先月末、ヤファシ御嶽(記事はこちら)に行った日、同じ南城市玉城の親慶原(おやけばる)にあるコンビニで
発売されて間もない「なんじぃカレーパン」を発見。ちょっと感動した。 実は、なんじぃを秘かに応援していたので。 このおじぃさんは南城市のハートフル・ブログジェトから誕生したキャラクターで、 顔半分を占める逆さハートは、南城市の地形を表している。(市のブログはこちら) 人気に比例して、ここのところ、なんじぃキャラ商品化の勢いがすごい。カレーパンばかりか、 地元南城市の菓子店では、なんじぃロールケーキ、クッキー、サブレなどを、ご当地スイーツとして発売。 これらなんじぃ商品のプロモーションには、市長自らも力を入れるという、まさにハートフルな展開。 この夏は公募によりガールフレンドができ、先月は、Yahoo!のゆるキャラ選手権で1位に輝いたなんじぃ。 勢いに乗って今年度の「ゆるキャラグランプリ」(現在集計中)では、10位以内の入賞を狙っている。 (写真は「ゆるキャラグランプリ2013」HPから拝借) 南城市は平成18年に、知念村、玉城村、佐敷町、大里村が合併して誕生。 すると市の地形がハート型になった。 この「ハート型」、古くは「東四間切り(あがりゆまじり)」と呼ばれた。 この地に点在した嶽々を廻る神行事が「東廻り(あがりうまーい)」で、今も続いている。 なんじぃのハートは、琉球国王や聞得大君が巡礼した「アマミキヨの足跡を辿るコース」というわけなのだ。 東廻りの解説MAPは数あれど、これは惚れ惚れするようなハート型。 手書きにつき少々デフォルメされてはいるが。 地元知念の郷土史家・故新垣孫一氏著の私家本『琉球発祥史』(1955年)より。 「琉球国王聞得大君の東り御巡禮コース」。南城市による「東廻り」のHPは(こちら)。 さて、本ブログの大命題である「アマミキヨとは誰か」。 それを考えるのに「東廻り」は手かがりになるかもしれない。 「東廻り」の由来には二つの説がある。ひとつは歴史が語るもの、もうひとつは伝承が語るもの。 曰く、歴史では、 「創造神・アマミキヨが二ライカナイから渡来して住みついたと伝えられる霊地を巡拝する行事」。 いっぽう口伝では「どこか遠い土地から渡来したアマミキヨが住みついたと伝えられる……(以下同文)」。 沖縄の人々が東廻りを欠かさないのは、もちろん後者の「アマミキヨ祖先説」によると、私は思う。 伝承では「アマミキヨは“あっちから来た人”の総称」。よって、アマミキヨ族は、何代もいた。 となると、ニライカナイとは、一般に言われるアマミキヨ神の住む「理想郷」「常世」の他に、 アマミキヨがやって来た具体的な「故郷」とか「始原の地」といった解釈もあり得ることになる。 そして、その故地はおそらく様々で。 ただし、航海を終えた地点はというと、ほぼ一様に「ヤハラヅカサ」である。 そのことは、なんじぃのハートならぬ地形が物語っている。 ヤハラヅカサのあたりには、陸地と珊瑚礁の間にある礁湖、いわゆる明澪(あちぬー、水路のこと)がある。 「写真」バージョンにして見ると、それがはっきりと分かる。 手前、緑の濃く見える筋の部分が、明澪(あきみお、あちぬー)。 王府時代の『おもろそうし』には「薮薩の泊」「浦原の泊」と詠われた。この水路を港として、 歴代のアマミキヨ族は碇を降ろした。明澪の水深は深いところで50mあるという。 なんじぃのハートは、アマミキヨゆかりの聖地ライン。 なんじぃの心臓あたりが、アマミキヨが渡来した聖なる関門=明澪。 なんじぃのハートを見るたび、アマミキヨの神々が喜ぶ顔が見える……気がする。 がんばれ、なんじぃ! アマミキヨ神がついてるぞ!
by utoutou
| 2013-11-10 16:20
| 玉城
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