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ミントンの娘とイザイホー〈2〉

沖縄に来ている。昨日8月26日(火)は久高島へ。
ファガナシーとシラタルの足跡を辿ってみた。

今夏、東京の酷暑に慣れていたはずだったが光線が違う。
暑い、そして眩しい。自転車で1周した午後3時〜5時。
さすがに日陰のない道を往く島人はいない。すれ違った旅人は4名。

まず歩いたのは徳仁港の西、灯台下の辺り。親元ミントンを離れ、
玉城の水堅浜(みでぃきんぬはま)から小舟で出発した若夫婦は、
島に着いた後、このあたりで住まいを点々としたことが
「7つヤードゥイ」(屋取り=移住した場所)として、祭りで再現されている。
ちなみに「7」の聖数を多用するのが、ファガナシーとシラタル伝説の特徴。

徳仁港の近く、イラブーガマ(海蛇が産卵にやって来る洞泉)から、
ふたりの故郷・玉城を遠望する。その距離10数㎞。今度正確に計ってみよう。

堤防のはるか先、左右に広がる本島の左端が喜屋武岬。
その右方向、稜線が高くなった辺りが玉城。ミントングスクはその下に位置する。
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イラブーガマの隣り、ミナーラ川から見る本島。首里・浦添の方向が見える。
ミナーラ川でもイラブーが獲れる。階段が、左のガマ(洞穴)まで続く。
下まで降りて岩間の海を覗いた。透明度はとても高いが、海底は見えない。
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ミナーラ川の近くで、ささやかな発見。
これまで、まったく気がつかなかった。
道の傍らをふと見ると「百名のおとーしばん」と刻印された石碑がある。

高さ30㎝、幅20㎝ほど。「おとーし」とは遥拝の意味だが、
では「ばん」とは「板」か「盤」のことか。
「百名」は、ミントングスクのある玉城仲村渠(なかんだかり)の旧名。
故郷の百名、実家のミントン、琉球すべての地に、
弥勒世(みるくゆー、五穀が豊穣する豊かな世)が訪れるよう、
ファガナシーは故郷に祈ったのだろうか。

「神の島の島立ての祖神」と呼ばれるファガナシーは、アマミキヨの末裔。
そして、おそらく稀代の霊能力を生まれ持ったシャーマン。

ファガナシーの故郷・百名を遥拝する百名おとーしばん、下に徳仁港が見える。
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ファガナシーとシラタルの故郷・百名。
そこにはアマミキヨが長い旅の終着地としたヤハラヅカサがあり、
アマミキヨの居住地跡であったミントングスクがある。
玉城と久高島は一対になっていることが、ここでは感じられる。

次に集落の北にある久高島資料館に行き、改めて「島立ての祖」、
そして「イザイホーの祖」でもあるファガナシーとシラタルの
物語を確かめる。次のような解説パネルが掲げられている。

【イザイホーの意義】
久高島では島に永住した最初の祖先はシラタルとファガナシーだった
と伝えられている。この二人が結ばれて1男3女が生まれ、
長男マニウシは外間根人、長女ウトゥダルは外間ノロ、
3女タルガナーは久高ノロの祖だと言われている。
ノロをはじめ島で生まれた30歳以上70歳までの女性は
ミコ〈巫女〉としてナンチュ(30歳〜41歳)、
ヤジク(42歳〜53歳)、ウンサク(54歳〜60歳)、
タムト(61歳〜70歳)の4段階に組織されるが、一般の女性から
ミコとして神女にタマガエー(魂替え)する儀礼がイザイホウである。
ミコのことをタマガエーとも呼んでおり
神を畏れ敬う念は今もシマンチュ(島人)の生活に根づいている。
イザイホウは、
午年の旧11月15日から18日までの4日間を中心に行われるが、
実際は旧10月の壬(みずのえ)のお願立てから旧11月20日の
ウプグイの行事に至るまで実に1ヶ月余の長期にわたる行事である。
それには、島で生まれた30歳から70歳までの女性が関わるが特に、
初めて参加するナンチュは旧11月15日までにお願立てに
ウタキマーイ(お嶽参り)を7回繰り返しカミナ(神名)を受け、
イザイホウによってタマガエーしナンチュとして神女になるのである。

イザイホーの祭祀場だった久高殿。
1978年、最後のイザイホーには約千人のマスコミと見学客が訪れたという。
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by utoutou | 2013-08-27 08:23 | イザイホー | Trackback | Comments(0)
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