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旧正月の久高島〈7〉アラハバキは祟り神

スベーラの御嶽を出て、荷物を取りに宿に戻りつつアカララキに寄った。
初興し、大漁の予祝。海人たちが集って正月を祝う声が浜から聞こえる。
漁港の右の森がアカララキ。高台にあるので階段を6、7段上がって参る。
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アカララキ小祠の奥の神体石。隠されたアラハバキだと、語り部は言う。
よく見るとその石は楕円ではなく、勾玉のように1ヶ所が窪んでいた。
装身具の何十倍も大きいが、龍の落し子?「竜蛇族よ永遠なれ」の意味か。

秘祭イザイホーでナンチュが三晩籠るナナツヤー(七ツ屋)の横に、
このアカララキは移動した。クバを葺いた小さな小屋となって。
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イザイホーのとき、久高殿にあるバイカンヤー(下の写真、イラブーの薫製小屋)
の右奥のフサティ森に、女たちが籠ったナナツヤーとアカララキが置かれた。
普段、その聖なる森には、誰も立ち入ることはできない。
旧正月中、バイカンヤーの扉は閉ざされ、イラブーの乾燥室もカラだ。

イザイホーでのアカララキは、生命を司る大元神。再生転生の女神。
ナンチュたちが祖先の霊力を受け神女になる儀式を見守ったと思われる。
そのとき、アカララキの裏神であるアラハバキも一緒に移動していたのか。
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本島に向う船から久高島を遠望する。標高17mという平べったい島に、
古代日本の秘密が隠れている。スメラミコト、ニギハヤヒ、アラハバキ。
古代日本の神々は、古代琉球の神々でもある。つまり渡来したアマミキヨ。
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旧正月旅の最後は、本島側の玉城でまた1泊した。
友人とタイ料理の夕食を楽しんでいると、語り部から電話がきた。
「分かりましたよ、アラハバキのことが」
「アラハバキのこと!?」
「アラハバキはイチジャマだったんです」
「イチジャマ?」
「ちょっと調べてみてください」

翌日帰宅してすぐ『神々の原郷 久高島』(比嘉康雄氏著)を開く。
最後のイザイホーを取材して書いた比嘉さんの本は、生きた参考書。
上巻の「第3部 神遊び 第1章イザイホー」に、次の解説があった。


アカララキはウプティシジ(※大霊力)の居所の御嶽の一つであり、
昔の港であったユラウマヌ浜入口にあった。そこのウプティシジは
気性が荒く、たとえば仁王様のようなもので、島の入口の門番的神
であるという。ところがこのアカララキのウプティシジを引き継いだ
神女は「イチジャマ」(生者のマブイ(魂)が死霊のように人に祟る意)
をするといって恐れられ、アカララキのウプティシジを引き継ぐ者が
出なくなった。それでこのアカララキだけはナンチュが入らないので
小さくしてあるが、アカララキのウプティシジが門番として入っている
と考えられているのである。

「イチジャマというのが、呪詛の意味なんですね」
 と、さっそく語り部に電話した。
「怨霊が祟らないよう鎮めながら、祖神の霊力を受け継いできたと?」
「そうです」

アカララキの裏の顔アラハバキは、人に憑いて苦しめる呪詛の神。
真っ赤に染まる夜明けの御嶽。その本質は祟り神だったのか。

葬られた御先天孫氏王朝が祀ったアラハバキが、今世まで祟るとは。
イザイホーが、琉球王朝が終焉した後も続いた意味が分かってくる。
アラハバキ、又の名を瀬織津姫。縄文の女神の魂は永遠に生きている。
by utoutou | 2014-02-24 14:39 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

旧正月の久高島〈6〉スベーラの御嶽とはスメラミコトの御嶽

白にご縁のあった旧正月。元旦に行った伊敷浜も白にまつわる聖地。
太陽の昇る東方に位置するこの浜の白砂は、琉球王朝の最高神女・聞得大君
の就任式・お新下りの際には斎場御嶽に運ばれ、祭祀場に敷かれたという。
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時代は約200年さかのぼって、英祖王統時代の13世紀。久高島の
始祖シラタルが五穀の入った白い壷を拾ったのもこの伊敷浜だった。
晴天に恵まれた旧正月、琉球の五穀発祥の地・伊敷浜の白砂は眩しかった。

そして、久高島を発つ前に行ったスベーラの御嶽(スベーラキ)。
思えば、この御嶽こそは島でもっとも白に関係する御嶽だった。

スベーラの御嶽とはスメラミコトの御嶽だと、語り部は言う。
白+王=皇(すめら)。
白は太陽または『日本書紀』に登場する天磐船の象形。つまり
皇とは、天御子(アマミコ)、天帝子(てんていし)の意味。
また、皇(すめら)は古語では「スベラ」とも言う。

ヤマト民族、そして皇室の祖先の渡来経路に沖縄の島々があり、
上古代、この久高島に、後に神武に王権を譲ることになる
ヤマトの初代統治者ニギハヤヒがいた。
『日本書紀』では饒速日命、
『古事記』 では邇藝速日命、沖縄では御先天孫氏(うさちてんそんし)と呼ぶ。
語り部に琉球古代の神々を説いた神女おばあたちは、そう観念していた。
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スベーラの御嶽の下にイラブーガマがあるが、洞穴はひとつではない。
古来よりイラブー海蛇の漁場は、この一帯に12ヶ所あったと言われる。
上の写真に映るスベーラの御嶽の下の、ほぼすべての岩と岩の間。
スベーラの御嶽内から海を覗く(下の写真)。砂場と水面が見えた。
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少なくとも、500年前から始まったという「イラブー漁」。
採取権は、外間ノロ家、久高ノロ家、外間神人家に限られる。
琉球王府時代にノロ制度が確立する以前は、久高ノロ家にあったという。
神の使者であるイラブー海蛇を、一般の島人が獲ることは許されない。

かつて旧9月に行われたハンザナシー祭りのなか、久高ノロが司祭する
イラブー漁の感謝祭が久高殿の前庭(うどぅんみゃー)で行われていた。
感謝祭の名は百甕(むむはめー)。おもだった神屋にはこうして賽銭箱
が置かれているが、どれもこのシラタル宮のように百甕と記されている。

甕とは『先代旧事本紀』に見える
物部氏の祖神・天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命、または
『日本書記』に見える天津甕星(=みかぼし)の意味だと、語り部は言う。
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by utoutou | 2014-02-21 12:44 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

旧正月の久高島〈5〉至高のパワースポット・スベーラの御嶽

久高島の「龍宮」ことフシマで、謎の物体(左)を発見。
後で聞くと、白装束を着た一団が来て勝手に建てていったらしい。
眩しいほど白い石碑。こう言ってはなんだけど、とてもよい位置。

久高島灯台の下のスベーラの御嶽を真っ直ぐに拝める。
「御地巳之方女神 御地辰之方男神」と刻字。意味は勿論、知らないが。
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今回もスベーラの御嶽に参ろうか。というわけで乗る船を1便遅らせた。
入口。古い御嶽の「門」は、こうして大枝を横に残したデザインが多い。
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スベーラの御嶽、別名スベーラキ。神の島の至聖の御嶽である。
秘祭イザイホーの神歌でも「真南のスベーラキ」と繰り返し謡われる。

一般に至聖の御嶽はフボー御嶽だと言われるが、あちらは祭祀場として。
こちらは久高ノロ、外間ノロ、根神(元家の女性神役)のウプティシジ
(祖霊、守護神)が滞留する、いわば神の島・至高のパワースポット。

島の最高神女・外間ノロと久高ノロの一代目は始祖シラタルとファガナシーの娘。
(始祖伝説はこちらに)
ゆえに、始祖夫婦のお墓もここに…というのが、秘かなる伝承。
かつてはこの威部(イビ)に、夫婦の故郷・百名への遥拝所もあった。
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御嶽内で白猫に遭遇。石碑といい猫といい、やけに白にご縁のある正月。
そもそもここへ来たのも、アカララキに白龍を見たからだった…。
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by utoutou | 2014-02-17 07:26 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

旧正月の久高島〈4〉アラハバキは龍蛇神

午後3時すぎに、港の食堂で海ぶどう丼を食べ休憩したので、
もう一度、アカララキに着いたのは4時頃だったと思う。
集落のあちこちで、宴たけなわ。三線の音が聞こえてくる。
いい正月だなあ。

アカララキでその名の由来を思う。「アカ」は沖縄では太陽の色。 
語り部も「アカは暁」だと言っていた。だから夜明けの御嶽。
それに隠してアラハバキを祀ったのは、どんな理由からか? 

ボンヤリ座っていて気がつくと、 アカララキの御神体石の上に、
丸い光が、いや木漏れ日なのだが、微動だにせず、浮かんでいた。
続くこと数分。はたしてこれは、何かのメッセージなんだろうか。
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どうしても気になり、翌朝、神人のKさん宅へとチャリで走る。
私のスマホに映る上の写真を指で伸ばして見つめ、彼は言った。

「これはあなたに関係した神様、自分で捉えたほうがいい」
つまり、アマミキヨを知りたいなら自力で謎を解きなさいと…。
分かるならお願いしてないです…とは言えない威厳があった。
仕方なく、イチかバチかで言った。
ファガナシー、その母、そのまた母と続く霊脈が感じられたので。
「白龍、龍神ですか?」
「いいでしょう。で、もう1ヶ所、行くべき所があるようです」
まだあるの!? 午後の船で本島に戻るのだ。今度こそ降参した。
「どこへ行けばいいですか?」
「フシマ…」
そういうことだったのか。龍神の棲む「龍宮」と呼ばれた島へ来るようにと。

黒く映る岩がフシマ。小島と書く。いつも客船が発着する徳仁港の南。
テトラポットと防波堤に挟み込まれている。珊瑚石灰岩、歩きにくそう。
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防波堤からフシマ(左)に着いた。左の突起下の大穴(うふあな)では、
今も外間神人(ほかまにっちゅ)がイラブー(海蛇)漁をしているそうだ。
向かい合うかたちで見える久高島の、丘の上に白く小さく見えるのが灯台。
その下が島の真南(まふぇー)にあたるスベーラの御嶽。左下がイラブーガマ。
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「龍宮」に立ってようやく思い出した。いつか語り部が言っていたことを。
「出雲大社の龍蛇神の祠は、アカララキの祠とそっくりだったでしょ?」
そうか…。アカララキに隠れたアラハバキとは、龍蛇神のことだったのか。
写真は昨年の出雲大社・神在祭で拝した龍蛇神。小祠、実によく似ていた。
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by utoutou | 2014-02-12 23:05 | 久高島 | Trackback | Comments(6)

旧正月の久高島〈3〉アカララキの隠れ女神

正月元旦の盃事が行われている外間殿を覗いた後、
さてどこへ行こうか? と自転車を漕ぎ出したところで、
神人(カミンチュ)のKさんにバッタリ会った。
知る人ぞ知る現代の神人。その霊力を頼り各地から来客がある。

挨拶の後「きょうは?」と聞かれたので、とっさに言った。
「アカララキへ」。するとまた、思わぬ質問が口を突いて出た。
「アカララキとアラハバキは同じ神様ですか?」

新暦の正月、瀬織津姫神に参拝してからというもの、
いつも頭の隅にあったのは、確かにそのことだった。
封じられた縄文の女神・瀬織津姫=異名同神のアラハバキ
=アカララキ? 御先(上古代)天孫氏王朝の存在は、
沖縄にも縄文の女神が祀られていることを暗示している。

「んー」と首を傾げた後、Kさんはおもむろに言った。
「まったく同じではない。しかし、本質は同じ神です」

というわけで来たアカラムイ(森)、の横の道。ここに自転車を置く。
すぐ下は、王府時代に君之泊(ちみんとぅまい)と呼ばれた港。
巡礼時、聞得大君はアカララキ(嶽)にお参りして島に入ったという。
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正月元旦午前のアカララキ(アカララキの説明はこちらにも)。
正しくは「アカラの神」は普段と変わらない表情で在った。
アカララキは「門の番」(じょうのばん)。そして再生転生を司る女神。
秘祭イザイホーでは、久高殿の神アシャギの奥に「出張」して祀られた(こちら)。

外間殿からお祝いの謡いと三線と島人たちのざわめきが聞こえてくる。
お賽銭なし、お線香なし、祝詞なし、この上なくシンプルな正月参拝。
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ふとアカララキの裏側が気になり、回り込んで、驚いた。もうひとつの
御神体石が隠れていた。祠の真裏。祠との間に香炉に見立てた貝皿まで。
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アカララキにも奥宮があったとは知らなかった。
私たちは、神社本殿の奥宮には、隠れ神がいることを知っている。
私が昨年来訪れた古社にも奥宮があった。籠神社には真名井神社があり、
出雲大社に素鷲社(そがのやしろ)が、宇佐八幡宮には大元神社があった。
また伊勢神宮の内宮奥には、瀬織津姫が祀られる荒祭宮が控えている。
語り部に電話すると、
「アカララキはアラハバキを隠していたのでしょうね」と、言った。 

思いがけない発見にア然としつつ、島の御嶽・拝所を回る。
始祖・ファガナシーが禊ぎをした西海岸の川泉ヤグルガーへも。
ヤグルガー付近から本島(正面)と島の南部方向(左)を望む。
そして、もう一度アカララキへ行ってみようかなと、思った。
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by utoutou | 2014-02-11 19:06 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

旧正月の久高島〈2〉世果報と子孫繁栄を祝う

イイ ソーグヮチ デービル(明けましておめでとうございます)。
旧正月の船は混むと聞いたので、1時間前に安座真港に着いてみた。
やはりお祝いの人たちで高速船は満員、定刻前の8時40分に出航。
後で臨時便を出すので切符買った人は早く乗ってと、放送があった。

久高島・徳仁港。漁船に大漁旗と日の丸。集落でも国旗掲揚率は高い。
1便に乗っていたのは、観光客より島の関係者らしき方が多かった。
平日だが南城市の市長もお祝いに駆けつけるのが恒例。やはり神の島。
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祭祀場・外間殿で行われる正月の盃神事・酌(しゃく)とぅい。
地謡の方たちが庭横で生歌三線を。本当に晴れやかな音そして風景。
殿で最高齢の神役から祝盃を受けたら、庭で慶びのカチャーシー舞い。
盃事に参加する島人たちは正装。テント下に紋付袴のおじいたちが座る。
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殿で正月祝いを済ませると、島人の皆さんは家々を回ってまたお祝い。
世果報(ゆがふ=豊年、平和)を願い、カリー(よい縁起)をつける。
見物客でも運がよければご相伴にあずかれる。私は幸いN家に参入。
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すごい御馳走。
左から田芋の煮物、なんとぅ(月桃の葉で包んで蒸した甘いお餅)、
刺身、中身汁(豚のモツのお吸い物)、苦菜とチヌマン(刺身)の和え物。
あと海老フライなど揚げ物もあった。どれもこれも美味しい。
いただく前に、上座のおじいからお神酒と新年のお言葉を頂戴し、
黄金(くがに)マース(=健康祈願の塩と鰹節)を、手に取って舐めた。
ありがとうございました。
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正月2日目、午後3時の船で本島に戻る前、S家でいただいたおやつ。
「女の人はこれ食べて」と言われ、変わった形のてんぷら(右上)を。
本島で「カタヒランブー」、久高島では「ファーアンダギー」と呼ぶ。
裏カリカリ、表半分ぷっくり柔らか、そのココロはオメデタ、子孫繁栄。
子どもを産む年齢は過ぎちゃったけど、いただいていいかしらん。
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ファーアンギーのファーは、ファーガナシーのファー? ということで、
島に子孫繁栄をもたらした始祖・シラタルとファーガナシーにご挨拶。
久高殿にあるシラタル宮へ。正月の日中、外間殿に比べてこちらはひっそり。
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by utoutou | 2014-02-08 07:12 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

旧正月の久高島〈1〉「年の夜」のマルチャジシ

久高島へ渡る朝一番の船は、9時に安座真港を出る。
旧暦の正月にあたる1月31日(金)はそれに乗ろうと、本島の玉城に前泊。

つまりこの日は、年の夜(とぅしぬゆるー=大晦日)。
そう言えばと思い出し、マルチャジシを見に行くことにした。

「年の夜に御飯を食べにおいでね」と、以前から、
ナーカ根所(にーどぅくる)の和子おばさんに言われていた。
玉城大殿内(うふどぅんち)、ナーカ根屋とも呼ばれる司祭家。
語り部の宮里聡さんの話によく出る、神女の故ミエおばあの家だ。

玉城大殿内の神壇、年の夜の神様の御馳走。お盆中央がマルチャジシ。
マルチャジシとは、マルチャ(まな板)に載せたシシ(肉)のこと。
ミエおばあの時代は、まな板に載せて供えたというが、いまはお皿で。

玉城天孫氏はじめ中央に座す祖神は6柱。つまり香炉は6つあるが、
こうした行事の日は、「神々」の意味で2倍の12柱分を供えるという。
さらに左右に座す火の神などへお盆7枚14柱分。総計26の神様。壮観。
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神壇から下げたマルチャジシをいただいた。手で掴み塩をつけて食べる。
数時間煮て柔らかくなった豚肉に塩がよく合う。その出汁で煮た大根も美味。
元旦はさらに御馳走で、揚げ物に紅白カマボコと、より彩り豊かになるとか。

ナーカ根所のおばさんは、なぜ大晦日に煮肉を食べるかは知らないと言うが、
戦前の沖縄には、どの家でも、年の夜にこれを中腰で食べる習わしがあった。

そのことは、沖縄の風習研究家の与儀喜美江さんと出会い、私たちが書いた
『おきなわルーツ紀行 聖書でひも解く沖縄の風習』('10年、球陽出版)に詳しい。
「「年の夜」は「出エジプト前夜」」の項から、以下引用してみる。
音楽家の山内盛信氏(宮廷古典音楽研究家・故山内盛彬氏の甥)が語るくだり。

「昔は「年の夜」にマルチャジシをやった。
豚肉を中腰で食べる習わしがあった。子どもの頃は、
普段、肉なんて食べられないから座って食べたいのに、
どうしてトゥンタッチーなのかと思っていた。それから、
「年の夜」は、子どもでも夜通し起きていなくてはならない。
その意味が、聖書を読んでからやっと分かったんだよ」
(中略)……あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。
腰の帯を引き締め、足にくつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。
これは主への過越のいけにえである……(出エジプト記12:11)

トゥンタッチーとは、片膝をついた中腰の座り方。その体勢をとり、
山内さんは、マルチャジシの仕草をジェスチャーで見せてくれたものだ。

ナーカ根所へ行く約束の夕方まで、あちこち散歩。どこへ行こうとも決めず、
車の向くままに走って着いたのは、ミントングスクの近く、仲村渠農林公園。
眼下に太平洋。右から左へ水堅浜(みでぃきんぬはま)、アージ島、志喜屋港、
アドチ島、タマタ島、コマカ島、久高島(左の雲の下)が一直線に並んでいる。
この見晴し台のすぐ左手に、王府時代、
東御廻りで巡拝する聞得大君がヤハラヅカサから登った籠道が未だ残る。
久高島の始祖・ファガナシーとシラタルもこの道を通って海へ往来した。
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公園から左手に下り遊歩道を進むと、日本名水百選の垣花樋川に出る。
遊歩道沿いのクレソン畑で蝶蝶が乱舞する初夏の季節まで、あと少し。
女川と男川には清水が滔々と流れ、いつも誰かが木陰のベンチで昼寝中。
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明けて、旧暦午年の正月元旦7時半頃。ホテルから外へ出ると初日の出に遭遇。さて久高島へ。
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by utoutou | 2014-02-05 12:11 | 久高島 | Trackback | Comments(0)