六甲山と瀬織津姫 193 豊受…最古の女神

比沼麻奈為神社(ひぬまないじんじゃ、京丹後市
 峰山町)に関連して、語り部に聞いたことがあった。
「豊宇可及売神(とようかのめのかみ、豊受姫)
と、丹生都姫、弥都波能売神とは同神ですか?」

すると、すぐに答えが返ってきた。
「それぞれ祀られた時代が違うように視えます…」
その時代は一体どう違うのか、私なりに考えてみた。
 

比沼麻奈為神社には、2年前に参った。
籠神社付近からレンタカーを借りて丹後半島を周った日、
日本海側の竹野神社から平野を南下、30分で着いた。
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さて、姫たちの時代。
まず、縄文の月神(豊宇賀売姫)を祀る一族は、
どうやら、この国の最古の産鉄族であるらしい。

比治山に近い扇谷遺跡(京丹後市峰山町)からは、
砂鉄でつくった地金を鍛造する際に生じた鉄滓や、
鉄斧が発掘されており、弥生前期末から中期にかけ、
 ここが砂鉄による産鉄地だったことを示している。
砂鉄による産鉄は5世紀以からと言われるが、この地
ではいち早くそれが行われていたことが分かる。

 すると、この地に祀られた豊宇賀売命(豊受姫)は、
月の力を借りて稲種を育て、酒を造り、また農耕
 のための農具をつくる産鉄民の守護神だったのだろう。

比治山の麓に坐す藤社神社には和奈佐夫婦が祀られるが、
「ワナサは鋳土沙(いなさ)の転化」といった説もある。
また、摂社の祭神には、天一箇目神も祀られている。
藤の字のつく神社名は、砂鉄の製鉄が行われていた証。
古代は産鉄材の砂鉄を掬う道具は藤ザルを使った。

丹後の古代史家・小牧進三氏によれば、
比治山を源流とする諸河川では砂鉄がよく採れ、
 鉄穴流しのタタラ跡が、数多く遺っているという。



やはり、豊受姫(豊受大神)の足跡は「鉄の道」
であり、天女伝説もその物語ということになるか。
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さて、豊受大神の伊勢外宮への鎮座は、新しい産鉄
  技術の導入と無縁ではないと、真弓常忠氏は記した。
外宮への遷座は雄略天皇の22年というから、確かに
天日槍など帰化系の技術者(韓鍛治)によって
 新産鉄がもたらされた4〜5世紀と、時代は重なる。

 逆に言えば、
伊勢でもスズ鉄による旧式の産鉄は行われており、
 丹波は半島の新技術が伝来するゲートウェイだった。
 縄文の神であり月神である豊受姫を崇めた人々は、
帰化した技術者たちと共に伊勢へ移動したのだろう。



 話は変わるが、豊受大神の座す伊勢外宮に隣接する
 豊川茜稲荷神社の「茜」は、赤土の意味という。
 産鉄と赤土(朱砂)は切っても切れない関係にある。
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 そう言えば、比沼麻奈井為神社でも赤土を思わせる
光景を見た。拝殿の前から鳥居と立砂を見下ろした
 とき、木肌が赤みがかっていたのを不思議に感じた。
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  最古の産鉄材料だった瑞穂に生るスズ鉄(褐鉄鉱)、
 またその次に古い産鉄材の砂鉄などの酸化鉄につく
  赤サビは、焼くと赤色顔料・ベンガラになった。
  縄文土器に見られる赤色は、これを使ったという。
  ちなみに酸化鉄を炭でさらに焼けば、鉄材となった。

 古代製鉄が行われていた土地では、ベンガラの
 赤色が土壌に染み込んだ結果、赤土となったようだ。
思えば、和邇下神社(奈良県天理市)の境内の
 木々も赤色をしていたが、すぐ近くに赤土山古墳がある。

ところで、松田壽男氏はその著書

『古代の朱』に「朱」の種類について記している。

(以下要約)


☆原始日本人が使ったアカは、まず鉄系(ベンガラ、
赭=そほ)、後に水銀系(真赭=まほそ)がある。
☆前者は暗赤色、後者はミカン色に近い朱色。
☆後者は、朱砂、辰砂、丹砂とも呼ばれる。
☆朱砂は、水銀と硫黄の化合物である。
☆朱の代用として、鉛系のアカ(黄丹)も使った。

この「古代の朱」で紐解けば、豊宇賀売命と、
丹生都姫、弥都波能売神の年代順が分かるはずだ。
なぜなら豊受姫は「ベンガラの女神」だったと言える。
いっぽう、丹生都姫は「水銀の女神」だった。
つづく…。




# by utoutou | 2018-11-06 13:36 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(0)