ミントングスクに山東から渡来した祖先が祀られていることは、
「昔、神の世に牛、馬、豚、羊等の獣を唐のサントンの国より持ち帰られたり」 との伝承からも伺えるが、この祖先が「明東」なのかは分からない はたしてアマミキヨ・シロミキヨは、 紀元前にヤハラヅカサに漂着した徐福一団のことだったのか。沖縄の歴史、 その核心に迫る発見となるか。木村教授のさらなる調査研究を心待ちにしたい。 さて、現在、ミントングスクの神壇には4つの香炉が安置されている。 文字通り「明東」の存在の大きさが際立つ。 ![]() ![]() 神壇の香炉には、左からシロミキヨ、アマミキヨ、(中央がアマミキヨ神の位牌)、天孫氏、ミントンの銘(神事を司る神人)がある。 久高島の祭祀を記録した写真家・比嘉康雄氏も『神々の原郷 久高島(下巻』)(1993年、第一書房)では、右のように図示。 ミントン家当主の知念幸徳氏曰く「左からシロミキヨ、アマミキヨ、天孫氏、ミントン」。 中央「トゥトゥメー」とは位牌のこと。 しかし、大正15年にミントングスクを調査した鎌倉芳太郎氏によれば、 神壇には「香炉9個ヲ安置セリ」と。 鎌倉芳太郎氏(1898~1983年)は香川県出身。高校の美術教師として沖縄に就き、 後に型絵染作家として人間国宝に。戦前の沖縄の文化を調査記録し、 首里城の再建にも尽力。「沖縄文化の父」とも呼ばれる。 祖先神「ミントン」は「アマミキヨ・シロミキヨ」とは別神か? 先の古老は言った。 「ミントン神屋の香炉は、左から時代が古い順に並んでいる」 つまり、ミントン(明東)の渡来に先立った時代に始祖神がいたと。 であれば、アマミキヨとシロミキヨは、夫婦神ではない。 アマミキヨ族、シロミキヨ族と称される渡来の一族がいたということになる。 鎌倉芳太郎氏がスケッチした「ミントングスク神域見取図」。 図中の左上に、鎌倉氏が当時のミントン当主の知念伊郎氏から聞き書きした「開闢伝説」。 鎌倉芳太郎氏著『沖縄文化の遺宝』(岩波書店)より。 (開闢伝説) 世の初まりは(シルミチュー、アマミチュー)の御神(オテダ、オチチ)のあがり口にて 生まれ給いぬ、七日七夜の後に上り来られたり、これまでは天と地分かたず 夜と昼なし、即ち神は「二ライカナイ」に居られたり、 然して神がこの「ミントングスク」に降らせられたる時に初めて天と地と分かれ、 夜と昼の分け生じたり。 『ミントン』(1990年、玉城村仲村渠発行)P.52 ![]() 『沖縄文化の遺宝』に鎌倉氏が記した「開闢伝説」への解釈は次の通り。 昔始まりは、「アマミチュ」「シルミチュ」の御神、 「おてだ」「おちち」の上り口にて生まれ給い、「二ライ」「カナイ」に居らせられ、 七日七夜の後に「ミントングシク」に降臨せられ、 初めて天と地と分かれ、夜と昼の分れ目が出来たという。 これは日月星辰に対する信仰であり、 明らかに沖縄の古代民族の太陽崇拝の思想から生れた神話である。 そしてこの神話によって、『琉球国由来記』(年中祭祀)に記されている 首里御城中の「御日御月御前」及び聞得大君御殿の日月崇拝の意味が分かってくると思う。 「おてだ=太陽」と「おちち=月」は「上り口=水平線」で生まれ、ミントングスクに降臨した。 「ミントングスクは世のはじまり」。ミントングスクには壮大な神話がある。 現在のミントン当主・知念幸正氏にグスクの上方に案内してもらった。 凪いだ海に、アドキ島、タマタ島、コマカ島、そして久高島が、一直線に遠望できた。 あっと思った。後ろを振り向くと、真正面にあの城(ぐすく)がそびえていた。
by utoutou
| 2013-08-21 17:58
| ミントングスク
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