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辺戸岬の御嶽廻り〈9〉琉球開闢の神

辺戸岬の御嶽廻りの旅ログも、終わりに近づいた。
一応、語り部と共に参った場所は綴ったつもりだ。
いまは辺戸岳の山並みをシミジミと思い出している
辺戸岬の御嶽廻り〈9〉琉球開闢の神_a0300530_14414752.jpg








思えば、あの日、語り部の話で印象に残ったのは、
アシムイの御嶽を踏破したときのエピソードだ。

「辺戸岳は、鞍部が4つある連山ですから、昔一度
尾根伝いに歩いたことがあります。平坦ではないので
 南から北へ、登り降りしながら4時間ぐらいかかった」

 そうかアシムイは連山で歩けるのかと、感動した。
 風を受け古生代の山を往く、眼下にやんばるの森…
辺戸岬の御嶽廻り〈9〉琉球開闢の神_a0300530_14575704.jpg








 語り部の話は山岳信仰の修験者のようだったなと
思いつつ、辺戸が琉球開闢の御嶽である意味を考えた。

奄美諸島の西を通り北から来た(と何度か書いた)今来
のアマミキヨは、どうやら山岳信仰を持つ海人族だった
のではないかと、最近は真顔で思うようになっている。

それは、
PCのデスクトップに、アシムイの御嶽の頂上からの
↓こんな写真が残っていたりするからなわけだが…
辺戸岬の御嶽廻り〈9〉琉球開闢の神_a0300530_14414396.jpg




あるいは、辺戸の地質図をブックマークしていたり、
机の上に『中山世鑑』のあるベージをプリントアウト
 したものを置きっぱなしにしていたりするからか。

 そのページとは、
他でもない『中山世鑑』の巻一「琉球開闢之事」
にある、アマミキヨに関する伝承のあのくだり。

意訳すると、〜(阿藦美久は)まず一番に国頭に
 辺戸のアシムイを、次に今鬼神ノカナヒャブを、
次に、知念森、斎場嶽、藪薩の浦原、次に玉城の
  アマツヅ、次に久高コバウ森、次に首里森、真玉森、
島々国々の、嶽々森々を、作った 〜 

 時々、琉球開闢の御嶽のどこかに思いを馳せている。
 なかでも、薮薩の浦原、知念森、久高島、玉城城など、
 本島最北の辺戸岬からは遠い、南部の「嶽々」に。

  薮薩(やぶさつ)の二文字が、妙に気になっていた。

「ヤブサの神」について、いま腑に落ちる思いがする。
ヤブサとかヤボサは、大陸から東シナ海を南下した
アマミキヨ族の信仰だったのではないだろうか…?



# by utoutou | 2023-06-03 06:31 | グスク・御嶽 | Trackback | Comments(2)