六甲山と瀬織津姫 144 女神たちの難波

玉造稲荷神社の祭神・下照姫(したてるひめ)命。
『古事記』では、大国主神と田紀理毘売命の娘。
『日本書紀』では、大国主神の娘。いっぽう、
新羅から来た天之日矛の妻・アカル姫(阿加流比売神)
は、「難波の比売碁曽社に坐す」と、紀にはある。
記では男は都怒我阿羅斯等だが、内容は同じだ。

よって、アカル姫=比売碁曽神だが、そこになぜ
=下照姫という亦の名がつくのか…が分からない。

そこで、『摂津名所図會』(1798年)を開き
玉造稲荷神社の旧名・豊津稲荷社のページを見ると、
意外な神名が出てきた。いきなり話は脱線するが、
社名にある「豊」とは豊受大神の略だと記されている。

  『摂津名所図會』豊津稲生大明神。(以下要約)
☆垂仁天皇の世、下照姫命を祀り「姫の社」とした。
☆同座に倉稲魂命を祀った。この神は、外宮御神体の
豊御食津神と同神異名なので、「豊津社」と名づけた。

玉造稲荷神社は元四天王寺であり、元伊勢だったか…。


東から見た社殿。並ぶ紅白の鳥居は摂社・厳島神社。
ちなみに、この場所に聖徳太子作の十一面観音像
と多聞天不動像を祀る観音堂があったが、焼失した。
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『摂津名所図會』豊津稲荷社。社殿左上に描かれるお堂
が、聖徳太子が十一面観音像を祀った長楽寺観音堂。
いま南面する社殿は西面し、日の出方向を崇めていた。
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さて、難波にある比売古曽神社。その一社目は、
玉造稲荷神社から車で10分ほどの近距離にある
高津宮神社(大阪市中央区高津)の摂社として鎮座。

『摂津名所図會』高津社(以下要約)
☆祭神・仁徳天皇。往古は下照姫命を祀る「比売社」。
☆高津社の旧地は大阪城辺りにあったが、天正年間に
この地に遷座したため、下照姫命を境内の別社に祀った。


現在も高津宮神社・比売古曽神社の祭神は下照姫命
だが、小祠すぎて『摂津名所図會』では見つからない。
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地主神というのに摂社に追いやられた下照姫命だが、
高津社の項には、その神名の由来が記されていた。
「そもそも高津宮は…」と一文は始まる。(以下要約)
☆神代には、下照姫の住まい給う土地だった。
☆高津は大江の岸(上町台地の西崖)の最も高い所で、
北は淀川、東は大和川、西は海浜。その中で押し出て
いるような地形ゆえ、和歌では「おしてる」と詠まれる。


そうだったのか…。「おしてる」という難波の枕詞
があるが、まさに難波の台地は「海に押し出た土地」。
そこで祭司した下照姫とは、日の巫女だったのだろう。

琉球には「おしあげ(押し上げ)」を含む御嶽名がある。
「夜のトバリを押し上げるような朝日」との意味だが、
それで解しても、下照姫とは「昇る太陽神を祀る巫女」。
下照姫を祀る比売社こと玉造稲荷神社(豊津稲荷社)が
創祀当初は東西軸に建っていた理由も、これで納得だ。


また、下照姫は宝珠を持った日巫女でもあった。
もう一社の比売許曽神社(東成区東小橋)にほど近い
「磐船旧跡」にその伝承があったと、古書は記している。

『摂津名所図會』比売許曽神社。(以下要約)
☆祭神・下照姫命は大己貴命の娘、天雅彦の妻、
味耜高彦の妹。神代、天磐船に乗りこの地に天降りた。
☆垂仁記には、都怒我阿羅斯等が追った童女が難波の
 比売許曽神社に祀られたと記されている。
☆『朝野群載(※1116年)』に曰く、下照姫が天降りた
磐船は縦70m、横35m。中に如意宝珠が一粒あった。
東北方向を向いた磐船の上に祠を建て、石霊を祀った。



比売許曽神社は絵の右下、左端の木の立つ山が磐船山。
上の小高い山が、現在の産湯稲荷神社(天王寺区)。
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アカル姫(比売古曽神)=下照姫の旧跡が点々とする
 古代の難波は、つくづくと「女神たちの聖地」だった。

   そして、驚いたことに、上町台地の最南端に鎮座する    
住吉大社にも、アカル姫は祀られていた。つづく…。








# by utoutou | 2017-11-16 21:18 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)