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南島の瀬織津姫〈6〉熊野権現

4月上旬、那覇に数日間いた。まず足が向いたのは、
前回のブログで書いた天久宮(那覇市泊)の周辺だ。
弁財天が影向したと由緒にある、琉球八社の一社。

朝10時半、泊漁港内のいゆまち(魚市場)を覗き、
道を渡って田舎で軟骨ソーキそば(600円)を食す。

直前に撮った店方向の写真奥に、弁財天がいたと
思われる小山(現在は亀甲墓の多い墓地)がある。

そば屋さん側からは登れない。古拝殿(天久宮旧地)
という洞穴上の小山(周辺のグーグルマップ)は、
中世玉依姫がいたという天久の御嶽に続いている
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弁財天の山上(聖現寺の山号は天久山)に登りたい
と思い、車で移動して墓地側から港の方向に進む。
写真左、泊大橋の高架道路が垣間見えたが、ここ
からも、山上への道はフェンスで閉ざされている
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天久宮の由緒については「天久の天女は弁財天
にも書いた。その弁財天を祀れと、国王は言った。
国王とは、琉球第二王朝の尚真王(1465〜87年)。

「我は熊野権現なり、衆生の利益の為に現れたり。
かの女人は国家の守護神なり、弁財天である」と、
女人と共に歩いていた法師が宣ったという縁起だ。


天久山を歩いた後、境内にある拝所へ。これは
新しそう。琉球王朝の聞得大君を崇める拝所という
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さて、くだんの過去ログ天久の天女は弁財天
の末尾に、実はこんなことを書いていた。
〜なぜこの地に、熊野権現と弁財天が祀られたのか?
それをゆっくりと語り部に尋ねてみたいと思う 〜

そうだった、それをまだ問うていないのだった。
翌日、語り部と会った私は、さっそく聞いてみた。

「なぜ天久に降臨したのが熊野権現なんですか?」
語り部は、にこやかな顔をこちらに向けて言う。
  「熊野神を崇める一族が、元々天久にいたからです」   

長年にわたって抱いた疑問が解けていく気がする。
影向する神あれば、そこには、崇め祀る民がいる。
では語り部の言う、この地にいた熊野の民とは誰か?



# by utoutou | 2025-04-16 12:35 | 最終章 | Trackback | Comments(0)