見ると、一対の巨岩だと分かる。
イナグ(女)ナーワンダーとイキガ(男)ナーワンダー。
その下が斎場御嶽の寄満、
大庫理(うふぐーい)、三庫理(さんぐーい)。
その右、台形状の稜線は「守礼カントリークラブ」
のあるスクナムイ(森)。

去年の夏至の日の夕景。
久高島のアカララキ前からの斎場御嶽。
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反対に斎場御嶽の御門口(うじょーぐち)から、
5.5km先の久高島を見る(先月)。
写真の中央、
白い浜の左がアカララキ(アカラ森)のある漁港。
王府時代、聞得大君の船が着く
「君之泊」(ちみんとぅまい)と呼ばれた。
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ナーワンダーグスク(西)、
寄満、大庫理、三庫理、そして久高島(東)。
太陽の昇る東(あがり)に向かい琉球王府ゆかりの聖所が並ぶ。
※御嶽内MAPは南城市HPから拝借。
赤線の矢印と文字は加筆。
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『ここから先は危険です。一般の方はご遠慮ください』の看板が立つ
寄満前のこの山道を入り、昔は100m離れたナーワンダーグスクへと登った。
人の波が途切れたら禁を犯してでも登ってみたいと何度か見上げたが、
ハブが出る、遭難する…の2点がアタマをよぎったので止めにした。

「こちらの山の上には古代の風葬墓があります。それは男女別で…」
この日、斎場御嶽のボランティアガイドさんが観光客に説明していた。
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by utoutou | 2015-08-23 11:59 | ナーワンダーグスク | Trackback | Comments(6)