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九頭龍大神 ⑤ 弁財天と如意宝珠

『先代旧事大成経』で語られた、古代六家
(吾道・物部・忌部・卜部・出雲・三輪)。
吾道(あち)家は、阿智神社の祝部(はふりべ)
となり、後に戸隠へ遷移して九頭龍大神を祀った?

七つの首の蛇とはヤマチノオロチのことだ
と、かつて語り部と話したものだったが、
九頭龍大神については、冒頭の推理をした。

やがて神仏習合の時代となり、九頭龍大神
は、八臂弁財天に姿を変えたのだろうと。


地主神の九頭龍大神、そして八臂弁財天は
 宝珠を手にしているが、実はここ何日か、
それが頭から離れなかった…。宝珠とは何か?

八本の手に数々の武器を持つ八臂弁財天。
神の手と言われる左手に載せているのだから、
宝珠とは文字通り、霊験の象徴なのだろう…。



↓九頭龍大神は、中央の頭に宝珠を載せている。
国際日本文化センター・データベースより拝借)
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思えば、天川弁財天をはじめ、
江ノ島神社や、琵琶湖の生竹島宝厳寺など、
各地の八臂弁財天は、皆、宝珠を左手にしている。
昨秋に参った金蛇水弁財天(宮城県岩沼市)
も、このように左手に宝珠を載せている。
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沖縄にも弁財天信仰は残っていた。
王朝時代末期の聞得大君御殿にその掛軸が
掛かっていたという記録がある。↓こちらは、
首里末吉町・ノロ殿内の拝所に祀られる弁財天。
焼失した聞得大君御殿の尊像と同じ姿だという。
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さて、宝珠とは何か? 
巡礼地図帳さんの説明が分かりやすかった。
(以下、要約して拝借)

〜観音菩薩や地蔵菩薩が持っている、
上部が円錐形(たまねぎ形)になっている珠を
如意宝珠という。〜如意とは物事が自分の思い
通りになるという意味で〜火に包まれている
物を三弁宝珠(さんべんほうじゅ)と呼ぶ。〜


では、沖縄では宝珠のことを何と呼ぶか?
語り部に聞くと、「ぬぶしぬ玉」だそうだ。
ぬぶし=命、魂。
つまり、「ぬぶしぬ玉」とは、命(魂)の玉。
如意宝珠・火炎宝珠のことを指すのだという。


火炎宝珠なら、先日参った神社で目にした。
六甲比売神社(兵庫県神戸市灘区六甲町)。
六甲大善神社ともいう。祭神は、
六甲弁財天として祀られた瀬織津姫。
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その話をすると、語り部は意味深げに言った。
「その六甲山に、琉球に関係のある何かが、
隠されていますね。誰かが、
祀ることによって、重要な何かを隠した…」
「誰が、隠して祀ったのですか?」
「古代六家と関係のある人物でしょうね」

何だかまた、えらいことになってきた…。



by utoutou | 2016-03-30 21:15 | 九頭龍 | Trackback | Comments(0)

九頭龍大神 ④ 鎌卍の社紋は語る

戸隠神社五社には、「天の岩戸」神話に
登場する神々が祀られているが、
真ん中に祀られるはずの天照大神は、不在だ。

いっぽう、地主神の九頭龍大神は祀られている。
広大な戸隠山神域の奥の奥、磐座の奥深く。

このことは、戸隠神社が、「天の岩戸」神話
ができる以前、つまり記紀成立以前からの
聖域だったことを表していると、思うのだ。
つまり、天照大神を除いた神々は実在した。


そのことは、社紋である
鎌卍(かままんじ)の意味を紐解くと分かる。
天手力雄を祀る戸隠神社・奥社。
拝殿に社紋が見える(撮影は昨年9月)。
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鎌卍については、以前、諏訪大社でも書いた。
戸隠神社では、「水の神・戸隠大神」の象徴。
つまり、地主神である龍蛇神を表している。
そこに天照大神を祀らない意地を見る思いがする。
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さて、戸隠神社には元宮があるという。
阿智神社(あちじんじゃ、長野県下伊那郡阿智村)
である。↓戸隠神社・中社に祀られている
天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)
を祭神とする。
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また、阿智神社は、↓戸隠神社・宝光社に
祀られる天表春命(あめのうわはるのみこと)
も祭神としている。
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天八意思兼命・天表春命を祀る阿智神社へは
参ったことがないので、画像は↓
地元の昼神温泉観光局HPから拝借した。
ちなみに、「昼神」とは「蒜噛」の当て字とか。
『日本書記』景行天皇の条で、ヤマトタケルが
信濃の山中で白鹿姿となった神に蒜を投げ
つけた事績が語源だという。
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この阿智神社、創建年代は不詳だが、社伝に
よれば、第8代・孝元天皇のとき、天八意思兼命が、
子神・天表春命を従えて天降り鎮座した。

やがて、天八意思兼命は戸隠神社の中社に、
天表春命は宝光社に分祀されたとの説が、別途ある。

江戸時代に編纂の『信濃地名考』によれば、
天八意思兼命の子神である天手力雄命も、
吾道宮に鎮座した後に、戸隠神社の
奥社に鎮座したと記されている。


阿智神社は、吾道宮(あちのみや)と呼ばれた。
そうか…と、思い出した。阿智=吾道であった。

吾道とは、吾道家のことで、
『先代旧事大成経・序』で語られた、古代六家
(吾道・物部・忌部・卜部・出雲・三輪)の筆頭。

六家については、以前、伊雑宮シリーズの
「物部氏と七匹の鮫」に書いたことがあった。

伊雑宮の港に来た「七匹の鮫」とは、
「古代六家+天皇家のことだ」と、語り部は言った。
もちろん、古代琉球と密接な関係があると。

「七匹の鮫」こそ、この国に先着しながらも、
時代を経て、やがて疎まれ、「九頭龍」
と呼ばれるようになったのかもしれない。










by utoutou | 2016-03-26 15:22 | 九頭龍 | Trackback | Comments(2)

九頭龍大神 ③ 岩戸に隠れた女神

明治の神仏分離で戸隠神社となるまで、
霊地・戸隠山は戸隠山顕光寺と称していた。
それは849年、学門行者という僧が開いたと
と言われるが、さらに古い歴史があり、
平安後期には戸隠寺と称していたという。

13世紀に比叡山の僧侶が記した
『阿娑縛抄(あさばしょう)』という、天台宗の
僧侶が記した書が、当時の九頭龍を伝えている。

以下に、『阿娑縛抄』の戸隠山の部分を要約。

〜大きな岩窟があった。そこで、
(学門行者が)法華経を唱えていると、南方から
臭い風が吹き、九頭一尾の鬼が現れて言った。
「以前祈った者は、こちらには害心がないのに
自らの毒気にあたって皆死んでしまった。
前の別当が貪欲ままに施物を用いて修行を
怠ったので、自分はこんな身になってしまった
学門行者が、「鬼は形を隠すものだ」と言うと、
鬼は石屋内に入って籠り、真言を唱えた。
学問行者がその龍尾鬼を、
石室の戸で封じたので、戸隠寺となった。〜



戸隠神社・九頭龍社から奥社方向を見る。
左が古代の御嶽らしき断崖絶壁の磐座。
学門行者はこの南(手前)に九頭龍を封じた。
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ただし、鬼は、最初からその姿ではなかった。
九頭一尾という身に「変わってしまった」のだ。
逆にいえば、もともとは、国主(くず)の神
として、人々が崇める龍神・大蛇だったのだろう。

さて、戸隠神社の由緒では、
天照御大神の「天の岩戸」神話を起源とする。

戸隠社・奥社の祭神は、
天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)。
栞には、次のように解説されている。

〜戸隠神社は神代の昔、天照大神が
天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力を
もっても岩戸を開いた天手力雄命を戸隠山の
麓に奉斎したことに始まります。〜

同じ岩戸でも開くと閉じる…大きな違いである。


↓戸隠神社・中社にも「天の岩戸」にちなむ
祭神・天八意思兼命が祀られている。
隠れた天照大神に出てきてもらうべく、
神楽を考案した、ご存じ「知恵の神様」。
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戸隠五社のうち、
宝光社には思兼神の子神である天表春命が、
また火之御子社には、天鈿女命が祀られている。
いわば「天の岩戸」神話グループに縁の神々。
けれども、神話の主役・天照大神は祀られていない。
そこに、戸隠の人々の意地を見る思いがする。


岩戸に閉じ込められた地主神。
岩戸が開いて誕生した天照大神。
この対比で、九頭龍大神の本質がより鮮明になる。

九頭龍大神とは後の九頭龍弁財天。つまりは、
天照大神によって存在を消された縄文の女神だ。


中社の右奥に流れていた小さな滝。
「昔はなかったよ」と、参拝客が教えてくれた。
滝神の復権? 戸隠山の姿も変化している。
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滝の横の九頭龍碑には、お賽銭がこのように。
九頭一尾の鬼は、福徳の龍神として復活した?
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by utoutou | 2016-03-23 13:14 | 九頭龍 | Trackback | Comments(0)

九頭龍大神 ② 弁財天は復活した

天河神社(天川大弁財天社)の社務所で、
『天川弁財天曼荼羅』を戴いた(2000円)。
巫女さんに「こちらをお願いします」と言うと、
「はい、曼荼羅さんですね」と出してくれた。

A4厚紙の白黒コピー、クリアファイル入り。
発色が薄く霞んでいるが、八臂弁財天で、
十五の童子がその足元に居並び控えている。
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『天川村史』によれば、本尊として、2組の
「弁財天像および十五童子像がある」そうだ。

役小角による開山より、明治時代に入るまでは、
琵琶山白飯寺というお寺だった天河神社。

神仏分離令の出た廃仏毀釈の折り、全国の寺院
で混乱や破壊の嵐が吹き荒れたと言われ、こちら
天川でも同様だったが、やがて140年の時は流れ…。

'08年の特別御開帳で参観した知人によれば、
この十五童子を伴った八臂弁財天の他、
後醍醐天皇像、大国様、吉野権現、熊野権現が、
そして、秘仏・日輪弁財天像も特別公開された。


天河神社の拝殿から本殿を仰ぐ。朝拝では、
宮司さんがこの拝殿から祝詞を奏上して祈祷。
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天河神社の主祭神は市杵島姫神だが、
現在は、公式HPでも次のように明言している。
〜市杵島姫命は辨財天様としても信仰されております〜

神仏分離で混乱した過去の影は感じられない。
もはや市杵島姫命(瀬織津姫)=弁財天との
 観念は市民権を得た…といった世相の反映か。

しかし、ところ変わって、戸隠神社(長野県)
には、廃仏毀釈の危機から逃れるため、隠遁を
続けたという悲劇の弁財天ヒストリーがある。

現在は宿坊となっている
戸隠神社旧本坊勧修院久山館に祀られる弁財天で、
戸隠神社(=戸隠山顕光寺)の前立本尊だった。

その名も九頭龍弁財天。
15年ほど前、神職でもあるご当主によって
発見されるまで、敷地内の小祠に封印され、
   世の中に再び現れるそのときを待っていた…。  

ネットでその画像を拝見したが、まったく、
十五童子を伴った天川弁財天像そのものである。
山岳密教の聖地だった戸隠には多くの宿坊があり、
秘された九頭龍弁財天像は他にもあると言われる。



戸隠神社奥社に並び祀られる九頭龍社。
祭神は(地主神である)九頭龍大神と栞に。
『戸隠山大権現縁起』には
「本地仏は九頭龍弁財天」と、記されている。
※昨年9月に撮影。いま3月は雪景色のなかに。
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九頭龍弁財天は、戸隠神社中社へ登る、
こちらの石段手前の久山館に祀られている。
拝観の予約は、かなり混み合っている模様。
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九頭龍弁財天像は復活、修復も終わって
人々に功徳を与えているが、時代をさかのぼって
みると、ひとつの疑問が湧いてきてしまう。
そもそもなぜ、九頭龍大神はこの戸隠山に、
地主神として祀られることになったのか?

いや、むしろ封じ込められたのである。

『伝説はなぜ生まれたか』(角川学芸出版)
の著者・小松和彦氏はこう記している。
〜戸隠山の九頭龍は、封じ込めて「神」として
祀り上げているところに、大きな特徴があった。〜

九頭龍大神は「祟り神」となったのだ。

















by utoutou | 2016-03-20 23:43 | 九頭龍 | Trackback | Comments(2)

九頭龍大神 ① 南朝を守護した天川弁財天

神武は東征の途、吉野の国栖(くず)に寄った。
国樔、葛、国主、国津、来栖、久須、九頭も
含め、クス・クズとは「先住の民」との意味らしい。

歴史学者・喜田貞吉(1871〜1939年)
は、次のような論考を著している。

〜国栖人を以て、やはり隼人や、肥人や、出雲民族や、
海部・土師部などと言われたものと同じく、石器
時代から弥生式土器を使った、先住民族の一民族
であると考えている。彼らは古伝説において、
国津神または地主神として伝えられたものである。

土着民の事を国人などと呼ぶ事は、諸所に例が多い。
国栖あるてはその文字のままに、『クニスミ』
すなわち前々から国に住んでいた人の意か。〜
(『先住民と差別』河出書房新社より)




そう言えば、下市口(奈良県)から熊野への
路線バスに乗る前、国栖に近い吉野神宮に参拝。
明治天皇が創建したそうで、後醍醐天皇を祀る。
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武家の専横政治と対決した後醍醐天皇は、
「建武中興」を掲げて鎌倉幕府を討幕したが、   
足利氏の謀反で吉野に遷居、やがて崩御した。
後醍醐天皇はじめ南朝の天皇らの行宮だったのが、
他でもない、奥吉野の天川弁財天だったという。

南北朝時代は、
後醍醐天皇の中興(1333年)の3年間と、
吉野に都を構えて以降3代の天皇による57年の歴史
を数えるというが、その3分の2以上の期間は、
奥吉野に拠点が置かれた。
天川村役場HPより)

文字通り天川弁財天の守護のもと奥吉野に身を
置いた南朝の天皇たちは、当然のこと、
弁財天という名の龍神大神を崇敬していた。

また時代はさかのぼって、天武天皇こと
大海人皇子も、天川村を訪れていたが、
琴の音に合わせるように天女が現れ戦勝を祝した。
その天女は、役行者が弥山山頂に祀ったという
弥山大神、すなわち龍神大神だった。



その龍神こそ、九頭龍大神と同神だと思う。
そう言えば、天川弁財天に伝わる「天河秘曼荼羅」 
(能満院所蔵)も、九頭ならぬ妖怪のような三面蛇神。
七福神のひとりとして福神に仕立て上げられる
のは、室町時代以降のことだったらしく、
それまでは、怨念の逆巻く呪詛の女神だった。
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さて、天川村と縁の深い吉野神宮を訪れたのは、
朝8時ごろだった。近鉄の吉野神宮駅で降りて、
タクシーに乗ると、1㎞走る間、バックミラー
を覗き込んで年配の運転手さんが言った。
「この寒い時期に、ご苦労なことですなあ」
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   年末のこと、境内は墨絵の世界のように沈んで、   
案内図に見た桜満開の写真が恨めしかった。
あの吉野桜も、3月末の開花までもう一息という…。
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by utoutou | 2016-03-18 19:46 | 九頭龍 | Trackback | Comments(0)