六甲山と瀬織津姫 219 穴師山に立つ大王

穴師山のあたりに大王と大君のような男女が立つ
と語り部が言ったとき、「一対神か?」と思ったが、
「神ではなく…」と、彼はきっぱりと言ったものだ。
「巻向の地にいらっしゃった方々でしょう」

「そのおふたりは、どんな立ち姿で?」
ということは、聞かなかった。
その姿を語り部に視せているのが神的な存在なのか、
そうではなく、たとえばアカシックレコードのような
内なる存在なのかについては、私には分からないが、
「穴師山の周辺に立つ王と大君の姿」が、ビジョンの核。
というか謎解きへのヒントのすべてだ。いまの時点では。


そこまで聞いたからには、推理しないではいられず、
日本武尊と倭姫じゃないのかしか?と、自分でも考えた。
第12代景行天皇の皇子と、第11代垂仁天皇の皇女。
景行天皇の皇居・巻向日代宮(まきむくひしろみや)跡
や、垂仁天皇の巻向珠城宮(まきむくたまきのみや)跡
がこの地にあり、伯母と甥は所縁ある「ふたり」ではある。
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しかし、六甲山と穴師山を結ぶ日の出ライン…と
いうのが、今回の語り部の視るビジョンでは重要で、
ならば箸墓の時代とその向きを無視できない気もする。
ということは、「ふたり」は日本武尊と倭姫ではない。
その時代は4世紀半ば、箸墓の築造は3世紀後半だ。

箸墓は最古級の前方後円墳なので、当然のこと、
巻向には垂仁天皇や景行天皇の皇居はなかった。

また、巻向は集落というよりは祭祀遺跡と言われる。
目立った建築物のない時代、箸墓や掘立建物群が
向く先は穴師山(斎槻岳・弓月岳)の頂上付近。
おそらく語り部は、そこに「ふたり」を視た。
日御子(ヒコ)と日巫女(ヒメ)のように並んだ姿の。


その地点は、箸墓から見て夏至の日の出の方向。
(当時の固有歴でいう夏至は、いまの5月23日だが)
古来、「夏至の大平」と呼ばれた斎槻岳の高嶺に、
これから解くべき謎が隠れているようだ。
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ところで、「斎槻岳」という名前の由来は何か?
「槻(つき)」は「欅(けやき)」の古名というが、
そこにはもう少し深い意味がありそうだ。
瀬織津姫の亦名・撞賢木厳之御魂天疎向津姫命が含む
「撞(つき)賢木」と同義かもしれないと考えている。


大國魂神社(東京都府中市)鳥居前の欅(けやき)
斎槻岳の槻はこんな姿か(本文とは関係ありません)
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# by utoutou | 2019-03-20 22:51 | 瀬織津姫 | Trackback | Comments(2)