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天祖・皇祖・人祖〈6〉瀬織津姫

久高島の月の神・マチヌシュラウヤサメーと瀬織津姫が同じ神魂である
と知ったのは、先日、語り部と電話で話していたときのことだった。

実は、月の神の名前がふたつあることがよく分からなかった。
イザイホーの最後半で唱われるティルルの歌詞に、それはある。

「グゥキマーイのティルル」
〜アガリトトゥウプヌシ(太陽の御神様)
 チチヤトトゥウプヌシ(月の御神様)
 久しく、めぐってくる、イザイホー、ナンチュホー
 久高神人が、拝んでいる、神アシャギ、神の真庭
 マチヌシュラウヤサメー(月の御神様)が管掌している、神酒〜
(※マチ・ヌ・シュラ・ウヤサメーとは「月の出を待つ美しい親女神」の意味)

「月の神にふたつの名前があるのはどうしてですか?」
訊くと、語り部が言った。
「月の神には神魂が二面あるのです。荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)のように」
「荒魂と和魂…。伊勢神宮の正宮と別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)と同じような?」
「はい。正宮でお祀りする天照大神と、別宮でお祀りする荒魂…」

正宮と別宮。確かに構造は似ている。久高島の場合、同じ月の神様でも、
マチヌシュラウヤサメーは外間家に、チチヤウプヌシは大里家の神壇に祀られている。

昨年参った伊勢神宮を思い出しながら言った。
「で…、天照大神の荒魂とは、瀬織津姫のことという説がありますね」
すると、語り部が訊いた。
「瀬織津姫というのは、どういうご祭神ですか?」

「瀬織津姫とは大祝詞に登場する祓いの女神ですが」

私は『エミシの国の女神 早池峰〜遠野郷の母神 瀬織津姫の物語』
(菊池展明氏著、00年、風琳堂)に記されたその来歴をかいつまんで話した。

「でもその女神の姿を辿っていくと、天武天皇の時代に封印された天照大神(男神)
と一対の女神だったという話。持統天皇の時代、伊勢神宮の祭神は変更されたと。
天照大神は女神としての生まれ変わりを余儀なくされ、伊勢の地に古くから
祀られていた女神である瀬織津姫は、祓いの神として封印されたと…」

「なるほど、そうですか」
何かひらめいた気配が電話の向こうでする。
「瀬織津姫はアカツキ。思い出しました」
「曉、ですか?」
「それもありますが、赤月。昇る月・沈む月は赤い。瀬織津姫は月の神です」
「月の神……!?」
「十五夜(じゅーぐーや)には、外間殿に赤い天幕をかけて祈願しますが、
このアカヤミョーブとはマチヌウヤシュラサメー、つまり瀬織津姫のものだったのです」
                                   (つづく)

1981年の十五夜。東方にアカヤミョーブ(赤い天幕)と提灯をかけて礼拝した。
中秋の名月のこの祭りを「ウンナウヤガミ(女親神拝み)」とも言ったという。
1年でいちばん月の守護力が充満している旧8月15日、月の出を待って行われた。
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     (『神々の古層 久高島の年中行事』比嘉康雄氏著、'90年、ニライ社刊より借用)


伊勢神宮の正宮と別宮・荒祭宮は対の関係。昨年春の撮影。遷宮準備中のため、
白い天幕で囲まれている正宮(南)に参拝後、半周して後ろの別宮(北)へという順路。
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by utoutou | 2014-08-23 04:53 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(2)

天祖・皇祖・人祖〈5〉北斗七星と四方拝

多忙でバタバタしていて投稿を休んでいたが、あることが夢にまで出てきた。
6月末の沖縄旅でドライブした、伊計島に関連する話である。

沖縄本島東の太平洋上に、久高島から北へ7つの島が連なっている。
津堅島、浮原島、浜比嘉島、平安座島、宮城島、そして、いちばん北が伊計島。         

南北に点々と連なる7つの島は、方言で「ニブトゥイ」と呼ばれる。北斗七星の意味。
「北斗七星=柄杓(ひしゃく)」のカタチになる。↓ こちらは伊計島の入口にある伊計ビーチ。
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本題はここからで、沖縄の工芸品に「クバニブ」というものがある。
蒲葵(クバ)製の柄杓(ニブ)である(写真右下)↓写真は海洋文化研究所さんのFBから拝借。
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さて、かつて久高島に「ニブトゥイ」という名の男性神職がいた。
古祭イザイホーの締めくくりに、神酒桶からクバニブですくった神酒を酒杯に注ぐ役だった。
ニブトゥイはまた、神女たちが禊をするイザイガー(川泉)の管理も担っていた。
つまり、イザイホーの運営に深く関わる、重要な公職だった。

ニブトゥイは代々、久高島の旧家・糸数家より輩出されると決まっていたという。
糸数は屋号を「イチャリ」という。船の碇(いかり)が語源だそうだ。また、
イザイホーの「イザイ」は「漁り」だとも言われる。いずれにしてもイチャリに縁が深い。

イチャリの男たちは海人だった。古くから、北上するイラブー(海蛇)を追って外洋で漁をした。
主な漁場は奄美本島付近。イラブー漁をする久高島の海人(1850年代)を描いた絵が残っている。

海人(ウミンチュ)=天人(アマンチュ)。
「海(あま)は天(あま)である」と、籠神社の海部宮司は言った。
イチャリは古代の海人部(あまべ)の末裔であると考えられる。アマミキヨの語源である。

↓写真はイザイホーの最終日「アリクヤーの綱引き」の後、四方拝をする久高ノロ。
「アリクヤー」も海人の意味。掲げる大扇は、古くは蒲葵製だった。蒲葵は龍蛇に例えられる。
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     (写真は比嘉康雄氏著『神々の古層 主婦が神になる刻 イザイホー』より拝借)

四方拝とは、天皇が年の初めに臨む儀式として知られるが、沖縄で四方拝を行う祭りは、
このイザイホーと天親田(アマウェーダ、年の初午の日に行われる田植え神事)。
現在はミントン家が祭主を務めるが、元々は天祖(アマス)家が執り行ったと考えられる。
稲作の祖は「天祖のアマミツ」たち。明治以降にアマス家は廃絶したと伝わるが…。

神酒、四方拝、龍蛇、北斗七星、海人部。久高島には、日本の古代が確かに眠っている。
by utoutou | 2014-08-13 15:42 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(0)