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玉城に呼ばれた男〜1977〈1〉

宮里聡さんは、どのような経緯で玉城に呼ばれたのか。

1977(昭和52)年。宮里さんが14歳、中学2年生だった夏のこと。
干支でいえば三巡り前の巳の年。今から36年前、
サトシ少年はアマミキヨにゆかりの聖地・玉城に辿り着いた。

聖地が人を呼ぶのか? と、私は正直最初は思った。
しかし、イザイホーでも永遠の魂の再生(魂替え=タマガエー)
を祭祀の中心としていたように、神々が今なお御嶽に滞留している
というのが沖縄の、いや、古代日本人の神観念だった。
そして大地、海、風、星々が神だったことを思えば、不思議な話ではない。

さて、生まれつき霊能力の強かったサトシ少年にとって、
玉城の百名は約束の地。夜な夜な夢で集落の風景を見せられ、
「ここへ行け」との神からの託宣は繰り返されたという。

しかし、その集落が沖縄のどこにあるのかが、分からなかった。
位置を知らされないまま「早くそこへ行け」との神託は続いた。

神様はこうして人を試すものなのか、サトシ少年は夢にうなされ続けた。
その孤独で長く続いた神との戦いについては、後に記すとして、
サトシ少年を脅かした神託は、やがて決着のときを迎える。

衰弱して入院していた中2のとき、メッセージが下ったという。
「新原海岸に近い百名に、屋号・新門(みーじょう)を継いだ
上之当(いいのあたい)という屋号の家がある。
カミナームイ(神の森)と、カミナーグムイ(神の池)があるのが目印。
そこにウメという亥年のおばあさんがいるから、訪ねなさい」
「でも、その家をどうやって探すの?」
サトシ少年が聞くと、夢の声は告げた。
「病院で会うフミというおばさんに教えてもらいなさい」と。

サトシ少年が辿り着いた百名のバス停(現在)。
那覇から来たサトシ少年は、ここで降り、ウメおばあと出会った。
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百名に着くと、畑の中の一本道に建つ家の前におばあが立っていた。
クバ傘を被り、タオルを首にかけ、カマを持っている。
サトシ少年は、泣きながら突進したという。
「このおばあである、このおばあである……」
驚いたウメおばあは言った。
「あんた、どこの子ども? なんでこんなして歩いている?」
それがふたりの出会いだった。サトシ少年は確かめるように聞く。
「おばあさんのところは、上之当(いいのあたい)というの?」
「やんどー(そうだよ)」
「新門(みーじょう)ってなんのこと?」
「新門というのは玉城天孫氏を祀ってある家のことだよ。
玉城の大きい根所(にーどぅくる)のひとつ。とにかく入りなさい。
あんたは生まれ(徳の高い生まれ)を持っている子だ」

ウメおばあは「玉城天孫氏」の祖先を祀る神女(かみんちゅ)だった。
それは英祖王を初代とする王統。そしてアマミキヨの末裔。
神壇に挨拶を済ますと、サトシ少年はウメおばあに聞いた。
「薮薩の御嶽って、近くにあるの? そこへ行けって言われたよ」

新原海岸。
ヤハラヅカサのある百名海岸からここまで約2㎞、白砂の浜辺が続く。
当時から海水浴場として人気。
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久高島の秘祭イザイホーが途絶えたのは、翌78年。
その年、玉城にあった米軍基地の跡地に琉球ゴルフ倶楽部がオープンした。
沖縄本土復帰から6年。車の左側通行が右側に変更になったのもその年。
新時代に逆行するように、サトシ少年の御嶽廻り(たきまーい)は始まった。

語り部・宮里聡さん(現在)と筆者(右)。玉城『天空の茶屋』にて。
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by utoutou | 2013-09-15 10:26 | 語り部 | Trackback | Comments(6)
Commented by sayu at 2015-07-02 06:55 x
初めまして
ずっとブログを拝見させて頂いております。
猿田彦大神についての御着目、有難うございます。
これで、歴史が変わります。
本にして出版されてはいかがでしょうか?
何卒、これからも、よろしくお願い致します。
Commented by utoutou at 2015-07-02 21:13
sayu さま
コメントをありがとうございます。激励のお言葉と有り難く受け止めました。

目下の関心事は、スサノオ、スサの王、スサノオノミコトの違いといったところですが、そこがしっかりと整理できれば、アマミキヨをもっと理解できると思っています。原稿をまとめるのはそれからでしょうか。

語り部によれば、現在はまだ全体像の三分の一程度とのことですので、先は長いですね(笑)。今後ともよろしくお願いいたします。


Commented by sayu at 2015-07-03 13:10 x
有難うございます♪
御著書を何冊か出されていらっしゃるということで、いつか拝読させて頂きたく存じます。
『猿田彦神』につきましては…もし宜しければ、宮里様に『クナト大神』あるいは『幸(さい)の神』についてお尋ね頂ければ…何か大変重大な事が判明するかも知れませんので…宜しければ、是非ともお聞き頂けませんでしょうか?♪…
ちなみに『猿田彦神』は『クナト大神』という歴史上の祖先の御子に当たられる方…と存じます。
「スサノオ」等よりも、遥かに古くから日本に来られた御方だと伺っております。神人の宮里様なら、何か重大な真実を御存じかも知れませんね♪…。何卒よろしく御願い申し上げます♪
Commented by utoutou at 2015-07-03 22:12
sayu さま
こんばんは。猿田大彦とクナト大神については何度か書きました通りで、語り部とも意見が一致しています。クナト大神は出雲神族である富一族の首長、猿田彦大神(海神・綿津見神の子であり安曇の祖である宇都志日金析命、穂高見神)だと考えています。
機会があれば、改めて話を聞いてみますね。ありがとうございました。
Commented by ジャン・レノ at 2018-09-04 21:25 x
うわー。
近々、沖縄に行くので、最近ずっと見させて頂いておりますが、もうここ数日間のシンクロにゾクゾクしておりまっす。
私、数年前からずっとニギハヤヒさんを辿っており、ある時「アマミ」という言葉をいただき気にしておりました。そしてまたある方に猿田彦さんが旅を導いているといわれ、何だか沖縄に行こうと思い日程も宿も決め、こちらの記事を見たら成り行きで決めた宿の近くにあるお話で⋅⋅⋅⋅⋅。
行くっきゃないと思った次第です。
ただ、一人で周って失礼をせずにいけるのかな?と、只今お勉強中でっす!
参考にさせて頂いておりまっす。
ありがとうございます‼
Commented by utoutou at 2018-09-06 13:51
> ジャン・レノさん
コメントありがとうございます。玉城へ行かれるのですね。猿田彦神は綿津見神の系譜にあると思っています。よい旅ができますように!
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