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シャコ貝とアザカと猿田彦 4⃣ アメノウズメ

話は先週の沖縄旅に戻って、
ガンガラーの谷ツアー最後の見学ポイント・武芸洞遺跡。
石棺墓に埋葬された人骨の腰部にはシャコ貝が乗っていた。

ガイドさん解説中。フリップ右上がシャコ貝。
人骨の頸部からはオオベッコウガサの装飾品、
左前腕部からは12個のイモ貝を繋げた腕輪も発掘された。
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南城市武芸洞遺跡の調査は'07〜'09年に行われた。
王府時代、東西に開口部のある
この洞穴(ガマ)は武芸の練習場だったという。
ガマの東側から出土して、2500年前とされる人骨は、
うつ伏せで左に頭を安置。↓シャコ貝は現在も展示中。
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かつて沖縄本島中部読谷村の木綿腹原遺跡からも
頭部を2枚のシャコ貝で包まれた人骨が発掘されたが、
アマミキヨ伝承の残る本島南部の遺跡から、
それも大里が源流地である雄樋川沿いの遺跡から、
シャコ貝を伴う人骨が出土したことは、何やら重要。

大里は、天孫氏王朝の本拠地のひとつと伝わる。
その主は渡来豪族の和邇氏だと、私は思う。
また猿田彦は綿津見神の子、その和爾氏系図に在る。

天孫氏王朝の存在は神話にすぎないとされるが、
大里西原集落では、天孫氏二十五代を祀る拝所
天代大世(あまよたいせい)」が代々祀られてきた。

人を食う鬼となった兄が
妹のホト(女陰)に食われそうになり、
崖から転落する鬼餅(ムーチー)伝説も大里が起源。
武芸洞、サキタリ洞を通る雄樋川を5km北へ遡ると大里。
右下方向が港川、そして太平洋。
※MAPは『武芸洞遺跡発掘調査概要報告書』
(沖縄県立博物館・美術館刊)より拝借。
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「猿田彦の死」伝は、鬼餅伝説にそっくりだ。
『古事記』にいわれる「猿田彦の死」とは、
猿田彦が阿耶訶にいたときに漁をしていて、
比良夫(ヒラブ貝)に手を挟まれて海に溺れた…だが。

比良夫貝とは、沖縄以南でとれるシャコ貝のこと。
それはアメノウズメ(天宇受売命)のホト
の比喩であると、私は思う。
「下の口は鬼を食う口」と脅した妹のように、
アメノウズメはハニートラップで、
猿田彦を死に追いやったのではないか。

なぜならアメノウズメは、
猿田彦の死後、猟奇的な行動に出る。
『古事記』天孫邇邇芸命の段の最後はこうだ。
〜天宇受売命は、
猿田彦を送って帰って来ると魚たちに言う。
「お前たちは天つ神の御子にお仕えするか」と。
多くの魚は「お仕えしましょう」と言ったが、
海鼠(なまこ)だけは言わなかったので、
天鈿女命は海鼠に「この口はものを言えない口」
と言い、紐のついた小刀でその口を裂いた〜

「縁結びの女神」「芸能の祖神」と
呼ばれるアメノウズメだが、実のところ
猿田彦大神を狙う女刺客だったのでは?

女のホトに例えられるシャコ貝は妖艶で扇情的。
海底の珊瑚岩に埋まってネオン色に光るという。
シークァーサーをかけて食べる刺身が美味。
※写真は「沖楽」さんの「おさかな図鑑」から拝借。
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語り部によれば「鬼を祀りながら封じる」
…鬼餅の真の由来とはそういうことだという。
鬼餅を包んだ後の月桃の葉は、
十字に結んで家の軒下に下げるのが風習。  
十字のことを「アジマー」と呼ぶ。

「魔除け」の意味がある。
シャコ貝は噛み合わせが十字に見える。
ゆえに、別名はアジケー(十字の貝)。

さて、猿田彦はアザカで死んだというが、
沖縄にはアザカと呼ばれる聖木も自生する。
長実ボチョウジ。
そう言えば、ガンガラーの谷に行く前日、
那覇市で唯一そのアザカが見られる公園に行った。

by utoutou | 2014-12-30 18:52 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(2)

シャコ貝とアザカと猿田彦 3⃣ 琉球石灰岩

昨日26日、国会図書館に寄ろうとしたが、
地下鉄有楽町線・永田町の改札口に張り紙。
「本日は休館日です」
ガーン、早くも年末年始の休みに入っていた。

仕方なくホームに戻ろうとして、思い立ち
国会議事堂の見学者入口まで行って訊く。
「中央玄関ロビーの見学はできますか?」

琉球石灰岩でできているというその壁を、
実は、一度見てみたかった。
女性の警備員さんが言う。
「見学コースの最後が、その中央広間です」
ちょうど5分後の午後4時から出発という。
「いえ、その中央広間の壁を見たいだけなので」
「ああ、珊瑚石灰岩ですね。でも単独では入れません」
というわけで、
1時間かかるという見学に参加することに。 


結局、議事堂内は写真撮影禁止。
出て来て、午後5時の外観 ↓
中央塔の下が中央広間。2階から6階まで吹き抜け。
その壁と柱にはすべて、琉球トラバーチンが使われている。
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案内では「沖縄産の珊瑚石灰岩」とだけ説明されたが、
琉球トラバーチンは、琉球石灰岩のなかでも、
とくに再結晶化が進み、珊瑚や有孔虫化石が含まれるもの。
沖縄本島中部の平敷屋(へしきや)で採掘される高級石材だ。


出発前の参観ロビーで撮った、中央広間の展示写真。
いわば「議事堂の顔」にあたる場所に、なぜ琉球トラバーチン?  
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政治的な経緯はいざ知らず、選ばれた理由は、
琉球石灰岩の持つ特殊な魅力にあると思う。
見た目も、コーラルがかった色と艶が美しく
中央広間の壁と柱は、他を圧倒していた。

思えば、サキタリ洞の
埋葬人骨も石灰岩で覆われていた。
古代人もその効能を知っていた証しだろう。

再生を願って死者を悼むための「祭具」だったか、
逆に、霊魂の封じ込めに使った「魔除け」だったか。
いずれにしても、珊瑚石灰岩には魂を浄化する力がある。

本島の南東部がパワースポットと言われる要因は、
珊瑚石灰岩が発するマイナスイオンにあると思う。
この海から吹くミネラル分たっぷりの潮風は、
植物や農産物を半端なく成長させ、
酸化した人間の体を否応なく調整する。


そんな沖縄の海産物…珊瑚や貝は、
古代から世界の人々の羨望の的だった。
殷王朝(紀元前1600年〜1046年)
では、沖縄の子安貝(タカラ貝)が
貨幣として使用されたという。

貝の流通を担ったであろう古代琉球人の存在を、
騎馬民族渡来説で有名な故・江上波夫博士は、
生涯にわたって研究していた。

古代の大陸人は子安貝の産地として、
沖縄を認識したという仮説を、博士は立てた。
その内容について国会図書館で調べたかったが、
お楽しみは年明けに持ち越しということで…。


衆議院門からの外観。ちょうど昨日の午前、
第188特別国会開会式が参院議場で行われたが、
御臨席の天皇陛下がお使いになった玄関が、あの中央広間。
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by utoutou | 2014-12-27 16:46 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(0)

シャコ貝とアザカと猿田彦 2⃣ ガンガラーの谷ツアー

種之子御嶽(さにぬしーうたき)。
またの名はイキガ(男)洞。地元では珍珍洞。
いずれにしても、ズバリな名称の聖域である。

斎場御嶽のイナグナーワンダー、イキガナーワンダー
もそうだったが、生命の生まれ出流る源への情熱と、
古代人の擬き好きな気質を、直に感じ取ることができる。
(先に光が見えるが、ツアーコースはここでユーターン)
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こちらはイナグ(女)洞こと、満満洞。
珍珍洞とともに、いまも安産や子孫繁栄を願う人々が足を運ぶ拝所。
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それにしても快適な「神秘の森」だ。
道は程よく舗装され、石段には手すりがあって楽々。
セグウェイに乗るツアーもあるのだから、
整備されているのは当然のこと。
洞穴と谷底に流れた万古の時間を旅する  
ここは、ネイチャー・アミューズメントパークなのだ。
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MAPの3⃣イキガ洞からこのように引き返し、コースに戻る。
イキガ洞内ではランプを借りて男岩へと進んだものだったが、
ランプ置き場は拝壇らしき平岩だった…utoutou(合掌)。
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観光名所である大主ガジュマルを直角に見上げたり、
鐘乳洞の大崩落跡に感嘆したり、古い門中墓 ↓ の前を通ったり。
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ツリーハウスから港川方面を遠望 ↓したり。
そして参加者20人、ガイドさんに率いられたー行は、
コース終盤の見学ポイント・武芸洞(ぶげいどう)へと進んだ。
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ツアー中、イキガ岩の残像に猿田彦を重ねた。
猿田彦大神は天狗似のビジュアルで描かれてきた。  
その天狗の鼻こそは生殖信仰の象徴であり、
各地で地主神として崇められる国津神の証し。

神話では天孫ニニギを先導した「八衢(やちまた)の神」。
「岐(ちまた、くなと)の神」とも呼ばれる。   
くなと神といえば、アラハバキと一対の男神である。

約5㎞離れた奥武島付近に
「くんなとぅ」という地がある。
地元では「小さな港」という意味だと言われるが、
語り部からは「クナト神」の「くなと」の訛りだと聞いた。

by utoutou | 2014-12-26 18:34 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(2)

シャコ貝とアザカと猿田彦 1⃣ 死霊封じ

おきなわワールド(南城市)のケイブカフェ
その開口部・サキタリ洞遺跡から出た埋葬人骨は
9000年以前のものと見られているが、
後期旧石器時代(3万5千〜1万数千年前)
の可能性もあるという。


もしもこの洞穴がカフェとして開発・開店される
前に、発掘調査が始まっていたら、それこそ
考古学的に宝の山だったに違いない…などと思いつつ、
ガンガラーの谷ツアー」出発までの時間を、ちょうど
やっていた調査展示を眺めて過ごした。
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カフェ入口付近の遺跡(写真左)から出た埋葬人骨の胸と腹には、
30㎝大の石灰岩が4個も乗っていたと新聞に。死霊封じなのか!?
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前日、語り部と猿田彦神について話していたところだった。
ことに、猿田彦の死について。
『古事記』によれば、猿田彦は、阿邪訶(あざか)で釣り
をしていて、比良夫貝に手を噛まれて溺れ死んだというが、
その地・伊勢の阿邪訶は山の中。私はどうも腑に落ちなかった。

「しかも、比良夫貝は沖縄のシャコ貝のことですよね。
それに手を噛まれて死ぬなんて、あり得ないでしょう?」

すると、語り部は言った。
「シャコ貝は女の口と言われますから、暗喩だと思います。
鬼餅(ムーチー)の昔話と同じです」
「鬼退治の…!? 女の上の口は餅を食う口、
下の口は鬼を食う口と言って、
ホト(女陰)を出して、鬼を退治したあの…」
「古い神霊を鬼と呼んで封じる話です、あれは…」


さて、ツアー出発の時間。ガイドさんの案内でケイブカフェを出る。
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アッと思ったのは、森を歩き始めてすぐのことだった。
鐘乳洞の崩落でできた「ガンガラーの谷」を川が流れていた。
雄樋(ゆひ)川だ。そして、その源流は約5㎞離れた大城ダム。
天孫氏王朝の本拠地のひとつと語り部が言う、
大里西原集落のすぐそば。
また大里は、あの鬼餅の民話が生まれた場所でもある。
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鬼を食うのは下の口。
猿田彦の手を噛んで死なせたシャコ貝は
その形状から、女の下の口に例えられる。
ずいぶん無様な死に方に描かれたものだ。

by utoutou | 2014-12-25 18:54 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(0)

港川人なのか〜国内最古の埋葬人骨

洞穴に萌えるタイプなのか、普天間宮に参ったら
無性に他の洞穴にも潜りたいという気になった。


毎年暮れになると発掘のニュース
が相次ぐ、サキタリ洞遺跡(南城市)。
昨年は8000年前のものらしい沖縄最古の土器が、
今年は9000年前に埋葬されたらしい成人一体の人骨が出た。
人骨(頭、上腕、大腿骨、骨盤)を被うように、
石灰岩が置かれていたという。 
発掘現場は「おきなわワールド」の「ケイブカフェ」開口部にある。
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地下3mの洞からは、人骨だけでなく土器も出土。
これが沖縄最古で、サキタリ洞は自己記録を更新。
1㎞離れた八重瀬町から人骨が出て、旧石器人骨の代表例
となった港川人(1万8000年前)との関係はいかに? 


沖縄では、旧石器時代の人骨化石と、縄文土器文化
(最古は嘉手納町出土、7千年前の無文土器)、
それぞれの調査研究が同時進行で行われてきたものの、
ここ数十年間は、目立った進展が見られなかった。
旧石器時代と縄文時代の間には1万年の空白があった。


その空白が埋められたわけで、ここで
沖縄県立博物館・美術館が5年続けた発掘調査の成果は絶大。
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国内最古の埋蔵人骨が出たサキタリ洞遺跡では発掘作業が続行中。
その横で、サキタリ洞遺跡発掘記念展とホエールウォッチング展が開催中。
「ケイプカフェ」が出発地点「ガンガラーの谷ツアー」も絶賛継続中。
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大自然の散歩。エコツアーは2200円と料金高めだが、
連日満員の大人気。前日予約して、かろうじて滑り込んだ。
↓ケイブカフェから原始の森への出口付近も発掘現場ナマ。
こちらは、カニの爪、カタツムリなど動物遺骸を含む堆積層。


海産貝も出土。海産物は海から人為的な搬入されたもの
と考えられ、破片からは人為的な加工痕、使用痕が見られた。
ツノガイ類はビーズとして使用されたものと考えられるという。
(沖縄県立博物館・美術館発行 サキタリ洞遺跡発掘調査報告書より)
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ツアーガイドさんは「港川人の人骨かも」と言ったが、
さて…。
旧石器人が縄文人に進化したということだろうか。
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考古学と人類学上の成果で盛り上がる
サキタリ洞遺跡だが…

1万7千802年の歴史があると
『中山世鑑』の言う天孫氏王朝の痕跡
がいよいよ出たかと、 秘かに萌えてしまう。

by utoutou | 2014-12-23 19:20 | 洞穴(ガマ) | Trackback | Comments(0)

普天間宮(宜野湾市)の洞穴

今年最後の沖縄旅。まずは思いつきで
琉球八社のひとつ普天間宮(宜野湾市)に参拝。
またの名を、普天間権現という。


参詣客もまばらな境内で、
宮司さんらが正月準備に追われていた。
例年の正月の人出は、およそ11万人とか。
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本殿の裏には、横穴洞穴の古層が広がる。
太古の昔から、琉球古神道の自然神を祀ったことに始まり、
第一尚氏琉球王朝の尚金福王から尚泰久王の時代
(1450〜60年)に、熊野権現の神々を合祀したと伝わる。

祭神は、琉球古神道神の、日の神、竜宮神(ニライカナイ神)
普天満女神(グジー神)、天神、地神、海神。
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そして、熊野権現、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命、
天照大御神、家都御子神。
正面の磐座に「立ち入り禁止」の立て札。奥宮への入口か。
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天井の高さは4〜6mほどで、ライティングが施されており、参拝は楽々。
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洞穴の入口付近には、数万年前に絶滅した
琉球シカ(200頭以上)を含む厚い化石層があるという。
土器も発見され、洞穴全体が遺跡になっている。
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太古の時代、洞穴内には湧水があったが、
その水位は地殻変動で次第に下降したという。
それは洞穴入口近くに数カ所あるノッチ(浸食跡)の高さが、
異なることで証明されると、境内の説明板に書いてあった。
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神社の裏側からは、米軍基地のフェンスが見えた。
海兵隊施設・キャンプフォスター。
宜野湾市には至るところにフェンスがあり、
普天間宮がまるで包囲されている錯覚に陥るほどだ。
普天間飛行場の地下にも、鐘乳洞が網の目のように
発達しているという。拝所や古墓も多いとか。
跡地利用策に期待がかかる。

さて、この普天間宮、今回の旅にどう関係するのか。
無関係かもしれないが…ちょっとだけ胸騒ぎがする。



by utoutou | 2014-12-19 16:21 | 琉球の神々 | Trackback | Comments(0)

伊雑宮と猿田彦〈12〉猿田彦と「日巫女の鏡」

どうして「鏡楠」というのか。
頭の隅に引っかかっていた疑問が解けてスッキリした。
伊雑宮に立つ、樹齢不詳でオブジェのように巨大な楠のこと。

神宮創建以前の伊勢の信仰を書いた『アマテラスの誕生』
(筑紫申真氏、講談社学術文庫)に「木と鏡」との項があったと
思い出して、広げてみると、やはり…。

筑紫氏は皇祖アマテラスは天武・持統時代に
創作された神で、それ以前の伊勢地方で
信仰されていたのは、太陽の魂(スピリット)を持つ
天照大神と猿田彦という男性神だという論を展開、
一時、伊雑宮の祭神とされた玉柱屋姫は日巫女だったという。
つまり「鏡楠」は、神の依り代としても機能していたと。

以下、引用。

〜皇大神宮の別宮の伊雑宮の森には、
巨大なクスノキがそびえ立っています。
この木は、カガミクスノキ(鏡楠)と呼ばれています。
むかしはこの一本の樹木に、ほんとうに鏡をかけて
アマテラスのカミまつりをしていたのかもしれません。
あるいは、カミのよりつくこの木は、
鏡のかけられている木とおなじ意味のもの、
という意識でもって、鏡を実際はかけずにでも、
カガミクスノキとよんだのかもしれません。〜

筑紫氏によれば、
天照大神(男)と猿田彦は同一の神で、
冬至の頃、真冬に祀られたのがアマテラス、
夏至の頃に祀られたのが猿田彦だったという。

いっぽう、日巫女は玉柱姫であり、天の岩戸に祀られた
泣沢女神であり、美都波女神であり、瀬降津姫であった。
また神衣を織る棚機女(たなばたつめ)でもあった。
そんな古代の司祭者であった日巫女たちの祭具は、
鏡であり機織り機だった。

そこで思い出すのは、
沖縄・斎場御嶽の奥宮ナーワンダーグスク。
かつてイナグ(女)ナーワンダーの古墓からは、
人骨とともに機織り機が発掘されたといい、
また頂上には、いまも鏡が安置されている。

「日巫女の時代」を共有する伊勢と沖縄。
海人族がもたらした古代信仰の親和性は、
土地土地に染みついている気がする。


伊雑宮の鏡楠。最近は「バワーツリー」として有名。
伊雑宮近くの「倭姫旧跡地」にある楠もまた「鏡楠」と呼ばれる。
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伊勢古道の途中、伊雑宮を眼下に見下ろす鸚鵡岩からの眺め。
青峰山を遠望。山頂の正福寺は十一面観音を安置。
神仏混淆時代の瀬降津姫、水(滝)の巫女である。
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鸚鵡岩は和合山に抱かれるようにあり、玉依姫を祀るお宮がある。
玉依姫とは「玉(霊魂)の依りつく巫女」のことだそうだ。
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by utoutou | 2014-12-18 21:05 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)

伊雑宮と猿田彦〈11〉猿田彦の正体、倭姫の旅

的矢の港で、トンビが大きな弧を描いて飛んでいた。
トンビに油揚げか…と、ふと思ったのだったが、
後で、近隣のMAPを見て笑った。
的矢の中央に赤の鳥居マーク、そして「お稲荷」とある。
偶然のシンクロ? 散歩したときには気がつかなかった。


近くのホテルで餌付けしているらしいトンビ。
スマホ撮影だと分かりにくいが、肉眼でははっきりと。
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的矢には八幡山もあり、お稲荷さんに縁が深いようだ。
↓ 相差(おうさつ)の三吉稲荷大明神、
そして、神宮外宮の横の豊川茜稲荷など、
伊勢志摩地方には、実に秦氏の痕跡が点々としている。
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点と点をつなぐキーが、猿田彦。
↑ 三吉稲荷大明神を末社に置く神明神社も、
明治以前は、猿田彦大神を祭神としていたが、
明治に入って急速に進められた神社合祀により、
あえなくその姿をかき消された。

こうして猿田彦神のひもろぎを思うと、
天照大神の御杖代・倭姫命の巡幸コースが気になった。


天照大神を祀る土地を探して、伊勢国に到着するまで、
倭姫命は16ヶ所を歩いたと『倭姫命世紀』に。
籠神社HPから拝借した地図 ↓の7〜25がそれ。
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もしや倭姫命は、猿田彦が治めた土地を歩いたのか。
倭姫命が古代豪族・和邇氏の系譜であることは既述した。
ならば、倭姫命と猿田彦は同族なのか。

和邇氏は天足彦国押人命を祖とするが、
後裔には、春日臣・大宅臣・粟田臣・小野臣・柿本臣
などに加え、伊勢飯高君・壱師君がいると『古事記』に。

伊勢飯高君、壱師君とは…倭姫命の巡幸地の主である。
飯高宮の神山神社、壱師の阿射加神社、
いずれも祭神は猿田彦。よってやはり、
猿田彦は、和邇氏の祖神の一柱であると考えられる。

倭姫命の巡幸コースも、海部氏、息長氏、尾張氏
と、和邇氏と関係の深い豪族の地にあった。また
美濃、三河は、和邇氏の勢力が強かった土地と言われる。


「猿田彦命は綿津見神の子・
宇都志日金析命(うつしひがなさくのみこと)、
穂高見命とも同神である」と、新説を著したのは宝賀寿男氏。
『和珥氏 中国江南から来た海神族の流れ』(12年、青垣出版)にて。

海神族、和邇氏の系譜には
海部氏、安曇氏もいる。アマミキヨの語源である。
私はミントングスクの神面に残るアマミキヨを
猿田彦と同一視してきたが、どうも当たっていたようだ。

和邇は沖縄玉城の「和名」を本拠地としていた。
その古代天孫氏王朝から、黒潮に乗って伊勢へ
東遷した初代の首長が猿田彦だったと思う。
磯部(海部)の本拠として建てた神祀りの宮は、伊雑宮。

北上して、尾張、近江、美濃、丹後を治めたのが、
いわば先着の王、国津神の猿田彦。
猿田彦はやがて日神として祀られた。
当然、新たなる皇祖神・天照大神の御杖代という重責は、
その末裔にあたる皇女が担わなくてはならなかった。

すべての巡幸地は東経135〜6度の子午線ゾーンにある。
現在の日本標準時をも示す、いわばヤマトのヘソ。
その嶽々を廻り、祖霊を祀り、鎮魂の祈りを捧げて、
新しき皇祖神・天照大神を奉った。
それが「倭姫命、巡幸の物語」の真実だったと思う。

by utoutou | 2014-12-16 20:28 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)

伊雑宮と猿田彦〈10〉五芒星

伊勢志摩はワールドワイドな古代譚の多い土地だ。
磯部神社に六芒星の石灯籠があるいっぽう、
的矢湾の隣り、鳥羽市相差(おうさつ)の神明神社
では、ドーマンセーマンと呼ばれるお守りが人気。

摂社の石神さん(玉依姫)も、
女性の願いをひとつ叶えてくれるということで、
全国から参詣客がやって来て、
祈願のうえ、お守りを買い求めて行く。

護摩符としての五芒星の詳細は、
こちら鳥羽観光協会HPで。
セーマンと呼ばれる五芒星は陰陽師・安倍清明の印、
ドーマンと呼ばれる九字は、芦屋道満の印という。


神明神社の境内は細長い。お宮の配置は、
奥から本殿、鎮魂社、石神さん、そして鳥居に近いこちら↓
摂社の三吉稲荷大明神。この地も秦氏に所縁が深いことを窺わせる。
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写真は9月末に参ったときのもので、神明神社本殿は改築中だった。
左の石神さん。祈願には願いを紙に書いて奉拝。右が三吉稲荷。
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神明神社の鳥居や石神さ、いたるところにセーマンがキラリ。
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南志摩の海女さんたちは、
古くからセーマンの魔除け印を縫い付けて海に出た。
かぶりもの、手拭いにも(志摩市歴史民族資料館にて)。
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ところで、五芒星とは何か…

語り部によれば、
古琉球人たちは、その真ん中に光る星を見ていた。
天御中主、救世主としての妙見、
あるいは一等星である天王星を。

紀元前3千年のシュメール文明を源とする、
人間エネルギーを象徴する図形だったのとではという。
いっぽう六芒星は、宇宙エネルギーの象徴だったと。

では、五芒星と六芒星は、どのようにして、
この地にもたらされたのか。
今回の志摩旅で、私は
それは猿田彦によってだろうと確信するに至った。
猿田彦を秦氏の始祖とみてのことである。

なぜなら五芒星の神明神社、六芒星の磯部神社、
ともに明治時代まで、祭神は猿田彦神だった。

こちら神明神社は、明治42年、
八幡宮、白鬚明神、熊野権現、牛頭天王社
などと合祀となり、以下26柱もの祭神となった。

天照大神、天忍穂耳命、天穂日命、天菩日命、
活津日子根命、熊野久須日命、多紀理比売命、
市杵嶋比売命、多岐津比売命、大已貴命、
手摩乳命、脚摩乳命、素戔嗚命、菅原道真、蛭子、
綿津見命、伊弉諾尊、伊弉冉命、誉田別命、
天児屋根命、鵜草葺不合命、玉依比売命、猿田比古命
倉稲魂命、崇徳天皇

不思議なのは、磯部神社、神明神社いずれも、
過去の祭神が猿田彦神であることは、
一見しては分からない。まるで、
履歴を故意に消去されたかのような印象すらある。

さらに調べると、
地主神・猿田彦の守備範囲の広範さに度肝を抜かれた。

皇祖神・天照大神の御杖代として
倭姫が巡幸したルートには、
各地に猿田彦にまつわる共通点があり、
その足跡は、出雲へ、沖縄へ、
そしてシュメールへと、遡ってしまうのである。

by utoutou | 2014-12-13 21:55 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)

伊雑宮と猿田彦〈9〉またもや六芒星

六芒星、または籠目紋。
籠神社と伊雑宮の裏社紋だと囁かれて久しい。
その源流を辿れば、ユダヤの神紋、ダビデの星だと。

六芒星の神紋を彫った石灯籠は、伊雑宮から、
内宮・外宮へと三宮を繫ぐ通りに、いまも並ぶ。

神宮側では関与を否定しているようだが、
かつて籠神社の真名井神社の石碑に刻印されるも、1年後に
三つ巴紋に変更された経緯を思い出すたび、深き故ありと思う。

その六芒星の石灯籠が、伊雑宮に近い磯部神社にも。
伊雑宮から佐美長神社への「御神道」から鳥居が見える。


皇大神宮別宮の伊雑宮、その所管社である佐美長神社、
格式の高い両社に比べると地味な印象だが、参詣して驚いた。
鳥居前の左右、堂々たる石門に六芒星がくっきりと浮き彫り。
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「産土の神 磯部神社」とあるが、まさに磯部の総社の趣き。
ご祭神なんと49柱、境内の荘厳さは伊雑宮に引けを取らない。
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さて『磯部郷土史』(昭和38年)に見る、その祭神とは…。

正哉我勝々速日天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、
活津彦根命、熊野櫲樟日命、田心姫命、端津姫命、
市杵嶋姫命、素戔嗚尊、大幡主命、
少名彦命、大山祇命、猿田彦命、神倭磐余彦命、
誉田別尊、玉依姫命、速秋津姫命、石凝姥命、櫛玉命、
天目一箇神、大田命、天太玉命、天鈿女命、
彦火瓊々杵命、手刀雄命、木花開耶姫命、鵜草葺不合命、
伊弉諾尊、速玉大神、家都御子大神、
(不詳が、12座ある)


神明造りの本殿。
伊雑神戸の郷の総社として、神宮との関係も深いのだろう。
そう言えば、この土地は佐美長神社の正月殿跡だと聞いた。
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三重県神社庁HPにも…
〜郷内四十余社も伊雑宮の摂末社のような
関係を保って奉祀が続けられてきたが、
明治の末年頃神社合祀の気運が高まり、
村内の坂崎を除く10大字の各神社を
正月殿社跡の現在地に移転合祀し
磯辺神社と単称した〜



水中の赤い鳥居は住吉三女神の銘か。
ここにも六芒星の石灯籠。
境内の少なくとも数カ所に立っている。
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赤い鳥居の右に「神武天皇遥拝所」の石碑。2基の鳥居がある。
神様のオールスター。そして縄文的な調和が感じられる。
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語り部の「六芒星」の話を思った。
六芒星は六家。天皇家が統って「七匹の鮫」の説話になったと。
祭神には天目一箇神、天太玉命など
忌部の祖神も含まれる。
猿田彦神、素戔嗚尊、櫛玉命も。
六芒星が六家の象徴なら、その民は
オリエントを発した渡来族だったか?

by utoutou | 2014-12-11 09:02 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)