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稲作と龍神 ⑪ シロミキヨの高天原

沖縄の始祖・アマミキヨとシロミキヨ。
シロミキヨの末裔はやがて黒潮に乗って
北上、各地で白玉稲荷神を祀った…
というのが前回までの推理。

ふと思い、再読して、自らに
突っ込みたくなるくだりがあった。
祇園神社の摂社・白玉稲荷社での感想。

〜白玉が瞬間「皇」に見えたとき、
語り部が常々言う言葉を思い出した。
「シロミキヨの白は皇(すめらみこと)の白」〜

そして、いまはこう加筆したい。
白玉の玉は、皇の降臨した地を意味するかと。

田植え人に神職が白玉団子(しちじ、みすじ)
を押す儀式「親田御願」の行われる受水走水。
その上にそびえる大岩は、
古来「タカマシカマノ御嶽」と呼ばれる。
近年まで、地元での亦の名は
「高天原」あるいは「高千穂の峯」。


いま、その呼称を知る人は多くないが、
語り部が出会った戦前生まれの神女おばあたちは、
皇祖・皇高産霊神(たかみむすぴのかみ)が、
そして、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、
↓この写真右の磐座に降臨したとの口伝を残した。
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ちなみに、「高天原」から
アマミキヨの到着地・ヤハラヅカサまで、
地続きの一帯は、浦田原と呼ばれる。

高皇産霊神とシロミキヨは、
はたして同系統の神なのか。

アマミキヨとシロミキヨについて、
ミントングスク近くに住む古老は言った。

「アマミキヨとシロミキヨは、琉球神話では
一対の男女神と語られるが、夫婦神ではない。
アマミキヨ(族)、シロミキヨ(族)と呼ばれた
渡来族がいた。彼らは別々のところから来た。
その順番はシロミキヨ、アマミキヨである」


日本書記」では、高皇産霊命と書かれる。
(「古事記」では、高御産巣日神)
ヤマト神話によれば、その娘・栲幡千々姫と、
天照大神の御子神・天忍穂耳命が結婚して
生まれたのが天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)。
つまり、高皇産霊神は天孫の外祖父に当たる。

シロミキヨが、もし高皇産霊神の系譜にある神
ならば、沖縄最古の王朝と言われる天孫氏王朝に、
含まれる「天孫」の2文字が、真に迫ってくる…。


沖縄の「高天原」と呼ばれた御嶽を分け入り、
進むと、建立者不明だが「天武の墓」がある。
(中央下に写る小さい石碑)
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↓ 沖縄中部の浜比嘉島にある御嶽・シルミチュー。
こちらもシロミキヨを祀ると伝わるいっぽう、
巷間「皇室にゆかりの霊廟」とも囁かれる。
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by utoutou | 2015-04-09 22:09 | 玉城 | Trackback | Comments(14)

稲作と龍神 ⑩ 白玉稲荷はシロミキヨ?

伏見稲荷大社境内の御膳谷(ごぜんだに)。
四つ辻を過ぎ、あと30分ほど登れば、
稲荷山の頂上に着くというところで、
雨も降り出したせいか、参拝客はいなくなった。

ひとり山の中で、
明治期に寄進されたという
無数ある私的なお塚群を見ていると、
ちょっと生々しい神気に、腰が引けた。
ワタシハナニヲシニキタンダッケ。 

祈祷殿の近くで、白玉大神のお塚を探す。
御膳谷にある白玉大神(6基)はすぐ見つかった。


↓ そのうちのひとつのお塚。
神名は注連縄に隠れて見えないが、ミニ鳥居には
「白玉大神」「白鬚大神」と手書きされた神名が。
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で、奉拝所で禰宜さんに聞く。
「白玉大神の白玉は、どのような意味ですか?」

唐突な質問だったか、禰宜さんは戸惑われた様子。
とはいえ、丁寧に教えてくれた。
「白は清浄の色なので、白狐、白龍、白山など、
神様の名前としても多いですね。白玉も同じです。
で、玉となると、白い勾玉のことかもしれません」
「勾玉のことですか…」
「紅白のお餅を木の枝に付ける小正月の行事、
あれも白玉大神様にちなんでいると思います」

そう言えば、語り部も、ヤマトの繭玉神事の元は
沖縄の田植え神事やイザイホーの米団子だと言った。
ただし、禰宜さんは沖縄のことは知らないと言う。

要するにと、下山しつつ禰宜さんの話を反芻。
各地に勧請された白玉稲荷神社とは、
稲荷神・倉稲魂(うかのみたま)の聖なる勾玉(魂)。

そこで思い出したのは「うか」の意味だ。
それは古語で龍蛇を表す。
出雲大社の奥宮・素鷲社(そがのやしろ)
の背後に控えるのは宇迦(うが)山である。

すると倉稲魂(うかのみたま)は、
龍蛇神の御魂という意味にもとれる。
それが白玉稲荷神の本来の姿ではないか。



というわけで、夕方、神戸の祇園神社へ。
素戔嗚尊と櫛稲田姫を祀る。
移動しながらの検索で、
摂社に白玉稲荷社があると知った。
それも、伏見稲荷大社から勧請されたという。
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本殿の奥に摂社が並ぶ。
↓ 右が白玉稲荷神社。左が市杵島姫命社。
白玉稲荷社には「倉稲魂命」と筆書きが。
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参拝した後、真新しい神名を見上げる。
あらっと思う。白玉が瞬間「皇」に見えた。
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語り部が常々言っていたものだ。
「シロミキヨの白は皇(すめらみこと)の白」だと。
亦の名はシネリキヨ。
シネとは稲のことである。
アマミキヨの一対神・シロミキヨが白玉大神か?


境内には猿田彦社もあると、後に知った。
隠れているが写真右手に。
シロミキヨは猿田彦大神とも言われる。
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by utoutou | 2015-04-07 08:45 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 9⃣ そして伏見稲荷神社へ

ヤマト各地にある白玉稲荷神社の創建由来に、
沖縄の稲作が関係しているのでは
と語り部は言う。

初午神事「親田御願」で、
田植えをする男たちの額に、
神職がシチジ(米粉の判子)を押す儀式。
それが「白玉(白米の稲魂)」の由来だと。

その玉城百名と古来より姻戚関係にあると
考えられている久高島でも、
米の餅で神女の額に印を付ける儀式がある。
古祭・イザイホーの「シジ付け」がそれ。

イザイホーでは、神女を認定するのに、
外間ノロによるシジ付けと相前後して、
久高神人(男性神職)が赤い判を押す
「朱リキィー」という儀式もある。

久高と外間と言えば、久高島の二大元家系統。
これに、赤白(稲荷)に関する語り部の考えを
当てはめれば、
赤米と白米を象徴する二系統の民が、
久高島と玉城百名の始祖、
つまりアマミキヨと考えることができそう。

思えば、久高島中興の祖で
ミントングスクのひとり娘・ファガナシーは、
神衣として、白地に赤の模様の
着物を携えて島に渡ったという秘伝も残る。



そんな折、
お稲荷さんの総本宮・「赤」の伏見稲荷大社へ。
ちょうど関西へ出向いたので、合間に駆け足で参拝。
東京・椿山荘の白玉稲荷はここから勧請されたという。
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昨日3日の午前10時。
3年前に参ったときとは大違い。境内は、
雨予報というのに外国のお客さんで溢れんばかり。
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「白玉」のヒントを求めて、
稲荷山で白玉稲荷神社を探し出そうという計画。

あの千本鳥居を駆け登ったが、白玉稲荷は
見つからないまま、その上、稲荷山の中腹の
四つ辻(加筆した青い矢印のところ)付近で力尽きた。
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本殿へ引き返そうとして、ふと
「御膳谷奉拝所」の文字が目に入った。ここは
稲荷神に神名をつけて寄進する「お塚」の密集地。
効率よく白玉稲荷神社が見つかるかもしれない。
と、聞き込み開始。
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すると茶屋のおばさんが、昭和時代に社務所が刊行した
『塚台配置図』なる冊子を、奥から出してきてくれた。
1冊が神域ごとの索引、もう1冊がお塚の配置図。

それよよれば「白玉」「白玉大神」「白玉大明神」
と命名されたお塚は「御膳谷」で6柱。
その寄進者を社務所で聞いてみよう。
しかし、雨が降ってきた……つづく。
(ちなみに稲荷山全体では、70柱のお塚がある)



御膳谷神蹟。
稲荷山三が峯の北背後にあたり、往古は
この地に御饗殿(みあえどの)と御竃殿(みかまどの)
があり、三が峯の神々に神供をしたところだという。
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by utoutou | 2015-04-04 20:28 | 玉城 | Trackback | Comments(4)

稲作と龍神 8⃣ 白玉稲荷神社

「東京の椿山という庭園に、
白玉稲荷神社がありますか?」
また語り部から電話がきた。

語り部は、沖縄以外にある神社には行かない。
なので、本土の神社に関するインスピレーション
が湧けば、私が代理に行って確認をする、
というパターンが最近は多いような気がする。

今回は、都内文京区のホテル椿山荘。そこに
白玉稲荷神社があることは知らなかったが、
ネットで調べてから立ち寄った。

ちょうど花見の季節、
椿山荘の庭の桜もさぞかし綺麗だろうなと。


「ホテル椿山荘東京庭園」の裏門に近い椿山の上。
椿林を縫うように登った先に白玉稲荷神社はあった。
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〜大正13年、京都下鴨神社の社殿を譲り受け移築。
翌年、伏見稲荷明神から白玉稲荷を勧請して、
椿山荘の守護神とした〜と説明板に。
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赤い鳥居、狐、祭神・倉稲魂(ウカノミタマノカミ)。
まさに稲荷神社。下の蕎麦屋からお昼時の匂いがした…。
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問題はこの神社の「赤と白」である。
赤い鳥居の稲荷神社に、なぜ白玉の社名がつくのか。

そして、なぜ白玉稲荷神社が、沖縄の
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)に縁が深いのか。
いや、縁が深いと語り部は見るのか。

その会話を反芻しつつ参拝する。

「初午の神事・親田御願(うぇーだのうがん)で、
 田植えをする男性の額に、
神職がシチジ(しとぎ、米粉の判子)を
押しますよね。あれが白玉の由来だと思います」
「白は米の色、稲魂(いなだま)のことですか?」
「そうです。白米の稲魂です」
「では、赤が意味するのは、赤米の稲魂ですか?」
「そうだと思います」

「沖縄には3回にわたって稲作の伝来があった」
という話を思い出す。
最初は、水の要らない地米、
2度目は、鷲の神話で語られる米、
3度目は、鶴の神話で語られる米。
稲作を始めた3つの民族がいたと考えられる…。


沖縄の稲作伝説には、赤とも白とも、
米の色など出てこないが、はたして
白玉稲荷神社をヤマトの各地に創建した一族とは?
「白玉」が古代の渡来族を紐解く鍵なのか?
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椿山をさらに登ると三重の塔。小野篁に
ゆかりの広島県・竹林寺のものを移築したという。
八重紅しだれ桜(というらしい)が、ことに綺麗。
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by utoutou | 2015-04-03 02:29 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 7⃣ 御稲御倉(みしねのみくら)

「大事なことを思い出しました」
語り部がそう言ったのは、3日前のこと。

「古代の玉城に御稲御倉があったと思います」
「伊勢神宮にある御稲御倉のことですか?」
「はい、田植え歌『天親田のクェーナ』
には大山積神が出てくると言いましたが、
御稲御倉の元になった高倉も歌われています」


アッと驚く伊勢との関連性。
伊勢神宮内宮に鎮座する御稲御倉(みしねのみくら)。
内宮正殿から北側の荒祭宮へと進む参道の左にある。
千木と鰹木のある唯一神明造り(昨年11月に撮影)。
御倉であり御稲御倉神(稲魂)を祀る神社である。
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には、確かに倉が出てくる。

〜四又(ゆちまた)う倉に積ん余ち〜
4本柱の高倉に積みきれないほど積んで、
という意味だと一般には伝わるが、
それが稲御倉としてあったというのだ。

曰く、語り部が少年だった約40年前、
ミントングスクで、塩の山の供物を霊視した。
と同時に、玉城と知念には、
他にも御が存在したことを感じ取った。

「古代、その一帯にあった倉は4つ。
稲の御倉、塩の御倉、酒の御倉、そして
調の御倉(つきのみくら)だと思います」

「調御倉の調(つき)とは何のことですか?」
「月…月の力でできた食べ物で、主に味噌ですね。
沖縄では今でも、味噌と塩は縁起もの。
結婚や転居のお祝いに贈られると、
それを新生活の糧にする。
分家のスタートといった感覚ですね」

「で、その4つの御倉はどこに?」
「ミントングスク、東大里(あがりうふざと)、
斎場御嶽、そして久高島」
「ほぼ東御廻り(あがりうまーい)のコースだ」
「稲や酒や味噌を作る古代海人族が、
ここで生活していたということかと」
「それから一族は、伊勢へ渡った?」
「と思います。そして、御倉を建てた」

海や大地から生まれた食物を、古代の人々
は神そのものとして高倉に祀り、崇めた。
それが神社の起源。御稲御倉が内宮
と同じ唯一神明造りなのは、そのためだろう。

さて、その御倉群。
伊勢神宮について調べてみると、
やはり確かに、中世まで神宮の内宮に、
4棟1組の御倉が存在したことが分かった。

『天親田のクウェーナ』の歌詞にある
「四又(ゆちまた)う倉」は、
伊勢神宮にある御倉の前身だったのか。



久高島から遠望する知念玉城台地。
(3月21日に撮影)
斎場御嶽の大庫理、三庫理も御倉だったかも…。
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ヤハラヅカサから高台に登ったところにある
アマミキヨの仮住まい跡・潮花司(しおぱなづかさ)。
「ここでアマミキヨは製塩をしたのではないか」
とも、語り部は言った。
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by utoutou | 2015-04-01 20:11 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 6⃣ 三穂津姫

沖縄の稲の起源は700年前。
「稲を運んだ鶴」の伝説ではそう語られる。
伝説の舞台・カラウカハ(南城市玉城百名)にも、
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)にあったもの
と同じ内容の説明板が立っている。


海岸線と並行する国道331号線から、新原ビーチ
に下りる道路際にある稲作の聖地・カラウカハ。
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[説明板の概要]
〜今から約700年前、中国から
稲穂をくわえた一羽の鶴が飛んできて、
この地に落ち息絶えたが、その稲穂が芽を出した。
早苗はアマミツによって
受水走水の水田(三穂田)に移植され、
琉球最初の稲作が始まった。
別名「天孫氏カー」〜
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「地元の偉人・アマミツ」とは、ミントン門中
の屋号・天祖(アマス)の阿摩美津(あまみつ)。
アマミキヨの直裔という。

その名は田植え歌『天親田のクウェーナ
にも歌われているが、阿摩美津が
稲作の祖としていかに崇敬を受けてきた
かは、この地形にも表れている。


カラウカハから受水走水へはこの舗道を下る。
「親田御願(うぇーだのうがん)」のコースでもある。
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反対の山側にカラウカハと並んで石段がある。
阿摩美津の墓へと登る道。墓には、
共に稲作を始めた屋号・安里(姓は比嘉)
と大前(うふめー、姓は島袋)という
二人の従兄弟も眠っていると伝わる。
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阿摩美津の墓の周辺には、
戦前まで美しい松林があったという。
それは「琉球の三穂の松原」と呼ばれた。

受水走水(うきんじゅはいんじゅ)の
受水下にある三穂田(みーふーだ)
にちなんで、そう命名されたというが、
三穂田の由来はまことに諸説紛々。

1.稲穂が最初に3本生えたから
2.カラウカハ・受水・走水と3つ穂田があるから
3.御穂田とも呼ばれるから
4.3人が協力して穂田を作ったから
5.稲作の起源が3つあるから

このなかで、語り部の聞いた口伝は「5.」。
曰く、稲作技術の渡来は3回繰り返された。
最初は、水の要らない古代米の稲作、
2度目は、鷲が稲穂をくわえてきた稲作、
3度目は、鶴が稲穂をくわえてきた稲作。

カラウカハを、地元では
「御先三穂田(うさちみーふーだ)」とも呼んだ。
御先とは紀元前、上古といった意味だ。
つまり、稲作の起源は700年前よりはるかに古いと。

水のいらない古代米(生苗)を育てた
日巫女の名は三穂津姫という。

出雲・美保神社(過去記事はこちら
の祭神にして『日本書紀』では
事代主の母神、そして、
高天原から稲穂を持って降臨した
皇高産霊命の姫神、大国主の妃神とされる。

そのため御先三穂田から
受水走水にかけての一帯は
「高天原」「高千穂の峯」と秘かに呼ばれた。
ここは天(あま)の字を戴く「天親田」の聖地。
ヤマトの神々の原郷なのだからと。

思えば、国獲りに敗れた事代主が
入水したという故事にちなんだ祭り
「青柴垣神事」(4月7日)で祀る「蝶形の扇」
は、蒲葵の葉を模したものである。






by utoutou | 2015-03-31 16:27 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 5⃣ 稲魂の神々

〜大(うふ)ま積(ぢ)ぬんいしてぃ〜
『天親田のクウェーナ』の最後の歌詞。
意味は、
「刈り取った稲穂を大きな山のように積む」

それはつまり、
大山積神(おおやまずみのかみ=大山祇神)
の由来なのではないかと、私は思った。

それで思い出すことがあると、語り部は言った。
「百名玉城の神女がよく言ってました。
 受水走水(うきんじゅはいんじゅ)で拝むときは、
 まず走水で拝んで身を清めて、それから、
 受水の稲魂(いなだま)の霊力(しじ)を受ける
 のが正しい順番だよと」
「稲魂?」
「ヤマトで言えば、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、
 大山積神と同じ穀物の神様のことです」

「てことは。稲荷神社のお稲荷さんとも同じ?」
「はい、保食神(うけもちのかみ)でもある」
「ということは、豊受大神 」
「神名に食物を意味する“受”の字が入っていますね」
「受水。確かに…」



受水走水(うきんじゅはいんじゅ)は南城市
玉城百名の農道から入った突き当たりにある。
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豊受大神とは伊勢神宮外宮の祀られる
食物・穀物を司る祭神。
そして、元伊勢・籠神社(真名井神社)の祭神。

かねてから、
「稲穂と鶴の伝説」のある伊勢(伊雑宮)、
「カゴメの歌(鶴と亀)」のある京都丹後(籠神社)、
そしてこちら、やはり「稲穂と鶴の伝説」
のある受水走水には、
稲作渡来海人族の潮流を思っていたが、
神名にも、それが窺えるとは新発見だ。

ただし、そう驚きはしない。
律令国家の成立とともに神社が各地にでき、
祭祀制度も整備される以前、
神々とは、火の神、日の神、山の神、
川の神、田の神といった自然神だったはずで、
そのひとつが稲魂の神・稲倉の神だった。

そう考えれば、いや、
そうした神々こそ「天津神」と呼ばれたと思う。



受水走水に立つ説明板には、稲をくわえた鶴が
この地に落ちたのが、受水のはじまり
だと記されているが(時代は14世紀ごろ)、
語り部の口伝では、稲作は
御先(うさち=縄文時代)にすでに始まっていたという。
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祭り以外には、いつ行っても人の気配はなく、
絶え間ない河口の水音に古代を偲ぶことができる。
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受水の拝所。右上の高地から流れ落ちる水は、
左の田んぼ(現在は使われていない)を潤した。
戦後の減反農政で周囲の田んぼはなくなったが、
それまで南城市(古称・東四間切)は水田地帯だった。
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by utoutou | 2015-03-29 17:38 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 4⃣ 新たなる謎解き

沖縄稲作の聖地・受水走水(うきんじゅはいんじゅ)
で、古来行われた「親田御願(うえーだのうがん)」。

クウェーナとは古謡形式のひとつで、
いわば豊穣の予祝い歌。
豊穣の実現を約束するように、呪術的に、
かつ稲作の作業工程を叙事詩的に歌い上げる。
              
そもそも「天」の字が古代海人族を思わせるが、
歌詞の最後の1行が気になり、語り部に聞いた。
                
「“大(うふ)ま積(じ)ぬんいしてぃ”とは
どんな意味ですか?」

『天親田のクウェーナ』の最後半の歌詞はこうだ。

〜大屋(うふや)ぬ縁までぃ積(ち)ん余ち
  あしゃぎぬ端(はぢ)までぃ積(ち)ん余ち
  大(うふ)ま積(ぢ)ぬんいしてぃ〜

語り部は言った。
「“ま積(じ)ぬん”とは、積むこと。
“いしてぃ”とは、ドッシリと置くこと。
刈り取った後の稲を山のように積む、
それが豊作の象徴だったのでしょう」
  
私は、気になっていたことを口にした。
「それが、まさに大山積神の神名の由来では?」
  
「…そうだと、思います。
大山積神は龍神、そして山の神、田の神。
高地の水源地から龍神のように降りて来て、
親田に豊作を呼び込む神とは、大山積神。
つまり大山祇神は、
琉球の地で崇められていたのだと思います」
 
この会話から、
また新たなる謎解きが始まったのだった…。



親田で行われた今年の御願から
約1ヶ月経った20日、
苗は順調に育っているようだった。
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幅10mほどの親田だが、王府時代には、
親田での神事が終わっ初めて、
各地でも田植えが始まったという。
収穫は初夏で、沖縄の稲作は2期作となる。
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こちら受水の拝所。
その左手前も親田。
ただし、親田御願の行事において
こちらでの田植えは、戦後になって省略された。
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by utoutou | 2015-03-29 03:46 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 3⃣ 天親田のクウェーナ

     『天親田のクウェーナ』の歌詞
  『ミントン』(90年、玉城村字仲村渠発行)より
    ※赤字は地元の古老による現代語訳

   1. 阿摩美津(あまみつ)が始みぬ  
     阿摩美津(あまみつ)が始めた
   2. 浦田原(うらたばる)巡(み)ぐやい 
 浦田原を点検して廻って
   3. 泉口(いずんぐち)悟(さと)やい 
 泉口の水量を確認して
   4. 湧ぬ口(わくぬくち)悟(さと)やい 
 湧水口を掃除して
   5. 縦溝(たてんず)ん割い開きてぃ 
 縦に溝を掻いて開けて
   6. 横溝ん(ゆくんず)ん割い廻わち 
    横に溝を掻いて開けて
   7. 畔型(あぶしがた)造やい 
 畦道を造って
   8. 桝ぬ型(ましぬがた)据(い)してぃ 
 四角い枡を整然と造って
   9. 足高(あしだか)んうるち 
 牛を引き連れて(田んぼを)下って
         10. 角高(ちんたか)んうるち 
           牛を引き連れて(田んぼを)下って
   11. 苦土(くんちや)やきじいしてぃ 
     痩せた土を踏み潰させて
   12. 真土(まんちや)やきじ浮きてぃ 
 よい土を踏んで上げさせて
   13. 夏水(なつみじ)に潰(ち)きてぃ 
    夏は水に(20日ほど)漬けて発芽させて
   14. 冬水に下(う)るち 
    冬は水に(40日ほど)漬けて発芽させて
   15. 百(むむ)とぅ十日(とうか)なりば 
    百十日経てば
   16. しんぬ田原(たばる)に持下(むちう)るち
    立派な田んぼに苗を持って下りて
   17.しじしじとぅ引分(ひきわき)てぃ
    土を払いのけ何本かずつに株分けして
   18. 桝ぬ型(ましぬかた)に挿植(さしう)いてぃ
    枡型に挿し植えて
   19. 植(う)いてぃ三日巡(みっちゃみぐ)たりぱ
    三日経つと鬚が伸び始めて
   20. 白(しら)ふぃじんさすぃ
    伸びて白く出てくる
   21.ゆらい草掻(か)ちゃい
    生えた草を取ると稲に活力が出る
   22. 三月(さんぐぁち)になりば
    (旧)三月になれば   
   23. まだら南風(べ)ん吹(ふちゆ)い
    南風が吹いてくる
   24. 四月になりば
    四月になれば
   25. しだら南風(べ)ん吹(ふちゆ)い
    南風が吹いてくる
   26. 五月になりば
    五月になれば
   27. 繁(しぢ)々とぅ盛(む)い上てぃ
    繁々と稲が茂ってくる
   28. 北(にし)風ぬ吹きぱ
    北風が吹いたら
   29. 南(ふえ)ぬ畔枕(あぶしまくら)
    稲が畦道を枕に繁っている
   30. 南(ふえ)ぬ風吹きぱ
    南風が吹いたら
   31. 北(にし)ぬあんだ枕
    北の畦道を枕に繁っている
   32. 六月がなりば
    六月になれば
   33. 大鎌(うふいらな)うたさに
    大鎌(うふいらな)を鍛冶屋で打ってもらい
   34. しかまん人(ちゅ)傭(やとう)てぃ
    稲刈りの手伝いを雇って
   35. 朝(あさ)や刈い干(ふ)さい
    朝なら刈り上げて乾かし
   36. 夕暮(ゆずくい)や持上(むちあ)ぎてぃ
    夕方なら持ち上げて脱穀して乾かす
   37. あんされやゆみ数い
    頼まれた人は収穫量を計算して
   38. うふやくみいや算取(さんとう)やい
    指導監督する人は出来映えを見る
   39. あんされぬ好(くぬ)みぬ
    頼まれた人の好きな
   40. 甘み酒汲(く)ん呑(ぬ)まち
    美味しい酒をたくさん差し上げて
   41. うふやくみい好(くぬ)みぬ
    指導監督する人の好きな
   42. 辛酒(からさけ)汲(く)ん呑(ぬ)まち
    強い酒を汲んで差し上げて
   43. 四又(ゆちまた)う倉に積(ち)ん余ち
    四本足の高倉に乾燥した稲穂を積んで
   44. ハ俣(やちまた)う倉に積(ち)ん余ち
    八本足の高倉に乾燥した稲穂を積んで
   45. 大屋(うふや)ぬ縁までぃ積(ち)ん余ち
    大きな屋敷の縁側まで稲穂を積んで
   46. あしゃぎぬ端(はぢ)までぃ積(ち)ん余ち
    神屋の端まで稲穂を積んで
   47. 大(うふ)ま積(ぢ)ぬんいしてぃ
    束ねた稲穂を大きく積んで置くほどの豊作
   く屋号倉元のマジンの周囲を廻りつつ〉
   拝(ふえ)さびたんどぅ スーライ、
   中盛(む)らち給(たぼ)り
    お祭りを無事に終えました
    積んだ稲穂が盛り上がるよう拝み奉ります
      (三回くり返す)サーユカロー ユカロー
       ●坐グェーナの唱い方
    阿摩美津が始みぬ エーアマウェーダーヨー
    ●立グェーナの唱い方
    エー 阿摩美津が始みぬ ヨーイエイヤ
    ハローチーヘイ アマーエーダーヨー 米ぬ湧上ゆい
   (各節くり返す)
    
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by utoutou | 2015-03-27 21:43 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 2⃣ 琉球の大水田地帯

田植え神事の神歌
「天親田(あまうぇーだ)のクウェーナ」。
歌詞には、琉球の古代を紐解く鍵が
秘められているが、その前に
この地を聖なる大水田地帯とした
類い稀なる地形を見てみたい。

稲の収穫時期となる初夏、
琉球の国王と聞得大君が、
この地に行幸した史実が残る
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)。

稲作の条件となる良質の水は玉城台地
(現在は琉球ゴルフ倶楽部)から、
この東海岸一帯に注ぎ、百名海岸へと流れ出る。  
その地こそ、琉球の始祖が海から
上陸した場所でもある。



↓ 海中にアマミキヨ上陸の碑
ヤハラヅカサが立つ百名の海。
昨日は潮が引き、砂浜から20mほどの
水中に立つ石碑まで歩いて行けた。
潮の状況によっては、海中に没する日もある。
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↓ アマミキヨが上陸後に仮住まいした
と伝わる 潮花司(しょっぱなつかさ)。
左の石段を下りると、ヤハラヅカサが立つ海が広がる。
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ヤハラヅカサから、
稲作の聖地・受水走水は500mほどの距離。
水と稲の聖地は、実に一体となっている。   
現在も「潮花司」の脇から、遊歩道で繫がっている。
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↓ 潮花司のすぐ山側にある浜川御嶽。
屋根付きの拝所がある。
しかし、本来の威部(いび)は
その右の河口だと、語り部は言う。
石造りの水口も、いまは枯れているが、
往古、ふんだんな水量が海に注いだことが偲ばれる。
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この地形が琉球の「親田(あまうぇーだ)」
と、呼ばれることになる田んぼを生んだ。
よって琉球王朝の田植え神事「親田御願」の歌詞は、
冒頭こう始まるのである。

♪阿摩美津が始みぬ
エー、アマウェーダヨー

アマミツとは稲作の祖・天祖(家)のアマミツ。
アマミキヨの末裔。
アマミキヨは稲作技術を携えて渡来した
のだと、神歌は謳っている。




by utoutou | 2015-03-25 01:38 | 玉城 | Trackback | Comments(0)