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富士山本宮浅間大社 3⃣ 大山祇神

龍雲? 空を雲が駆けめぐっている。
そんな境内から、富士山を遥拝。

山頂に奥宮があり、8合目以上は奥宮の境内地。
古来、富士山はこの浅間神社の御神体だったという。

富士山頂の奥宮の祭神、木花咲耶姫。
本宮と同じ。

そして目の前で枝を広げる木も桜、
ということで…
桜が散るのは、春に咲くためだったかと冬空に思う。
桜は、枝ぶりも美しい。
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山頂の奥宮。相殿には木花咲耶姫を
娶った天孫・瓊々杵尊、そして
姫の父神・大山祇神が祀られている。
が、原初の祭神は浅間大神といった。

富士山の噴火を怖れ、第十一代垂仁天皇の時代に、
浅間大神を祀り山霊を鎮めたというのが、神社の由緒。


↓ 本殿前の桜も、春を心待ちといった表情。
境内には500本の桜樹があるそうで、桜祭りがある。
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富士氏のことを書いた夜、語り部から連絡があった。
「木花咲耶姫の母は誰ですか?」
「大山祇神は酒解神(さけときのかみ)ですよね?」

ふたつの質問が、果たして
和邇氏(アマミキヨ)とどう関連するのか。
すぐには分からなかったが、そう投げかけられた。

調べると、天孫・瓊々杵尊に見初められた
木花咲耶姫命の母神は、
『古事記』によれば、鹿屋野比売神(かやのひめかみ)
別名を野椎神(のづちのかみ、野の神)という。
『日本書紀』では、草祖草野姫(くさのおやかやのひめ)。
    鹿屋野比売神は、イザナギ・イザナミの間に生まれた。    


そして、大山祇神との間に
4組8柱の男女神を、
さらに、木花咲耶姫、磐長姫を生んだ。
それだけでも、超ビッグな女神だと分かるが…。
(↓ 写真は富士山の霊水が溜まってできた湧玉池)
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語り部からの、次なる課題は「酒解神」について。
大山祇神は酒解神(さけときのかみ)。
つまり古代醸造の神である。
娘が彦火火出見尊を生んだのを祝い、
酒を醸して祝ったと『日本書紀』に。

古代醸造?
そこで、ピンとくるものがあった。
口噛み酒(神酒)は古来、沖縄では童女が造った。
その娘は、造酒に欠かせない「水」と「月の力」を操る、
一族のなかで、もっとも霊力高い巫女だった。

が、私の頭では、いろいろに展開する。
酒解神は大山祇神のことだというが、
実際に酒を造ったのは鹿屋野比売命ではないのか。

いや、必ずしもそうではない。
木花咲耶姫は酒解子神とも伝わるのだから、
木花咲耶姫自身か、と。

難問だが、後は語り部の解説に期待しよう。


浅間大社の丹塗りの本殿を裏から見上げる。
二重の楼閣構造。
富士山頂に向い祭祀を行うのは2階と言われる。
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by utoutou | 2015-02-25 21:32 | 神社 | Trackback | Comments(0)

富士山本宮浅間大社 2⃣ 富士氏

富士山本宮浅間大社の社紋「丸に棕櫚(しゅろ)の葉」。
本殿の賽銭箱には、その棕櫚紋が描かれていた。
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古代の龍蛇信仰のもと、
幹が蛇に似ている蒲葵(クバ)は聖樹とされ、そのため
沖縄には、クバやクボーといった名のつく御嶽が多い。

また御嶽の威部(イビ)には、蒲葵が立っている
ことも多いが、蒲葵が育ち難い本土では、
蛇に見立てられる樹木の一番手が棕櫚だった。
↓ 賽銭箱の画像を拡大してみた。
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棕櫚紋を社紋とするこの浅間大社の大宮司を
古来、世襲で務めたのは富士氏だったと、
大社近くの資料館「長屋門・歴史の館」で聞いた。

和邇一族が、滋賀県からここに進出した
のは、801年のことだと。思えば、
富士山が大噴火した800年の翌年のことだ。

和邇氏は、蝦夷退治で勇名を馳せた
将軍・坂上田村麻呂に従い、この地へ進出した。

和邇氏十七代目・豊麿が、富士郡の郡長に任命
されたのが、浅間神社の神主を命ぜられるきっかけで、
このとき富士氏に改名した和邇氏が、
富士大宮司家の始祖 となった。
明治になって、大宮司の世襲は途切れた
が、棕櫚の社紋は残った。


その棕櫚は「歴史の館」に展示されている
「富士浅間曼荼羅図」(室町時代、複製)にも描かれる。
曼荼羅図の中央、人々が禊ぎをしている湧玉池の左横方向。

本殿脇という位置といい、描かれ方といい、
棕櫚紋を強く意識した構図のように見える。
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↓ こちら同じ室町時代の「絹本着色富士曼荼羅図」。
浅間大社が冨士参詣のPRのために発注したとされる。
霊峰・富士山頂を目指す多くの参詣社が描かれる。
山頂の右に浮かぶ「日輪」、左の「月輪」よりも、
遥かに高く描かれた富士山に、篤い信仰の眼差しを感じる。
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さて、くだんの浅間大社大宮司家に
最古の「和邇系図」が伝えられていると、太田亮氏
は『姓氏家系大辞典』に記している。
いっぽう、この系図は既に散逸したとも言われる。

が、和邇氏である以上、古来、大海を股にかけた
日本最古の海人族であったことだけは間違いない。
その和邇氏が、日本最高の霊山の司祭であったことは、
決して偶然ではないと思う。

  
by utoutou | 2015-02-23 01:51 | 神社 | Trackback | Comments(0)

富士山本宮浅間大社 1⃣ 木花咲耶姫

明日からは冷え込んで雪になるかも、
という天気予報を聞いた朝、思った。
「富士山を拝むなら、きょうだな」
月曜日、2月16日のことだ。たまたま1週間後の
2月23日が「富士山の日」という気分の下地もあった。

富士山本宮浅間大社。
新幹線こだま利用で、都内から日帰りは十分可能。

世界文化遺産となった富士山の「構成遺産」のひとつ。
かねてから、冬場に一度行きたいと思っていた。
1年でいちばん美しい季節に、鳥居越しの富士山を見たい。


新幹線の車中から、また身延線の車中からも美しかったが、
東海道線富士宮駅から歩いて着いたこの場所が、最高の眺め。
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全国に1300あると浅間神社の総本宮である。
御由緒は公式HPに詳しいが、祭神は
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)
(別称:浅間大神(あさまのおおかみ))
相殿神は瓊々杵尊(ににぎのみこと)
大山祇神(おおやまづみのかみ)


栞によると〜第七代、孝霊天皇の御代に富士山が噴火し、
鳴動常なく人民畏れて逃散し年久しく国中が荒れ果てた
ので、第十一代垂仁天皇は其の三年に浅間大神を山足の
地に祭り、山霊を鎮められた〜
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第一鳥居から入り、参道をまっすぐ楼門へと進む。
そこもかしこも桜の木。500本あるという。
富士の背景と相まって、爛漫な景色となる春は近い。
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木花咲耶姫は、日本書記に謳われた「桜の精」。
木とは桜、その意味で神名がついたとも言われる。

また木花咲耶姫は「水の神、川の神」でもある。
それゆえ御由緒書にあるように浅間大神として、
富士山の神霊を鎮めるべく祀られた。

が、富士山を見やり、参道を進みつつ、
「持統天皇」の名がしきりと思われた。

持統天皇(690〜697年)は、その在位中、
吉野に31回も花見のために行幸したという。それは
686年に没した天武天皇の鎮魂のためと言われており、
それはそれで至極納得のいく物語なのだが…。

天武の死の直前には、数々の天変地異が起こった。
それが、古来の神々を封印して、
皇祖神・天照大御神に統一した「祭祀革命」の祟り
だと、持統は恐れていたのではないか。

というのは昨年、伊雑宮に行ってから
胸にモヤモヤと渦巻いていた思いだったが、
ここ浅間大社で桜の木立を見て蘇った。
天変地異が祟りなら、
その最たるものは富士山噴火だったに違いない。


鳥居、そしてこの楼門にも日の丸。
右手に雪を冠した富士山が見えた。
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楼門を通り、拝殿へと進もうとして
賽銭箱の神紋に目が止まった。
驚くかな、それは棕櫚紋。

古来、沖縄の蒲葵と同等の聖樹とされた。
この本宮は、代々和邇氏の末裔が大宮司を
務めたというが、この地で、
南方由来の棕櫚紋に出会うとは…。
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by utoutou | 2015-02-20 19:24 | 神社 | Trackback | Comments(0)

猿田彦の下駄 6⃣ 甦る根の彦

「魚根家(イン二ヤー)の“魚”とは、鰐鮫ですよ」
と、聞いたときのことは書いておかねばならない。
昨年末、語り部が霊視した。

「やはり和邇氏ですか?」
と聞くと「和邇氏です」と言う。
古代大和豪族・和邇氏のトーテムは鰐鮫で、
龍蛇神を崇めた。
そして猿田彦は和邇氏の祖神。ならば「下駄」
が示すのは和邇氏なのだろう…とは思っていたが。

大和朝廷の成立には欠かせない氏族と言われるいっぽう、
その名を記紀で見ることはほとんどなく、研究も少ない。

ただし、上古、玉城の和名に和邇氏の村があった
という口伝は、ミントングスクで秘かに語られてきた。


魚根家(イン二ヤー)の拝所は、魔除けの「石敢當」と
アジケー(シャコ貝)が並ぶ、のどかな集落内にある。
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それでも、話をすぐには飲み込めなかった。
イン二ヤーの拝所があるのは久高島である。
神の島とはいえ、祀られる必然はどこに。

「下駄だけで和邇氏と判断してよいですか?」
「拝所の場所からしても、そうだと思います」
「拝所の場所…?」

一帯は、久高島で「くんぶち山」と呼ばれる。
その歴史がどれほど深いかは、確かに地名に表れている。
「くんぶち山」は漢字で「国淵山」。国の淵の山。

「淵」を辞書で調べると「物事の出てくる根源」とある。
つまり「くんぶち山」とは、国ができた根源の山。
ここが、日本という国の原郷と解釈できる。

いっぽう、イン二ヤーは「(魚)根家」。
根家とは「もっとも古い家」という意味だが、すると、
くんぶち山の魚根家は「国の根源にある元家」となる。

かつて「くんぶち山」の由来を島人に尋ねると、
少し困った顔で、目を中空に泳がせていたものだ。
ここはただならぬ歴史を秘めた場所なのだと思った。


↓久高島にある「くんぶち山」の御嶽付近。
威部(イビ)に石臼も祀られる。古代、石臼は御神体だった。
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「くんぶち山で、何があったのですか?」
私は聞いた。
「王権の委譲が行われたのだと思います」
「王権の…」
「国津神から天津神に、そして神武に」
「何を譲ったのですか?」
「神代の剣です」

剣とは記紀に登場する「神代三剣」のことで、現在
そのひとつは石上神宮(奈良県)に祀られているという。

「誰が譲ったのですか?」
「猿田彦ですよ、ミントングスクのソネ彦」
ソネ彦!!
ミントン古伝の『如件のごとし』に、
「アマミキヨの夫」として、その名が見える。

「猿田彦がソネ彦だったとは。で、ソネの意味は?」
「私は、蘇・根彦なのだと思っています。
または、祖・根彦。彦は日子、日の御子です」

「根」という字は、沖縄の歴史に頻繁に登場する。
根家には、祭祀を司る根神(女)と根人(男)がいる。
百名玉城は「根の国」と呼ばれ、根所という旧跡がある。
話は飛んで、和邇氏関連の天皇の諡号にも「根子」がつく。

猿田彦と呼ばれた「蘇・根彦」が「アマミキヨの夫」
で、記紀によって名前を変更された神なら、
後世、末裔が願いを込めて「蘇る根の日子
=蘇根彦=ソネ彦」と語り継いでも不思議はない。

「蘇民将来の蘇でもありますね」と、語り部。
和邇氏、ソネ彦とは素戔男尊に繫がる系譜なのか。
何やら「根の国」の真意が解けてくる気配…。


和邇氏の和邇は、和珥、和爾、丸子とも表記される。
↓斎場御嶽の下、海岸にある御嶽「マルチャ龍宮」。
「マルチャは丸子の意味だろうと思う」と語り部は言う。
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by utoutou | 2015-02-18 16:43 | 久高島 | Trackback | Comments(3)

猿田彦の下駄 5⃣ 番外編

久高島からスピンアウトして、一昨日、
武蔵国一之宮・小野神社(東京都多摩市)に参拝。
うららかな春の兆しが感じられた。

沖縄では緋寒桜が満開と聞くが、
こちら関東も、朱塗りの拝殿が春陽に映えて眩しい。
ちなみに祭神は、瀬織津比咩、天之下春命。
(※拝殿横の南から撮影)
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その場で何げなく振り向き、棕櫚(シュロ)の木を発見。
ぐるり境内を見回すと、その数ざっと10本は下らない。
久高島の聖樹・蒲葵(クバ)を思い起こさせる南国の趣き。
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いっぽう、反対側の拝殿横には椿の花がポツリ。
北側のせいか未だ冬の佇まいだが、椿大神社(三重県)を思う。
椿大神社は猿田彦大神を祀り、猿田彦大本営を名乗る。
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平日は社務所が無人で、境内には参拝客もまばら。
鳥居は西面。十六菊紋を戴く隋身門の先が拝殿。
神社のすぐ北を多摩川が流れる。
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境内を一周した後、
聖蹟桜ヶ丘駅(京王線)へ戻るべく南門を出ると、
隣接する児童館の道端にふたつの小祠を見つけた。
いつもは駐車場に車を停めるので、気づかなかった。
左が地蔵尊、右が庚申塔。
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こちらが地蔵尊。児童館から子どもたちの声が聞こえる。
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↓ 右の庚申塔に説明板があった。

〜「庚申塔の由来」
この庚申塔は、庚申信仰に由来して
江戸時代の中頃の寛延四年
(一七五一年)に造立された石碑です。
村へ悪疫や災難が入ってこないようにとの願いを込めて、
旧一ノ宮一番地先(現一ノ宮二八番地九号先)に
建てられていたが、都道府中四谷橋関連道路
の新設により当地にお遷し申し上げお祀りする。
(中略)平成十二年二月吉日 小野神社役員 地域有志一同〜
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261年前に、村の守護神として建てられた
という庚申塔。そして地蔵尊。
ペアで寄り添う配置に、ふと思う。


小野神社の祭神・天之下春命の奥深く、
もしや違う神が、隠されてはいないか。
瀬織津姫と天之下春命が一対神とは思えない。


小野神社という名前の由来は、
この地に武蔵秩父国造・小野利春が
着任したことによるという。
武蔵秩父国造の祖神が天之下春命だ。


いっぽう、地元には
「昔はニギハヤヒを祀っていた」
との秘伝があるらしいが、
至極まっとうな口伝だと思う。


『先代旧事本紀』の「国造本紀」に、
ニギハヤヒが大和入りした際、高天原から
派遣された供奉衆に、天之下春命の名がある。
天之下春命が付き従ったのがニギハヤヒ。
瀬織津姫の一対神とされる神である。


思わぬところで、
久高島に繫がる神系統に出会ったものだ。
小野氏は、古代豪族・和邇氏の有力支流。
ニギハヤヒとは猿田彦の神魂を継いだ神である。



by utoutou | 2015-02-14 18:25 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

猿田彦の下駄 4⃣ つまりアマミキヨ

ニライ大主とは、ニライカナイの主神。
聖なる他界(常世の国)にはニライ大主がいる。
(※ここまでが比嘉康雄氏による「島人の他界観」)

そのニライ大主を代々司るが魚根家(イン二ヤー)。
拝所には、猿田彦を思わせる下駄と杖が祀られている。

それは本当に猿田彦大神のレガリアなのか。
誰かに聞こうにも、
魚子家とニライ大主(神役)は途絶、
ニライ大主が司祭した祭り(どれも行列するお祓い神事)を、
リアルタイムで見た人も、由来を語る人も既にいない。

それでも、ニライ大主は猿田彦のことであり、
渡来神であり、最高の国津神であり、
地主神であり、つまりアマミキヨである。
それゆえ、岐(くなと)の神、先導神でもある。

そう考える根拠のひとつに、
アカララキ(曉の御嶽)がある。
王と聞得大君の一行は久高島行幸の際、
この港(ちみんとぅまい)に着くとアカララキに参詣した。
まさに「神の島」を守る地主神、
そして先導神である。

またテーラーガーミ(男たちによる太陽の祭り)で、
お祓いの行進の出発地点になるのも、この御嶽。


アカララキの下の港は、王府時代の大君の港。
遠く正面に、本島側にある斎場御嶽が見える。
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ところで、アカララキに
座す神は太陽神であり、龍蛇神でもある。

アカララキは、出雲大社の龍蛇神
の小祠と似ていると語り部は言った。
私にもこの神体石が、トグロを巻いた蛇に見える。
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こちら出雲大社「神在祭」。稲佐の浜で迎えられた龍蛇神。
絹垣(きぬがき)という白幕で囲われつつ大社へ進む。
一昨年の神在祭の夜、出雲地方で流れたTVニュースより。
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さて、猿田彦に関して、
語り部がまたひとつ重大なことを思い出した。
郷土芸能『長者の大主』にまつわる話だという。

「あの劇に、ニライ大主が登場するのですよ」
私は観たことがないが、
「沖縄の各地にある芝居ですね、夏祭りで演る」
「ニライ大主は長者の前に現れ、
アマスのアマミツに授けた五穀の種を
与えて、作り方を教えるんです。
 『百名の長者の大主』ではギレー大主ですが、
 あの神様がニライ大主、つまり猿田彦大神なのです」

なるほど…
太陽の霊力を継いだ渡来海人族の祖先神は、
海においては龍宮神であり、
陸においては稲荷神だった。

そう言えば…
各地の稲荷神社には猿田彦大神が祀られている。

by utoutou | 2015-02-09 19:13 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

猿田彦の下駄 3⃣ みちひらき

魚根家(イン二ヤー)の下駄には、日付があった。

一九六七年 十一月十三日

半世紀も前の話だ。ただ、
比嘉康雄氏のイン二ヤー拝所図(1979年調べ)には
描かれていないので、後からこちらに移されたようだ。

下駄ははたして、猿田彦にちなんで奉納されたのか。
いや、私はそう確信しているのだが…。

系図上、猿田彦は綿津見神(海の神)の子であること、
また安曇氏の祖神であることは、既に何度か書いた。
いっぽう沖縄では、海の神を「龍宮神」と呼ぶのだから、 
竜宮神(猿田彦)は、イン二ヤーの始祖である。


さらに、古来、久高島で受け継がれた
ニライ大主(うふぬし)という神役も、
イン二ヤーの女が継ぐとという決まりがあった。
ニライ大主について、
比嘉康雄氏は次のような口伝を遺している。

・ニライ大主は島の最高神である
・聖地ニラーハラー(ニライカナイ)の主である
・しかし、結婚できない神役だったため途絶した
・正月にはニライ大主が先頭に立ち、行進をした

最後の口伝は、とても貴重な情報だ。
正月神事の先頭に立つ…
その神を、猿田彦と言わずして何と言おうか。
「みちひらき」の神とは、まさに猿田彦のことであった。


↓ ニライカナイの海(2枚とも昨年の旧正月に撮影)。
ニラーハラー(ニライカナイ)とは
「東方の聖地」のことだが、「始源の地」という意味も。
つまりニライ大主とは「渡来神・猿田彦」のことでもある。
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やはり去年の旧正月の伊敷浜。古来、数々の神事が行われた。
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旧正月の行列神事。先頭を行くニライ大主の後には、
ソールイガナシーや根人(ともに男性神役)や神女が、
そしてまた島人たちもついて外間殿まで歩いたという。

〜先頭のニラー大主の親戚の人がビービタトゥという笛を
吹き、行列して外間殿にお迎えし(中略)ニライ大主は
外間の中央に座した。それから正月の行事が始まった〜
※比嘉康雄氏著『神々の原郷 久高島』より


正月行列の到着地・外間殿。(やはり去年の旧正月に撮影)。
今年は来たる2月19日。三線と太鼓で新年を寿ぐ風景が見られる。
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男性が健康を祈願、神人が神酒を振る舞う酌とぅい(酌とり)。
※写真は南城市観光協会WEBサイトより拝借。
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外間殿に掛かっている七福神の掛け軸。
なぜ久高島に七福神?と思っていたが、
寿老人(中左)は白鬚明神とも呼ばれる。
つまり猿田彦のこと。ようやくその意図が飲み込めた思い…。
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by utoutou | 2015-02-07 17:46 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

猿田彦の下駄 2⃣ 古代海人族

失礼しますと拝礼しつつ
「イン二ヤー」と呼ばれる拝所の扉を開くと、
拝壇の隅に高下駄があった。手に取るとズシリと重い。
また、壁の上部には、木の長い杖も掲げられていた。

高下駄は、一本歯ではなかったが、
杖も祀られているとなれば、猿田彦の立像を想像せずにいられない。


魚根家と書いてインニヤーと読むことも知った。
方言読みで、魚は「いゆ」、根は「に」、家は「やー」。
そうすると、屋号の意味は
「魚根の家」「魚の根家」または「魚の根の家」か。
いずれにしても「根」がつく以上、
相当な旧家であることは間違いない。
古代海神族の痕跡ここにあり?
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インニヤーは既に廃絶したようだが、
比嘉康雄氏の著書『神々の原郷 久高島』には、
旧家のひとつとして拝所図が載っている。

インニヤー家(1979年調べ)として、
次のような説明文が。
「当家は龍宮神で、昔はフシマを管掌していた」。
また拝壇の香炉名も「龍宮神」「根人」とある。


イラブー海蛇の漁場でもあるフシマの漁獲権は外間根人が持つ
というが、それはイン二ヤー家から受け継いだものと聞いた。
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↓ 図に描かれた、フシマの神馬を繫ぐ「がじゅまる」(写真の右)。
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ここで、イン二ヤーの情報を整理すると…
・根人(男の神役)を輩出した旧家
・ニライ大主(女の神役)をも輩出
・龍宮神(=龍蛇神)の神魂を継ぐ
・フシマのイラブー海蛇の獲る権利
・神馬を繫ぎ止めていた聖木がある


久高島の真南に浮かぶ、龍宮神の棲むフシマ(火島)。
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そして、
あっと、下駄の鼻緒に気がついた。
イザイホーの「アリクヤーの綱引き」で使う
稲藁と酷似している。
水の少ない久高島では稲は育たないため、
祭具として使う稲藁は、アマミキヨの居住地と伝わる
ミントングスクから送られていたのだった。



by utoutou | 2015-02-05 08:01 | 久高島 | Trackback | Comments(9)

猿田彦の下駄 1⃣ 神託の続き

久高島・西海岸にある御嶽・アカララキ。
王府時代には「ちみんとぅまい」(聞得大君の泊)
と呼ばれた港のすぐ前にある。
1月末に島に寄ったときにも、いちばんに足を運んだ。

御嶽名にちなんで「曉の御嶽」とも呼ばれる。
石祠に祀られている神の名前は不明だ。これまで、
アラハバキ・瀬織津姫では? と書いたが、ふと、
ここには龍宮神が祀られているのではないかと思った。


昨秋訪れた、伊勢・伊雑宮の奥宮「天の岩戸」の祭神
猿田彦大神と瀬織津姫とよく似た、龍神の神気が感じられた。
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実際、アカララキの大きな神徳は、
久高島最大の祭・イザイホーでいかんなく発揮された。
イザイホーの開始前には、ここで「御願立て(うがんだて)」
が催され、またイザイホーの期間中、アカララキの祠は祭祀場
に出張して、神女たちの成巫儀礼(神魂の転生)を見守った。


このアカララキで
不思議な現像に遭遇したのは、1年前の旧正月
祠の中に、白い玉がくっきりと投影された。

島人に尋ねると、
「フシマ(火島)へ行けという神託ですよ」と言う。
さすがに「神の島」。噂に聞く霊能で即座に言い当てた。

↓ 島の真南(まふぇー)の離れ小島・フシマ。
旧正月と違い、この日は極寒。釣り人もいなかった。
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1年前に語り部が言ったことを思い出す。
「フシマに棲む龍宮神は、神馬に乗って来たそうです。
そしてその馬は、イン二ヤーという拝所に繫がれていた」


尋ね尋ね集落を歩き、どうにかイン二ヤーに辿り着いた。
右に立つのが、神馬が繫がれたと伝わる、がじゅまるか。
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扉のある拝所は初めてだった。
作法が分からず、知り合いの島人に電話すると…。
「下駄が祀られているはず。杖もあるはず…」とのこと。
恐る恐る中を覗いてみると、本当に下駄が祀られていた。

しかも、高下駄。上には毛筆で「魚根家」と。
イン二ヤーとはこう書くのだったか!
魚根(いんに?)家か、魚の根家(にーや)か。

それにしても、どうして下駄と杖が祀られているのか。
猿田彦の下駄!? まさか…。

by utoutou | 2015-02-02 21:59 | 久高島 | Trackback | Comments(0)

アメリカ統治下のイザイホー

渋谷アップリンクで『イザイホウ』を観た。
前回は満席で入れなかったので、ネットで予約。
ミニシアターながら今回も満席に近い入り。
追加上映は、2/6(金)までという。

海燕社制作(野村岳也監督)のDVD(↓)
その劇場版。やはり臨場感が違った。
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1966年(昭和41年)に久高島で行われたイザイホー、
戦後初めて行われたその秘祭のドキュメンタリーだ。
'78年版の作品は有名だが、さらに12年前のもの。

米国統治下の時代の島の生活が描かれる。
「女は神人、男は海人」という宿命、離島の生活苦。
そんななか、島を挙げての祭りの準備が始まった…。

帰宅後、何年か前に沖縄県立図書館でコピー
した当時の新聞を広げた。
「神の島」の現実が垣間見える。

「神秘のベールを脱いだイザイホー」
「古代的神聖の島」「圧巻! 洗礼の儀式」
「伝統の扉 開く」「取材陣続々」といった
祭りの記事は、新聞各社1面トップの扱い。

いっぽう連載企画には「文化に見放された島」
「昔ながらのランプ生活」
「クバの原生林がキビ畑に」などといった
サブタイトルが連なる。



↓沖縄タイムス(12月26日、旧暦11/15)夕刊三面。
「イザイホー調査団 久高島へ」の記事下
に大手デパート・リウボウのセールの広告が。
価格表示はすべてドル立て。
「婦人スーツ$7.50 、紳士靴$4.00」と。
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ところで、ナレーションでは、イザイホー
は「600年の歴史」と語られていたが、
'54年、また戦中の'42年にも止むことはなかった。

久高島の島人曰く「“薩摩世”でも
“アメリカ世”でも“ヤマト世”でも、
休むことはできない祭り」なのだった。

イザイホーは、王府時代以前から、
36年前の''78年まで、綿々と続いた。
その長き継承を支えた力とは?

改めて思ったのは「おなり神信仰」だ。
女に宿る霊力(せじ)が男を守護するという
古代感覚は、琉球神道の要となる神観念だった。

それが、後に伊勢神宮における
斎宮のシステムを生んだと思う。

イザイホー調査団が「久高島は日本の原郷」
と驚く前に、久高島には「ここが大和の原郷」
という秘伝があったと、島で度々聞いた。


↓イザイホーを終えた神女が
兄弟と向き合う儀式「アサンマーイ」は映画にも。
祭りの日、男たちも耳にイザイ花を挿していた。
花の赤白黄は、聖木・アザカ(アダカ)の色。
女はイザイ花、ハブイ(蔓冠)、アザカの葉を飾る。
※写真は『主婦が神になる刻(比嘉康雄著)』より拝借。
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アザカで契られた男女は、
祭りの最後に「アリクヤーの綱引き」に臨む。
「アリクヤー」とは「船を漕ぐ」という解釈が
一般的だが、琉球神道研究の第一人者・
鳥越憲三郎氏は、それを「ありきえと」だと言った。
「ありきえと」とは「神が天界から舞い降りるときの船歌」。
写真は海燕社HPより拝借。
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天から舞い降りる神とは、龍蛇神のことだろうと
スクリーンを観ながら、改めて思った。
イザイホーとは龍蛇神の祭り
男女が揃って「綱」を上下に大きく振る様子は、
私には、イラブー(海蛇)の擬きにしか見えなかった。

by utoutou | 2015-02-01 01:50 | イザイホー | Trackback | Comments(0)