「百名おとーしばん」(百名遥拝所)は、久高島南端・ミナーラ川の上。
川というより水脈だが。私も、ここで百名を遥拝してみた。 つまり、百名を通して神に祈りを通すのだ。 が、暑さで倒れ込みそうになり3分ともたない。そして思う。 若い夫婦はいったいなぜ、親元を離れ無人の島へと渡ったか。 サバイバルの保証もない古琉球の時代に。 百名の伝承では「従兄弟同士の結婚だったため勘当された」とか 「村の喧嘩に巻き込まれシラタルが村八分になった」というが、 それならばなぜ、何百年間も、久高島神人による「百名祭礼」 (里帰りしてのミントングスク参拝)は絶えることなく続いたのか。 ちなみに「百名祭礼」とは、久高島の元家の神人神女が、 年に数回、玉城に渡った神事。いわゆる里帰りで「玉城参り」とも。 久高島神人(かみんちゅ)たちはミントングスクで、 イザイホーの催行日時に関する神託も受けていた。 いわゆる「時取り」。その帰りに、ミントンからは、 イザイホー最後の演目「アリクヤーの綱引き」に使う稲藁が託された。 稲藁はミントンが管理する三穂田(みーふーだ)(琉球の稲が発祥した神田) で穫れた稲から出来たものを使った。 『沖縄県久高島資料』「ミントングスクの根人知念幸徳さん聞書抄」 (1979年、古典と民俗学の会)より。 ふわりと風が吹いた。 後ろを振り向くと10mほど先の正面に「スベーラキ」が見える。 島では「スベーラの御嶽」と呼ぶが、その由来伝承は途絶えている。 道を右に下るとイラブーガマ。イラブー漁は500年も続いて今に至る。 自転車は徳仁港で私が借りたもの(2時間600円)。 ふたりは、途絶えた古代の祭りを再興するために久高島に渡ったのか。 そう思った。語り部に聞いてみなくては。 玉城・久高島の伝承を知る宮里聡さん。神人(かみんちゅ)である。 今回訪れた御嶽を地図に書き入れてみた。 左下の地域のミナーラ川、イラブーガマ、スベーラキ。 (黒字は筆者)同じく黒字のアカララキ、ユーウラヌ浜についてはまた。 ミナーラ川とスベーラキ周辺を出て漁港方面を見る。 右手がグラウンドとキャンプ場。キャンプする人を発見。
by utoutou
| 2013-08-28 09:39
| イザイホー
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