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アメリカ統治下のイザイホー

渋谷アップリンクで『イザイホウ』を観た。
前回は満席で入れなかったので、ネットで予約。
ミニシアターながら今回も満席に近い入り。
追加上映は、2/6(金)までという。

海燕社制作(野村岳也監督)のDVD(↓)
その劇場版。やはり臨場感が違った。
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1966年(昭和41年)に久高島で行われたイザイホー、
戦後初めて行われたその秘祭のドキュメンタリーだ。
'78年版の作品は有名だが、さらに12年前のもの。

米国統治下の時代の島の生活が描かれる。
「女は神人、男は海人」という宿命、離島の生活苦。
そんななか、島を挙げての祭りの準備が始まった…。

帰宅後、何年か前に沖縄県立図書館でコピー
した当時の新聞を広げた。
「神の島」の現実が垣間見える。

「神秘のベールを脱いだイザイホー」
「古代的神聖の島」「圧巻! 洗礼の儀式」
「伝統の扉 開く」「取材陣続々」といった
祭りの記事は、新聞各社1面トップの扱い。

いっぽう連載企画には「文化に見放された島」
「昔ながらのランプ生活」
「クバの原生林がキビ畑に」などといった
サブタイトルが連なる。



↓沖縄タイムス(12月26日、旧暦11/15)夕刊三面。
「イザイホー調査団 久高島へ」の記事下
に大手デパート・リウボウのセールの広告が。
価格表示はすべてドル立て。
「婦人スーツ$7.50 、紳士靴$4.00」と。
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ところで、ナレーションでは、イザイホー
は「600年の歴史」と語られていたが、
'54年、また戦中の'42年にも止むことはなかった。

久高島の島人曰く「“薩摩世”でも
“アメリカ世”でも“ヤマト世”でも、
休むことはできない祭り」なのだった。

イザイホーは、王府時代以前から、
36年前の''78年まで、綿々と続いた。
その長き継承を支えた力とは?

改めて思ったのは「おなり神信仰」だ。
女に宿る霊力(せじ)が男を守護するという
古代感覚は、琉球神道の要となる神観念だった。

それが、後に伊勢神宮における
斎宮のシステムを生んだと思う。

イザイホー調査団が「久高島は日本の原郷」
と驚く前に、久高島には「ここが大和の原郷」
という秘伝があったと、島で度々聞いた。


↓イザイホーを終えた神女が
兄弟と向き合う儀式「アサンマーイ」は映画にも。
祭りの日、男たちも耳にイザイ花を挿していた。
花の赤白黄は、聖木・アザカ(アダカ)の色。
女はイザイ花、ハブイ(蔓冠)、アザカの葉を飾る。
※写真は『主婦が神になる刻(比嘉康雄著)』より拝借。
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アザカで契られた男女は、
祭りの最後に「アリクヤーの綱引き」に臨む。
「アリクヤー」とは「船を漕ぐ」という解釈が
一般的だが、琉球神道研究の第一人者・
鳥越憲三郎氏は、それを「ありきえと」だと言った。
「ありきえと」とは「神が天界から舞い降りるときの船歌」。
写真は海燕社HPより拝借。
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天から舞い降りる神とは、龍蛇神のことだろうと
スクリーンを観ながら、改めて思った。
イザイホーとは龍蛇神の祭り
男女が揃って「綱」を上下に大きく振る様子は、
私には、イラブー(海蛇)の擬きにしか見えなかった。

by utoutou | 2015-02-01 01:50 | イザイホー | Trackback | Comments(0)

イザイホー 6⃣ 消えた星神

イザイホーという秘祭は、戦後3回行われた。
その1回目の模様をレポートした新聞記事
(琉球新報、'53年12 月3日)に興味深いくだりがある。

3日目、朱リィキー(神女就任の印付け)を受ける
ナンチュ(神女)たちは、紙でつくった赤・白・黄色の
イザイ花を頭に挿すが、色の由来が記されていた。

〜赤は太陽、白は月、黄は地の神を象徴したものである。
この日の晴れの場に参加する男神たちも、
イザイ花のひとつを左耳にはさんでいる。〜

男の神役がイザイ花を…という記録は、とても貴重。

もちろん「日月星信仰」を思わせる記録
が、この戦後まで残っていたことも。
'66年、'78年のイザイホーでは、神歌に
日神や月神は登場したが、
地の神(星神)は消えていた。
また王府時代には、国王自身が星に例えられた。


久高島の海で太陽を見る。いまは那覇空港行きの飛行機も視界に。
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日月星信仰は斎場御嶽の奥宮である
ナーワンダーグスクに見られるが、
とりわけ古代に星信仰を奉じた一族について、
『消された星信仰』(近藤雅和氏著、'95年、渓流社)
は、こう著す。

〜星信仰は物部系の信仰だった〜
〜それは大和朝廷成立以前の古代部族、すなわち
ホアカリを祖とする物部系が持っていた信仰であった〜

この南城市の和名集落に在ったと、私が考える
和邇氏も、物部氏と縁深い渡来氏族である。


いっぽう、イザイホーが秘めていた龍蛇神は、
物部氏はじめ世界の古代部族が
祖神として信仰した。たとえば、
タイの7つの首の蛇神・ナーガ、
台湾高砂族の百歩蛇、
そして中国の人面蛇身の伏羲と女媧…。

沖縄では、蒲葵(クバ)が龍蛇神に見立てられ、
猿田彦を祖神とする和邇氏も、龍蛇神を崇めていた。

つまり、イザイホーとは
物部氏と和邇氏が興した祭りなのである。


こちら、斎場御嶽の真下、
海沿いにある拝所・マルチャ龍宮。
久高島のフシマ(火島、龍宮)に向いている。
「マルチャ」とは、沖縄方言で「マナ板」のことだが、
語り部は「丸子の」という意味もあると言う。
「丸子」はワニと読める、和邇の別称である。
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消えた星神とは猿田彦のことだと、語り部は言う。
外間殿など元家の神屋にある賽銭箱には、
おしなべて「百甕」と明記されているが、
それは天津甕星(あまつみかぼし)を指していると。
またの名は、香香背男(かかせお)。
『日本書紀』で「天に悪神あり」
と名指しされた、まつろわぬ神…。
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この神名の由来を、件の近藤氏が紐解いている。
「甕」とは星を信仰する
先住系の民にとっての「愛すべき星」。また、
「香香」とは「部族の統領」という誉め言葉だと。

地主神・猿田彦大神のイメージと一致する。
イザイホーの祭りから姿は消えても、
島人は「偉大なる星神」を守り抜いてきたのだろう。

by utoutou | 2015-01-12 21:55 | イザイホー | Trackback | Comments(0)

イザイホー 5⃣ 龍蛇神よ、永遠なれ

イザイホーとは、
「火のバプテスマ」であり「火継ぎの祭り」。
神が定めた守護霊を継ぐために、
神女たちはクバで葺いた仮屋に三晩にわたって籠り、
神女として、島々国々を守るオナリ神として再生した。


籠り明けの朝、
神女たちは久高島北端のこのカベール岬に
白馬に乗った神が現われるのを幻視したものだという。
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イザイホーの古儀は
日嗣の御子(皇太子、東宮)の践祚祭と同じ。
天津日嗣(あまつひつぎ、皇統)の万世一系は、
古来よりの「日嗣ぎ」によって存続した。

ではなぜ、久高島のイザイホーは、
36年前という現代までも続いたのか。
琉球王朝が終焉を迎えても、戦争で途絶えても、
基本的に12年ごとの秘祭は間断なく続けられた。
琉球の王統は万世一系ではないにもかかわらず…。

その矛盾を埋め合わせるのに、古代における
久高島と天津日嗣との関わりを思わずにいられない。

不思議なことに、久高島の南にあるフシマ(火島)
と向かい合わせの位置にあるのが、スベーラの御嶽。
島の神人は「スメラミコトの御嶽」とも呼ぶ。
その横に「「ミナーラ(身になる)川」が流れる。
スベーラの御嶽はまた、島の最高神女であった
久高と外間、両ノロの所属する御嶽でもある。
両ノロの拝礼する向きに、
古来より「竜宮」とも呼ばれるフシマがあるのだ。


写真右側が久高島の南端(再掲)。
丘の上に白く映るのが灯台、その下がスベーラの御嶽。
その岩下にイラブー海蛇が採れるイラブーガマがある。
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フシマ。久高側の岩下にもイラブーガマがある。
こちらは、外間神人だけに採取権がある。
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「フシマって、いったいどんな御嶽ですか?」
語り部に聞くと、意外な答えが返ってきた。

「不死鳥の島ということですよ。イザイホーのとき、
 神女たちの大扇(ンチャティオージ)に描かれている」
「でも、あれは太陽に鳳凰の絵柄では?」
「鳳凰ではなく、本来は火の鳥、フェニックス。
鳳凰をビンヌトゥイと言いますが、
ビンとは“紅”。だから、火の鳥なんです」
「火の鳥。フシマは龍宮じゃないんですか?」
「永遠に甦る龍蛇神の火(霊)の島という意味でしょうね」



グキマーイ(樽廻り)の円舞。
神女たちは大扇の「火の鳥」が描かれた面を胸に掲げる。
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龍宮と火の鳥…。ああ、それで…。
イザイホーの3日目、神女の誕生を祝いノロが歌う
「朱リィキィ遊び」の神歌が、ようやく理解できる。

後半に、こんな歌詞がある。
〜ニルヤを拝み/ハナヤを拝み/
天を拝み/お寺を拝み/神女たちよ/
真南を拝み/スビヤラキ(スベーラの御嶽)を拝み/
奉ります/明日はなおいっそう奉ります〜

これまで「真南」と「スベヤラキ」の重複に
なんとなく違和感があったが、
「真南」を「フシマ」と解すれば合点がいく。

「龍蛇神よ、永遠なれ」
の言霊を、イザイホーの祭りは秘めていた。

by utoutou | 2015-01-10 19:54 | イザイホー | Trackback | Comments(5)

イザイホー 4⃣ 記録映画が大入りで…

『イザイホー』の記録映画が、渋谷アップリンクで
上映中ということで駆けつけたが、なんと満席で入場できず。
「立ち見もいっぱい」ということで、あえなく撃沈。

いっぽう、嬉しい情報もありで、
12月27日〜1月9日までの期間中は連日満席だった
そうで、急きょ24日から追加上映するという。

さらに、沖縄での上映(2月28日~3月22日)も決定。
昨日7日、那覇市の桜坂劇場で記者会見があったそうだ。
野村岳夫監督には、6年前に那覇市の事務所をお訪ねして
話をお聞きしたが、このように劇的に脚光を浴びる日が来るとは。


写真は映画『イザイホー』を制作した海燕社HPから拝借。
こちらが「シジ付け」の様子。1966年の記録なので、すべて白黒。
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イザイホーの祭場・久高殿(昨年10月末の撮影)。
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この野村監督による『イザイホー』のビデオは持っているので、
改めて家で観てみようと探したが、どこに仕舞ったのか。
ウロウロ探しているうちに、本棚にある違う本に目が釘付けになった。

『天孫人種六千年の研究』(三嶋敦雄氏著)。
シュメール渡来説を唱えた三島宮司による戦前の大著だが、  
パラパラっと明けたページに、昨日書いた「日嗣ぎの御子」が載っている。

しかも、このところ書き続けていた「猿田彦とアザカ」について。
一読したときには流してしまったかもしれない部分。
これが鋭い筆致で示されていたのには驚いた。

著者の三島氏は「猿田彦は海神」と記したうえで、
猿田彦が死んだ伊勢の阿邪加(あざか)は、
バビロニアの地を意味すると述べているのだった。
以下、引用(ざっと意訳させていただいた)。

〜猿田彦神が伊勢の阿邪加で隠れたということは、
大己貴神が国譲りをした神話と一緒で、海に対する権力
を猿田彦が天日嗣御子に譲ったということを意味する。
伊勢の阿邪加は、パピロニアの日神の宮エアザクのことで、
アザカという所で身を隠したということは、国譲りの意味
があるのであって、海に於ける権力を天日嗣の御子へ
譲ったものと解釈できる。〜 

海神である猿田彦神が、太陽神である
天日嗣の御子(皇太子)に国譲りをした…。

日嗣ぎとは火継ぎ、そして霊(ひ)継ぎ。
語り部の言うイザイホーという儀式の本質が、
三島氏によって、しかも、
「猿田彦の死」にまつわる話として記されていたとは。

『イザイホー』の映画が観られなかったが幸いして、
改めて、猿田彦とイザイホーの関係に没頭しそうな気配で、
この偶然に感謝するばかり(笑)。


久高島の南にある「フシマ」。表記は「小島」説と「火島」説がある。
私はもちろん「火島」だと思う。久高島は霊(ひ)の島である。
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by utoutou | 2015-01-08 19:19 | イザイホー | Trackback | Comments(0)

イザイホー 3⃣ 火のバプテスマ

イザイホーは、王府時代にあつては国の繁栄を願う祭り
だったが、古代祭としての本質は「火の神」の霊力を、
新たに誕生する神女たちに継承することにあった。

「火の神」の火とは太陽霊のこと。
古来、絶やさず受け継いできた火、つまり
「祖先神の霊力」を新たにする(ティリナイ)儀式。

イザイホー初日の早朝、新しいナンチュたちは、香炉を
持って亡き祖母の家に行き、その香炉の灰を3回にわたり
移し替える「ウプティシジ(祖先霊)香炉の継承式」をする。
そのうえで、神女の就任式としてのイザイホーに臨むのだ。


さて、香炉で思い出すのは、
沖縄のどの家庭にもある「火の神(ヒヌカン)」。
語り部によれば、いまでは「カマドの神」「台所の神」
と認識されているが、本来は「自然神」の依り代。
戦前までは「ウミチムン(御三物」とも呼ばれ、
聖域から拾った三つの石を祀る時代があったという。

その「自然の神霊」とは、太陽、月、地球…。
古くは、地球というより星だったのではないだろうか。


写真は久高島のウパーマ浜で昨年10月に撮った。
「ナーワンダーグスクの三香炉」や「伊勢神宮の三宮説」
について考えていた頃だったので、なんとなく「三ツ星」の
オリオンビールを買い浜に。温くなって飲めなかったが…。
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いまでは疑いなく、
伊勢神宮を三宮で建てた日月星信仰の担い手は、
古代の物部氏で、久高島のイザイホーもまた
物部の祭りだったと考えているが、その件は改めて…。


さて、イザイホーにおける「香炉の継承」について、
ミントングスクの言い伝えが、よいヒントになる。
「イザイホーとは、探し求める火という意味」だと、
先代当主の故・知念幸徳氏は語っていたという。


「火」を「霊」と置き換えると、理解しやすい。
イザイホーでは、ナンチュはノロから神名を授かる。
それは本人以外には極秘だが、祖母が祀った御嶽の神名。
祖母から継承した香炉は、そのまま始祖霊の神籬となる。



久高島の中心的な祭祀場である外間殿。
イザイホーが始まる直前、この外間殿の大香炉に
ノロが神霊を降ろす魂替えの儀式をする。
同様の儀式は、もうひとつの祭祀場・久高殿でも。
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ゆえにイザイホーは「火継ぎの儀式」。
古来、皇太子は「日嗣ぎの御子」と呼ばれた。
つまり、皇室の祭りと同じ由来だ。

語り部は、これは「火のバプテスマ」だと言う。
火(精霊)による洗礼。
出雲大社に現存する火種をつくる神事のような…。

出雲国造の世継ぎの式は「火維式(ひつぎしき)」
または「神火神水の式」と呼ばれる。
火鑚臼(ひきりうす)と火鑚杵(きね)で起こした火と、
天の真名井から汲んだ聖水で神餞を造り、これを
新国造が食べるという御神事。昨秋、高円宮典子様が
嫁がれた千家国造家は、古来この御神事を伝えている。


出雲大社摂社・出雲井神社。祭神は岐神(クナトのかみ)。
出雲大社や各地の神社に残る拝火を思わせる習俗は、
クナト神を崇める富族や
物部氏が発したと言われるシュメールにも見られるという。
久高島が「火の島」と呼ばれた由縁も、拝火の習俗にある。
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by utoutou | 2015-01-06 23:59 | イザイホー | Trackback | Comments(0)

イザイホー 2⃣ 十字の霊力

「アジマー(十字)の意味が分かりましたよ」
語り部から連絡があった。
語り部が教えてくれる話には2種類ある。
ひとつは、玉城百名の神女おばたちに聞いた伝承。
もうひとつは、現在進行形で紐解く
沖縄の歴史や風俗の謎。
昨日の話は、2種混合といったところ。

アザカ(長実ボチョウジ)の葉がなぜ、久高島の祭具に。
その訳は葉が十字に生えることだったが、ではなぜ十字
に魔除けの霊力が宿るのかが、いまひとつ分からなかった。

「アザカの葉は、カジマヤーと同じです」
カジマヤー(風車祭)。
沖縄で9月7日に行われるお祭り。
97歳になった人が着飾り、風車を持ち、
車で集落の「十字路」を練り歩き、長寿を祝う。

都会ではオープンカー、島々では軽トラに主役を載せ、
カジマヤー・パレードをするのが一般的。
写真は宮古郡多良間島ウェブサイトより拝借。
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かつて語り部は、言っていた。
「風車は無限大(∞)の形の羽根が十字になっている。
そして、風(神の息)を受けて初めて回る。
カジマヤーは、生命の鍵を握る神への感謝の祭り」だと。

いま、アジマーの由来は「葉の意味」にあると語り部は言う。
「火・水・土・風(空気)、この4つの元素で万物は創生します。
4枚の葉は、それを表している」
「はぁ、カジマヤーには、元々の意味があったと」
「久高島の麦の初穂儀礼でノロがお供えのマブッチ
(麦の粥)に向ってアザカの葉束を大きく振りますが、
あれは風を起こしているのだと思います」
「なるほど。葉で風を呼び、元素のエネルギーを高める。
だから、豊穣をもたらす祈願になるんですね」
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(写真は上下とも『神々の古層』(比嘉康雄氏著)より拝借)


「ではイザイホーで、ナンチュにアザカの葉を飾るのは?」
「霊力を高めるためと、
神女として、一族の仲間入りをしたという認証でしょう」
「だからアザカの葉を用意するのは、親戚の先輩神女…」


イザイホー4日目最終の演目・グキマーイ(桶廻り)。
中央のハブイ(草冠)を被っている女性たちが新人。
3日目に久高根人から顔に朱印を、外間ノロから
スジ(餅印)を受ける神女就任の儀式を終えた。
この円舞のときは、髪にアザカの葉を1枚飾った。
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「で、この一族とは、どんな民族なんです?」
「火の神の民族でしょうね」

関連して、別の謎も解ける気配がする。
昨秋、伊勢神宮へ何度か参り心に残ったのが、
忌火屋殿(いみびやでん)についてだった。

「忌み火」とは清浄な火。特別な祭具で火を起こし、
この火を使って神饌を調理するところが、忌火屋殿。
日本人とは、火を霊として崇める民なのだと実感。


昨年11月、遷宮を控えて準備が整った伊雑宮の忌火屋殿。
忌火など大和朝廷の祭祀は、忌部氏が担ったという。
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by utoutou | 2015-01-05 06:37 | イザイホー | Trackback | Comments(0)

イザイホー 1⃣ 久高島の聖なる種

久高島のイザイホーが中止にならなければ、
催行されたはずの「その日」が迫っている。
来たる1月5〜8日(旧暦11月15〜18日)。
しかし、ノロの不在、神女の後継者不足は、
時代の趨勢。致し方のないことで…。

それにしても、最後のイザイホーから36年、
アザカ(長実ボチョウジ)と、イザイホーの
関係が語られてこなかったのはなぜだろう。

アザカ(久高島では、アラカ、アダカ)は祭具として、
イザイホーで、また麦粟の初穂の祭りにも用いられた。以下
『神々の原郷久高島』(比嘉康雄氏、'93年、第一書房刊)より引用。


〜アラカ(あかね科ナガミボチョウジ)は、
イシキ浜に漂着した五穀伝来のときに
混じっていた植物だとされる。本島ではアザカという。
マッティ(麦粟の初穂儀礼)のとき、外間ノロ、久高ノロは
フボーフボー御嶽から採ったアラカの葉の束五枚と七枚
の一対を持ち、御酒とマブッチ(麦粟でつくったお粥)
の供え物の上を三回払う仕草をする。
またイザイホー4日目のナンチュは、髪を結い上げ
シルサージ(白てぬぐい)を締め、さらにハブイ(草冠)を
被り、両耳の辺りにアラカの葉一枚ずつをつける。
このときのアラカの葉も
マッティと同様にお祓い用と考えられる。なお、
ナンチュの着けるアラカの葉はそれぞれの近親のユダリ神
(先輩ナンチュ)がフボー御嶽から採ってきたもの 〜


久高島の聖地・フボー御嶽。
立ち入り禁止のため、この位置(拝所)から祈願する。
昨年10月末に撮影した写真を見ると、なるほど、
目視できる距離のところ(右下)にアザカの木が。
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アザカについて記された伝説は、
『琉球国由来記』と『琉球国旧記』。
いずれも王府時代に編纂された。他に五穀伝来
の伝説は『遺老説伝』『久高島由来記』にもあるが、
種子伝来を含むのは、元家のひとつ大里家に伝わる二書。

『琉球国由来記』では「檳榔(クバ)、アザカ、シキョ(ススキ)」、
『琉球国旧記』では「檳榔、阿佐嘉、志磯之種」の三種が記される。
曰く、大里家の始祖・アカツミーとシマリバーに神託があった。
「五穀の種で豊穣を成し、三種の種で御嶽を造れ」と…。


右側がフボー御嶽。奥に円形の祭祀空間があるらしい。
古代のイザイホーはフボー御嶽で行われたという説もある。
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五穀と三種子の伝来伝説が残る大里(ウプラトゥ)家。
尚徳王とクンチャサ・ノロの悲恋物語の舞台でもある。
第一尚氏の時代にも、イザイホーという祭の原型はあった。
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ではなぜ、三種の種子が、クバ、アザカ、ススキなのか。
神木というからには、神の依り代である。私はこう思う。

男根や蛇に見立てられるクバは、太陽神の依り代として、
いまでもお月見に供えるススキは、月神の依り代として、
この種を撒き、御嶽を成すのだと、神は告げた。
では、アザカは、何神の依り代となったのか?

アザカは十字の持つ霊力が神木たる由来だった。
十字、十字路とは、つまり交通の要所という意味。
八衢の神とは、むろん猿田彦大神のこと。
すると、アザカは地主神の依り代だったのではないか…。


大里家の始祖アカツミーとシマリバーの香炉が祀られる神壇。
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by utoutou | 2015-01-03 15:41 | イザイホー | Trackback | Comments(0)

久高島の秘祭・イザイホーの古儀

那覇がX'masイルミネーションに包まれていた
23日、久高島“みるく”の御嶽を訪れた。

「神の島」の始祖ファガナシーとシラタルの居住地と伝わる
アグルラキにある知られざる洞窟神殿。
入口は体重50㎏の私がホフク前進でようやく通れる穴。
暗闇に体を滑り込ませると、むせ返るような古代の匂いがした。
蒸し暑くて息苦しい。内部はそれでも体育座りができる高さがあり、
懐中電灯で照らすと広さは十畳ほどあるかと思われた。

ただ静寂。正面に神の依り代であろう巨石が鎮座し、
シャコ貝が香炉としてか、そっと置かれている。
神役や神女により極秘に守り抜かれてきたか、厳かな印象。
ファガナシーが崇めた神の名前は、
太陽神・東大主(あがりうふぬし=男神・天照大神)か。

合掌する余裕が出て来るころには息がラクになり
「なんなら1泊を」とも思ったが、さすがに、
聖なる神殿でカメラのシャッターを押すことだけはためらわれた。

20分ほど滞在して洞窟から這い出てくると、
竜宮城から戻った浦島太郎の気分に。ふと空を見上げると、
聖樹・蒲葵が1本(中央)まっすぐに立っている。聖地の証しだ。
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語り部から聞いた玉城の神女ウメおばあの話が思い出された。
「薮薩(やぶさつ)が沖縄でいちばん古い御嶽だよ。
ここを拝まなければ、ミロクの世は開かない」(記事はこちら
「ミロク(弥勒)の世」とは、古代に栄えた「豊穣の世」。
それを招来するべく、祈りは捧げられた。
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みるくの御嶽を出た足で、久高島の主祭場・外間殿に寄った。

久高島の失われた秘祭イザイホーは、日没とともに始まる祭りだったが、
その直前、近くの外間家でノロが詠ったとされる
「イザイホーの神歌(てぃるる)」を想う。

うりてぃうり しなーち(降りて降り、乗り移ります)
てぃりないぬ  ぬるがしじ(生まれ変わる、ノロの霊力)
てぃりないぬ あまみうしじ(生まれ変わる、太古からのノロの霊力)

「てぃりないぬ」とは久高島の方言で「再生の」という意味。
本島では「すでなりの」と言う。古語の「すでなり」とは、
「蛇が脱皮するように生まれ変わる」こと。つまりイザイホーとは、
蛇が脱皮するように生まれ変わってきた、太古からの神聖なる霊力を、
島の女が授かり受け継ぐ祭りだった。
そして、女たちは神祀りを司る神女として生まれ変わったのだ。

新儀では琉球王を崇める祭りだが、
古儀にファガナシーの興した古代の祭祀が隠されていたと思う。

外間殿の百甕(むむはめー=ももはめー)。いわゆる御賽銭箱。呼び方の由来について、
「“百”という字のついたヒメと、“甕”(みか)という字のついたヒコ」と、語り部は言う。
“甕”の字を冠した首長がいた時代が、古代琉球に栄えた「みるく世=弥勒世」だと。
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by utoutou | 2013-12-29 14:29 | イザイホー | Trackback | Comments(0)

イザイホーと天皇の祭り

「蛇」と蛇の神事がつなぐ沖縄と出雲。

イザイホーに秘められた古儀をたどると、
縄文に生きた人々の動径が見えてくるようだ。
出雲の神在祭(かみありさい)は、神官たちが浜でウミヘビを出迎え、
神前奉納してから始まる。イザイホーの「イラブー小屋」も、
御殿庭(うどぅんみゃー)に神殿として在った。

出雲の竜蛇信仰は、海人の信仰を抜きにしては考えられないと、
谷川健一氏は記した。

倭の水人たちは、毎日水に住んでは(潜っては)
アワビやサザエを採り、魚を突いた。
そのとき出会うセグロウミヘビを竜蛇神としてあがめ、祀った。
その名残りが今日、出雲大社や佐太神社をはじめとする
出雲に見られる竜蛇信仰ではなかったかと思われる。
ただしセグロウミヘビは熱帯の海域にしか産しないから、
それを竜蛇神として祀ったというのは、倭の水人の原郷が南方に
あったことの記憶が残存していたことを示唆している。
(谷川健一著『古代海人の世界』1995年、小学館)

安曇(あずみ)とは、後に朝廷の水軍となる海部(あまべ)
を統率した古代豪族。多くの学者がまさしくその「海部、安曇が
アマミキヨである」と言っていたことを思い出す。
アマミキヨが沖縄に定住して開拓したのであると。


久高島のイラブーガマと徳仁港。古来よりその右方向に
フシマ(小島=湖礁)があり、龍神が棲んでいたと伝わる。
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では「アマミキヨは出雲の神である」のかというと、
伝承はそう一直線にはつながらない。「蒲葵」(クバ)。
クバつながりで言えば「アマミキヨは大和(族)である」のだ。

蒲葵。沖縄以外の地方では蒲葵(ビロウ)とも呼ばれる。
蛇に似た幹肌と、高木であること、常緑樹であることから
生命の根源である男根の擬きとして、古代から神であり聖木とされた。
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その蒲葵でイザイホーの祭屋はことごとく葺かれたが、
古来、天皇の即位礼「践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)」で
「御禊(みそぎ)」が行われる百子帳(ひゃくしちょう、仮屋)も、
蒲葵の葉(あるいは檳榔)で覆われた。
(吉野裕子氏著『蛇 日本の蛇信仰』(1999年、講談社)。

これが、百子帳(吉野裕子著『扇』1970年、学生社』より)。
『大嘗会御禊記』(1301年)に残る記録からの想像図。
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天皇の祭りで、東方は常に尊重された。
陰陽五行にのっとり、その南北軸を尊重した
のが、イザイホーに見る新儀の部分だと吉野氏は述べた。


イザイホウは十二年回りの午年の子月に行われる。
そこでこの祭りは子月卯日(ねつきうのひ)に始まり、
午日(うのまのひ)に終わる日本の大嘗祭と同じく、
子午線(しごせん)上の祭りとして捉えられる。
子月は冬至を含む旧十一月、その象意は北、水、女である。
それに対して午月(うのまつき)は夏至を含む旧五月、
その象意は南、火、男とする。(中略)
蛇と太陽信仰は密な関係を持つが、イザイホウの中には、
太陽の運行にもとづく東西軸と、陰陽五行による子午線、
つまり南北軸が交差している。
東西軸は古い祭式、南北軸は改革後の新しい祭りの形式を示す
ものであって、一つの祭りの中における二つの軸の交差は
前述のように大嘗祭におけるそれとまったく等質なのである。
(『蒲葵と蛇と北斗七星と』沖縄タイムス、1979年)

イザイホーと践祚大嘗祭は、ともに十二支における陰陽を踏まえ、
旧歴11月、子月の中卯日に始まり、午の日に終わる四日間の秘祭。

現在でも、島でイザイホーを口にすることはタブーだ。
私がそれとなく聞くと、あるおばあは眉をひそめて言った。
「止めておきなさいね、そんなこと聞くと倒されるよ」
「倒されるの!?」
おばあは首を横に振るだけだったが、
口にしてはいけない、罰が当たるよ、という意味だったか。

そんな時期、私が「語り部」と呼ぶ現代の神人・宮里聡さんに出会った。
by utoutou | 2013-09-07 10:36 | イザイホー | Trackback | Comments(0)

久高島で蛇神を祀る〈2〉

古代の祭り・イザイホーには「新儀と古儀の要素が交錯している」
という新解釈を示したのは吉野裕子氏。
古儀とは「古代、蛇は神だった」という蛇信仰、新儀とは陰陽五行思想。
では、イザイホーの何をもって新儀・古儀とするのか。それは
『蒲葵と蛇と北斗七星と』(沖縄タイムスに寄稿、1979年)に詳しい。
以下にまとめてみる。

吉野氏が見た古儀=蛇(巳)神の祭り。

・第1日目「夕神遊び」で、神女たちは1列縦隊で祭場の辰巳口
(東南)から走って神アシャギに入るのも、
七つ橋を7度も前進後退するのも、蛇の脱皮の擬き(もどき)。

・第2日目「頭垂れ遊び」で、 神女たちが三重の輪をなして
円舞をするのはトグロを巻く蛇の擬き。

・第3日目 「花さし遊び」 で、神女たちが髪にイザイ花を差し、
顔に「神女承認」の朱印を受けるとき、置いた酒(樽)は蛇の好物。

・第4日目 「アリクヤーの綱引き」で、神女たちが東方拝礼した後、
神アシャギの前で綱を東西に伸ばし、
皆で綱を上下に激しくうねらせるのは神蛇の動きの擬き。

終了後、神女たちが並び、綱に敬虔な拝礼をするのも「神送り」。
縄は斎場の東の林中に放置されるが、これは本土の荒神祭りの後、
蛇縄が裏山の神木に解かれ、1年間放置されるのと同じ。

神様の使い・イラブー海蛇(乾燥)
(NPO法人・久高島振興会 http://www.kudakajima.jp から借用)。
食堂「とくじん」では、イラブー汁御膳(2000円)が観光客に人気。
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久高島では、イザイホーの後に蛇神様の「神送り」をする。
吉野氏の説に立ってみると、ある神事との一致に気づかされる。
出雲である。出雲大社では、イザイホーと同じ日(子月卯日)に始まる
神在祭(かみありさい)で、蛇神様の「神迎え」をするのである。
『出雲大社』(千家尊統著、1968年、学生社)は、次のように記す。


この神在祭の祭事の期間中は、毎年風はげしく波も高い日が多いが、
このときに海蛇が波に乗って稲佐の浜辺に浮び寄りくることが多い。
世間ではこれを「竜蛇さま」と呼び、八百万の神たちが大社に参集
されるについて、竜蛇さまが大国主すなわちダイコクさまの使者として
大社まで来ているのだといって、その日、神人はあらかじめの潔斎をして
海辺に出て、その泳いでくる竜蛇さまを玉藻のうえに承ける。
こうして迎えた竜蛇さまを曲げ物に載せて注連縄をはり、
大社の神殿に納めるのが例となっている。(中略)
神社ではこれをお祀りし、豊作、豊漁あるいは火難よけ、家門繁栄
のしるしとして、信徒の人々はその御神縁をうけて帰る。

イラブーウナギを獲る魚夫(『南島雑話』より)。
久高島の海人(うみんちゅ)は奄美大島までイラブーウナギ漁に出た。
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古代の人々にとって、ウミヘビ=竜蛇神=太陽神。
イラブー小屋に祀られていたシラタルの存在は、そのことを物語る。

久高島のフボー御嶽(立ち入り禁止ゆえ入口の香炉で合掌)。
木肌が蛇に見立てられるフバ(蒲葵)は聖木、天皇の祭りでも重用される。
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by utoutou | 2013-09-03 21:41 | イザイホー | Trackback | Comments(0)