瀬織津姫は南北どちらの小野神社に?

「一社でよかったのかしら」と、ふと思った。瀬織津姫を祀る神社のことである。
数日前、東京都多摩市一ノ宮にある小野神社に参拝して感じ入ったばかりだが、
小野神社は、多摩川を挟んだ北側、府中市住吉町(旧小野宮)にもある。

どちらも式内社だという。そして祭神はどちらも天ノ下春命と瀬織津姫命。
2社ある理由については、多摩川の氾濫により遷座(二分)したとの説が有力。

しかし、久々に『武蔵国一之宮 多摩市一ノ宮小野神社の変遷』
(05年、バルテノン多摩歴史ミュージアム刊)を開くと、一文が目に飛び込んだ。
「一之宮には小野宮から遷座の伝承はありません。」あ、そうなの? 

やっぱり参ってみないと。というわけで多摩川の北にある小野神社(小野宮)へ。
鳥居の横の石碑に「延憙式内 郷社 小野神社」と見える。中河原(京王線)が最寄り駅。
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中央高速のほぼ高架下。晴れがましさはないが、神々しさと清々しさは満ちている。
神輿の蔵もある。大国魂神社のくらやみ祭りでは、両社の氏子が一之宮の神輿を担ぐという。
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さて、南北どちらが式内社か。論争は長く続いたらしいが、未だ決着を見ない。
何ゆえ? との思いで多摩市の図書館へ。『新編武蔵風土記稿』を閲覧。
1804年〜1820年の文化文政期、幕府直轄の昌平坂学問所が編んだ地誌稿本。

すると論争どころか、これは小野神社の南北戦争か。
しかも北(小野宮)の圧勝。というか北に加担。思わず目を見張った。

北の小野神社は多摩郡本宿村の項に載っており、やはり一ノ宮への遷座説を否定。
意訳すると、「当社は式内の神。祭神は瀬織津姫。式内小野神社は当社のことで、
(一之宮は)武蔵国造十世の祖を祭って小野神社となし……小野宮は一之宮の旧跡
という臆説を唱う者がいる。祭神が別であるのに、その事実を知らない」

いっぽう多摩郡一ノ宮村の項には、小野神社が「一ノ宮明神社」として載る。
こちらもまた辛辣。瀬織津姫は幕末には合祀されていなかった事実を窺わせる。
「祭神は当国の国造恵多毛比命の祖である天下春命なり。後世、伝えを失って、
式内小野神社は当社なりという妄説を成すに至った。故実を失っていて惜むべし」

瀬織津姫を祀るのは多摩川北の小野神社だと、この地誌は軍配を上げている。
しかも……。

「近郷百草村の寺院・松連寺にあった、建久四年(1193)年と刻まれた経筒(※教典入れ)
には、一宮別当松蓮寺とある。よってその社地は、今の地より西へ寄った岡山の上……」
別当とは神社境内にある神宮寺のこと。つまり、鎌倉時代初期以降に、
小野神社は、百草の山域から現在の社地に遷座したと『新編武蔵風土記稿』は記すのだ。

ともあれ松連寺跡とは、現在の京王百草園(こちら)である。
場所は記述通り、現・社地の西へ寄った百草園駅(京王線)近く。
すぐさま車を百草園に走らせた。というか、帰る途中の街道沿いに登り口がある。

園内看板には、平安末期から鎌倉時代、百草村に鎌倉幕府の御願寺・真慈寺があり、
その跡地に松連寺が建ったとある。江戸時代『江戸名所図絵』に掲載されたとも。
廃寺となり百草園として公開されたのは、明治20(1887)年のことだそうだ。

園内お休み処、その名も松連庵前から副都心を望む。よい眺め。そして龍雲?
南北の小野神社が座す多摩川ベリが見える。日によってスカイツリーも遠望可とか。
山頂は標高140m。冬期ゆえ色なく、鎮守の森の趣き。大樹の根元には祠があった。
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水仙が見頃。2/8からは梅祭りが始まるそう。園に隣接する神社は百草八幡宮。祭神は、
誉田別命、息長足姫命、武内宿禰、源義家。小野神社との関係は? 謎はさらに深まる。
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# by utoutou | 2014-01-18 06:38 | 神社 | Trackback | Comments(0)