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ヤマトタケル ⑩ 白鳥の一族 〜 走水神社

酒折宮でヤマトタケルが火打袋を授けた
翁は国津神の子孫だと、語り部は言った。
つまり翁が祀っていたのは、この国の地主神
である国堅大神(くにかためしおおかみ)だろうと。

また、上古の時代、
酒折宮は富士山にあったと言った。
「山頂付近の久須志神社に、
その神様は隠されていると思います」

そこで、古史古伝『ホツマツタエ』
に答えを求めると、ヤマトタケ(ホツマではタケ)
が火焚きの翁に会ったのは、富士山南麓
のハラミのミヤだと記されていた。

そして、ホツマには、ヤマトタケの
妃・弟橘媛が入水したのは大磯の海だとも。
あらら……
道々あれこれ調べつつ、着いた先は横須賀の海。
走水(はしりみず)神社に来てしまっていた。

ま、ホツマのヤマトタケ物語は別途考える
として、今回は記紀に倣って走水神社に参拝。



走水神社。京急馬堀海岸駅からバスで5分。
横須賀市走水に鎮座。海岸のバス通りからすぐ。
祭神は、日本武尊、弟橘媛。
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沖縄の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)の走水
と同じ地名なので、いつか参りたいと思っていた。
↓ 境内から振り返ると、太平洋の水平線が見える。
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そんなわけで、予習抜きでやって来た走水神社。
やはりと言うべきか、本殿横に稲荷社が鎮座していた。
この地も古代産鉄地だったか。
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↓ 稲荷社の横、海を見下ろすように磐座がそびえる。
いつの時代のものか、磐座を背に石の小祠も並ぶ。
古代祭祀場に、いわば稲荷社が重なっている格好。
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磐座を見て、ふと思う。
ヤマトタケルが実在し、この地へ来たとしても。

各地にこの赤い稲荷神社が広まったのは、
秦氏が伏見稲荷を建てた奈良時代(711年)以降だ。

従って、ヤマトタケルの4世紀、
各地に古代稲荷神が祀られていたとすれば、
こうした磐座を依り代にしていただろう。
では、誰が祀ったのか?
それは、白鳥伝説を持つ一族?

語り部のこんな話を思い出す。
「弥生時代の産鉄地には、白鳥伝説が残ってますね。
受水走水もしかり、白は何の例えだと思います?
湯玉ができるときに立つ白い水蒸気ですよ。
だから産鉄地には、白鳥が飛ぶ言い伝えがある。
それは、白の一族とも重なります」

語り部が常々言う、
沖縄の始祖・シロミキヨに繫がる民である。



磐座の横に廻ると、石をくり抜いた祠もあり、
なんとアザカ(ナガミボチョージ)の木が、
どうした偶然か、自生していた。
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アザカで思い出すのは、
久高島の古祭・イザイホーだ。
「イザイホー ② 十字の霊力」 に書いたが、
祭りの4日目、神女就任の儀式を終えた女たちは、
祝いの円舞を前に、髪にアザカの葉を飾った。

それは、一族の司祭となった証。
あのとき、私は語り部に聞いた。
「で、一族とは、どんな民族なんです?」
「火の神の民族でしょうね」

ちなみにアザカの葉は、十字に対生している。
十字とは、水・土・火・風…
万物創造の4大エネルギーを表す。

アザカのお陰で、ミッシングリングが繫がった思い。
火の神の一族とは、稲と鉄を生す一族。
またの名を「白の一族」という。

ヤマトタケルもその一族に繫がる皇子
だったと、考えられる。





by utoutou | 2015-05-29 20:46 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑨ 国津神の子孫 〜 酒折宮

ヤマトタケルが、秩父からの帰路に
立ち寄ったという酒折宮(山梨県甲府市)。
御祭神は日本武尊(ヤマトタケル)。

この神社には、実は
秩父三社に参る半月前の週末に訪れていた。
泊まりがけで石和(いさわ)温泉に
行った折り、足を伸ばしてみたのだった。


JR中央本線・酒折駅から徒歩5分。
甲府市の東玄関といった位置。いまでは
山梨学院大学や付属校のある学園町に鎮座。
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古来、酒折は甲斐の国の中心だったようで、
他国に通ずる9つの主要街道は、
すべてこの酒折を起点としていたという。

近くに流れる笛吹川を源流へと遡ると、
秩父との国境にあたる雁坂峠に行き着くという。
秩父の産鉄地帯とは、まさに地続き。

ヤマトタケルは、ここで、
御火焚の翁(おひたきのおきな)に出会った
というから、やはりここも産鉄地だったのだろう。



その名も塩海足尼(しおのみのすくね)という翁
に、ヤマトタケルは、伊勢で倭姫から
授かった「火打嚢(ひうちぶくろ)」を授け、
甲斐国の将来を託したというのが、創建の由緒。
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さて、酒折宮は「連歌発祥の地」。
ヤマトタケルが御火焚の翁・塩海足尼と、
歌の掛け合いをしたという。
ヤマトタケルが「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる
(新治や筑波の地を過ぎて、幾夜寝たのだろう)」
と詠むと「夜には九度、日には十日を
(日数を重ねて、夜で九夜、昼で十日でございます)」
と、塩海足尼はすぐさま返歌を詠んだ。
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それにしても、不思議な由緒だ。
翁が歌を返したことに感動したとはいえ、
ヤマトタケルはなぜ火打袋を手渡したのだろう。
倭姫から草薙の剣とセットで賜った神器である。
もしや、翁は神器を授けるに価する人物だったのか。



ともあれ、相当に古い土地柄ではある。
酒折宮公式サイトによれば、
塩海足尼が社殿を建てた当初の酒折宮は、
現社地より北側の月見山にあったという。
この山は三角錐型の神奈備山(かんなびやま)。
「古天神」と呼ばれる磐座が御神体だった。
※ 写真は酒折宮公式サイトより拝借。
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磐座を守り火焚きをしていた翁とは誰か?
意見を求めると、語り部は言った。
「その方は、塩土老翁だと思います」
「この地に、シオツチノオジが?」

混乱する頭で、私はもう一度聞いた。
「それは、どういうことですか?」
「国堅大神(くにかためしおおかみ)です」
語り部は言った。
「大国主であり大物主であり、オオナムチであり、
記紀では猿田彦と呼ばれたこの国の地主神…
つまり、国津神の子孫だった
のだと思います。そして…」
「そして…?」
「本当の酒折宮は、
富士山の7合目にあったと思います」
「はあ〜」



私が参った酒折宮は記紀が記した史蹟だが、
異伝を継ぐ古史も存在するというのだろうか?
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by utoutou | 2015-05-26 21:12 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(2)

ヤマトタケル ⑨ 火打石と銅剣 〜 稲荷神社

ヤマトタケル東征の旅は、古代産鉄地を巡る旅と
分かって以来、すっかり目から鱗が落ちた。

葦原にスズが生る以上、稲作地と産鉄地は一致する。
稲荷=鋳成(いなり)、稲荷神は産鉄神の使いでもある。
そして、藤がつく名前や地名は、産鉄に関係がある。
(『風と火の古代史』(柴田弘武氏、'92年、渓流社)より)


それは、私が参った稲荷神社にも当てはまる。花見
シーズンに参った椿山荘の白玉稲荷神社(東京文京区)。
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なぜここに稲荷神が? 白玉稲荷とは? と、
あのときは謎だったことが、いまなら分かる。

白玉稲荷は大正13年('24年)、椿山荘創始者の
藤田平太郎氏が、京都の下鴨神社から社殿を移築。
伏見稲荷明神から、白玉稲荷を勧請したものという。

藤田家は長州出身。
平太郎氏の父・伝三郎氏は明治初期、
商社を設立。鉱業を中心に発展、財閥となった。
幕末の長州は武器の補給基地。つまり製鉄地帯。
古代に遡っても、たたら製鉄遺跡が点在する土地柄。
その藤田家が勧請したのが白玉稲荷(製鉄神)だった。



京都伏見稲荷大社に白玉稲荷を訪ね、
見つけたお塚に「金高講」と刻字されていたことも
私の記憶に新しい。それは鍛冶屋の組合なのだろう。
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伏見稲荷でもっとも白玉稲荷が多い御膳谷地区。
祈禱所の横には「眼力社」という神社があったが、
古来、産鉄に携わる人々が目を患うことが
多かったと知れば、当然の神祀りだと思う。

ちなみに、京都の伏見稲荷神社で秋に催行される
火焚祭りは、別名「ふいご(鞴)祭り」という。


また最近参った宝登山神社の宝玉稲荷の神紋は、
今ならどう見ても、燃え盛る溶鉱炉を思わせる。
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全国に3万社あるという稲荷神社。そのわずか
万分の一にすぎないが、稲荷神社の共通点として、
狛犬ならぬ狛狐が、片方の口に玉を、もう片方の口に
巻き物をくわえていることも見逃せない特徴だ。


高尾山薬王院境内の福徳稲荷の眷属は二段構え。
手前に一対の狛犬、奥に、玉と巻き物をくわえている狐。
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狐がくわえる玉と巻き物について、
ブログ「ひもろぎ逍遥」を運営する
lunabulaさんが、鋭い指摘をしている。
玉は隕鉄を、巻き物は暦を意味するというのだ。
つまり製鉄族は、暦法術にも長けていた?
以下引用。

〜眞鍋氏によると、「黒い隕鉄、白い隕石」と書いてあります。
白い隕石から作った鉄が黒色というふうに、シンボル化しているようです。
「2000年前頃 椋の木の黒い果実は隕鉄の象徴とされた。
1500年前頃には真金、すなわち砂土を溶融して得た鉄を指した。
布留の御魂は隕鉄、布津の御魂は砂鉄を精錬した剣。〜

〜製鉄する人たちは、いわゆる「鬼」として、
十把一絡げで言われていますが、いくつかの渡来人のようです。
「里人が来ると、白玉と黒玉を使って、
暦を教えてあげていた」とも書いてあります。〜引用終わり


産鉄民は何度かにわたって渡来した。
金属の精錬技術を持たなかった2千年前、
人々は隕鉄を金属として道具に使ったが、
500年経つと、砂土を溶融する技術が導入された。


さて、伏見稲荷大社は、711年の創建。
秦伊呂具がウカノミタマを祀ったのがはじまり
というが、そのとき既に、日本には
産鉄を溶融する新技術は導入されていた。

その新技術の使い手は、韓鍛冶、
  弥生時代に渡来した旧技術の使い手は、倭鍛冶。
『古代の鉄と神々』(真弓常忠著)を読んだ
私は、そう考えるようになった。

韓鍛冶をもたらした神は、新羅の王子・天日槍。
倭鍛冶をもたらした神は、神話に残る
オオナムチ(=大穴牟遅神、鉄穴神)。


ところで、
「謎の4世紀」「鉄の5世紀」と言われる。
鉄の時代に入るまで、産鉄地で作られたのは、
まさしく葦に生るスズ(褐鉄鉱)を使った
青銅製の銅鐸、銅剣、銅矛であった。

この5月19日、淡路島で確認された銅鐸も、
約30年前、出雲の荒神谷遺跡・加茂磐座遺跡
で発掘されたおびただしい数の銅鐸や銅剣も、
倭鍛冶の人々の手になる銅製の祭具だった。

ヤマトタケルは、各地の旧産鉄(銅)族を、
新しい産鉄民として帰属させるという任務を帯び、
天皇家から送り出された使者ではなかったか。

倭姫がヤマトタケルに与えたという
火打石(袋)と草薙の剣は、旧倭のレガリア(象徴)。
火打石は隕石、そして草薙の剣は青銅製だったと思う。
ヤマトタケルとは、倭鍛冶の血を引きながら、
韓鍛冶の時代に生を受けた、非業の皇子だった。

by utoutou | 2015-05-24 21:42 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(2)

ヤマトタケル ⑧ 丹生都比売 〜 秩父神社


ふたたび秩父神社。
古代、この地にいたらしい丹生一族に
ついて、思い出すことがあったが、
その前に由緒について振り返ると…。

秩父神社HPによれば
祭神は、八意思兼命、知知父彦命、
天之御中主命、そして、秩父宮雍仁親王。

創建は第10代崇神天皇の時代。
知知夫国の初代国造となった知知夫彦命
(八意思兼命の十世の子孫)が、祖神を祀った。


↓この濃い山並みの向こうの盆地に
秩父の町があり、秩父神社がある。
三峯神社の奥宮遥拝所からの絶景。
雲取山、白岩山と並ぶ三峯三山のひとつ
妙法ケ岳の山上に三峯神社の奥宮がある。
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秩父神社は、
武蔵国成立以前より栄えた知知夫国
の総鎮守にして、『延喜式』(927年)にも
掲載される関東屈指の古社である。

どれだけ古社であるかは、
社殿の奥に鎮座する天神地祇社に表れている。
出雲大社の十九社を彷彿とさせる横長の配祀。
計75柱の一ノ宮が祀られている。
国津神のいわゆるオンパレード。
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社殿は、1592年に徳川家康公が寄進。
江戸初期の建築様式を留め、埼玉県の有形文化財。
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社殿の彫刻は、日光東照宮の三猿や眠り猫で
有名な左甚五郎の作品「つなぎの龍」。
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さて、ご祭神の八意思兼神で
思い出されるのが、高皇産霊神の系譜。
子神が八意思兼神で、孫神が天ノ下春命。

 天ノ下春命と言えば…と、
瀬織津姫とともに祀る小野神社(多摩市)
に参拝した折に聞いた宮司さんの
お話を思い出したのだった。

小野神社の氏子さんには、
ご由緒の異説が伝わっているといい、
それは次のような話だった。

天ノ下春命(思兼十世孫)は、
武蔵国が拓かれる以前から栄えていた
秩父国の開祖だった。
この神が小野神社に勧神されたのは、
秩父牧官の小野利春が、武蔵国司
として秩父から転任したことによる。

その際に、瀬織津姫も秩父から来た
と見る向きもあり、その説によれば、
秩父豪族の丹党の祖先・丹生家の祖神
であった丹生都比売が、天ノ下春命と
ともに勧神され、後に瀬織津姫と
呼ばれることになったようだ。

天ノ下春命の名前は
『先代旧事本紀・国造本紀』に見える。
饒速日命が大和入りした際、
高天原から派遣された将軍の一人として。
〜三十二人をして、並びに防衛となし、
天織りし供え奉らしむ。
その三十一人目に〜天下春命、
武蔵秩父国国造等の祖〜と。

ただし、小野神社の伝で考えると、
知知父国の本来の祖神は丹生都比売か?
天ノ下春命よりも古い土着の姫神。
一体どれだけ古いのか。秩父には、
まだまだ古代の謎が隠されているようだ。







by utoutou | 2015-05-21 21:21 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑦ 産鉄族の出現〜宝登山神社

ヤマトタケル、別名・小碓尊(おうすのみこと)。
第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父。
父に命じられ、各地に蛮族征討の旅に出る。
西方へ、そして東方へ。
重なる指令を嘆いたヤマトタケルだったが、
伊勢にいる叔母の倭姫を訪ねると、
火打袋と草薙の剣を渡され、激励を受けた。
「危ない目に遭ったら、これを開けなさい」と。

尾張、相模、上総、甲斐、そして武蔵秩父へ。
旅のコースの一部になっている秩父三社、
その宝登山神社に参拝した私は思った。
ヤマトタケル神話とは、産鉄族を平定する旅物語?

語り部に意見を聞くと、3つのヒントが出た。
「臼」「火打石(袋)」「草薙の剣」、
それを解けば、旅の目的がよく分かるはずと。

というわけで、まず、
臼(碓、うす)について考えた。
「碓は臼と同じ意味」だと、語り部は言う。
すぐに思い出されたのは、
久高島の重要な御嶽に祀られている石臼だ。


がじゅまるの根本に、石臼が隠されている。
上下の石臼を貫いて真ん中に空洞のある「搗き臼」。
石香炉がある御嶽空間で、神として祀られている。
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臼はイザイホーの祭りにも登場した。
三日目の就任式で、
神女たちは逆さにした木臼に座った。
その儀式に際して、ノロが木臼に祈りを捧げた。

久高島は五穀発祥の島。そして、
稲作が発祥した玉城とは、一対となった祭祀場。
従って脱穀に使う臼は神具、いや神そのもの
だったのだと、私は解釈していたが…。

皇学館大学名誉教授・真弓常忠氏の
『古代の鉄と神々』を読んで、臼の役目は
それだけではないかもしれないと思った。

(長文だが…)以下引用。

〜わが国の古い呼名を「豊葦原の瑞穂の国」という
のは、稲穂の豊かな稔りを希求した誉め言葉で、
葦の生命力が邪気を祓うとの信仰から、葦の豊かな
に茂る原はみずみずしい稲も育つとの経験によった
ものとする解釈がおこなわれてきた。(中略)
しかし、葦は葦であって、これが稲に変わることはない。
が、葦の根に褐鉄鉱、すなわち「スズ」の生(な)る
ことを知ったとき、眼から鱗の落ちる思いがした。
つまり。葦の原は鉄の採れるところであった。
すなわち、葦の根に形成される褐鉄鉱の団塊「スズ」を
採って、それにて鉄器を生産し、開墾を進めたのである。〜

真弓氏も著したが、まさに目から鱗。
目の前に山の民が出現したかのような驚き。

実はこれまで、沖縄の古代について
どうもピンと来ない事々があった。
「アマミキヨの弟はカニマン(鍛冶屋)」という古伝、
「御先(うさち、上古)カニマン」という言葉、
「受水走水(うきんじゅはいんじゅ)は湿地帯だった」
という神女おばあたちの口伝、
そして、玉城垣花にある古代製鉄所跡の遺跡。
バラバラに聞いたパーツのすべてが、
「葦原は瑞穂の国」というキーで繋がったのである。



三峯神社の駐車場からの三峯遠望。
産鉄地の多くは連山に囲まれた盆地という。
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ところで、宝登山神社に、
藤谷淵神社という摂社がある。大和尊社の隣。
明治政府の方針でここに集められた産土神
を昭和になって祀ったと、記念碑は記す。
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藤谷淵とは長瀞の旧名だいうが、
『風と火の古代史』(柴田弘武氏著、92年、渓流社)
を読んで、再び目から鱗が落ちた。
「藤の蔓で編んだザルは産鉄具なので、
産鉄地名には藤がよく付く」
「淵とは葦のこと」だという。

そこで、藤谷淵という地名は、
ズバリ産鉄地を示すのだと気がついた。

また、この書に「火打臼は産鉄具」だとも。
臼は稲作と産鉄の両方に使われてたわけだ。
ちなみに、あの臼が祀られている
久高島の御嶽は、国淵山と呼ばれる。


藤谷淵神社の御祭神が ↓石碑にズラリ。
伊勢大神、八坂大神、野栗大神、
諏訪大神、琴平大神、熊野大神)、榛名大神…

そして最後に、竃三柱大神とある。
その下には平仮名で、
おきつひこのみこと、おきつひめのみこと、
ほむすびのみこと…。調べると、
この三神こそ産鉄族が祀る神だった。
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宝登山神社で、主神のひとつとして祀られる
火産霊神(ほむすびのかみ)は、火難を防ぐ神。
その裏に、さらに深いご神徳が隠れていた。





by utoutou | 2015-05-19 15:26 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ⑥ お犬様の正体〜宝登山神社

秩父三社の〆は、宝登山(ほどさん)神社。
長瀞から1㎞ほど離れた山側に鎮座する。

ご祭神は、神日本磐余彦尊
(かんやまといわれひこのみこと、神武天皇)
大山祇神(おおやまづみのかみ)
そして、火産霊神(ほむすびのかみ)。

西暦110年(1900年前)創立と御由緒
にあるが、系譜年代から数えれば、
景行天皇の皇子・ヤマトタケルは4世紀の人か。

そのヤマトタケルが、東征の旅の途中で
この山に登ったものの、猛火に包まれた。
すると犬たちが現れ、火を止めてくれたという。
ゆえに火止山(ほどさん)と呼ばれ、やがて
縁起よく「宝登山(ほどさん)」となった。



極彩色の龍と、火難避けの神様…
縁起はよいが、それにしてもホドサンと
声に出すと凄みがあるなと、社殿を見上げた。
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なぜなら、宝登山の「ホド」は
古語で女陰を指す「ホト」を彷彿とさせる。
イザナミは「ホトを焼いて死んだ」し、
ヤマトトトヒモモソ姫は「ホトを突いて死んだ」。
沖縄にもお産にちなんだ「ミホトの御嶽」がある。

沖縄では、またホトを「ヒ」「ホ」と言った。
昔は火事があると、男衆が女の腰巻きを振りながら、
「ほーはい(火排)、ほーはい(火排)」と、
火消しをする呪術があったそうだ。

ホトとは穴、そして火の出る処である。
そして、火止山とは溶鉱炉のある山だ…
と思ったのは、家にあった未読の本
『古代の鉄と神々』('81年、真弓常忠氏著、
学生社)をふと開いたときのことだった。

〜犬とは砂鉄を求めて山野を跋扈する
一群の人々の呼称である。
つまり製鉄の部民にほかならない〜

「お犬様」が眷属である秩父三社。
古代の秩父は、産鉄族の住むところだったか。


宝登山神社HP の動画「御由緒ものがたり」。
ゆるいヤマトタケルだが、描写がパワフル。
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危機一髪に陥ったヤマトタケルだったが。
〜突然現れたたくさんの白い影、黒い影。
影は風を切って次々に猛火の中に飛び込んで
いきます。影のように見えたのは、
大きな白犬、黒犬です。〜

では、秩父にいた犬たちが産鉄族と
すれば、なぜヤマトタケルを助けたのか。

思考停止したので、語り部に聞くと。
「それは、ヤマトタケルが火打袋と
草薙の剣を持っていたからだと思います」
「なるほど。で、それはなんで?」
「ヒントはヤマトタケルの幼名です」
「小碓皇子(おうすのみこ)ですか?」
「碓は、他にどんな漢字を当てますか?」
「臼、ですね」


小碓皇子と兄の大碓皇子(おおうすのみこ)
が産まれたとき、父である景行天皇は、
当時の王家の風習により、臼を
背負って産屋の周りを歩いていたと記紀に。


↓宝登山神社の摂社・大和武尊社。
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↓やはり摂社の宝玉稲荷社。
秩父は古来、米どころでもある。
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臼と草薙の剣を持つヤマトタケルは、
産鉄族にとってどんな存在だったのか。
そもそも産鉄族とは何ぞや?
また難しい領域に突入してしまったようだ。



by utoutou | 2015-05-16 19:15 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(2)

ヤマトタケル ⑤ 瀬織津姫の川〜秩父神社



三峯神社を出て、カーブ続きの道を下る
車窓から、長瀞へと至る荒川の絶景を見た。
抹茶水羊羹のように艶やかな水面が美しい。
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この日バスが辿ったコースは、三峯神社→
秩父神社→長瀞の宝登山(ほどさん)神社。
国道140号線沿いに点在する三社を巡る旅は、
荒川という、龍神が棲んだ神脈を辿る旅でもある。

それは同時に、東国征討という名目の旅で、
この地に立ち寄った、ヤマトタケルの足跡。

しかし、むしろ
私が知りたいのは、後々この地に来て、
ヤマトタケルを神として祀った人々のことだ。

ヤマトタケルが神話的な存在にすぎないとしても、
その伝承は川の流れのように途切れることがない。

ヤマトタケルに征服された民の後裔なら、
ヤマトタケル像を、決して建てたりはしないだろう。
では、いったい誰がヤマトタケルをこの地で崇めたのか。
…と思い、手元の「三峯神社・案内絵図」を広げた。

そこで見つけた名は、役小角(えんのおづぬ)。
〜(三峯神社は)平安時代に、修験道の開祖役小角
が修行し、山伏の事業道場になりました〜と解説に。
天武天皇の時代の陰陽師である。

役小角の痕跡は、二社目の秩父神社にもあった。
武甲山信仰とも所縁が深いという秩父の総社。

秩父市の中央にある柞(ははそ)の森に鎮座。
創建2000年の古社。ご祭神は八意思兼命、
知知夫彦命、そして天之御中主命。



権現造りの本拝殿は、徳川家康が再建したという。
その色鮮やかな彫刻や徳川家の「葵の御紋」、
左甚五郎作「つなぎの龍」や社宝の神輿を、
HPにて予習したままに、堪能した。
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そんななか、秩父神社に天之御中主命を
祀ったのも、役小角だったのかもと思った。

秩父神社の例大祭である「秩父夜祭」(12月)は、
天之御中主命(妙見様)にちなむ祭りというが、
役小角こそは、妙見信仰を唱えた行者だった。

ところで、
秩父夜祭りには、もっと古層の祭神も登場する。
神幸行列では先頭に「藁づくりの龍神」が往く。

その龍神とは、「御田植祭」で招いた水の神。
春に武甲山の伏流水でできた今宮神社
の龍神池からやって来た神様が、
冬の「夜祭」で武甲山に帰っていくのである。

その水の神は、龍神池・武甲山に、
妙見様からはるかに先立って鎮座していた。


秩父神社の境内にある「柞(ははそ)の禊川」。
今では、おみくじを流す川として女性に人気。
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禊川のすぐ脇に、禍津日神が祀られている。
まがつひのかみ…瀬織津姫のことである。
天照大御神が誕生した天武・持統の時代、
禊ぎの女神に降格させられた「縄文の女神」。
役小角は、天武のブレーン的存在の陰陽師、
瀬織津姫を封印し、弔うために秩父に来たのか。
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瀬織津姫は、養蚕の女神でもある。
こちら秩父神社の繭みくじ、水みくじ(青色)。
青のほうを禊川に流すと、幸せになれるという。
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by utoutou | 2015-05-14 03:16 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ④ 武甲山と龍脈〜三峯神社

三峯神社境内にヤマトタケルが立っている。
鳥居〜隋身門の参道から少し外れて、日本武尊銅像。
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〜本体5.2mの威容をほこる銅像〜
と、パンフレットの解説に。

石積みの上に立つ銅像の周囲には
ゆったりとした空間があり、ベンチも。
座ると、その威容がさらに際立つ。

で、思う。
ヤマトタケルはどこを見ている?
というわけで、 銅像の真下に立ち、
↓ヤマトタケル目線で写真を撮ってみた。
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樹々をあえて切ったのか、偶然か。
ヤマトタケルの視線の先に武甲山があった。
「ヤマトタケルは武甲山に兜を置いた」
との伝承が残る山。「置いたのは刀」説も。


銅像から立ち去る途中、振り返ると
ミコトはまだ武甲山を見つめていた。笑
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そこで、武甲山について調べてみた。

山頂には御嶽神社が鎮座する。
祭神はヤマトタケル、男大述尊(継体天皇)
そして、広国押武金日天皇(安閑天皇)。

次に武甲山周辺の神社はどうかと、
横瀬町(よこぜまち)や秩父ジオパーク
で、神社をピックアップしてみて驚いた。
猿田彦(または、由縁の神)を祀る神社が多い。


※カッコ内は祭神。
・生川沿いの猿田彦神社(猿田彦)
・宇根地区のお天狗様(猿田彦)
・芦ケ久保の白鬚神社(猿田彦)
・根古屋の愛宕神社(猿田彦)
・宇根地区の愛宕神社(猿田彦)
・宇根地区の八阪神社(スサノオ=猿田彦の父神)

猿田彦は沖縄・久高島の旧家のひとつ
イン二ヤー(魚根家)で祀られる海の神。
全国各地に祀られる猿田彦も、
基本は海の神であり、太陽神である。
その猿田彦大神がなぜ山深い秩父に?

ただし以前も書いたが、
猿田彦が海神・綿津見神
の子神・穂高見神と同神と考えれば、
穂高神社の祭神が猿田彦であるのと同様、
そんなに不思議ではない。

上古、海の民が山へと逃れたのだろうか。
そういえば、語り部が一度こんな霊視をした。
「飛騨高山から秩父へ移動する一族がいた」と。


こちら秩父鉄道・秩父駅付近からの武甲山。
午後2時半、運よく長瀞から来たSLが到着。
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太古、秩父は海だった。
そして、沖縄諸島と繫がっていた。

以下、秩父市HP「秩父ジオパーク」から要約。

・武甲山の石灰岩は、南太平洋の彼方にできた
 貝殻など堆積物がプレートにより運ばれたもの。
・約1,500万年前には、「秩父湾」があった。
・その証拠にクジラやサメの化石が発見された。
・新生代第三紀の終わり(約259万年前)、
 海が退いて、陸地になった。
・さらに東側が隆起して地下の変成岩が現れ、
 東秩父の山ができ、秩父盆地が形成された。
・近隣の鉱山は、地震が活発だった約1億年前
〜約500万年前、マグマの貫入により形成された。


地質用語で「秩父帯」という言葉がある。
日本の房総半島から関東山地、赤石山脈、
紀伊山地、四国山地、九州山地を経て沖縄本島
までの長さ1,500kmにわたり帯状に分布する
地体構造区分のひとつだそうだ。

秩父帯の龍脈は、沖縄から始まっていた。

語り部に生前の
神女のおばあたちが言っていたという。
「琉球は龍体の“えな”だよ」と。
“えな”とは胎盤のこと。神代、
日本という国造りの胎動は沖縄から始まり、
北方へと迫り上がり、うねって行った。
すると、武甲山は龍の頭にあたるのか。

そして、
記紀に見える「ヤマトタケル」征討の旅、
そのコースは龍体と妙に一致している?

by utoutou | 2015-05-11 21:38 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ③ 母神はワニ〜三峯神社

三峯神社の三つ鳥居から
隋身門を通り、参道を進むこと15分。

本殿への石段を上がって目に入るのは、
拝殿の荘厳な構えや「氣」を発するという
樹齢700年の神木よりも、手水舎(左)の豪華さ。
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極彩色の彫刻。(写っていないが)四柱は白色。
これほどまでに精巧な装飾の手水舎を初めて見た。
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とくに龍の躍動的なあしらいが目を引く。
三峯神社の海人(神)性が、強烈に感じられる。
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天井にもこの通り、龍。
嘉永六年再建(1853年)と銘記。
三峰山上の龍洞なる井戸には竜神がいるといい、
予約すれば、そのご神水をいただけるそうだ。
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さて、懸案の「ヤマトタケルの母神」。
実はこれまで、
語り部から、何度か同じ質問をされた。
たとえば「倭姫の母神は誰ですか?」
「木花咲耶姫の母神は誰ですか?」
その都度、私なりに考え調べて、
「和邇の女」と結論を出してきた。

語り部は古代琉球にさかのぼる
神の系譜を知りなさいと、言外に言う。

だから今回も…と山掛けしたい
ところだが、一応私なりに考えてみる。

景行天皇の皇后にして、ヤマトタケルこと
小碓命(おうすのみこ)と
双子の兄・大碓命(おおうすのみこ)
らの子を生んだのは、記紀によれば
播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。
播磨の女である。

いっぽう、この皇后は『播磨国風土記』に見える
印南別嬢(いなみのわきいらつめ)と同じ姫
だとも一説に言われるようで、その父は
丸部臣の祖・比古汝茅(ひこなむち)。
丸部(わに)と和邇(わに)とは同族なので、
和邇の女である。

播磨稲日大郎姫が和邇の女ならば、
ヤマトタケルは和邇の血を継ぐ皇子となる。

ところで、播磨の国(兵庫県)は、
大歳神を祀る大歳神社が日本一多い土地。
ある調査によれば、県内に280社あるという。

大歳神とは、田の神、山の神、年穀の神。
ヤマト神話ではスサノオと神大市比売姫の子。
そして、私が昨秋参った伊雑宮の
本来の祭神が、他でもない大歳神だった。
※佐美長神社(大歳社)についてはこちら

そして、
大歳神が猿田彦神と同神であること、
その猿田彦が実は和邇氏の祖神であること、
(綿津見神の子・宇都志日金析命、穂高見命)
そして猿田彦がアマミキヨであること
も、過去の記事に書いた。

つまり、大歳神を祀ったのは、
播磨の和邇氏だったと考えられる。
そして、和邇の女を母に持つヤマトタケル
にはアマミキヨの血脈が、
いや龍脈が流れている…と思う。


拝殿の前にも、数年前から龍が出現。
水をかけると姿が浮き出る。
「新パワースポット」と話題になっているとか。
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by utoutou | 2015-05-10 06:47 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)

ヤマトタケル ② 母神を探せ〜三峯神社

いつか参ると思っていた約束の地、
埼玉県秩父市三峰に鎮座する三峯神社。

御由緒によると、今から1900年の昔、
ヤマトタケルが東国の平安を祈り、
イザナギ・イザナミの二神をお祀りした。
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平安時代には、修験道の
開祖・役の小角(えんのおずぬ)が修行
を始め、やがて山伏の修行道場に。

この山深い聖域は、
神仏習合、三峯信仰といった宗教的な
変遷を経て、明治時代に三峯神社になった。


「三峯神社のある三峯山は、古代琉球
の民が流れ着いた土地だと思うんです」と、
語り部が言ったのは、昨年の秋のことだった。

ちょうど私は、
伊勢志摩の伊雑宮に何度か参っていた。
「伊勢三宮」という神祀りの原初形態
があったと知り、
沖縄のそれとの関係を考えていた。

「伊勢三宮」(イラストはこちらに)とは、
そもそも沖縄・斎場御嶽の奥宮である
ナーワンダーグスクの神祀りのかたち
だったというのだ。

「伊勢三宮」は、内宮・外宮・伊雑宮。
「ナーワンダーグスクの三香炉」は、
太陽・月・星(地球と人)だと語り部は言った。
その「三宮」の神祀りは、やがて東へ北へと移った。

「それはどこだと思いますか?」
と問われて、絶句した。
「いや〜、想像もつきません」
「三峯山の三峯神社にある三つ鳥居ですよ」
いつものように、彼自身も行ったことのない
風景を、語り部は解説してくれたものだ。


その三つ鳥居が、こちら。聞いた通り、
奈良の大神神社同様に3つの鳥居が合体。
途切れなく参詣客の皆さんが記念撮影する
ので、仕方なく上向きにカメラを構えて撮影。
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ところで、この三峯神社を創建した
ヤマトタケルは、日本神話のヒーローだ。

記紀に語られるヤマトタケルは男前の
旅人で、全国に遠征して活躍した。
活躍といっても、それはヤマト政権を代表
しての軍事制圧ストーリーだと思うのだが、
現代では歌舞伎の演目にもなる人気ぶり。

そのヒーローが沖縄と関係があると
いうのだからビックリしたが、
どうして縁が深いのか、語り部はまだ語らない。

私がブログに山王日枝神社を書いた日、
語り部は一言だけ言った。
「もしヤマトタケルを書くようなら、
そのお母さんは誰かを考えてみては?」



三峯神社の駐車場でバスを降り、
目に入ったのは、かくも神秘的な稜線。
三峯の山々を遥かに望みつつ、鳥居へ急いだ。
茶屋のいもでんがくに後ろ髪を引かれつつ…。
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子どもの日の三峯神社、午前9時。
200年前に建てられたという随神門。
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随神門を通る頃から、次第に晴れ間が…。
三峯神社。
なぜそう命名されたのか、より、
三峯の山々を見渡すこの地に、なぜ
古代に流れ来た人々は棲み着いたのか。
そしてヤマトタケルはなぜ、この地に
国生みの神イザナギ・スザナミを祀ったのか。


それを解くヒントが「ヤマトタケルの母を探せ」。
神社の杜に分け入って判ることではないにしろ。笑
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by utoutou | 2015-05-07 21:49 | ヤマトタケル | Trackback | Comments(0)