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ミントンの娘とイザイホー〈5〉

久高島の始祖と伝わるミントンの娘・ファガナシーと、従兄弟のシラタル。
若夫婦が始めた神祭りは、第二尚氏王朝3代の尚真王時代に、
王権儀礼イザイホーとして整えられ、1978年まで続いた。

久高島通いのなか、私は次第に、ふたりは勘当されたのではなく、
司祭という使命を背負って島に渡ったのだと考えるようになった。
あるいは再興したという説話のために伝説は作られたか。

いずれにしても、ふたりはアマミキヨの末裔。
つまり、イザイホーの祭式には祖先アマミキヨの習俗が投影されている。
アマミキヨには「今来のアマミキヨ」と「古渡りのアマミキヨ」がいる。
イザイホーの謎を紐解けば「古渡りのアマミキヨ」像に近づくことができる。

手がかりのひとつが、アカララキ。
この浜からは「久高第二貝塚」が発見されたことで、
5000年前の縄文時代前期(沖縄では貝塚時代)に人が住んでいたことが知れる。
アカララキは、そんな縄文の人々によって祀られてきた神様だったと思う。
祀られているのは、縄文の女神・アラハバキか。

語り部は言う。
「そうですね。アカララキはアラハバキと考えられます。
神女のおばあたちは、この御嶽を“アラの御嶽”と呼びまました。
伊是名島にも同名の御嶽がありますが、やはり“アラの御嶽”と呼ばれていた。
中部の北谷には“アラハビーチ”がある。
古代の女神・アラハバキの痕跡は沖縄にも残っているのです」

王朝時代、国王一行が久高島への第一歩を印した浜にアカララキはある。
「アカラ」の意味は他に、明るい、暁、夜が明ける、始まり、世が明ける。
「ラキ」は御嶽、この森全体は「アカラムイ」(ムイ=森)とも呼ばれる。


御嶽の内部、直径10mほどの広場にアカララキの神はひっそりと祀られている。
御神体の石は卵型に磨かれ、手を合わせると慈愛に満ちた力強さが感じられた。
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王府は、アカララキを神の島の「門番の神」として位置づけた。
イザイホー(1978年)の際には、神女たちが籠る七ツ屋の横に「出張」して、
下のように設えられた。
写真は神戸女子大学古典芸能研究センター「沖縄史データベース」からの借用。
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比嘉康雄氏は『神々の古層 主婦が神になる刻』で、次のように記している。

なお、久高側の棟横にある小棟は、アカララキの象徴であるという。
アカララキはウプティシジ(※祖先の霊力)の居所の御嶽のひとつであり、
昔の港であったユラウマヌ浜入口にあった。
そこのウプティシジは気象が激しく、たとえば仁王様のようなもので、
島の入口の門番的神であるという。(中略)それでこのアカララキだけは
ナンチュ(注・神女のこと)が入らないので小さくしてあるが、アカララキの
ウプティシジが七ツ屋の門番として入っていると考えられているのである。
この小棟を「ヒジムナー」小屋といっている人がいるがそれは間違いである。

1978年に行われたイザイホー、久高殿における祭場図。
「七ツ屋」「アカララキ」の赤丸は筆者による。
下の写真・中央の蒲葵で葺かれた祭屋が「七ツ屋」。
左奥にアカララキがうっすらと写っている。比嘉康雄氏著の同書より。
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昨日までの沖縄旅で再会した語り部は「門番」の由来についてこう語った。
「門番とは“門の番”(じょうのばん)。決して港の門番ではない。
沖縄では、たとえば門中墓に誰かを埋葬する場合、入口近くの左に安置しますが、
その新仏様を、昔は他界との境界を守る“門の番”と呼んだ。
“門の番”とは、生命を握る神のこと。新生・再生・転生を司る大元の女神。
でも、その意味を知る人はいなくなりました」

アカララキは魂を再生させる女神。新生・転生を司る女神。
その失われた女神を再び立たせることが、
ファガナシーのミッションだったかもしれない。すると、夫のシラタルは……。
イザイホー祭場でアカララキと向き合うイラブーの薫製小屋に祀られる男神。
つまり、蛇神を再び立たせるミッションを担っていたのか。
by utoutou | 2013-08-31 01:48 | イザイホー | Trackback | Comments(0)
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