六甲山と瀬織津姫 147 辛国息長大姫大目命

「いよいよ、ここまで来ましたね」
近江の天御影命(あめのみかげのみこと)に辿り着いた
とき、語り部はそう言った。

いよいよか…。私自身も「隠された琉球の珠探し」が
終わる日が近いように感じるのは、同時に息長という古代
豪族の…それも息長大姫大目命に辿り着いたことが大きい。

息長がつく姫と言えば、息長帯姫命(神功皇后)や
その父方の先祖・息長水依姫命が有名だが、その系図の
上位に在るのが、近江の日牟礼八幡宮に地主神として
秘祭されてきた瀬織津姫こと、息長大姫大目命である。

ちなみに、天御影命も日牟礼八幡宮に降臨したと伝わる
が、天照大神の子と日本書紀が記す天津彦根命の孫
・天御影命の妹(※『百家系図』による)とされる。つまり、
天御影命と息長大姫大目命は兄と妹(おなり神)の関係だ。

その息長大姫大目命とは、
新羅の皇子・天之日矛の妻となったと神話が語る赤留姫
のことで、帰国後に難波などでヒメコソ神として祀られた。


帰国後にも、同じ息長大姫大目命として祀ったのが、
香春(かわら)神社(福岡県田川郡香春町)である。
昨日12月5日は所用で福岡にいたので一走り参って来た。
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【縣社 香春神社御由緒(略)】
〜祭神 及び創立
第一座 辛国息長大姫大目命
神代ニ唐ノ経営渡ラセ給ヒ崇神天皇ノ御代ニ御帰国
香春一ノ岳ニ鎮リ給フ 〜

※第二座、第三座についてなど詳細は後日に。
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太陽が西に傾くなか、しみじみと由緒を見上げた。
辛国息長大姫大目命の「辛国」こそは、
古代の朝鮮半島とヤマトと琉球との関係を物語る接点だ。

辛国とは「加羅の国」と解釈しているが、加羅や新羅、
あるいは百済や高句麗など、朝鮮半島からの渡来人を
語る歴史において琉球は常に除外され、語られずにきたが、
久高島のアカララキに祀られるのが(我々の私見では)
アカル姫こと辛国息長大姫大目命と分かった以上、
渡来人たちは南下して琉球にもやって来たことを物語る。


さて、では天御影命もまた大海を往還していたかというと、
「そうではないと思う」と、語り部は言った。
「むしろ、海人族で継承された大王の尊称だろう」と。

確かに、その神名が固有名詞でなく「太陽神霊を継ぐ大王」
といった意味の尊称ということは、例えば『海部勘注系図』
にその神名を冠する名前が、6柱も登場することで知れる。
筆頭は、四世孫の倭宿弥(やまとのすくね)命で、
「亦名 天御影命」との注釈が記されている。


と、ここまで書いて、ポンと思い出すことがあった。
六甲山の麓に鎮座する弓弦羽神社(ゆずるは神社)である。
昨年の秋、六甲山の磐座巡りをした日の最初に訪れていた。

地名は、神戸市東灘区御影。御影石の産地である。
祭神の熊野大神ということで八咫烏にちなみ、
サッカーポールのオブジェも御影石で造られている。
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御影の地名は、↓ 弓弦羽神社に伝わる故事にも表れている。
神功皇后が新羅遠征から帰還、この地で弓矢甲冑を納めた
 折、この里の泉に姿を写したことから「御影」と呼ぶと。
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しかし、はたして、それは本来の言い伝えだろうか…。
神功皇后の父方の祖は、天御影命であった。

そして、御影(現在の兵庫県東南部)や六甲山を
含む摂津国、そして河内国、泉州国といった畿内三国で
勢力を張り、大阪湾(茅渟の海)を掌握するようになるのは、
天御影命の末裔である凡河内(おうしこうち)氏であった。
ゆえに、「御影」の地名がついたのではなかったか…。

ならば、当然、六甲山で凡河内氏が崇めた女神とは、
息長大姫大目命こと瀬織津姫ということになる。

 凡河内氏の勢力は4世紀頃から強まり、5、6世紀には
 国造となるが、律令制が完成する8世紀には衰退して
  いったというから、時代は瀬織津姫のそれと一致している。


# by utoutou | 2017-12-06 21:23 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)