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六甲山と瀬織津姫 ⑤ 空海の隠した珠

「六甲山付近に何かが祀り隠されている」
と、語り部が呟いてから、かれこれ10日。
おそらく琉球に関係する、神器のような何かだ
ろうと苦悶していたが、あるきっかけで閃いた。

祀り隠されたのは浦島太郎こと浦島子の玉手箱。
隠した先は、真名井御前をモデルに空海が彫った
という神呪寺の秘仏本尊・如意輪観音像の中では…?



神呪寺のある甲山(西宮市)。
神戸観光写真集から拝借。
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浦島子と真名井御前の出自が同じ(日下部氏)なら、
如意輪観音像に隠すのは、あり得ないことではない。
日下部氏は、丹波にも六甲山のある摂津にも居た。

そう思ったのは、
『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』籠神社発行)
で、海部光彦宮司の一文を読んだときのことだ。
題して「空海と真井御前(如意尼)に就いて」。

海部宮司は日下部氏や浦島子には触れていないが、
次のように推察している。(要約)
・真名井御前は一の筺(はこ)を秘蔵していた。
・空海はこれを真名井御前から与えられた。
・筺には海神の霊能の象徴、潮満珠・潮干珠があったか。
・真名井御前はその珠を父から持たされたか。



籠神社の奥宮である真名井神社。
鳥居の奥は禁足地、真名井原ご神体山である。
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ということで、語り部の意見を聞いた。
「六甲山付近に隠されたのは
浦島子の持ち帰ったものではないですか?」
「そうです。
龍宮とは、すなわち龍宮ですからね」
「やっぱり玉手箱でしたか…」
「いや、玉手箱に入っていたものです」
「そりゃそうですね……箱じゃ如意輪観音に隠せない」
「龍の珠であり球の珠であり、ヌブシヌ(命の)珠。
竜宮(琉球)から持ち帰った珠だと思います。
『浦島太郎』が龍宮(琉球)へ行った“話”ですから」

確かに“話”。
浦島太郎のそれは「おとぎばなし」だ。
『日本書紀』に記されながら、お伽話として
 語り継がれてきたことに、秘史の匂いを感じる
 隠された、いや隠すべきとされた歴史の真実?

そこで、素朴な疑問を投げかけてみた。
「“話”では、浦島太郎は3年経って帰って来た。で、
乙姫様の禁を破って玉手箱を開けたらお爺さんに。
でも実際には、347年ぶりに帰って来た。
なんで、そうはっきりと分かるのでしょうか?」

語り部は、間髪を置かずに答えた。
「再びまた戻って来たのだと思います」
「日下部氏が? 琉球の珠を持って?」
「はい」
「ほんとですか…まさか」

とは言ったものの、そのまさかかも知れない。
日下部氏をめぐる謎の一致を思った。

  浦島子が帰った825年、地元である丹後の与謝に
   浦島子を筒川大神として祀る宇良神社ができた。
ときの淳和天皇が自ら創建した。
同じ年、その淳和天皇は出家した皇后・如意尼と
空海のために、神呪寺に寺領150町歩を寄進した。


京都府与謝郡にある宇良神社(旧名)。
↓社殿の写真は浦島神社HPから拝借。
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浦島子を祀り、如意尼と空海を支援した淳和天皇。
まるで日下部氏の復活を諸手を挙げて歓迎している。

いったい日下部氏とは何者か?
即位前(真名井御前と出会った頃)の淳和天皇が、
大伴親王と名乗っていたことも気にかかる。














by utoutou | 2016-04-15 22:16 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 ④ 浦島太郎の玉手箱

後に出家して如意尼となる真名井御前
の出自であるかもしれない日下部氏とは、
どのような古代豪族だったのか。

記紀には、5世紀の事績に登場する。
皇位争いで雄略天皇に殺された
履中天皇(400〜405年)の子・市辺押盤皇子
の幼い皇子であるオケとヲケ兄弟を連れて、
丹波国余社郡に避難したのが、日下部連使主
と、その子である吾田彦だった、と。

また『播磨風土記』には、二皇子は播磨
に身を隠していたとの伝承が残っている。
丹波と播磨、どちらがいったい正しいのか。

丹波国について、籠神社HPはこう語る。
〜但波国(丹波国)とは、
713年に丹後国が建国されるまで
当地方が属していた国のことである。
飛鳥時代頃まで現在の丹後・丹波地方
(京都府中部・北部・兵庫県の一部)は、
「たにわ」の国と呼ばれ、〜



そうだったのかと、眼から鱗が落ちた。
丹後と播磨と摂津は、古代、同国だった?
その三国は明らかに隣接している。
(↓こちらの地図も籠神社HPから拝借)
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さて、
あの有名な浦島太郎の童話も、日下部氏
    のアイデンティティーを示す大きな要素だ。    
 
12世紀末の歴史書『水鏡』に、それが見える。
〜浦島太郎は、天長2年、龍宮城から玉手箱
を持ち帰った。その箱を開けると中から
紫雲が昇り、たちまち老人となり、
うまく歩けないほどだった。〜(要約)

帰ってきた天長2年とは、825年である。
いっぽう、行ったのは478年。
なぜなら、
『日本書紀』雄略天皇22年に、こうあるからだ。
〜秋7月に、丹波の国の余社郡の菅川の人、
瑞の江の浦島子、船の乗り釣りす。〜

                        『丹後風土記』はこの瑞の江の浦島子」
                         こそが、「日下部氏の祖」だとしている。
                                           
またもや日下部氏…。そう言えば、
現在の六甲山が位置する摂津郡に日下部氏
献金した、つまり首長だったのは766年。
 真名井御前が生きた時代と、ほぼ同時代である。

真名井御前と浦島太郎が、日下部氏の同族
ならば、現実に出会う機会を得ていたのでは?
ということで、以下に↓年表を整理してみる。


802年 後の真名井御前(厳子)誕生。
812年 10歳。京都・真言宗の頂法寺で修行。
822年 20歳。大伴親王の妃に。
823年 大伴親王が即位、淳和天皇に。
825年 浦島の子(浦島太郎)が竜宮城より帰る。
826年 真名井御前、神呪寺を建立。
空海を師として修行。
830年 28歳。空海が如意輪観音像を彫る。
831年 神呪寺の本堂が完成。如意尼となる。
834年 33歳、入定。
835年 空海が死去(62歳)。


やはり…年代が一致した。
浦島太郎(825年)は、
神呪寺の建立(826年)に関わっていた?

ここは、語り部に意見を聞いてみよう。
六甲山の周辺で、隠された何かとは、
浦島太郎の玉手箱ではないのか?



真井御前の古称は、匏宮、吉佐宮、
与謝宮、久志濱宮(くしはまのみや)という。
籠神社から徒歩10分ほど(撮影は'13年秋)
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真名井神社の祭神は豊受大神。
古名は、瓢宮、吉佐宮、与謝宮など。
真名井御前(籠神社では真井(まない)御前)
がそう呼ばれたのは、なぜなのだろうか?
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by utoutou | 2016-04-13 01:35 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 ③ 紀香・日下部氏・如意尼・空海

六甲比命神社の話の途中てすが…。
昨日、藤原紀香さんが西宮ガーデンズ
(西宮市高畑町)で行われたイベントに現れたという。

西宮ガーデンズは、阪急電鉄・西宮北口駅直結の
大型商業施設(阪急百貨店・TOHOシネマズなど)
だが、この地には、かつて西宮球場があった。

私は年に数回、この西宮ガーデンズ前の施設で
行われる会議に参加するために西宮市に赴き、
ガーデンズのフードコートでランチをしたりする。
六甲比命神社参拝も、そんな出張帰りのことだった。


紀香さんの出身地での
「一日署長」姿は神戸新聞NEXTから拝借。
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さて、この西宮ガーデンズから古代遺跡が
出たのは、建設工事を前にした2006年のこと。
その結果、西宮市で初めての木簡(荷札)が出土
したが、なんと「日下部」の記名があったという。

いま、西宮市役所HPにも以下のような説明がある。
〜高畑遺跡では、古代にあっては「摂津国
武庫郡日下部某」木簡・和同開珎・斎串などが出土
した井戸跡や大型遺跡群が発掘されています。〜

木簡や井戸跡という特殊性から、当時「これは
武庫郡の役所跡か」と専門家も言っていたものだ。

その記憶が、六甲比命神社で資料を読んだとき、
「日下部宿禰」の箇所に反応した理由だった。

いずれも奈良時代の出来事。同じ日下部氏。
ただの偶然ということはないだろう…と。

あのとき、資料を繰る手が止まったのが、もう一箇所。
『六甲山 瀬織津姫・白山姫と和歌姫 和す・
尽くす トノオシテの復活! 』(大江幸久著)の
「六甲弁財天と空海・真名井御前」と題するくだり。

〜空海とともに廣田の神南備山=甲山に神呪寺
(かんのうじ)を開基した真名井御前(幼名:小萩
出身地は現京都府与謝郡与謝野町の香河(かご)と
伝わる)も弁財天=瀬織津姫と出会われたことが
『元亨釈書』などの記録に残っています。〜

廣田神社の神南備山である甲山を開いたのは、
籠神社の姫で淳和天皇の妃となった真名井御前。
そうだったのか…と、ちょっと大きく息を呑んだ。

真名井御前とは、空海の手彫りによる神呪寺
の如意輪観音のモデルとなった如意尼のこと。

そして、
真名井御前は、実は籠神社宮司家の海部氏と
同族の日下部氏からの養女だったという説がある。
六甲山と丹後半島は、日下部氏で繋がっていた…。



神呪寺の如意輪融通観音(重文)
『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』
(元伊勢籠神社社務所発行)より拝借した。
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↑写真の絵解きには、次の一文が記されている。
〜弘法大師が海部直三十一代雄豊(おとよ)の娘
真井(まない)御前の生き姿を彫る。〜

神呪寺の如意輪観音は5月18日にご開張される。







by utoutou | 2016-04-07 20:29 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 ② やっばり天穂日命と沖縄は

標高931mという六甲山に初めて登ったが、
山頂近くの六甲山カンツリーハウスまで
ロープウェイとバスを乗り継いで行ったので、
六甲比命神社までで、歩いたのは約20分。
誰もいなかったので、1時間ぐらい滞在した。

この磐座は、
沖縄県南城市・斎場御嶽の三庫理(さんこうり)
と似た形の空間で、いわゆるホトの形の自然洞窟。
なぜこんなに形が似ているのかを考えると、
やはり、語り部が、沖縄の始祖ではないかと言う
天穂日命(アメノホヒノミコト)繋がりか…と
思い至るわけで、拝礼もおのずとしみじみと。



ホト(女性器、産鉄の火床の意味も)を思わせる
が、それはまた沖縄の亀甲墓の元型とも言われている。
どちらにしても、私たちの生命の源そのものの形だ。
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ちなみに、
六甲比命の三角の空間から左へ、身を乗り出すと、
↓このようにダイナミックな石積み状の磐座が。
こちらを下方から拝礼するのが、正しい参詣法らしい。
つくづくと、やはり沖縄の御嶽に似ていると思う。
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そう言えば、天穂日命の古代祭場には、
↓ストーンサークルもあったが、やはり南城市
の百名海岸にあるアマミキヨ渡来地に見える
ストーンサークルと、姿がよく似ている。
(木村正昭・琉球大名誉教授の説はこちらの記事に)
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さて、六甲比女神社に長時間滞在した
もうひとつの理由は、神社の中に、
瀬織津姫と天穂日命にまつわる豊富な資料が
あり、お賽銭箱にお金を入れて購入した後も
興味津々その場で読み込んでしまったこともある。
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資料は以下のタイトルの2種類があった。
(料金は賽銭箱に入れるシステム)

1.『六甲山 瀬織津姫・白山姫と和歌姫
和す・尽くす トノオシテの復活!』
(↑写真中央、大江幸久著、66頁1000円)

2.『雲ヶ岩周辺の由来』
(↑写真右、六甲比女講世話人会著、4頁200円)


またスクラップブックには、所縁の寺社や、
『ホツマツタエ』など関連資料が満載。
内容はおいおい紹介したいと思っているが、
そのなかに、何だか気になる箇所がいくつか…。



まず、日下部(くさかべ)。
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『第日本地名辞書』「武庫郡」の項にこうあった。
(武庫郡とは、六甲山(旧武庫山・向つ峰)
のある、この地、摂津国武庫郡を指している)

〜続日本紀、天平神護二年、武庫郡大領、
日下部宿禰浄方、献銭二万(ママ)、椙榑一千枚〜 

即、スマホで調べると、天平神護二年とは766年。
このとき、この地・武庫郡の長官は日下部宿禰なる
御仁で、とにかく、献金と杉材献上をしたらしい。

日下部か…と…いや、自分でも何だかよく
分からないが、ちょっとピンと来るものがあった。
日下部氏といえば、天穂日命の末裔ではないか?
やっぱり天穂日命は沖縄と…。





by utoutou | 2016-04-05 21:43 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(4)

六甲山と瀬織津姫 ① 宝珠は隠された?

沖縄では「ぬぶしぬ玉(命・魂の玉)と
呼ばれてきた宝珠(如意宝珠・火炎宝珠)。

八臂弁財天が持つ如意玉として、私などには
馴染みが深いが「六甲比命大善神」こと瀬織津姫
を祀る神社(兵庫県神戸市灘区)でもそれを見た。


磐座(本殿)の前にはこうした拝殿があり、
三弁宝珠を配した天幕が張られていた(写真再掲)。
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拝殿の奥に、六甲比命こと瀬織津姫の磐座がある。
参ったのは、もはや旧聞に属する2月22日のこと。
桜の開花など予想もできなかった極寒の時期。
磐座の外にはツララが列を成して下がっていた。
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宝珠の話をした数日前、語り部が霊視をした。
「六甲山のあたりに、琉球に関係のある何か
が隠され、祀られていますね…」

 話の脈絡から、私はヤマをかけて質問した。
「つまり、宝珠がどこかに隠されていると?」
「まだ、分かりません。ただ、
琉球の神様に関係のある何かだと思います」

さて、六甲山のどこに、何が隠されているのか。
あの日、初めて歩いたルートを振り返ってみる。



まず、沖縄の始祖かと思われる(そう推理した
以前の記事は、こちら)天穂日命の磐座へ行った。
六甲山スノーパーク(冬期のみの人工スキー場)
こと、六甲山カンツリークラブ内の山上にある。
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以下、説明板に示された由緒
〜天穂日命の古代祭場(ひもろぎ)
この、やさしくも気高い巨石は、はるかなる
大昔、六甲山に天降りされた天のホヒの命
(天孫ニニギの命の叔父)をお祭りした磐座で、
神籬と呼ばれています。ヒモロギとは、木材
を使って神社を建築しなかった大昔に、巨大な
石を使って築いた古代斎場のことで、外国では
メンヒルと呼ばれています。(後略)
六甲山・甲山周辺の古代遺跡保存会〜



天穂日命の磐座は、六甲山カンツリーハウス
 に入ると、正面の山頂だな…とすぐに分かる。
家族連れや外国人グルーブの歓声が響くなか、
黙々と登ったが、特に怪しまれることもなかった。
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さて、六甲比売神社
(↓中央左に加筆した赤矢印の先端あたり)は、
天穂日命の磐座(スキー場内)からまっすぐ西へ、
300メートルほど離れた山中にあるという。
スキー場の駐車場を出て、迷いつつも、
徒歩15分ぐらいで、なんとか辿り着いた。


ほぼ東西軸に沿って一対のように存在する
   六甲比売神社と天穂日命の磐座、その関係とは?   
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六甲山カンツリーハウスのスタッフに教えて
いただいて、駐車場から六甲比売神社を目指した
が、それはどうも通常の逆コースだったらしい。
別荘地の奥から登ると、まず大岩が見えてきた…。
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大岩は(歩きつつググると)、仰臥岩という。
人為的に整えられたのか、まさら仰臥した形状。
奔放に枝を伸ばしている樹々が、この山の尋常
でないエネルギーを物語っているように見えた。
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磐座群の奥に、その中心をと思われる御嶽が…。
なんと、石に刻字されていた銘は、
〜 八大龍王・華山法皇・熊野権現・佛眼上人 〜
華山法皇とは、花山法皇のことだろう。
退位して出家した花山法皇(968〜1008年)
が、この六甲山に熊野権現を祀っていたとは。
熊野権現とは一説には、瀬織津姫。
花山法皇でこの地で瀬織津姫を感応したのか。
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仰臥岩から細い山道を下ると、雲ヶ岩に出た。
ここは、法道仙人(6〜7世紀の僧)が修行中、
毘沙門天が姿を現したという伝説の地だという。
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雲ヶ岩から坂道とアルミの階段を降りると、
やがて、六甲比命神社と思しき拝殿が見えてきた。
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さて、この六甲山の神域に、あるいはその周辺に、
沖縄ゆかりの宝珠らしき何かが祀られているのか?
語り部にも、その難問はまだ解けていないらしい…。







by utoutou | 2016-04-02 19:12 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)