祖先は稲作渡来民族

約600年連綿と続いた、久高島の神人(かみんちゅ)一行による里帰り。
古くはミントン家に1泊して玉城の聖地を廻ったというが、そのコースとは。

まず『神々の原郷・久高島』(比嘉康雄氏著、1993年、第一書房)によれば、船を
ミディキンヌ浜(新しくは馬天港※1970年代当時)に着け、逆迎えを受けた後は次のように廻った。

稲作発祥の地・受水走水(うきんじゅはいんじゅ)→玉城ヌル殿内→玉城城への遥拝→
本部家(※シラタルの実家)→ミントン家のカー(川泉)→久高ガー(川泉)→ミントン家。
帰りにはミントン家から、米とターンム(田芋)と酒を持たせる慣習があったという。

このコースに加え、戦前の玉城参りを知る神女おばあから、語り部が伝え聞いところでは、一行は、
御先天孫氏(うさちてんそんし=古渡りのアマミキヨ)にゆかりのカラウカハ(神田)にも巡拝した。
土地の名は先原(さちばる)。受水走水から数100m南の新原(みーばる)集落のはずれにあった。

ちなみに御先とは、語り部によれば「2500年〜3000年より以前の時代」を指す。
「御先天孫氏は稲作渡来民族」との伝承と「沖縄の稲作伝来は10世紀」とする歴史は矛盾するが……。


新原集落の眼前に、約2㎞にわたって続く新原ビーチ。ダイナミックな巨岩群も目に楽しい。
夏はシュノーケルなどマリンスポーツを楽しむ人で賑わう。また四季を通じてパラグライダーが飛ぶ。
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受水走水よりも古い時代の親田(うぇーだ=神田)を、御先三穂田(うさちみーふーだ)という。
思えば、受水走水も、同じく三穂田と呼ばれる。アマミキヨの三穂田にも時代の新旧があるのだ。

ちなみに玉城には5つの親田があったと、語り部は言う。
・先原(さちばる)親田(※新原集落の南端)
・水堅田原(みでぃきんたばる)親田(※ミディキンヌ浜の近く)
・西田原(いりたばる)親田(※ミントングスクの近く)
・浦田原(うらたばる)親田(※受水走水のこと)
・中山田原(なけーまたばる)親田(※玉城城の南側)

海浜湿地帯の親田へは、集落から一直線に下るワイトイ道(切り通し道)があった。
そして、それぞれの親田は、古代の異なる稲作渡来集団の所有だったという。
つまり玉城は、海を越えて辿り着いた、稲作渡来民たちのゲートウェイだった。

日本神話では、天孫降臨は稲作の始まりだったけれども、沖縄も同じ。
天孫降臨神話の残るこの東方(あがりかた)は、戦前まで大稲作地帯だった。

東世(あがりゆー)信仰、太陽信仰は、稲作と不可分の関係にある。
陽を浴びて育ち、やがて豊かな穂を湛えた初穂を戴いて、王は自然の霊力を身につけた。
よって大稲作地帯であった玉城、そして隣接する知念は「神の国」。
ファガナシーが、その極東にある久高島を再興しなくてはならなかった理由もそこにあると思う。


沖縄の稲作発祥の地・受水走水(うきんちゅはいんちゅ)。こちらは受水のほう。
このすぐ近く、旧正月の初午の日に豊作の予祝神事「親田御願(うぇーだのうがん)」をする
祝毛(ゆーえーもー)という広場は、夏、マリンスポーツを楽しむ人々の駐車場になる。
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久高島の伊敷浜に建つ「御先(うさち)」の石碑。「S51.タツ年」の刻字も。
建立者不明だが、そのココロは「御先時代からの聖地である」ということだろう。
伊敷浜は、それこそ御先時代からの穀物伝来伝説の舞台でもある。
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# by utoutou | 2014-01-09 17:58 | 天孫氏 | Trackback | Comments(2)