六甲山と瀬織津姫 124 神功皇后の珠

廣田神社の霊宝「劔珠」については、参拝のときに社務所で
由緒を頂戴していた(イラストも拝借)が、 HPにも詳しい。

曰く、
これは『日本書紀』仲哀天皇2年条の事績にちなむ、と。
天皇が豊浦(とゆら)の海で得られた水晶の如意珠には、
玉の中に剣の形が現れており、この宝珠を得てからの神功
皇后は遠征で連勝。珠には勝利をもたらす神通力があったと。
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↑イラストの下には、右から「日本第壱如意宝珠」と銘記。
劔珠は廣田神社の摂社・浜南宮(西宮神社境内)に祀られ
ていたが、実際に盗難事件と返還が繰り返されたためか、
社殿下には非常の災難から護るための井戸があったという。
宝珠は、しばしば狙われた…?



西宮神社の境内。
浜南宮はこの先の左にある。西宮神社本殿は南面しているが、
浜南宮は北面し…、つまり廣田神社に向いて鎮座している。
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さて、この劔珠こそが「琉球の珠だ」と、
久高島の始祖・ファガナシーは言外に告げたのだったが、
その神託に至るまでに、思えばいくつかの伏線があった。

ひとつは今年、九州へ行き志賀海神社にいたときのこと。
境内をブラついていると、語り部から電話があった。

「若い頃に受けたあるメッセージを、いま思い出しました。
神功皇后が安曇磯良から授かった珠は3つあったのです」
「へえ、そうですか。潮満玉・潮干玉の一対ではなく…?」
「はい、神功皇后は残るひとつの珠を持ち帰ったと思います」
「で、3つの珠は、元々どこにあったのですか?」
「琉球、ミントングスクにです」
「つまり、宝珠は天孫氏王朝が持っていたものだったと…?」

ちなみに、『琉球国由来記』など古伝に登場する
「稲作の祖・天祖(アマス)のアマミツとは安曇磯良のこと」
と、語り部はかねてから言っていることは以前にも書いた。
つまり、屋号の天祖とは綿津見神を祖とする安曇族である。

あのとき、私は安曇磯良にゆかりの↓亀石遥拝所にいた。
三韓遠征の折、正面の打昇浜から亀に乗った志賀大明神
が現れて、干珠・満珠を授けたという、神功皇后伝承の地。


私は旅の細かな計画を語り部に話したことはないが、まるで
 居場所を見透かすように伝えてくるのが、神通力のすごさ…。
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ふたつ目に思い出すのは、
ファガナシーの実家・ミントン家の伝承だ。古来、
アマミキヨ直系・ミントン家に嫁ぐのは「天祖の女」と
言われているという。天祖は天孫氏王朝の末裔とされる。

その天祖の神事を継いだ明治生まれの神女・ウメさんは、
生前、まだ少年だった語り部にこんなことを言ったそうだ。
「久高島には天祖・人祖・皇祖がいて、ヤマトへ上って行った」

天祖・人祖・皇祖とは久高島の三・元家(むーとぅやー)
にあたると私は考えるが、その三元家を象徴するのが、
イザイホーで重用される聖樹・アザカ(長実ボチョウジ)。
実が赤・白・黄色で、久高島では「イザイ花」と呼ばれる。


イザイホーの終盤、神女就任の儀式を終えたナンチュ(神女)
たちは、赤・白・黄でできた紙のイザイ花を髪に飾った。
それは「太陽・月・星」の色。そしてまた、
「三」を崇めるアマミキヨ族(海人族)の一員となった証。
「3色は各元家が持つ宝珠の色」だと、島の古老から聞いた。
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3つ目の伏線は、最近、「久高島の珠」に出会ったことだ。
六甲山との同時進行で、島の洞穴(ガマ)に密かに通っていた。
潜ったのは3回。そこは古来、「竜宮」と呼ばれた洞窟で、
龍神ことイラブーが寄り来る洞穴と繋がっていたと思われる。

その試みは、「珠は龍より出る」ことを知るための探検。
久高島の龍宮で見た珠は白かった。


ところで、神功にもたらされた宝珠が3つあるとして…。
それがなぜ、一対と1個に分離されてしまったのだろうか?
その背景には、記紀が成立する前夜の7世紀末、瀬戸内海
の支配権を巡る「ヤマトvs.海人族」の対立があったと思う。
「三珠を揃える」ことが、勝戦の鍵を握っていたのではないか。


# by utoutou | 2017-08-10 15:14 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)