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玉城に呼ばれた男〜2009

噂話は玉城(たまぐすく)でも知念(ちねん)でも聞いていた。
ある人は宮里聡さんについて「沖縄一、見える人」と言った。
凡人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる、本物の神人(かみんちゅ)だと。

たとえば、知念に住む男性Kさんの話。
薬草の研究者であるKさんが、日本にはない薬草を求めて海外に飛んだときのこと。
初めての国で右往左往するばかり、なかなか目指す薬草の自生する場所は見つからなかった。
するとKさんの携帯電話が鳴った。沖縄にいる宮里さんからだったという。
宮里さんが言った。
「そこでいいですよ。振り返ってみてください、薬草が生えてます」
ズバッと指摘されたその場所で、Kさんは目的を果たすことができたのだという。
「宮里さんは、時空や次元を飛び越えた存在とコンタクトしている。
だからいつも、悩みのある人たちに追いかけられて忙しい」と、Kさん。

その忙しい宮里さんと会ったのは2009年。以前にも書いた「玉城を語る会」でのことだった。
学者や実業家や出版関係者やアーチストなど、20人以上はいたと思う。
あれこれと歓談するなか、話が「琉球七御嶽」に及んだとき、宮里さんは言った。

「戦前生まれの玉城のおばあたちは言っていたんです。沖縄でいちばん古い御嶽は、薮薩の御嶽(ヤブサツノウタキ)。
ここを拝まなけれぱ世は開かない、斎場御嶽はその後だよと」
御嶽廻りに順番があるとは知らないことだった。
玉城の御嶽を廻り、国造りの神々を鎮めていた玉城のおばあたちがいたことも。
これは古(いにしえ)のアマミキヨ像に近づくためのチャンスかもしれない。
私は追いかけずにいられない「語り部」として、宮里さんを見るようになった。


ヤハラヅカサ。
この百名海岸を見渡すことのできる高台の別荘に、玉城を愛する人々が集った。
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ヤハラヅカサから浜に上がると、眼前にそそり立つこの「薮薩の浦原」一帯と向き合うことになる。
“七御嶽”のひとつ。写真の右手を行くと、地元の人たちが整備した浜川御嶽へと登る石づくりの階段こちらがある。
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『南城市史総合版(通史)』(2010年、南城市教育委員会)より借用。
図のタイトルは「国土造成神話七御嶽(『中山世鑑』をもとに作成)」。
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「琉球開闢の地」そして「神話のふるさと」だけあって、『中山世鑑』(1650年)の国造り神話に出て来る七御嶽のうち、五つの御嶽(知念森城(ちねんむいぐすく)、斎場御嶽(せーふぁうたき)、薮薩の浦原(やぶさつのうらばる)、玉城アマツヅ(筆者注・玉城城にあるイビ))、久高コバウ森(注・9ボー御嶽のこと))が、ここ玉城と知念(どちらも現・南城市)に集中している。

その『中山世鑑』には、アマミキヨが造った「七御嶽」は次の順番で記されている。
「まず第一番に」(国頭)辺土の安須森→今鬼神(なきじん)ノカナヒャブ→知念森→斎場嶽→薮薩の浦原→次に玉城アマツヅ→久高コバウ森→首里森・真玉森→「次に島々国々の嶽々森々を造り……」

沖縄本島の北端から始まる国造り物語は、玉城の口伝とは違っていたのだろうか。

琉球王府が編んだ正史への違和感。それは玉城に生きたおばあたちだけの話だけではないようだ。
玉城仲村渠で編集発行された書『ミントン』(1990年、玉城村字仲村渠祭祀委員会)からも、そのことを伺い知ることができる。


【琉球の「正史」とミントン】
ミントンは沖縄の開闢の地とされながら琉球王府の正史などにはまったま触れられていない。羽地朝秀の『中山世鑑』という琉球最古の歴史の本には琉球の国は天の神、すなわち天帝から遣わされた神アマミキヨによって造られたとされている。
これとは別に「長浜系図」という民間に流布していたものがある。その抄録がわずかに残っているが、それには明東天帝氏が琉球開闢の祖アマミコ、シニリクの直系となっている。・・・・中略
一つ考えられることは、『中山世鑑』が王府の正史であるという立場上、王権を権威づけるため国王の支配するこの地を神聖視させる必要があったことと、その神を海のかなたから来た人間臭い神アマミキヨではなく、最も権威のある天の神に結びつける必要があったことと思われる。
ヤハラヅカサ、浜川、ミントン、人間的アマミキヨなど、リアルなイメージでは為政者の権威づけとしては不都合であったのだろうか。


私は語り部にお願いして、翌日東京に帰る前に会う約束をとりつけた。
語り部が玉城の地にやって来たのは、1977(昭和52年)。最後のイザイホーが行われる前年のことだった。
by utoutou | 2013-09-12 15:59 | 語り部 | Trackback | Comments(0)
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