<   2014年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

伊雑宮へ〈1〉遷宮まで2ヶ月

9月22日(月)〜23日(祝)、伊勢神宮の別宮・伊雑宮に参拝した。
三重県志摩市磯部町。近鉄志摩線「上之郷」が最寄り駅。
東京から名古屋まで新幹線、JR快速で鳥羽、近鉄に乗り換えて昼に着いた。

目的は主に、御田植祭に立てられる大団扇(うちわ)を見るためだ。
調べると、郷土資料館にそのレプリカが展示されていると分かった。
「太一」と墨書きされた、通称・ゴンバ団扇。
地元では太一が何を意味するのかも、知りたい。

ゴンバ団扇のゴンバとは、軍配のことでは? と、考えた。
琉球舞踊に軍配団扇(ぐんばいうちわ)を手に舞う演目がある。
全体が瓢簞型。上の団扇に日月が、下の扇には北斗七星が描かれている。

その図柄は、上古から、海を縦横無尽に渡った海人族の旗印だった。
戦前生まれだった琉球神女のおばあたちは、そんな話を言い伝えていた。
北斗七星と太一の違いはあれ、「日月星」を掲げて航海した人々は、
沖縄諸島に渡来したアマミキヨと同族ではないか。


ともあれ、伊雑宮に参拝。
正殿に近づくにつれ、境内の光景に目を奪われた。
   聖なる森の際。陽に千木と鰹木が輝いている。茅葺き屋根も黄金色に。
   清々しくも神々しい、まっさらな新殿が建ち上がっていた。
そうだった、こちらの遷宮は神宮より1年遅れて行われるのだ。
a0300530_1653897.jpg

昨年(平成25年)秋、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の正宮、
そして内宮の第一別宮・荒祭宮、外宮の第一別宮・多賀宮で、
20年に一度の式年遷宮が斎行されたことは記憶に新しい。
いっぽう出雲大社も60年ぶりで、ダブル式年遷宮と話題になった。

ただし、月読宮など12の別宮については、
遷宮は、今年から来年にかけて行われる。

伊雑宮の主な遷宮スケジュールは…。
11月22日 御白石持(おしらいしもち、新宮の周囲に白石を敷く儀)
11月28日 遷御(せんぎょ、御神体を本殿から新殿へお遷しする儀)
   11月29日 大御饌(おおみけ、新宮で初となる神饌をお供えする儀)   


遷宮まで2ヶ月。
神の社の森は、夏の名残りの日射しと、秋の虫声が混ざり合う。
奥の新舎が、祓戸と御倉、手前が神饌を調理する忌火屋殿(いみびやでん)。
a0300530_1654856.jpg

御祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)。
創祀された2千年前から「天照大神の遥宮(とおのみや)」と称せられたと、しおりに。
磯部という地名からして海辺の遥拝所の趣き。「遥拝」とはそもそも南島の信仰形態だ。


伊雑宮の鳥居は東面、正殿は南面しており、鳥居を直進すると右に正殿がある。
↓写真は翌朝7時前。正門から朝日が射す。
a0300530_1732690.jpg


↓「伊雑宮参詣のしおり」から拝借した伊雑宮全景。
「真ん中のこんもり茂った森が伊雑宮」と。
左手方向の16㎞先に皇大神宮(内宮)、さらに5.5km先に豊受大神宮(外宮)。


三宮がほぼ一直線に並んでいる…。
沖縄・斎場御嶽の三大拝所、そしてナーワンダーグスクの三香炉を思わせた。
a0300530_1782181.jpg

by utoutou | 2014-09-30 07:58 | 伊勢 | Trackback(1) | Comments(0)

首里城に太陽の王が立つ

12〜15世紀、東西軸の城を創建した按司(あじ、地方の首長・覇者)たちは
太陽を神と崇め、「てぃだこ」「てだこ」(どちらも「太陽の子」の意味)と呼ばれた。
沖縄では現在でも太陽が昇る東を「上がり」、太陽が沈む西を「入り」と呼ぶが、
これはまさしく太陽信仰の名残りである。

首里城(15世紀初頭の創建)にも、東西軸の意味を体感するために訪ねた(2008年)。
そして、あの平面測量図を開いた。図の中央の右、黒く塗られた縦長の長方形の部分が正殿。
その左にある大空間が「御庭」(うなー)。様々な王権儀式が行われた場所で、
目にも鮮やかな紅白の瓦がストライプ状に交互に敷き詰められている。
これは諸官が儀式で整列するための目印だったという。

a0300530_1537956.png

















首里城正殿。謁見する諸官の目には、
王が姿を現す正殿は、このような構図で映っていた。
a0300530_1551829.jpg




a0300530_15562473.jpg



























首里城正殿内部(下の写真は1階)。階段を2階に登ると、日常的に王妃や身分の高い女官たちが使用した「大庫理(うふぐい)」があった。同じく2階には、国王が儀式を執り行った玉座「御差床」(うさすか)が、また2階南東に「おせんみこちゃ」と呼ばれる小部屋があった。次のように記された説明板が立っている。

〜ここは「おせんみこちゃ」と呼ばれる部屋で、国王自ら女官とともに毎朝東方に向って拝んでいたところである。
「御床」は神棚として神霊が祭ってあり、女官は抹香を焚いて「火の神」などを拝礼していた。身分の高い神女の就任式なども国王、王妃臨席のもとに、ここで行われた〜


「立ち入り禁止」のロープから身を乗り出して「おせんみこちゃ」の中を伺うと、
神棚の上に置かれた金の香炉が見えた。
国王が毎朝拝礼していた「火の神」(ヒヌカン)を表しているのだろう。
沖縄では、家庭の台所に太陽霊の分身としての「火の神」の香炉を祀るのが一般的。
ただし、本来のそれは現在よく言われるような「竃(かまど)の神様」ではない。

聞得大君(きこえおおきみ、琉球王府最高の女神官)が祀る祭神は、
『琉球国由来記』によれば、御日御月の御前(おちだおつきのおまえ)と、御火鉢の御前の2柱だった。

いっぽう『女官御双紙』によると、次の3柱となる。
・御筋の御前(みすじのおまえ)
・金之美御筋の御前(かねのみおすじのおまえ)
・御火鉢の御前(おひばちのおまえ)

折口信夫(しのぶ)氏は『琉球の宗教』(1995年、中央口論社、初出は1923年)でこう記した。
伊波普猷氏は、御すぢの御前を祖先の霊、御火鉢の御前を火の神、
金の美御すぢを金属の神と説いて居られる。
前二者は疑ひもないが、金の美おすぢは、日月星辰を鋳出した金物の事かと思はれる節
〔荻野仲三郎氏講演から得た暗示〕がある。併し型どほりに解すると、
かねは、おもろ・おたかべの類に、穀物の堅実を祝福する常套語で、
又かねの実ともいふ。みおすぢの「み」が「実」か「御」かは判然せぬが、
いづれにしても、穀物の神と見るべきであらう。
或は、由来記を信じれば、月神が穀物の神とせられてゐる例は、各国に例のあること故、
御月の御前に宛てゝ考へることが出来さうである。
御すぢの御前は、琉球最初の陰陽神たるあまみきょ・しねりきょの
親神なる太陽神即、御日御前を、祖先神と見たのだと解釈せられよう。


祖先神である太陽神、太陽霊としての火の神、そして御日御月神。
要するに、方角は東南方向の重視となる。
国王が百浦添(もんだすい、正殿のこと)の東南に位置する「おせんみこちゃ」で、
聞得大君や女神官が同席するなか金の香炉に受け止めたのは、
まさしく太陽神の霊力(せじ、エネルギーの意味)だった。
だからこそ、首里城の向きは太陽が最大となる夏至の方向でなくてはならなかった。

国王は「おせんみこちゃ」での朝の拝礼が日課だったという。
朝日から太陽神の霊力を満身に受けた国王は、
今度は聖なる東方を背負い、御庭で行われる儀式に臨んだのだ。

各地に築城された城の東西軸は、太陽王のカリスマを示す壮大なる装置だった。
首里城の東には美福門が、その外郭に経世門があった。
新しい王はこの東門から入城する掟があった。
まさに「てぃだが穴」から、天と地を押し分けて太陽が昇るかのように。

by utoutou | 2014-09-19 11:19 | 城(ぐすく) | Trackback | Comments(0)

久高島・テーラーガーミ(太陽神の祭り)

1週間前の9月16日(旧暦8月12日)。
神の島・沖縄久高島でテーラーガーミ(太陽神の祭り)。
日没迫る夕刻。西日を背に祭りを追う者たちの影も長い。
写真右端、マイク持つ影はドキュメンタリー映画のクルー。

数日間行われた「八月祭り」の最後を飾る男たちの祭り。
テーラーは太陽、ガーミは神、テーラーガーミとは太陽神のこと。
島の大主(ウプシュ、50歳〜70歳の男性)たちは
今、太陽の霊力(しじ)を受けたテーラーガーミとして、
第二祭場であるユラウマヌ浜(王府時代の君の泊、現在は漁港)
を出て集落を行進。悪霊を祓いをしているところだ。

テーラーガーミのティルル(神歌)
を歌いながら練り歩く大主(ウプシュ)たち。年齢順に並び、
扇を上へ下(胸の前)へと振る。その動作は「お祓い」の表現。
a0300530_22234473.jpg


そのお成りを、島の人々は木陰に座って見守っていた。
ソールイガナシー(神職)の経験者であるおじいが来て怒った。
「太陽神たちを座って拝むとは何事か」。怒るのも無理はない。
ソールイガナシーはテーラーガーミと関係が深く、古くは、
この祭りの第二祭場(ユラウマヌ浜)で神事を司祭していたのだと。

ソールイガナシーは龍宮神を司る神職。そして、
「それはアカララキを仕切っていたということでもあったよ」
と言うのだ。これはとても重要な情報。

アカララキとは「ミントンの娘とイザイホー〈5〉」の項(←こちら)で書いた、
かつては「門の番」(じょうのばん)とも呼ばれた御嶽(うたき)。

降臨する神は、生命の根源を司る縄文の女神。男たちは
女神アカララキに導かれ、島を守護する太陽神として転生したのだ。
では、その源になる太陽神とは? ヒントはティルルの中にありそうだ。


【テーラーガーミのティルル】
ハチガツヌハジマリ ヘイ(八月のはじまり)
テーラーガーミ スルティ マブル ヘイ
※囃子「太陽の霊威を受けた男たちが揃ってこの島を守る」
ハチガツヌシバサシ ヘイ(八月の柴差し)
アムトゥカラアサンハリ ヘイ(元家から各家まで)
タティマンヌワカグゥラー ヘイ(ソールイガナシーは)
シマハニティイモーリ ヘイ(島を囲ってきて下さい)
クニハニティイモーリ ヘイ(国を囲ってきて下さい)
ナガハマニムチウルチ ヘイ(長浜に持ち降ろして)
サウルカラクダユル ヘイ(サウルから下った)
アカワンヌユナワシ ヘイ(赤碗の世直し)
ヤマトカラクダユル ヘイ(大和から下った)
クルワンヌユナワシ ヘイ(黒碗の世直し)
※柴差し=悪霊祓い。スゥバ(茅)
奇数本に桑の葉を束ね、屋敷の四隅の軒先などに差す。
※ソールイガナシー=村頭を経て就任する男性神職者。
龍宮神とアカララキを司祭する。
※世直し=神酒(ウンサク)を神に供えるための容器、
木製大椀(沖縄大百科事典より)。 

♪サウルから入った赤碗の世直し。大和から入った黒碗の世直し。
意味深な、赤椀と黒椀の対比。
赤椀の「サウル」(ソウル)とはどこを指すのか。

その謎を解きたくて、久高島に足を運んだのだった。
島の古老は「サウルというのは唐、中国のことだよ」と言った。
「昔のウチナーンチュは、外国とは中国のことだと思っていた」と。
まさに定説。が「サウル」に関する新情報は得られず、謎は深まる…。

テーラーガーミの第一祭場・ハンチャアタイ(神の畑)。
午後5時、大主(ウプシュ)たちが黒い着流しに草履履きで集合。
手には赤丸の描かれた扇。午後3時開始の予定だったが、
司祭する外間根人(ニーチュ)が体調不良のため遅れた。
根人と大主たちがハンチャアタイに着座。神酒を交わし、ティルルを唱和。
a0300530_22254237.jpg


下は、いつものハンチャアタイ(神の畑)。
左下の石山は「天の門」(てぃんぬじょう)と呼ばれる拝所。
「天と地をつなぐ石」。神社によくある「さざれ石」と似ている。
a0300530_22243249.jpg


テーラーガーミでは「天の門」に、ふたつの赤椀(大椀)が供された。
ティルルに謡われた赤椀・黒碗(神酒杯)か。しかし見た目はいずれも赤。

ユラウマヌ浜(比嘉康雄氏著『神々の原郷 久高島下巻』93年、第一書房)。
後ろがアカラムイ(森)。ここには古代祭祀を知る鍵があると思う。
琉球王朝の繁栄を支えた神の島。その古層には古代の神々が眠る。
a0300530_22285836.png


イザイホーが神女たちが蛇神になる祭りであったように、
テーラーガーミでいう太陽神とは龍蛇神のことだと思う。
テーラーガーミもバイカンヤー(イラブー海蛇の薫製小屋)のある
御殿庭を第三祭場とし、ニライカナイの神様への報告で終了。
このイラブーの乾燥小屋、別名を「タルガナー」(神様)という。

凪いだ海の西、斎場御嶽に太陽が沈む。
祭りの後、女人解禁となったユラウマヌ浜で「角力大会」が始まった。
ミナーラ川(洞穴)の上に立って、子どもたちの声やどよめきを聞く。
a0300530_22325476.jpg






by utoutou | 2014-09-18 22:28 | 久高島 | Trackback | Comments(0)