旧正月の久高島〈1〉「年の夜」のマルチャジシ

久高島へ渡る朝一番の船は、9時に安座真港を出る。
旧暦の正月にあたる1月31日(金)はそれに乗ろうと、本島の玉城に前泊。

つまりこの日は、年の夜(とぅしぬゆるー=大晦日)。
そう言えばと思い出し、マルチャジシを見に行くことにした。

「年の夜に御飯を食べにおいでね」と、以前から、
ナーカ根所(にーどぅくる)の和子おばさんに言われていた。
玉城大殿内(うふどぅんち)、ナーカ根屋とも呼ばれる司祭家。
語り部の宮里聡さんの話によく出る、神女の故ミエおばあの家だ。

玉城大殿内の神壇、年の夜の神様の御馳走。お盆中央がマルチャジシ。
マルチャジシとは、マルチャ(まな板)に載せたシシ(肉)のこと。
ミエおばあの時代は、まな板に載せて供えたというが、いまはお皿で。

玉城天孫氏はじめ中央に座す祖神は6柱。つまり香炉は6つあるが、
こうした行事の日は、「神々」の意味で2倍の12柱分を供えるという。
さらに左右に座す火の神などへお盆7枚14柱分。総計26の神様。壮観。
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神壇から下げたマルチャジシをいただいた。手で掴み塩をつけて食べる。
数時間煮て柔らかくなった豚肉に塩がよく合う。その出汁で煮た大根も美味。
元旦はさらに御馳走で、揚げ物に紅白カマボコと、より彩り豊かになるとか。

ナーカ根所のおばさんは、なぜ大晦日に煮肉を食べるかは知らないと言うが、
戦前の沖縄には、どの家でも、年の夜にこれを中腰で食べる習わしがあった。

そのことは、沖縄の風習研究家の与儀喜美江さんと出会い、私たちが書いた
『おきなわルーツ紀行 聖書でひも解く沖縄の風習』('10年、球陽出版)に詳しい。
「「年の夜」は「出エジプト前夜」」の項から、以下引用してみる。
音楽家の山内盛信氏(宮廷古典音楽研究家・故山内盛彬氏の甥)が語るくだり。

「昔は「年の夜」にマルチャジシをやった。
豚肉を中腰で食べる習わしがあった。子どもの頃は、
普段、肉なんて食べられないから座って食べたいのに、
どうしてトゥンタッチーなのかと思っていた。それから、
「年の夜」は、子どもでも夜通し起きていなくてはならない。
その意味が、聖書を読んでからやっと分かったんだよ」
(中略)……あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。
腰の帯を引き締め、足にくつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。
これは主への過越のいけにえである……(出エジプト記12:11)

トゥンタッチーとは、片膝をついた中腰の座り方。その体勢をとり、
山内さんは、マルチャジシの仕草をジェスチャーで見せてくれたものだ。

ナーカ根所へ行く約束の夕方まで、あちこち散歩。どこへ行こうとも決めず、
車の向くままに走って着いたのは、ミントングスクの近く、仲村渠農林公園。
眼下に太平洋。右から左へ水堅浜(みでぃきんぬはま)、アージ島、志喜屋港、
アドチ島、タマタ島、コマカ島、久高島(左の雲の下)が一直線に並んでいる。
この見晴し台のすぐ左手に、王府時代、
東御廻りで巡拝する聞得大君がヤハラヅカサから登った籠道が未だ残る。
久高島の始祖・ファガナシーとシラタルもこの道を通って海へ往来した。
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公園から左手に下り遊歩道を進むと、日本名水百選の垣花樋川に出る。
遊歩道沿いのクレソン畑で蝶蝶が乱舞する初夏の季節まで、あと少し。
女川と男川には清水が滔々と流れ、いつも誰かが木陰のベンチで昼寝中。
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明けて、旧暦午年の正月元旦7時半頃。ホテルから外へ出ると初日の出に遭遇。さて久高島へ。
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# by utoutou | 2014-02-05 12:11 | 久高島 | Trackback | Comments(0)