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稲作と龍神 6⃣ 三穂津姫

沖縄の稲の起源は700年前。
「稲を運んだ鶴」の伝説ではそう語られる。
伝説の舞台・カラウカハ(南城市玉城百名)にも、
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)にあったもの
と同じ内容の説明板が立っている。


海岸線と並行する国道331号線から、新原ビーチ
に下りる道路際にある稲作の聖地・カラウカハ。
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[説明板の概要]
〜今から約700年前、中国から
稲穂をくわえた一羽の鶴が飛んできて、
この地に落ち息絶えたが、その稲穂が芽を出した。
早苗はアマミツによって
受水走水の水田(三穂田)に移植され、
琉球最初の稲作が始まった。
別名「天孫氏カー」〜
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「地元の偉人・アマミツ」とは、ミントン門中
の屋号・天祖(アマス)の阿摩美津(あまみつ)。
アマミキヨの直裔という。

その名は田植え歌『天親田のクウェーナ
にも歌われているが、阿摩美津が
稲作の祖としていかに崇敬を受けてきた
かは、この地形にも表れている。


カラウカハから受水走水へはこの舗道を下る。
「親田御願(うぇーだのうがん)」のコースでもある。
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反対の山側にカラウカハと並んで石段がある。
阿摩美津の墓へと登る道。墓には、
共に稲作を始めた屋号・安里(姓は比嘉)
と大前(うふめー、姓は島袋)という
二人の従兄弟も眠っていると伝わる。
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阿摩美津の墓の周辺には、
戦前まで美しい松林があったという。
それは「琉球の三穂の松原」と呼ばれた。

受水走水(うきんじゅはいんじゅ)の
受水下にある三穂田(みーふーだ)
にちなんで、そう命名されたというが、
三穂田の由来はまことに諸説紛々。

1.稲穂が最初に3本生えたから
2.カラウカハ・受水・走水と3つ穂田があるから
3.御穂田とも呼ばれるから
4.3人が協力して穂田を作ったから
5.稲作の起源が3つあるから

このなかで、語り部の聞いた口伝は「5.」。
曰く、稲作技術の渡来は3回繰り返された。
最初は、水の要らない古代米の稲作、
2度目は、鷲が稲穂をくわえてきた稲作、
3度目は、鶴が稲穂をくわえてきた稲作。

カラウカハを、地元では
「御先三穂田(うさちみーふーだ)」とも呼んだ。
御先とは紀元前、上古といった意味だ。
つまり、稲作の起源は700年前よりはるかに古いと。

水のいらない古代米(生苗)を育てた
日巫女の名は三穂津姫という。

出雲・美保神社(過去記事はこちら
の祭神にして『日本書紀』では
事代主の母神、そして、
高天原から稲穂を持って降臨した
皇高産霊命の姫神、大国主の妃神とされる。

そのため御先三穂田から
受水走水にかけての一帯は
「高天原」「高千穂の峯」と秘かに呼ばれた。
ここは天(あま)の字を戴く「天親田」の聖地。
ヤマトの神々の原郷なのだからと。

思えば、国獲りに敗れた事代主が
入水したという故事にちなんだ祭り
「青柴垣神事」(4月7日)で祀る「蝶形の扇」
は、蒲葵の葉を模したものである。






by utoutou | 2015-03-31 16:27 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 5⃣ 稲魂の神々

〜大(うふ)ま積(ぢ)ぬんいしてぃ〜
『天親田のクウェーナ』の最後の歌詞。
意味は、
「刈り取った稲穂を大きな山のように積む」

それはつまり、
大山積神(おおやまずみのかみ=大山祇神)
の由来なのではないかと、私は思った。

それで思い出すことがあると、語り部は言った。
「百名玉城の神女がよく言ってました。
 受水走水(うきんじゅはいんじゅ)で拝むときは、
 まず走水で拝んで身を清めて、それから、
 受水の稲魂(いなだま)の霊力(しじ)を受ける
 のが正しい順番だよと」
「稲魂?」
「ヤマトで言えば、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、
 大山積神と同じ穀物の神様のことです」

「てことは。稲荷神社のお稲荷さんとも同じ?」
「はい、保食神(うけもちのかみ)でもある」
「ということは、豊受大神 」
「神名に食物を意味する“受”の字が入っていますね」
「受水。確かに…」



受水走水(うきんじゅはいんじゅ)は南城市
玉城百名の農道から入った突き当たりにある。
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豊受大神とは伊勢神宮外宮の祀られる
食物・穀物を司る祭神。
そして、元伊勢・籠神社(真名井神社)の祭神。

かねてから、
「稲穂と鶴の伝説」のある伊勢(伊雑宮)、
「カゴメの歌(鶴と亀)」のある京都丹後(籠神社)、
そしてこちら、やはり「稲穂と鶴の伝説」
のある受水走水には、
稲作渡来海人族の潮流を思っていたが、
神名にも、それが窺えるとは新発見だ。

ただし、そう驚きはしない。
律令国家の成立とともに神社が各地にでき、
祭祀制度も整備される以前、
神々とは、火の神、日の神、山の神、
川の神、田の神といった自然神だったはずで、
そのひとつが稲魂の神・稲倉の神だった。

そう考えれば、いや、
そうした神々こそ「天津神」と呼ばれたと思う。



受水走水に立つ説明板には、稲をくわえた鶴が
この地に落ちたのが、受水のはじまり
だと記されているが(時代は14世紀ごろ)、
語り部の口伝では、稲作は
御先(うさち=縄文時代)にすでに始まっていたという。
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祭り以外には、いつ行っても人の気配はなく、
絶え間ない河口の水音に古代を偲ぶことができる。
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受水の拝所。右上の高地から流れ落ちる水は、
左の田んぼ(現在は使われていない)を潤した。
戦後の減反農政で周囲の田んぼはなくなったが、
それまで南城市(古称・東四間切)は水田地帯だった。
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by utoutou | 2015-03-29 17:38 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 4⃣ 新たなる謎解き

沖縄稲作の聖地・受水走水(うきんじゅはいんじゅ)
で、古来行われた「親田御願(うえーだのうがん)」。

クウェーナとは古謡形式のひとつで、
いわば豊穣の予祝い歌。
豊穣の実現を約束するように、呪術的に、
かつ稲作の作業工程を叙事詩的に歌い上げる。
              
そもそも「天」の字が古代海人族を思わせるが、
歌詞の最後の1行が気になり、語り部に聞いた。
                
「“大(うふ)ま積(じ)ぬんいしてぃ”とは
どんな意味ですか?」

『天親田のクウェーナ』の最後半の歌詞はこうだ。

〜大屋(うふや)ぬ縁までぃ積(ち)ん余ち
  あしゃぎぬ端(はぢ)までぃ積(ち)ん余ち
  大(うふ)ま積(ぢ)ぬんいしてぃ〜

語り部は言った。
「“ま積(じ)ぬん”とは、積むこと。
“いしてぃ”とは、ドッシリと置くこと。
刈り取った後の稲を山のように積む、
それが豊作の象徴だったのでしょう」
  
私は、気になっていたことを口にした。
「それが、まさに大山積神の神名の由来では?」
  
「…そうだと、思います。
大山積神は龍神、そして山の神、田の神。
高地の水源地から龍神のように降りて来て、
親田に豊作を呼び込む神とは、大山積神。
つまり大山祇神は、
琉球の地で崇められていたのだと思います」
 
この会話から、
また新たなる謎解きが始まったのだった…。



親田で行われた今年の御願から
約1ヶ月経った20日、
苗は順調に育っているようだった。
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幅10mほどの親田だが、王府時代には、
親田での神事が終わっ初めて、
各地でも田植えが始まったという。
収穫は初夏で、沖縄の稲作は2期作となる。
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こちら受水の拝所。
その左手前も親田。
ただし、親田御願の行事において
こちらでの田植えは、戦後になって省略された。
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by utoutou | 2015-03-29 03:46 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 3⃣ 天親田のクウェーナ

     『天親田のクウェーナ』の歌詞
  『ミントン』(90年、玉城村字仲村渠発行)より
    ※赤字は地元の古老による現代語訳

   1. 阿摩美津(あまみつ)が始みぬ  
     阿摩美津(あまみつ)が始めた
   2. 浦田原(うらたばる)巡(み)ぐやい 
 浦田原を点検して廻って
   3. 泉口(いずんぐち)悟(さと)やい 
 泉口の水量を確認して
   4. 湧ぬ口(わくぬくち)悟(さと)やい 
 湧水口を掃除して
   5. 縦溝(たてんず)ん割い開きてぃ 
 縦に溝を掻いて開けて
   6. 横溝ん(ゆくんず)ん割い廻わち 
    横に溝を掻いて開けて
   7. 畔型(あぶしがた)造やい 
 畦道を造って
   8. 桝ぬ型(ましぬがた)据(い)してぃ 
 四角い枡を整然と造って
   9. 足高(あしだか)んうるち 
 牛を引き連れて(田んぼを)下って
         10. 角高(ちんたか)んうるち 
           牛を引き連れて(田んぼを)下って
   11. 苦土(くんちや)やきじいしてぃ 
     痩せた土を踏み潰させて
   12. 真土(まんちや)やきじ浮きてぃ 
 よい土を踏んで上げさせて
   13. 夏水(なつみじ)に潰(ち)きてぃ 
    夏は水に(20日ほど)漬けて発芽させて
   14. 冬水に下(う)るち 
    冬は水に(40日ほど)漬けて発芽させて
   15. 百(むむ)とぅ十日(とうか)なりば 
    百十日経てば
   16. しんぬ田原(たばる)に持下(むちう)るち
    立派な田んぼに苗を持って下りて
   17.しじしじとぅ引分(ひきわき)てぃ
    土を払いのけ何本かずつに株分けして
   18. 桝ぬ型(ましぬかた)に挿植(さしう)いてぃ
    枡型に挿し植えて
   19. 植(う)いてぃ三日巡(みっちゃみぐ)たりぱ
    三日経つと鬚が伸び始めて
   20. 白(しら)ふぃじんさすぃ
    伸びて白く出てくる
   21.ゆらい草掻(か)ちゃい
    生えた草を取ると稲に活力が出る
   22. 三月(さんぐぁち)になりば
    (旧)三月になれば   
   23. まだら南風(べ)ん吹(ふちゆ)い
    南風が吹いてくる
   24. 四月になりば
    四月になれば
   25. しだら南風(べ)ん吹(ふちゆ)い
    南風が吹いてくる
   26. 五月になりば
    五月になれば
   27. 繁(しぢ)々とぅ盛(む)い上てぃ
    繁々と稲が茂ってくる
   28. 北(にし)風ぬ吹きぱ
    北風が吹いたら
   29. 南(ふえ)ぬ畔枕(あぶしまくら)
    稲が畦道を枕に繁っている
   30. 南(ふえ)ぬ風吹きぱ
    南風が吹いたら
   31. 北(にし)ぬあんだ枕
    北の畦道を枕に繁っている
   32. 六月がなりば
    六月になれば
   33. 大鎌(うふいらな)うたさに
    大鎌(うふいらな)を鍛冶屋で打ってもらい
   34. しかまん人(ちゅ)傭(やとう)てぃ
    稲刈りの手伝いを雇って
   35. 朝(あさ)や刈い干(ふ)さい
    朝なら刈り上げて乾かし
   36. 夕暮(ゆずくい)や持上(むちあ)ぎてぃ
    夕方なら持ち上げて脱穀して乾かす
   37. あんされやゆみ数い
    頼まれた人は収穫量を計算して
   38. うふやくみいや算取(さんとう)やい
    指導監督する人は出来映えを見る
   39. あんされぬ好(くぬ)みぬ
    頼まれた人の好きな
   40. 甘み酒汲(く)ん呑(ぬ)まち
    美味しい酒をたくさん差し上げて
   41. うふやくみい好(くぬ)みぬ
    指導監督する人の好きな
   42. 辛酒(からさけ)汲(く)ん呑(ぬ)まち
    強い酒を汲んで差し上げて
   43. 四又(ゆちまた)う倉に積(ち)ん余ち
    四本足の高倉に乾燥した稲穂を積んで
   44. ハ俣(やちまた)う倉に積(ち)ん余ち
    八本足の高倉に乾燥した稲穂を積んで
   45. 大屋(うふや)ぬ縁までぃ積(ち)ん余ち
    大きな屋敷の縁側まで稲穂を積んで
   46. あしゃぎぬ端(はぢ)までぃ積(ち)ん余ち
    神屋の端まで稲穂を積んで
   47. 大(うふ)ま積(ぢ)ぬんいしてぃ
    束ねた稲穂を大きく積んで置くほどの豊作
   く屋号倉元のマジンの周囲を廻りつつ〉
   拝(ふえ)さびたんどぅ スーライ、
   中盛(む)らち給(たぼ)り
    お祭りを無事に終えました
    積んだ稲穂が盛り上がるよう拝み奉ります
      (三回くり返す)サーユカロー ユカロー
       ●坐グェーナの唱い方
    阿摩美津が始みぬ エーアマウェーダーヨー
    ●立グェーナの唱い方
    エー 阿摩美津が始みぬ ヨーイエイヤ
    ハローチーヘイ アマーエーダーヨー 米ぬ湧上ゆい
   (各節くり返す)
    
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by utoutou | 2015-03-27 21:43 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と龍神 2⃣ 琉球の大水田地帯

田植え神事の神歌
「天親田(あまうぇーだ)のクウェーナ」。
歌詞には、琉球の古代を紐解く鍵が
秘められているが、その前に
この地を聖なる大水田地帯とした
類い稀なる地形を見てみたい。

稲の収穫時期となる初夏、
琉球の国王と聞得大君が、
この地に行幸した史実が残る
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)。

稲作の条件となる良質の水は玉城台地
(現在は琉球ゴルフ倶楽部)から、
この東海岸一帯に注ぎ、百名海岸へと流れ出る。  
その地こそ、琉球の始祖が海から
上陸した場所でもある。



↓ 海中にアマミキヨ上陸の碑
ヤハラヅカサが立つ百名の海。
昨日は潮が引き、砂浜から20mほどの
水中に立つ石碑まで歩いて行けた。
潮の状況によっては、海中に没する日もある。
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↓ アマミキヨが上陸後に仮住まいした
と伝わる 潮花司(しょっぱなつかさ)。
左の石段を下りると、ヤハラヅカサが立つ海が広がる。
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ヤハラヅカサから、
稲作の聖地・受水走水は500mほどの距離。
水と稲の聖地は、実に一体となっている。   
現在も「潮花司」の脇から、遊歩道で繫がっている。
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↓ 潮花司のすぐ山側にある浜川御嶽。
屋根付きの拝所がある。
しかし、本来の威部(いび)は
その右の河口だと、語り部は言う。
石造りの水口も、いまは枯れているが、
往古、ふんだんな水量が海に注いだことが偲ばれる。
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この地形が琉球の「親田(あまうぇーだ)」
と、呼ばれることになる田んぼを生んだ。
よって琉球王朝の田植え神事「親田御願」の歌詞は、
冒頭こう始まるのである。

♪阿摩美津が始みぬ
エー、アマウェーダヨー

アマミツとは稲作の祖・天祖(家)のアマミツ。
アマミキヨの末裔。
アマミキヨは稲作技術を携えて渡来した
のだと、神歌は謳っている。




by utoutou | 2015-03-25 01:38 | 玉城 | Trackback | Comments(0)

稲作と竜神 1⃣ 春分の日

春分の日だった昨日、朝6時44分。
沖縄久高島・伊敷浜の朝日。
春靄のかかった曇り空の奥には、
しかし澄んだ青空が見えた。
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その前日、東京から沖縄に着いた。
久高島に渡る前に立ち寄ったのは、空港から
車で走ること40分の受水走水(うきんじゃはいんじゅ)。
南城市玉城百名にある沖縄稲作の発祥の地である。

この地で古くから伝わる恒例の「親田御願」神事
は、今年も初午の日(2月24日)に行われたが、
それから約1ヶ月、稲の育ちはどんな具合だろうか。


こちらが親田(右)の現況。親田の稲は20㎝ほど伸長していた。
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さて、古くから伝わる「親田御願
(うぇーだのうがん)」で謳われる田植え歌
『天親田(あまうえーだ)のクウェーナ』には、
日本神話に伝わる神々が登場する。

神名は同じではないが、少なくともその語源は、
豊作を予祝いする歌詞に、隠されていると思う。
「沖縄は日本の故郷」との仮説に立つと、そうなる。

無論、過去にそんな学説はないし、そう言えば、
那覇に着いた足で県立図書館に寄ってみたのだったが、
『天親田(あまうえーだ)のクウェーナ』に関する
史料も、現代語訳も見当たらなかった…。


↓ 稲魂の聖地・受水走水の全景。左が
受水(うきんじゅ)と御穂田(みーふーだ)、
右にあるのが、走水(はいんじゅ)と親田。
受水走水はいずれも河口で、拝顔の順番は走水、受水。
走水に座す神は、水の女神・瀬織津姫だろうと最近悟った。
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by utoutou | 2015-03-22 13:53 | 玉城 | Trackback | Comments(5)

富士山本宮浅間大社[11]スサノオの「蘇民将来」

鹿屋野姫(=野椎神)は、大山祇神との間に
足名椎と手名椎という一対神をもうけた。
野椎神(のづちのかみ)と同じ、
「椎(つち)」の2文字を含んだ神名。

椎とは土、そして、ツチノコのツチ(蛇)。
いっぽう「槌」にも通じるならば、
打出の小槌を持っていたのは大国主神だった。
いずれにしても、この極東に
位置する列島に先着した海人族の祖神だ。
 
足名椎と手名椎の末娘・奇稲田姫(くしなだひめ)
は須佐之男命(すさのおのみこと)の妃となったが、
その『八岐大蛇(やまたのおろち)』と同様、
出雲系神社ではお馴染みの伝説『蘇民将来』
も「茅の輪くぐり」の由来であることは見逃せない。

ご存じ『蘇民将来』は
『備後風土記』や『参宮名所図絵』に残る、
スサノオが嫁探しに龍宮へ行く途中、泊らせて
もらったのが貧しい蘇民将来の家だったという民話。

スサノオは無事結婚して8人の子をもうけ、
蘇民もスサノオの言う通り「蘇民将来」
の札を魔除けとして家に掲げたところ、
その子孫は繁栄して長者となったという。


各地で見かける「蘇民将来」の注連縄。
こちら伊勢神宮近くの民家で撮影。家のご主人は、
「毎正月に買って年中下げている」と言っていた。
「意味は知らないけど、昔ながらの習わし」だと。
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さて『蘇民将来』伝説には、
「茅の輪」という後日談がある。
再び蘇民将来のもとを訪ねたスサノオは、
「茅で輪を作り腰に付ければ病気にならない」
と、今度は教えた。

この「茅の輪」の規模が大きくなり、
江戸時代になると、罪や災いを取り除く
「茅の輪くぐり」の神事が各地に広まったという。


浅間大社サイト「年間行事」のページにも
夏越大祓式(なごしのおおはらえ)として載る。
↓「茅の輪くぐり」の写真も同HPから拝借。
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沖縄・久高島でも、春秋の祭り
「ハンジャナシー」では、神女たち
がスバ(ススキ)で島をお祓いして歩いた。


↓ 現在も久高島はススキがいっぱい(昨12月撮影)。
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古来、人々は茅萱(ちがや)に強い霊力を感じた。
硬い地表を突き破って芽を出す茅の力
で罪や穢れを祓い清め、厄災を免れようとした。
またその霊力をもって、野椎神は野のすべてを司った。

その子・足名椎と手名椎は、沖縄玉城の田植え行事
「親田御願(うぇーだのうがん)」で謳われる神歌
(『天親田のクェーナ』)に登場する一対神である。

その歌を初めて聞いてから数年、
きょう、ようやくそのことに気がついた…。

by utoutou | 2015-03-19 21:10 | 神社 | Trackback | Comments(0)

富士山本宮浅間大社[10]猿田彦大神

富士山の「白糸の滝」に祀られている瀬織津姫。
またの名を鹿屋野姫。そして、かぐや姫という。

その女神は伊勢神宮別宮・伊雑宮の奥宮「天の岩戸
と同じように猿田彦大神(=天照大神)の一対神
として、富士山のどこかに祀られているのか?

語り部の答えは「yes」だった。
猿田彦大神は、富士山頂の浅間大社の奥宮と
九合目にある久須志神社に隠されていると。
思えば、白糸の滝の源流は山頂。

つまり富士山頂の聖域にも、当然のこと
猿田彦と瀬織津姫が祀られているはずだ。



吉田口山頂の久須志神社。
写真は富士山ガイド.comから拝借。
浅間大社HPによれば、祭神は大名牟遅命、少彦名命
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ところで、鹿屋野姫は大山祇神の妃神あるいは一対神。
いっぽう、鹿屋野姫と猿田彦も一対神として祀られる。
ならば、大山祇神と猿田彦は同神ということになるのか。

猿田彦は、海神の王たる綿津見神の子。
大山祇神とは、綿(=海)津見神を山に祀るときの神名。
当然のこと、猿田彦と大山祇神とは、同じ神格である。



新幹線の新富士駅から望む富士山。
霊峰・富士山には幾重にも秘めて綾なす神話がある。
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さて、大山祇神と鹿屋野神は、多くの子をもうけた。
そして、大山祇神との間に4組8柱の男女神を生み、
足名椎・手名椎を生み、木花咲耶姫、磐長姫を生んだ。

足名椎(あしなずち)は、
大山祇神の子で木花咲耶姫の兄。
妃は、やはり大山祇神の娘・手名稚(てなずち)。 

足名椎と手名椎も、八柱の娘をもうけた。
しかし、娘たちは
八岐大蛇(やまたのおろち)の生け贄となり、
最後に残った奇稲田姫(くしなだひめ)が、
須佐之男命(すさのおのみこと)の妃となった。

猿田彦の神系統である以上、スサノオと奇稲田姫も
沖縄に縁の深い神々だということになるのだろうか…。
かくして浅間大社の謎解きはまだ終わりそうにない。


まさか奇稲田姫を富士山の項で思い出すことになろうとは。
一昨年参った出雲・八重垣神社に保存されている奇稲田姫の壁画。
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by utoutou | 2015-03-17 21:51 | 神社 | Trackback | Comments(0)

富士山本宮浅間大社 9⃣ 鹿屋野姫(かぐや姫)再考

鹿屋姫=赫夜姫(かぐや姫)=瀬織津姫。
そこで忘れてはならないのが、白糸の滝だ。

赫夜姫が富士山頂に、湧玉池に瀬織津姫が
祀られているならば、
富士山の伏流水が湧出して流れ落ちる
白糸の滝に、瀬織津姫が祀られない訳はない。

今回の参拝旅では行けなかったが、
この名瀑こそ瀬織津姫の住まう聖域だろう。

調べると、瀬織津姫を祀るのは、
富士山の西麓にして、滝のすぐ北側に
鎮座する熊野神社(富士宮市上井出)である。
主祭神は熊野神、相殿に瀬織津姫を祀る。

とはいえ『惣国風土記』(編者、出版年不明)
には「白糸乃瀧、御守神社、所祭瀬織津比メ也」
と、記載されていることからすると、
当社の主祭神は、瀬織津姫命一座だった。


白糸の滝の壮観。
富士山の伏流水が地層の間から湧出し流れている。
写真は静岡県観光情報「Hello NAVIしずおか」から拝借。
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滝神である瀬織津姫は、昨年参った
伊雑宮の奥宮(天の岩戸の項に書いた)の祭神。
「富士山もやはりそうだったか…」と感慨深い。

ただ伊勢神宮内宮の元宮と言われる天の岩戸の祭神
が猿田彦と瀬織津姫の男女一対神だったのと
違い、こちら白糸の滝は瀬織津姫単独のようだ。

ということは…と、浅間大社本殿の謎が甦る。
実は、本殿の2階楼閣の千木は垂直に切れていた。
一般に女神を祀る神社では、千木は水平である。
また、鰹木も5本と奇数で男神の特徴を備える。
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浅間大社には赫夜姫(かぐや姫)が隠されている
と思いきや、さらに男神も隠されているのか。
という謎解きはともかく、話は伊勢に戻って…。

古代海人族が沖縄から移動したと思われる
伊勢志摩一円で崇められていた一対神とは、
猿田彦(=天照大神)と罔象女大神(瀬織津姫)。

その罔象(みずは)の意味を、
   私は水走(みずは)と同じだと考えている。
水が走るように流れる滝の神。

沖縄稲作発祥の地・受水走水(うきんじゃはいんじゅ)。
ふたつ並んだ湧水口の右側が「走水」で、
ここに人々は原初の水神・龍神を見ていたと思う。

つまり、伊勢同様、富士山の地にも沖縄
からの民族移動があった可能性がある。

実は静岡県には大城さんという名字が多い。
大城とは、古代天孫氏王朝があったと言われる
本島南部の「東四間切り」の古名である。
もしや、静岡の大城さんの故地は沖縄では?


↓ 湧玉池側から撮った浅間大社本殿の二階楼閣。
こちらは側面は、やや富士山に向いているが、
本殿の正面から見ると、白糸の滝を背景にしている。
  
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by utoutou | 2015-03-15 18:41 | 神社 | Trackback | Comments(0)

富士山本宮浅間大社 8⃣ 瀬織津姫の不死山

「祭神は赫夜姫(かぐやひめ)」と知ったいまに
なって思い返すのが、浅間大社の末社・水屋神社。
湧玉池(わくたまいけ)のほとりに鎮座している。

富士山の雪解け水が溶岩層を通って湧き出る水は、
浅間大神の水徳とされ、長く霊水として信仰された。


水屋神社を覗くと、まさに湧水の源だった。
神社の前には、空のペットボトルが並ぶ。
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水屋神社で目についたのは、竹のあしらい。
湧水は左手、石塀に渡された長い竹筒から出る。
竹筒に何ヶ所も付いた細い竹の蛇口から、
間断なく、子気味よく、ふんだんに流れ出ていた。

竹は古来、蛇や龍を思わせる植物とされる。
沖縄のアマミキヨゆかりの地・玉城でも、
古来、竹林は草分家の印とされたという。

古代人が神と崇めた蛇に似ている蒲葵の木は、
いちばんの聖樹とされたが、その節目が蛇の
脱皮を連想させるということで、竹もまた、
死と再生、転生を象徴する神と見なされた。
つまり、『竹取物語』のかぐや姫も、
水神として、また龍神として、描かれたと思う。


さて、湧玉池でもう1ヶ所思い出される
のは、水屋神社の参道に立つこの藤棚。
春になれば、藤の花が瀧の瀬のように咲き誇るはず。
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藤は富士にゆかりの花に違いないが、
古代、藤も、竹と同様に蛇に見立てられた。
籠神社の藤祭、そして諏訪神社の諏訪明神と、
藤は、古伝の随所に登場する。
茎蔓の強靭さが蛇のようだというのが、その理由。

つくづくといま、思う。
がくや姫は縄文の女神として描かれていたと。

また、その後、『竹取物語』をリメイクして
『富士山縁起』を残したのは、
この地の先住民族の流れにある人々だろうと。

さて、
『竹取物語』が世に出たのは平安時代だが、
皇祖神として天照大神が誕生したのは、
  天武天皇、そして持統天皇の時代だった。

古事記の成立は712年、日本書紀は720年。
伊勢の土着の女神である瀬織津姫を、内宮の別宮に
追いやるかたちで、天照大神を皇祖神として祀った。

「その後、天変地異が続いたのは瀬織津姫の怒り」
「天武は、天変地異が続く失意のなかで没した」と、
瀬織津姫研究の第一人者・菊池典明氏は、
その著書『エミシの国の女神〜  
早池峰-遠野郷の母神=瀬織津姫の物語』で著した。
 天変地異のひとつに富士山の噴火があった。

浅間神社の社殿が造営されたのは、801年。
当時、この地に移った和邇氏の一族が、
やがて大宮司家となり、富士氏を名乗ることになる。
なぜ富士氏が、大宮司の要職に就いたのか。

それは…と、思うのだ。
封殺された女神を、富士山の聖域に祀りながら、
呪詛を解く職には、その血を引く末裔
でなければ務まらなかったからではないか。
つまり、かぐや姫のモデルは和邇氏の姫だろうと。

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かぐや姫は、語り部の言うように
「野椎神(のずちのかみ)」とも呼ばれる鹿屋野姫。
野を司る種なる女神をさしている。

話は飛ぶが、
久高島に「五穀の種が入った壷」が漂着する伝説
が残っている。その壷には、
永遠の生命を約束する種も入っていた。
クバ、ススキ、アザカの種。

『竹取物語』で帝からの求婚を断ったかぐや姫が、
代わりに差し出したのも「不死の薬壷」だった。
その薬とは、神女が醸す神酒だったのではないか。

上古より稲作と醸造の技術を携えて渡来した一族。
かぐや姫=鹿屋野姫=瀬織津姫とは
「死と再生=永遠の魂」を司る種なる女神。
不死山に祀られる必然があったと思う。





by utoutou | 2015-03-13 00:37 | 神社 | Trackback | Comments(0)