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元伊勢・籠神社と『天孫人種六千年史の研究』〈2〉

かごめかごめ 
籠の中の鳥は
いついつ出やる 
夜明けの晩に鶴と亀がすーべった
うしろの正面だあれ

唱歌『かごめかごめ』。
「これは我が籠神社の歌である」という話を、以前、海部宮司から聞いた。かごめは籠目だと。
いっぽう、籠目は六芒星(古代ユダヤの「ダビデの星」)を意味するのではと読む向きもある。

かつて籠神社を訪れたとき、海部宮司さんに絵馬の右上に描かれた紋の由来を訊いた。
「これは、何という紋ですか?」
「籠目日月(かごめにちげつ)といいます」
「籠目なんですね? 六芒星ではなく」
「はい、籠目です」
無言で浮かべた笑みが、これなら騒ぎにはなるまいと言っているように、私には見えた。
かつて海部宮司が奥宮・真名井神社の鳥居横に籠目紋を刻印した石碑を建てたものの、
「六芒星だ」と騒がれ、わずか1年で撤回となったことは知る人ぞ知る話。
現在は三つ巴紋に修正されている。
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「籠の中の鳥」のように閉じ込められた神様とは……? その謎を解いた人はいない。
しかし、封印が解かれる日はそう遠くないと、沖縄の語り部・宮里聡さんは言った。
折しも伊勢神宮内宮・外宮の遷宮が終了した直後、10月初旬のことだった。

運よく宮司さんとの面会が叶った私は、まず沖縄の稲作伝説を話題として選んだ。
本島南部にある稲作発祥の地・受水走水(うきんじゅ・はいんじゅ)の近くには、
鶴が稲をくわえて運んで来たという話がある。
その稲種の移植に成功した、琉球稲作の祖「アマスのアマミツ」はアマミキヨの末裔。

アマミキヨには「天孫氏」「渡来の人」という意味もある。
海部氏も「天孫族」である。「海(あま)とは、天(あま)である」との格言がある。
アマミキヨの「アマミとは、古代の海人部(あまべ)の転訛」という定説を踏まえれば、
『かごめかごめ』の鶴と沖縄の鶴には、「天孫」という共通の歴史が流れているように思われる。

南城市玉城にある稲作発祥の地・受水走水の案内板。
「アマミツ」の「御穂田(三穂田)」は神田と呼ばれた。この地も「豊葦原の瑞穂の国」なのだ。
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左手に行くと受水走水に、右手に下ると海に出る。古代はこのあたりが海岸線だったという。
正面の丘陵は琉球七御嶽のひとつ「薮薩の浦原」。
ヤハラヅカサから受水走水までは、徒歩3分ほど。
アマミキヨの上陸地と稲作発祥の地は、ひとつのユニット。つまりアマミキヨは稲作渡来民だった。
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宮司さんには、『かごめかごめ』の歌についても訊いた。
「“鶴と亀がすべった”の鶴は、何を意味していますか?」
「日神(にっしん、太陽神)です。伊雑宮(いざわのみや)にも鶴の伝説がありますね」
伊雑宮。伊勢神宮内宮(皇大神宮)の別宮のうちの一社。
そうだった。伊雑宮にも、鶴が稲穂をくわえていたという白真鶴の伝説があった。
伊雑宮を建立したのは、第十一代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)。海部宮司家の外孫である。
「鶴が伊雑宮の日神なら、亀は籠神社の海神ですね。亀の甲羅は六角形ですし」
言うと、宮司さんは静かに微笑まれた。

「鶴と亀」が統べるとき、神々が和合して新たな世が明けるとき「うしろの正面」に光が当たる?
さて、では、亀に象徴される籠神社の御祭神をいま一度確認してみよう。


主神 彦火明命
亦名天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒連日命、又極秘伝に依れば、
同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。
尚、彦火火出見命は、養老年間以後境内の東側の別宮に祭られて、現在に及んでいる。
彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜わり、大和国及丹後・丹波地方に降臨されて、
これらの地方を開発せられ、丹波国造の祖神であらせられる、
 又別の古伝に依れば、十種神宝(とくさのかんたから)を将来された天照国照彦天火明櫛玉饒速日命であると云い、
又彦火火出見命の御弟火明命と云い、更に大汝命(おおなむち)の御子であると云い、一に丹波道主王とも云う。
               (『元伊勢の秘宝と国宝海部氏系図』(海部光彦編著、籠神社社務所刊)より)


天火明命には実に多くの異名がある。ご神魂を同じくしての異名同神である。
籠神社の先代宮司・海部穀定氏が遺した稀代の大著『元初の最高神と大和朝廷の元始』(桜風社刊)
にも、そのことは記されている。


元初の神は、別の神名によって呼ばれており、
しかも、その元初の神の名は、所伝、古記によって決して一様ではない。
これら元始の神は明らかに、記紀編纂時代、和銅養老年中以前に、我国に存在していたものである。


まさにその元初の最高神に、やがて封印が解かれる日がやって来る。
海部宮司さんも言っていた。
「国津神と天津神は、同じ線上にあるのです」
神々は元ひとつであることを、人はそろそろ知らねばらないのだと、私には聞こえた。

三島敦雄著『天孫人種六千年史の研究』にも同じ意味の一文がある。


宇宙の霊威は統一すれば一神であり、分解すれば多神である。
一神教といひ、多神教といひ其見方を異にしたに過ぎぬ。
我々の生命は宇宙の大生命の表現であって、小我としては異別あるも、
大我としては一物一禮たるが故である。殊に神社祭祀は数千年前の
スメル時代より宇宙の大生命を民族の大生命として崇拝したのであった。


『天孫人種六千年史の研究』の口絵写真。バビロニアの境界結石2種。
左の写真に「星月日像の神紋、守護神の像及神の守護を記す」とある。紀元前数千年の昔から日月紋はお守りだった。
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by utoutou | 2013-10-24 14:09 | 天孫氏 | Trackback | Comments(4)
Commented by 開眼への日々 at 2023-08-21 11:15 x
本日初めてBlogを拝見いたしました、とても興味深い内容と、僕とリンクする古史古伝と神階を見る両面からの内容で思わずコメントを書いています。
僕も、天孫人種六千年史の研究、私は復刻版を購入して、今読んでいます。ただ文章が難解なのと、国名すら漢字表記なので知らない国名もあり、調べながらの読書で中々進んではおりませんが。。また、中身も発行当初と同じなのか分からないのも不安ではあります。
神様を見たいと思うようになったきっかけ等もnoteには書いていますが、最初は神様は宇宙人だったのでは?からの出発でした。ただ須佐神社へ行った時から、考え方が複雑になり、今もって迷走しています。ただ沖縄まで視野に入れた考察は行った事が無かったので時間を掛けて全ての投稿を読ませて頂きたいと思います。
籠神社の海部氏ともお知り合いとの事で大変羨ましく、いつかお話しを聞く機会があればと切に願っております。
これからも投稿を楽しみにしております。
Commented by utoutou at 2023-08-22 10:35
> 開眼への日々さん
コメントありがとうございます。『天孫人種六千年史の研究』の復刻版はまだ拝読していませんが、翻訳者がおられるとのことで、原著に新解釈も加わっているのでしょうか。もし「万世一系」の天孫人種といった見方を強調されているようですと、琉球古伝とは趣が異なってくるように感じます。
かつてのブログで、「天孫氏はムー大陸から来た」という説を紹介したことがありましたが、何しろ、環太平洋、ユーラシア大陸へ、もちろん出雲へも海流で繋がるオキネシア(※沖縄県の作家・三木健さんの造語)の目線で語る古伝ですから、ヤマトの古史古伝より視野が広いことは確かだと思います。今後ともよろしくお願いします。
Commented by Kaigenhenohibi at 2023-08-22 17:55
utoutou様、お返事をいただけるとは思っていませんでした、感激です。今のところ万世一系はほぼ何も書かれていません。歴史を探究されている方で万世一系を信じておられる方は多くは無いと個人的には思っています。日本が世界で最初の航海貿易(黒曜石)をしていた証拠も出てきていますし、縄文時代への興味が尽きません。ペトログリフの研究が日本で進まないのも歯がゆいですし、日本各地のペトログリフを探スタビをするのが、今の夢です(笑)
Commented by utoutou at 2023-08-24 19:22
> Kaigenhenohibiさん
ペトログリフも興味深いですね。歴「史」の残っていない地域や時代は、市民が想像力を膨らませることのできる格好のフィールドだと考えています。探求の旅をどんどん深めてくださいね!
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