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ミントンの娘とイザイホー〈4〉

久高島には「百名おとーしばん」の石碑があるが、
「ばん」とは何?
うちなーんちゅ(沖縄の人)から言葉は聞いていたが、意味不明。
神事について話を聞くときに、頻発するのが「ばん」なのだが。

那覇市に住む女性は「うちのおばあはノロだったけど
“世界ばん”を持たされて大変だった」と言った。
「ばん、て何?」と聞いても、彼女にも「分からない」。
ミントンの先代ご当主は「うちは寅のばん」と言っていたという。

ところが今回ようやく、「ばん」とは「方角」だと分かった。
「百名おとーしばん」とは「百名」を「遥拝」する「方角」。

それを確かめるために、百名・久高島の御嶽をよく知る、
語り部の宮里聡さんに那覇市内で会った。

「“ばん”とは何ですか?」
「盤ですよ」
「方角?」
「昔の人は、カラダで覚えた天体感覚で、すべてを見ていたのでは」
「干支、十二支とか?」
「はい、方位とは、生活の羅針盤だったと思います」
「だから“盤”」
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十二支は、年・月・時間であり方角。
すると、先の「世界ばん」は「世界全方位の平和を祈る役割」、
「寅のばん」は「寅の刻(午前4時=暁のとき)」となる。
十二支の象意で紐解けば、神事の意味がスラスラ分かる。

語り部は何でも知っている。
15歳で(現在40歳代後半)神託によって玉城と久高島に辿り着き、
戦前から御嶽守りをする神女おばあたちの伝承を受け継いだ。

この日、私は久高島にある「スベーラの御嶽」の由来を訊ねた。
別名・スベーラキ。
「百名のおとーしばんと、スベーラの御嶽との関係は?」

すると、語り部は思いもよらないことを言った。
「戦前はスベーラに百名におとーし(遥拝)する香炉があったそうです」
あっと、思う。そこには島人のお供で参ったことがあった。

威部(イビ=至聖所)の香炉は、確かに百名の方角を背にしていた。
「スベーラ→百名(ミントングスク)は、一直線上にある?」
「はい。でもおばあたちもスベーラの由来は知らなかった。途絶えてましたね」
「もしや、超古代からあった御嶽」
「そうです」
「スベーラキを守るために、ファガナシーとシラタルは島に渡ったと?」
「それもあります」
「では、他にも守るべき御嶽が? アカララキですか?」
私は身を乗り出して聞いた。
「そうです」

アカララキ。2ヶ月前に訪れた久高島で、ようやく辿り着いた御嶽。
現在の漁港である別名・ユウウラヌ浜、そして、
王府時代には「君之泊」(ちみんとぅまい)と呼ばれた港の正面(左)にある。
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久高島の古い島地図には、必ず印されているアカララキ。
私は東京から用意してきた質問を口にした。恐る恐る。
「アカララキとは、アラハバキのことですか?」
「そうですよ」
語り部は涼しい顔で言った。

アカララキの小祠。ご神体は石。
イザイホーでは神女たちが籠る七つ屋の横に「出張」して建てられた。
「門番として」と記録にはあるが、その意味はなんと……。
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by utoutou | 2013-08-29 07:50 | イザイホー | Trackback | Comments(0)
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