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六甲山と瀬織津姫 128 猿田彦の島

三宝なのか三つ巴かはともかく、琉球の珠は3つある。
それは久高島の三元家(ムトゥ家)各々の守護霊石
であり、祖神の御魂だが、そもそも神は「元ひとつ」。

その神とは龍神=海神=綿津見神。そして、
記紀によって「道案内の神」とされた猿田彦だと、
語り部が継ぐ「琉球神女(かみんちゅ)口伝」は言う。


つまり、龍宮こと久高島は「猿田彦の島」である。
三つ巴の珠のひとつはアカララキにあり、ひとつは
龍宮にあり、最後のひとつは島の北部にあるらしい。
御先(超古代)のとき、北部にはどんな一族がいたのか。
気づきのヒントを求めて、何度か呼ばれたあの海へ…。
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ウパーマ浜は、久高島でもっとも広い砂浜と言われる
が、ガイドブックにはあまり載らない謎多き聖地。
毎月の旧暦1日と15日、この周辺から北の区域は
観光客は立ち入り禁止となる。神事の内容も極秘だ。


島の東海岸には、南から、ピザ浜、タチ浜、イシキ浜、
シマーシ浜、といった数カ所の浜があるが、その最北。
北端のカベール岬、そこへ続く植物群落である
カベール森(むい、↓写真左)への入口といった位置に。
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島全図(Google航空写真)で、ウパーマ浜に、
↓赤で矢印を入れてみた。こうして俯瞰すると、
島の北部が文字通り「鰐」の顔に見えることを発見。
ウパーマ浜は、そのちょうど開いた口の部分にあたる。

民族学では「久高島は日本の原郷」と言われて久しく、
また「元ひとつ」の神の島が「鰐」の形だったとは…。
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ちなみに南端のイラブーガマから続く龍宮(洞窟)は、
↑ 島の中央を貫いて走る舗装道路(通称ナカミチ)の
ほぼ真下を中心軸にして、広がっていたと思われる。

龍宮は、しかし、カベール森までは続かないようだ。
ナカミチの下に点在する洞穴(龍宮)と、
北部の洞穴(龍宮)は交らないと聞いたことがある。

「カベール森から北には、龍宮の一族とは別の一族が
 住んでいたように思えます」と、語り部も言っていた。
     
     
というわけで、ウパーマ浜とカベール周辺を歩いた。
海岸道から東(写真右)へ降りるとウパーマ浜。
西(左)には、アーマー権現という名の御嶽がある。
アーマー=天(あま)? 権現? 
どちらにしても、ヤマトとの関連を思わせる地名だ。
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↓カベール森の中にある御嶽・アーマー権現。
伝承では、久高大神の霊力(しじ)が滞留している。
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ふと、「猿田彦の下駄」を祀る祠を思い出す。
いつから祀られているかは不明だが、建立したのは
根絶した魚根家(インニヤー=和邇族)とされる。
久高島三元家で言えば、魚根家は外間系と考えられる。

いっぽう、龍宮に坐す龍神は、イラブーガマが古来
久高ノロの管掌だったことからも、久高系である。
 繰り返すが、綿津見神の子は猿田彦神と考えている。

さて、久高島の元家のうち、残る一軒は大里家だが、
こちらは大陸の民・東大神族(シウカラ=和邇族)と、
天孫氏王朝の末裔だと、「甦る古代琉球」で推理した。

天孫氏王朝ならば、始祖と崇めるのは「元ひとつ」の
神のはずだが、さて……。「甦る古代王朝」の神は、
天王ガナシーであり、「天地(あめつち)の大神様」。
ヤマト神話で言えばスサノオであり、猿田彦ではない。

いや、ひょっとすると
スサノオこと「天地の大神様」こそが、猿田彦…?










by utoutou | 2017-08-30 16:54 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 127 三つ巴の珠

龍宮へは ↓いつもイラブーガマ(洞穴)から歩いて行く。
イラブー漁は島の南端にあるガマ(写真の手前あたり)
で行われるが、イラブー漁もなかったであろう神代には、
この岩場から地下龍脈を通って龍宮へ進んだと思われる。

ガマを地上から覗き、イラブーが産卵のために寄り来る
季節の夜の海を想像した。泳ぐイラブーは光って見えるとか、
産卵のときの卵は光るというが、私はそれを見たことがない。


出雲・美保神社の船倉には「神光照海」と墨書された額が
掲げられており、(私の参拝時は改装中で見られなかった)
谷川健一氏によれば、それはセグロウミヘビの夜泳ぐ姿が、
金色の火の玉に見える様子を表現したものだという。
光る玉を、古代の人々は海神の国からのお使い神と崇めた。
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ただし、ここは海神の住む龍宮そのものとされる島。
その道筋を辿り龍宮へ向かうことは、神事そのものだ。

そう言えば、イラブーガマにもアザカの木が茂っていた。
別名・長実ボチョウジ。時季には、赤白黄の実をつける。
イザイホーでは、神女たちが三色の実をつけたアザカを
先輩神女に髪に挿してもらうのが、神女誕生の儀式だった。
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語り部は言う。
「三色の実は、3つの珠を象徴していたと思います」
3つの珠。
やがてそれは、琉球王朝の神紋・三つ巴紋になるが…。


神女のウメおばあ曰く、久高島に天祖・人祖・皇祖がいた。
また語り部曰く、それは久高島に三軒ある根家のことであり、
玉城ミントングスクの神壇に始祖として祀られている
アマミキヨ・シロミキヨ・天孫氏のことでもある。


神壇に刻印された ↓三つ巴神紋は、その三祖を意味する。
勾玉3つでひとつの珠、リアルに上から見ても珠はひとつ。
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そして、神女のウメおばあは遺言のように語り伝えた。
「神様は、元ひとつだよ」
 語り部は、こう説明する。
「元ひとつの神とは、龍神=海神=綿津見神=豊玉彦
=猿田彦=ニライウフヌシ=後の和邇族の初代首長。
 古来の海を制したワニ族から三祖が生まれ、その三祖から
  各々海人七氏族が生まれ、ヤマトに広がったと思います」

つまり、私が龍宮の中で見せられたあの「白い卵」は、
元津神・龍神から生まれた海人族(海神族)の原像か。

ところで、4回目の龍宮訪問は実現しなかった。
この6月、久高島に渡ろうと沖縄に行くと語り部が言った。
「龍宮ではなく、他に行くべき御嶽があるようです。
龍宮には白い珠、アカララキには赤い珠があったとして、
次は黄色の珠…その御嶽は久高島の北にありそうですね」

それなら、何度か訪れたウパーマ浜あたりかもしれない…。





by utoutou | 2017-08-26 11:10 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 126 久高島のマリア

中の御嶽。別名・中森の御嶽(ななかむいのうたき)。
同じ名前の御嶽は、本島の玉城にも2ヶ所ある。
ひとつは玉城垣花に、もうひとつは玉城玉城に。

国之根ウラワシナデルワノ御イベ(琉球国由来記)。
その意味は、「国の根であり、
浦々を襲う(支配する)王の霊力が宿る御嶽」。
古代天孫氏王朝と英祖王統の痕跡を残す聖地である。

先日、沖縄タイムスに「CIA、復帰前にアジア拠点
の記事があり、キャンプ知念当時の玉城台地の写真
が載っていたが、その中にも中森の御嶽は見て取れる。
※過去のブログ記事は→「CIAが封印した垣花の御嶽

以前から、語り部は言っていた。
「玉城と久高島にある中森の御嶽は繋がっている。
どちらも琉球王朝以前からあった御嶽でしょう」
久高島の中森一帯はフボー御嶽のある祭祀的中心地
だが、御先(古層)の御嶽は未だ謎に包まれている。

「近くには、他にも隠された御嶽があります」
「やはり龍宮や天孫氏に関係する御嶽なんですか?」
改めて聞くまでもないが、語り部は答えた。
「もちろん、龍宮にも龍宮の珠にも関係があります。
豊玉姫にも神功皇后にも関係すると思います」
そのとき、ちょっとひらめくものがあり、聞いた。
「マリア像が祀られていた御嶽のことでは?」
「……」
語り部からの回答はなかった。



ある島の神人は伊敷浜に漂着したマリア像を拾い、
フボー御嶽に近い名もない御嶽に祀った。話を
聞いた人々はその像を「久高島のマリア」と呼んだ。
※過去のブログ記事は→「御嶽のマリア
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さて、3回目に龍宮に入ったのは今年5月。
滴り落ちた水で地面が滑って手足が泥だらけになり、
拝所である突き当たりの岩に辿り着く直前で力尽きた。

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疲労困憊、「もう来られないかもしれません」と
挨拶したそのとき、画面の右上に白い珠が出現した。
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その後、珠がゆらゆら現れる現象は40回に及んだ。
ときには二手に分かれたり棒状になったり、さながら
♪龍宮城に来てみれば、絵にも描けない美しさ♪

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このあたりまでの画像を見て、語り部は言った。
「珠の周りは、夜光貝の輝きに似ていますね」

しかし、↓次の画像では色彩こそ貝に見えるものの、
形は、もはや珠には見えず、その意見は一転した。
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「これは、もう珠というより卵のようですね。
イラブーつまり龍神の産卵でしょう」と…。
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私はもしや、龍神誕生のドラマを見せられたのか。
生物進化をざっくり言えば、人類の祖先は魚類だ。
その次段階に鰐・蛇・亀らの両生類・爬虫類がいる。

豊玉姫は海神の住む海神の宮で、八尋鰐(古事記、
日本書紀では龍)となりウガヤフキアエズを生んだ。
神話上では、龍宮こそがヤマト王権の根源である。
それを思うと、「琉球は龍宮」と語り伝えたという
神女おばあのウメさんのことが、しきりと偲ばれる。

実はいま「久高島のマリア」は他所で祀られている。
居るべき場所が見つかったような、自然の流れで。

では本来、島の古層に沈む御嶽に坐す女神とは?
昨秋、語り部は「龍神は龍宮の奥で眠っている」と、
 また「綺麗な女の方が待っている」と語っていたが…。


by utoutou | 2017-08-19 14:35 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 125 龍宮に通う

久高島には、龍神の住む「龍宮」があるという。
 1周8㎞という薩摩芋のような形の島。北部は幅狭く、 
東から西海岸までの距離は約500mあるかないかだ
が、地下空間がトンネル状に貫かれており、実際に
昔、歩いた人もいると聞いたことがある。ともかく
神の島は文字通り奥深く、歴史的にも謎めいている。

確かに古くからあるという御嶽はガマを伴っている。
古代に比べると空間は狭まっていると思われるが、
ガマは単体ではなく、連結していたという話もある。

実は、イラブーは島の内陸で何度も目撃されている。
地表にはガマに通じる穴がいくつもあり、そこから
出て来るというから、現実的にもまさに「龍の島」。



久高島・徳仁港から見るイラブーガマ付近。
ここに泳ぎ着くが、さらに「龍脈」があるらしい。
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さて、昨年('16年)の10月末、
島で最大の「龍宮」と密かに語られるガマに潜った。
その経緯は「豊玉姫たちの船」に書いた(↓写真も再掲)
が、ガマの行き止まりの岩の奥から煙のようなものが
流れ出て来て、その姿はあたかも龍神のように見えた。
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2回目に潜ったのは、その約1ヶ月後の11月のことだ。
外部からそうとは見えない地面の穴から、ほぼ直角に
降りていき、最奥部に向かって珊瑚礁の岩岩を登っては
降り降りては登り、懐中電灯の明かりと勘を頼りに進む。

地面は決して平たくはなく、天井と同じ形状のためか、
時折、浮遊感に襲われて失神しそうになるが、ガマの
内部は人の立てる高さがあることは、既に知っている。


身長164㎝の私が立ち、見上げるほどの三角岩が拝所。
今回はスマホのカメラを構えると、白い珠が写り込んだ。
肉眼では見えず、次元の割れ目から何かが漏れ出す印象。
ロウソクには点火しておらず、スマホのフラッシュのみで。
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約10分の滞在中、白い珠は14回も「出現」した。
出るからシャッターを切るのか、その逆なのか…。
後者という気もするが、一体どんな現象なのだろう。
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語り部には那覇で会い、その様子を聞いてもらう。
1回目の後は、「奥で龍神が眠っている」との感想だった。
2回目の後は、「何かを知らせたがっています」と言う。
「私にですか? 誰が?」と聞くと、「綺麗な女の方」と。


そしてまた、1回目と同じニュアンスを繰り返した。
「龍宮の奥に隠された場所がある。中の御嶽でしょう」
通称が「中の御嶽」で、「中森(なかむい)」とも。
『琉球国由来記』には、「中森ノ御嶽」と記されている。



なんとそこに、私は「龍宮」を出た足で訪れていた。
「龍宮」から約3㎞、この地下が「龍神」の住処なのか。
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by utoutou | 2017-08-15 16:48 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 124 神功皇后の珠

廣田神社の霊宝「劔珠」については、参拝のときに社務所で
由緒を頂戴していた(イラストも拝借)が、 HPにも詳しい。

曰く、
これは『日本書紀』仲哀天皇2年条の事績にちなむ、と。
天皇が豊浦(とゆら)の海で得られた水晶の如意珠には、
玉の中に剣の形が現れており、この宝珠を得てからの神功
皇后は遠征で連勝。珠には勝利をもたらす神通力があったと。
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↑イラストの下には、右から「日本第壱如意宝珠」と銘記。
劔珠は廣田神社の摂社・浜南宮(西宮神社境内)に祀られ
ていたが、実際に盗難事件と返還が繰り返されたためか、
社殿下には非常の災難から護るための井戸があったという。
宝珠は、しばしば狙われた…?



西宮神社の境内。
浜南宮はこの先の左にある。西宮神社本殿は南面しているが、
浜南宮は北面し…、つまり廣田神社に向いて鎮座している。
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さて、この劔珠こそが「琉球の珠だ」と、
久高島の始祖・ファガナシーは言外に告げたのだったが、
その神託に至るまでに、思えばいくつかの伏線があった。

ひとつは今年、九州へ行き志賀海神社にいたときのこと。
境内をブラついていると、語り部から電話があった。

「若い頃に受けたあるメッセージを、いま思い出しました。
神功皇后が安曇磯良から授かった珠は3つあったのです」
「へえ、そうですか。潮満玉・潮干玉の一対ではなく…?」
「はい、神功皇后は残るひとつの珠を持ち帰ったと思います」
「で、3つの珠は、元々どこにあったのですか?」
「琉球、ミントングスクにです」
「つまり、宝珠は天孫氏王朝が持っていたものだったと…?」

ちなみに、『琉球国由来記』など古伝に登場する
「稲作の祖・天祖(アマス)のアマミツとは安曇磯良のこと」
と、語り部はかねてから言っていることは以前にも書いた。
つまり、屋号の天祖とは綿津見神を祖とする安曇族である。

あのとき、私は安曇磯良にゆかりの↓亀石遥拝所にいた。
三韓遠征の折、正面の打昇浜から亀に乗った志賀大明神
が現れて、干珠・満珠を授けたという、神功皇后伝承の地。


私は旅の細かな計画を語り部に話したことはないが、まるで
 居場所を見透かすように伝えてくるのが、神通力のすごさ…。
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ふたつ目に思い出すのは、
ファガナシーの実家・ミントン家の伝承だ。古来、
アマミキヨ直系・ミントン家に嫁ぐのは「天祖の女」と
言われているという。天祖は天孫氏王朝の末裔とされる。

その天祖の神事を継いだ明治生まれの神女・ウメさんは、
生前、まだ少年だった語り部にこんなことを言ったそうだ。
「久高島には天祖・人祖・皇祖がいて、ヤマトへ上って行った」

天祖・人祖・皇祖とは久高島の三・元家(むーとぅやー)
にあたると私は考えるが、その三元家を象徴するのが、
イザイホーで重用される聖樹・アザカ(長実ボチョウジ)。
実が赤・白・黄色で、久高島では「イザイ花」と呼ばれる。


イザイホーの終盤、神女就任の儀式を終えたナンチュ(神女)
たちは、赤・白・黄でできた紙のイザイ花を髪に飾った。
それは「太陽・月・星」の色。そしてまた、
「三」を崇めるアマミキヨ族(海人族)の一員となった証。
「3色は各元家が持つ宝珠の色」だと、島の古老から聞いた。
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3つ目の伏線は、最近、「久高島の珠」に出会ったことだ。
六甲山との同時進行で、島の洞穴(ガマ)に密かに通っていた。
潜ったのは3回。そこは古来、「竜宮」と呼ばれた洞窟で、
龍神ことイラブーが寄り来る洞穴と繋がっていたと思われる。

その試みは、「珠は龍より出る」ことを知るための探検。
久高島の龍宮で見た珠は白かった。


ところで、神功にもたらされた宝珠が3つあるとして…。
それがなぜ、一対と1個に分離されてしまったのだろうか?
その背景には、記紀が成立する前夜の7世紀末、瀬戸内海
の支配権を巡る「ヤマトvs.海人族」の対立があったと思う。
「三珠を揃える」ことが、勝戦の鍵を握っていたのではないか。


by utoutou | 2017-08-10 15:14 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)

六甲山と瀬織津姫 123 琉球の珠

西宮神社(西宮市社家町)に参ったのは5月末のことだ。

2ヶ月以上も前になるが、足を運んだ理由は、アマミキヨ
の末裔にしてミントン家の一人娘・ファガナシーからの
託宣がなんと突然、語り部に舞い降りてきたからだ。
語り部を通して、私への伝言というかたちだった。
※ファガナシーに関する以前の記事は、こちら

久高島の始祖(中興の祖というほうがふさわしいが…)
と言われるファガナシーは、英祖王統時代(13世紀)の神女。
玉城から従兄弟であったシラタルとふたりで久高島に渡り、
その霊力によりイザイホーの祭りを再興したとの伝承がある。

西宮へ飛ぶ前日、私は那覇で語り部と会っていた。
もともと、旅は東京〜那覇〜関西〜東京の予定だったが、
関西では六甲山のどこを歩こうかとは、考えていなかった。

それもお見通しなのか、ファガナシーは語り部に告げた。
「私はミントンのイナグング(一人娘)。彼女にこれを伝えて。
六甲山をいくら探しても琉球の珠は見つからない。
いままで行ったことのない場所へ行くと見つかるでしょう」

いや、本当に驚いた。神秘現象に、私はあまり縁がない。
そんな私にも不思議とひらめくときがある。あのときも、
「それなら西宮神社に行ってみようか…」と、すぐに思った。


西宮神社へは、阪急西宮駅南口から5分ほど歩いて行った。
那覇空港から神戸空港に着き、そのまま直行して、午後1時。
海側の南門から、いわば六甲山に向かうようにして境内に入る。
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夏を思わせる日照りの中、境内の広々とした松林を歩く。
西宮港の御前浜公園あたりまでは、1.5㎞の距離があるというが、
神功皇后の時代(4C末)もしかり、中世までここは浜辺だった。
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まず、直進して左手に鎮座していたのは、沖恵比酒神社。
通称「あらえびすさん」で明治初期に荒戎町から遷座したという。
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しばし境内を歩き、参道を左に折れると、南宮神社が鎮座。
社殿前の階段、社を囲む玉垣など、立派なたたずまい。
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そうだったのか…と、説明板を読んでうなづいた。
南宮神社は西宮神社の摂社ではなく、廣田神社の摂社。 
廣田神社の境外摂社が、西宮神社の境内に鎮座しているのだ。

〜南宮神社
祭神 豊玉姫神 市杵島姫神 大山咋神 葉山姫神
当社は西宮市大社町に鎮座する廣田神社摂社で、
「浜南宮」とも称されました。平安時代には都の貴族が参詣し、
「梁塵秘抄」には「濱の南宮は、如意や宝珠の玉を持ち」と
歌われています。神功皇后が豊浦沖で得られたという廣田
神社の宝物「剣珠」は、もと南宮に納められていました。〜
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これだ…と、日照りのなかで日傘もなく、しばし佇んだ。
廣田神社の霊宝が神功皇后の得た「剣珠」だとは知っていた。
が、本来この浜南宮に納められていたとは知らなかった。

神託、そして参拝から時を経たいま、これが「琉球の珠」
だという確信めいたものが、私にもようやく芽生えてきた…。




by utoutou | 2017-08-07 14:18 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)

六甲山と瀬織津姫 122 猿田彦の子午線

「事代主命は猿田彦神」と悟ったのは正解だったらしい。
前回の記事を読んだ語り部から、連絡があった。

「やはりそうなりましたね。事代主命は夷(えびす)神で、
猿田彦神で、大綿津見神で、塩土老翁でしょうね。また、
武庫の浦、六甲山(むこのやま)の地主神だったと思います」
「猿田彦神はアマミキヨ、やはり琉球を出た海人族は、
ここ六甲山まで北上していたことになりますかね」

ということは…と、
改めて廣田神社と西宮神社の関係に思いをはせた。
例えば、伊勢において猿田彦神と瀬織津姫が一対神で
あったように、古代、海人族の勢力圏だった六甲の地でも
その神観念は、決して変わることはなかったはずだ。
記紀により、ひとり神としての天照大神が誕生するまでは。

よって、廣田神社に瀬織津姫が祀られるならば、
猿田彦神を陰陽一対神として祀られねばならなかった。
瀬織津姫はヒメ(日女)神、猿田彦はヒコ(日子)神だからだ。



西宮神社(西宮市大社町)本殿 ※'17年5月に参拝。
由緒によれば、第一殿 西宮大神、第二殿 天照大神、
第三殿 須佐之男大神となっている。
西宮大神=夷神=戎神=後のえべッさん=猿田彦神か。
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西宮神社は創祀当時、廣田神社の境外摂社だったという。
廣田神社境内で見た古代地図によると、下の赤丸が西宮神社、
上の赤丸が廣田神社(赤丸は私の加工)、その上が甲山、
西宮神社の旧名は浜南宮。廣田神社の前浜に鎮座していた。
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思えば、廣田神社の神奈備山で神呪寺のある甲山にも、
猿田彦神こと白髭大明神が祀られていた。登山口に
立つ鳥居の横。「なぜここに?」と思ったが、地主神なら当然。
また、神呪寺の鎮守は弁財天(瀬織津姫)である。傍に、
「善女竜王」の小祠があった。こちらは空海に所縁の深い水の神。
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西宮神社に祀られる西宮大神こと夷神が猿田彦神ならば、
オセロゲームのコマが次々と裏返しになるかのように、
かつての気づきの意味も深まっていくようだ。他でもない、
六甲山と瀬織津姫をめぐる「東経135度の子午線」の話。


↓画像は西脇市役所サイトから借用した「日本のへそ」
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向津姫(瀬織津姫)が、北極星(天御中主神)を崇め、
日々昇りくる日神に向かって祭祀したはずの聖地とは、
東経135度の子午線(南北線)と東西軸の交差点で、
そこには6社の神社や磐座があると、私は考えた。

保久良神社(神戸市東灘区)、
芦屋神社(芦屋市東芦屋町)、越木岩神社(西宮市甑岩町)
廣田神社(西宮市大社町)六甲比命神社(神戸市灘区)
本住吉神社(神戸市中央区)、そして、
六甲山系からさらに北へと進めば、籠神社の奥宮
である真名井神社(京都府宮津市)も鎮座している。
祭神は、豊受大神(天御中主神)である。

その神社ごとに一対神としての猿田彦神が隠れている…と
すれば、「女神の子午線」は「猿田彦の子午線」ともなるだろう。
向津姫たちは朝になると、闇夜を割いて東方から、猿の目
のように赤々と賑々しく昇る日神を祀ったのだと思う。

その祭祀構造は、「イザイホーの子午線」とまったく同じだ。
祭場の北に設えた七つ屋で、天御中主神(北ぬ方星)と、
アカララキ(瀬織津姫)の守護のもと夜通し潔斎して、
神からの霊力を受けた島の女性たちは、やがて東の空から
赤々と昇る日神を祀る神女(日巫女)として転生したのだ。

前夕、イザイホーが始まる直前、女性たちはノロ家の
庭に飛び出し、時計まわりに7回回ったという。
「エーファイ、エーファイ」と掛け声を発しながら。
エーファイとは「神の元へ急ごう」の意味だと私は思うが、
その神とは猿田彦神=夷(えびす)神=蛭子(えびす)神。

大和神話では、伊邪那美が右回りに回って生んだ最初の子は、
不具の子「蛭子(ひるこ)」として、葦舟で海に流された。
イザイホーとは、大王としての夷(えびす)神でありながら、
蛭子(ひるこ)として流され消去されてしまった
猿田彦神を復活させる秘祭だったと、いまになって分かる。




by utoutou | 2017-08-02 17:53 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)