人気ブログランキング |

天孫氏は火の一族〈10〉天孫氏は祟り神か

六甲山の廣田神社で、あるいは奈良の大神神社で、
地主神を封じながら祀るという祭祀を行っていた
のは、他でもない大和朝廷(天皇家)側だった。
つまり、その地には封じられた先住民族がいた。

新たな地主・朝廷側は、神の祟りを恐れたのだ。

日本書紀・神功皇后の条が「祟るところの神」と
記した神の筆頭は、撞賢木厳之御魂天疎向津姫。

次には、あの長門国一之宮・住吉神社に祀られた
住吉大神の荒魂(=男神としての天照大神)だろう。
荒魂とは「荒ぶる神=祟る神」ということだったか。


ところで、昨日まで数日の間、沖縄にいた。
那覇では、まず首里城内とその周辺を歩く。昨秋
から、那覇空港に着くと首里城へ直行というのが、
沖縄ひとり旅のお決まりコースになっている。

首里城とその周辺を何度か歩くうち、そして
御嶽や、それにまつわる伝承を紐解くうち、
首里丘陵はとてつもなく歴史の深い場所と思い始めた。



この日は早朝に東京を発ってのお昼前だったので、
首里赤田町・首里そばの開店前の行列に並ぶ。
幸い11時すぎの開店と同時に入店することができ、
そば(中)とジューシー(炊き込みご飯)を堪能。
天孫氏は火の一族〈10〉天孫氏は祟り神か_a0300530_17440506.jpg





首里城の地下駐車場から南西側の通りに出て、
城壁沿いに進み、首里城東南にある首里そばへ。
途中、継世門(赤田御門)を仰ぎ見たりもしつつ。
天孫氏は火の一族〈10〉天孫氏は祟り神か_a0300530_18005171.jpg




さらに数分歩くと、達磨寺・西来院の前に出た。
ここまで来ると、首里そばに到着したも同然…。
天孫氏は火の一族〈10〉天孫氏は祟り神か_a0300530_18033579.jpg





首里十二支巡り(十二か所巡り)をしたときに来た。
と、門前で佇むと、またあることを思い出した。

語り部が去年の秋に言っていた、古い御嶽のこと。
この達磨寺の北側に、かつてあったというのが、
「国(首里)のはじまり・あーけーじゅの御嶽」

ブログ「首里はじまりの御嶽」にも書いたが、
「あーけーじゅ」とは琉球の古語で、トンボ=蜻蛉。

「あけず」「あけつ」にも聞こえるこの言葉について、
沖縄出身の植物学者・歴史家の与世里盛春氏は、
その著『日本のふるさと琉球』にこう記した(要約)。

〜 古代からこの国の国土を象徴する言葉であった
「豊秋津洲」の語源「あけず」の生まれ故郷は
琉球であり、この琉球を経由して北上移住した
倭人、あるいは隼人によって日本本土に伝わった
ものであろうと思われる。〜

ひょっとすると、「首里はじまりの御嶽」は、
「日本はじまりの御嶽」でもあったりしないか?
それを解く鍵は、「倭人、あるいは隼人」か?
と、首里そばの行列のなか、考えたものだった。

あーけーじゅの御嶽は、伝承によれば、
アマミキヨの末裔・首里天孫氏が造ったという。
天孫氏は地主神。ならば、祟り神になったのか…?










# by utoutou | 2020-02-28 17:22 | 天孫氏 | Trackback | Comments(0)