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出雲の龍蛇神に会いに行く〈2〉出雲井社

出雲市駅から始発のバスに乗って詣でた出雲大社。
それはそれは清冽な空気に包まれていた。
朝日が射す境内を、グルッと駆け足で一巡して参拝。
玉砂利を踏む音、鳥の声、4回響く柏手、カメラのシャッター音。
日中のようなざわめきは聞こえない。
参詣客は、思い思いに神々との縁結びを楽しんでいるようだ。


神在祭2日目、朝の拝殿。背後の亀山には雲がたなびいていた。
中央左、白テントが龍蛇神の奉拝所。
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朝7時。八足門で、神座を背に古代本殿の宇豆柱跡を撮影。
図らずもシャッターを切ったのは、神主さんが神拝の一礼をされた瞬間。
巨大宇豆柱は、直径1mの杉×3本をまとめた直径3m。2000年に発掘された。
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八足門。境内を清める竹箒の音が響き、巫女さんや禰宜さんが行き交う。
門の両サイドに配された社紋「二重亀甲に剣花菱」が朝日に輝いている。
亀甲紋は、龍蛇神セグロウミヘビの尾に浮かぶ亀甲模様が原型という。
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さて、境外のそのまた東方にあるはずの聖域へと急ぐ。
前夜のホテルで調べはついていた。
「真名井の清水」の先にあるのは境外摂社の「出雲井社」。

徒歩15分。その社は宇伽山の麓、朝日射す竹薮の西に佇んでいた。
祭神は岐神。クナトの神。背後に回ると巨大な磐座がある。

クナトの神とは、『日本書紀』では、黄泉津平坂(よもつひらさか)
で、イザナミから逃げ去るイザナギが、投げた杖から出た神。
また『古事記』では、イザナギの禊の場面に登場する。
こちらも杖から衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)として化生した。
つまり記紀神話においては、イザナギ・イザナミ大神の長男であられる。

出雲井社。説明板にある「由緒」は以下の通り。

 勇武にして地理に明るく、
 大国主神が“国譲り”の際、
 大神の命により経津主神(ふつぬしのかみ)に
 付き添い諸国を平定し
 国土を統一せられた巧神です。
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いっぽう出雲に発つ前、偶然バッグに入れた書『謎の出雲帝国』(吉田大洋氏著、
1980年、徳間書店刊)には、記紀神話とは違う、衝撃の伝承が綴られている。
吉田氏は、古代出雲王朝の末裔という故・富當雄(とみまさお)氏
(当時67歳、サンケイ新聞編集局次長)にインタビューしてこの書を著した。
副題は『天孫一族に抹殺された出雲神族の怒り』。

この本に綴られた富家の伝承をまとめると……。
・富家はこの出雲井社で、代々の口承を語り継いだ。
・クナトの神は出雲王朝の始祖、真の大国主である。
・クナトの大神は五十七代にわたって存在した。
・出雲神族は、紀元前2500年頃(後期縄文時代)シュメールから渡来した。
・出雲神族は、天孫族と長い闘争の末、帝位を奪われ滅亡した。
・“国譲り”物語とは2千年前、天孫族の使者・武甕槌命(たけみかずちのみこと)が
 稲佐の浜で矛を突き立て「否、然(いなさ)」と迫った事件。大国主は降伏し抗議の自殺をした。
・勾玉を王者の証とした出雲神族は、古墳を造らなかった。
・龍蛇神族は、龍神をトーテムとする龍蛇族である。
・出雲神族の紋章「亀甲」は、バビロンの龍蛇神マルドゥクのシンボルと同じ。
・スサノオ率いるスサ族(牛族)は、紀元前2000年にメソポタミアから朝鮮経由で渡来した。
・ヤマタノ大蛇退治は、牛族対龍蛇族の宗教(トーテム)戦争だった。
・元来、出雲神族の紋章は「亀甲に並び矛」。花菱(菊花)は牛族の紋章。
・出雲族は毎年10月、各地の首長(カミ)が出雲に集まり、その年の収穫物の分配について話し合っ
 た。そして祖国を偲び、龍蛇(セグロウミヘビ)を祀るのが習わしだった。

吉田氏の別著『謎の弁才天女』によれば、
富さんが亡くなる数日前に遺した言葉があるという。曰く、
「我々の大祖先はクナトの大首長(おおかみ)、そして女首長はアラハバキ。
体制側によって祖先が抹殺されようとしたとき、
クナトは地蔵に、アラハバキは弁才天に変身した」

弁才天、稲佐浜の弁天島に祀られていた女神だ。
杵築大社(出雲大社)は霊亀2(716)年の建立。
日本書記の完成は養老4(720)年。大和という国の国家、
そして祭祀が大きく変更されていったこの頃、
稲佐の浜に弁才天=アラハバキを祀ったのは、
滅亡を余儀なくされた出雲族の末裔か。
龍宮と呼ばれた沖縄の久高島でも、
古港に面した御嶽にアカララキ(アラハバキ)が祀られている。

出雲大社まで戻ると、本殿が龍蛇の横顔に見えた。
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by utoutou | 2013-11-21 12:43 | 出雲 | Trackback | Comments(10)
Commented by 戎堂 事代主神社 at 2016-02-22 10:26
初めまして。楽しく読ましていただきました。出雲の神縁にて あなたにたどり着きました。
https://twitter.com/kotosironusi777 古き良き友人に感謝します。
Commented by utoutou at 2016-02-22 12:04
> 戎堂 事代主神社さん
こんにちは。ご来訪いただき、ありがとうございます。
出雲、丹後、熊野、伊勢、そして六甲山(←いまここです)
と、沖縄つながりで各地を歩いています。今後ともよろしくお願いします。
Commented by アマゾン大元出版ファン at 2017-09-01 13:41
私も昔は、吉田大洋さんの本(第1弾~第3弾)に頼っていましたが、ひょんなことからたくさんの誤記のある本であると知りました。
指摘をしているのは、謎の出雲帝国内の富家当主 の息子さんです。

大元出版 出雲と蘇我王国の冒頭を御覧下さい。吉田さんの本の事に触れてあります。

取材の形態、取材時間の短さから、富家の伝える史実とは違った誤った内容として理解し文字になっているところが多いです。


今は、富マサオ前当主様からのご遺言に従い、真実の歴史、出雲王国史を広く普及すべく、旧出雲王家側が自ら史実に関して本を出版されています。大元出版という出版社からです。

読んでいけば、ダイレクトに執筆された本と、他人が想像も交えて執筆した本との違いに驚かされるでしょう。

謎の出雲帝国巻頭の歴史年表、本文中の富氏から聞き出した情報、巻末の富家の伝承まとめ、・・・どれも間違いがたくさんあります。

これらは取材時間の短さから、ちゃんと理解出来なかった事が主な原因だそうです。
私も大元出版の本に出会ってから随分驚きました。全然違うじゃん!クラスの戸惑いでした、最初は。

(大元出版の著書)
幸の神と竜 、サルタヒコ大神と竜(幸の神と竜 の簡略版) 、出雲と大和のあけぼの 、出雲と蘇我王国 、親魏和王の都 、古事記の編集室 、お伽話とモデル 、山陰の名所旧跡 、事代主の伊豆建国 、万葉歌の天才 、飛鳥文化と宗教争乱   など。


現状、毎年1冊ずつのペースで新刊も出版されています。

既に発売中の本は、世に広まってきた故 欠品も多くなっていますが、増刷予定はあるでしょうし改訂版・増補版も期待出来ると思います。

大元出版の本が売り切れになるのには、2種類のパターンがあります。

単純に好評だから売り切れ。
 もう一つは、世の人にホントの事を知られてはまずい、ウソつきがばれてしまう・・・といった理由からの焚書目的の買い占め。一括大量購入もあり得ますし、巧妙に個人を装いコツコツ回収していくといったやり方もあるでしょう。

私は、通販アマゾンも出版社直販も両方利用しています。

旧出雲王国の東西2王家(富王家 、神門臣王家)側の史実情報 大元出版シリーズ、

こちらのブログ読者様も含め、是非御検討下さい。



Commented by utoutou at 2017-09-02 17:23
> アマゾン大元出版ファンさん
初めまして! コメントをいただいた出雲編のページを改めて見ますと、かれこれ4年近くも経つことに我ながら驚いています。当時は吉田氏の著書から龍蛇族の足取りを引用したりしていましたね。早いものです。「出雲」から2年後、'15年年末に訪れた「熊野」の記事を年をまたいで書いていた当時、猿田彦を研究する読者の方からの勧めで、大元出版から上梓されている斎木氏の著書をすべて取り寄せ、富家の当主家の伝承に触れるようになりました。
それで分かったことは、富家伝承と私の知る琉球伝承には、相容れない内容が少なからずあるということでした。我たちはつい海人族を一括りにしがちですが、例えば古代ユダヤに十二支族の歴史があるように、海人氏族ごとの歴史や伝承は、氏族の数だけあるのではないでしょうか。ことに、クナト大神に率いられインドから大陸の北方へ向かい、それから南下してきたという富家の伝承地には琉球は含まれないようです。いっぽう、ご存知のように古史古伝と呼ばれる本の中には、古代琉球について触れているものも少ないですが皆無ではありません。
そんなわけで、誰それの御著書の真偽を見極めるというよりも、むしろ琉球に関連しそうな史書や土地を回暦することに時間を裂いているような状態です。もちろん斎木氏のシリーズのみならず、大元出版さんには魅力的な著書が多いことは存じています。
Commented by アマゾン大元出版ファン at 2017-09-03 15:54
返信ありがとうございました。私が投稿したきっかけは、検索サイトで検索しても、富氏などに関する検索結果には必ず吉田大洋さんの謎の出雲帝国関連が表示され、それ以外の富氏の情報は皆無に等しい、その後の新しい情報が追加されない状態だからでした。(こちら様の中でという意味ではありません。)

一般の方が富氏や富神社で検索してもいつも同じ記事が表示され、その年月日の古い記事の投稿コメントなどには吉田大洋さんの謎の出雲帝国止まり。

これではこの吉田大洋さんの著書が延々と、富氏の伝承系では正として言い伝えられてしまいます。(私も十何年正だと思ってきましたが、正ではなかった。ショックでした。数年前の事です。)

大元出版の出雲と蘇我王国内で、富マサオさんの息子さんが(現当主)、


吉田大洋さんの本の様々な誤説掲載、またその経緯などにも触れていらっしゃいます。(最初の方のページ)


富王家の史実・伝承を伝えるのであれば、吉田大洋さんの本は基本的にNGですよ、と言いたかった訳です。
(残念ながら前当主 富マサオさんの史実伝承の代弁者にまではならなかった。非常に感謝される対象の、良き親友であったのは間違いない事だとは思います。少々の関係では、亡くなる数日前に面会など許されないと思います。相手は出雲王ですから。

出雲と蘇我王国を読めば書いてありますが、富マサオさんは自ら歴史本を完成させましたが、焚書にされたそうです。1冊2冊は知りませんが、基本世の中に本が出回る事はなかった・・・。おそらく失意のどん底の日々を送っていた頃、吉田大洋さんから面会の申し込みがあったのではないでしょうか。焚書、吉田大洋さんとの出会いの後先は正式には分かりません。そこまでは書いてありませんので。)



他ルートでの渡来民族、ほぼ同じ時代あるいはクナトノ大神に率いられたインドドラビダ出雲族よりも後発の他民族の人達、・・・等々そういったことに関する史実伝承もあると思います。

それらに関しては何ら口をはさむつもりはありません。
発言の場を与えて下さりありがとうございました。
Commented by utoutou at 2017-09-06 07:52
> アマゾン大元出版ファンさん
こんにちは。返信遅れ、失礼しました。
古代出雲王朝についての所見はネット上でも増えているのではと感じています。それでもご心配の部分は、それぞれの版元様に、誤記(?)に関するご指摘、SEO対策に関するご提案をなさってはいかがでしょう。こうした古伝承に対する情報リテラシーは、受取る側に委ねられていると思いますが、逆発信もあってしかるべきかと。。
Commented by at 2017-09-16 22:19
utoutoさん、こんにちは!いやー大元出発、幸の神と龍は前に読んでいて、最後のページに発行人に富家の方の名前が出てたので、古代は死なずに現代にもひっそりと生き続けてるのか…なんて思ったりしましたが、斎木雲州さんなる人があの謎の出雲帝国や司馬遼太郎さんの文章の富さんのご子息だとこのコメントで見て慌てて取り寄せて読みました、出雲と蘇我王国(:^ー^Aいやー謎の出雲帝国や司馬遼太郎さんの文章もすごく違和感があったので、スッキリする反面、新たな驚きも…(´ロ`ノ)ノ野見宿禰は、アメノホヒの子孫ではなく、富家の子孫となると、もろもろ話は変わってくるじゃないかとΣ(´Д`*)なるほどと思いつつ、六甲山のアメノホヒの足跡や関東最古と言われる鷲宮神社に名前が出てくるアメノホヒの名前…。私はアメノホヒはアメノホヒで超ウルトラスーパー重要人物だと思うのですが、もしかして出雲国造家はアメノホヒとも繋がりがないのにアメノホヒの末裔を名乗ってたりしないですかね…ε=(‐ω‐;;)それにスサノオが徐福と言うのもあまりスッキリしないのはしないですね…。utoutoさんが書かれてるように本当のスサノオは徐福よりも更に古い世界の海を統べる神様のような気がするので、もっと根源的なもののような感覚を持ってます。ま、何はともあれ古代史ミステリーを学ぶのは楽しいですね(●≧艸≦)
Commented by utoutou at 2017-09-17 08:45
> 寅さん
お久しぶりです。そうでしたか、お取り寄せ。私も当時すぐに取り寄せて「出雲の蘇我王国」の第1章を一気読みしましたよ。で、率直な感想は、向家が不本意とした吉田氏の本が、そもそも世に出なかったなら、斎木氏のお父様の遺言もなかったのかなと。また遺言を引き継いで急ぎ大元出版を立ち上げることもなかったのかなと。。向家には失礼な見方かもしれませんが、読者にとっては棚ボタ的な恩恵と感じました。
そして、おっしゃる通り、アメノホヒ・土師氏・野見宿禰・菅原道真の系譜ですよね。琉球伝承の視点からは、ホヒ族は氷河期以前からいたと考えるわけですが、向家伝承ではそう古くなく、天穂日命と神名がついてからのお話のように感じます。何か記紀のスタンスと似ているような。六甲山にある「天穂日命の磐座」は、伊勢・伊雑宮と出雲・杵築大社を結んだ線上にあると言われていますが、それは何故かと最近よく考えます。語り部さんは、ホヒ族の上に穂日族が乗っているように思うと言っていますが、謎の深まる見立てです。笑
Commented by at 2017-09-17 22:09
utoutoさん、コメントありがとうございます!そうですね、おっしゃるとおり棚からぼたもち的に伝承が残るきっかけがあったのは何か見えない力がラッキーと言う名のもとにデザインしたものなのかもしれませんね。きっと星の数ほどある言い伝えの中99パーセントは忘れ去られ、書き換えられ、跡形も消えていくんだと思います。それはきっとutoutoさんが追ってる久高島、玉城の伝承も同じだったと思います。沖縄転勤生活でよくわかりましたが今を生きる沖縄県民は昔のことより今のことで、それは他のどの地域でも同じでよっぽどのきっかけがない限り田舎社会の中で声に出せず、さらには本などにして書き残しておくことはできなかったんだと思います。こうして富家の伝承が大元出版から出て、utoutoさんが沖縄の伝承をブログに書かれて繋がっていくというのは今の時代だから出来ることかもですね。個々人がいろんなことを発信できる現代が何か古代と繋がって今まで隠されてきた記憶が表に出始めていつか真実に触れられるといいですね(>∀<●)ノ
Commented by utoutou at 2017-09-18 17:38
> 寅さん
そうですね、ウチナーの方は昔のことに無関心なタイプも多いようですね。私が通った龍宮のガマは、実は入口付近がゴミ捨て場のようになっていたので、最初の頃はゴミ袋を持参して入りました。そこが隠されていたのだとすれば当然だし、逆に偽装にもなったから守られたのでしょうが、あえて子や孫に伝えない方も多かったのだろうと思います。
戦前、神武以前の話をすることはタブーだったと聞きますし、戦後は大昔の話なんかフリムンのすることだと言われたとか。そんなことをしたって何の役にも立たないという虚無感とか、知らないほうが身のためだという親心からでしょうか。
ただ、例えばガマにいくら蓋をしても、御嶽は神のひもろぎですからモノを言うのですよね。で、それを感じ取る人、というか進化した能力者は沖縄には多くいると思っています。そうした人たちの営みから甦りくる真実と消えゆく真実が、いまは崖っぷちでせめぎあっている時代なのではないかと思います。話が迷走してきたので、このへんで。笑
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