出雲大社の次は、島根半島の東端・美保神社へ。
実は美保神社を思わせる伝承が、南城市玉城に残っている。 沖縄最古8千年前の土器が確認されたニュースで湧く南城市。 琉球の稲作発祥の地・受水走水(うきんじゅはいんじゅ) のある「薮薩の浦原(やぶさつのうらばる)」。 その高台にあるイリハンタというところに、戦前まで 「美保の松原」に例えられる、松並木があったという。 その名もズバリ、琉球の「ミホの松原」。 百名の海を一望し、「ミホの御嶽」もあったと伝わる。 現在は南城市老人福祉センターのある静かな場所だ。 語り部の宮里聡さんが、神女おばあたちに聞いた話では、 薮薩の浦原には米地(めーじ)という古代米発祥地があり、 神女たちは春になると、そこに重箱を供えて祈願した。 米地の別名は、「うさち(上古の)三穂田(みーふーだ)」。 語り部と親交も深かった故仲村ミエさん(玉城王殿内を司祭した神女) は、雨が降っても、風が吹いても、ここでの拝みを欠かさなかった。 その日とは、旧暦の3月3日。 沖縄では、女性たちが海で禊ぎをする年中行事・浜下りの日。 そして古来、美保神社で事代主にまつわる国譲りの故事を再現する、 「青柴垣(あおふしがき)」神事の行われた日であった。 (現在は4月7日に変更されている) 「青柴垣神事」を描いた絵馬。 えびす様こと事代主は大国主の長男。神話では、国譲りのとき、 父に命じられて神意を伺い、その託宣で出雲支配権の譲渡を決意。 呪術を使い自らの船を踏み傾けて青柴垣に変え、そこに隠れ去った。 船上の白天幕の四隅に飾り付けた、榊の青い枝葉の束を青柴垣という。 二艘の神船は神社前から沖合へと往来した後、神前に参拝する。 ![]() 事代主の母である三穂津姫命は、 高天原から稲穂を持ち降りた農業と子孫繁栄の守り神。 稲作にまつわる神話といい、三穂田の名称といい、 3月3日という祭りの日取りといい、出雲と沖縄をつなぐ「ミホ」は、 潮流に乗り海を渡った古代海人族をリアルに感じさせる。 出雲族は古代アマミキヨ族だったのか? ミエおばあはまた、次のように言い遺した。 「昔、うさち三穂田に男の子とと女の子の兄妹がいた。 親は3月3日に子どもたちを残して船で出て行った。 どこへ行ったのかは分からない。 玉城は、この兄妹から始まったという伝えがあるんだよ」 そして、またしても蛇=蒲葵、である。 青柴垣神事で、當屋の二人が手にする祭具は「蝶形の扇」。 これが沖縄の蒲葵扇と形がそっくり。 かつて蛇研究の民俗学者・吉野裕子氏は「蝶形の扇の襞は48本。 蒲葵の葉脈もほぼ48 本」と喝破した。 「蝶形の扇」についてはHP「神々のいるまち美保関」(こちら)に詳しい。 出雲から東京へ帰り、電話で話すと語り部は言った。 「蝶形の扇。久高島の北端にあるカベール岬を、 島では“はびゃーん”と言いますよね。その意味とは、蝶蝶。 これも面白い一致ですね」 久高島の北端・カベール岬(神谷原岬)。方言で「はびゃーん(蝶蝶)」。 2012年の夏に撮影。雲が、龍の落とし子のかたちで浮かんでいた。 ![]() ところで、美保神社の船倉には、 沖縄県糸満市のサバニ(刳り舟)が保存されている。神話や伝説ではなく、 そのサバニは、昭和41年に島根県の有形民俗文化財に指定されている。 戦前、日本海側の海で追い込み漁をしていた糸満海人集団が、 糸満に引き上げるときに置いていった1艘が、奉納されたのだという。 なんと、そのサバニに運よく遭遇。 美保神社は現在大造営中で、展示館や宝物館(収蔵庫)は閉鎖している。 ところが、参拝の後、そこを通ると人の気配がする。 諸手船(もろたぶね)神事を間近に控えて、船の手入れが行われていた。 覗くと「見ますか?」と大工さんが言う。 「サバニもありますか?」と聞くと「ほらそこに」と。 船倉には、諸手船(右)とサバニ(左)が仲良く並んでいた。 諸手船は古来より原型のまま、樅の木製。墨で塗り椿油でコーティング。 手彫りした神紋は、白を胡粉(貝顔料)で、赤をベンガラで彩色する。 ![]() 青柴垣神事と対を成す「諸手船(もろたぶね)神事」は12月3日に 新嘗祭と共に、古くは旧暦11月中の午の日に行われていた。 これもまた記紀に伝える国譲りの故事にちなむ。 絵馬を見て、沖縄で5月に行われる春の風物詩・糸満ハーリーを思い出した。 ハーリーも、海人が海の彼方から神を迎える儀礼が起源と言われる。 ![]()
by utoutou
| 2013-11-25 10:30
| 出雲
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Comments(3)
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明日(4/7)は青柴垣神事です♪ 浜下り(旧3月3日)に行われていたとは、興味深いですね…美穂津姫とミホ御嶽、クバ扇と蝶扇… 美穂津姫のご神稜と言われてる幸魂神社はいらっしゃいましたか?山の中にひっそり。昔はお社がなく、沖縄の御嶽を思わせる場所だったのかと思います
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出雲の龍蛇さまには、母から出雲大社、佐太神社、美保神社と3社に共通の話と御互いの関わりがあるといわれていました。母は、鹿島町の佐太神社の氏子でした。お忌みさんの話は良くしていました。だんだん、新しい龍蛇さまもあがらなくなったときいています。漁師を継ぐものが減ってきたからではといっています。
> 松浦 学さん
返信が遅くなり申し訳ありません。出雲では新しい龍蛇さまが上がらなくなってきていたとのこと。捕る人が減ってきたのもあるのですね。かなり前のことですが、神在祭のときに出雲大社に参ったことがあります。稲佐の浜から大社まで、神幸行列の末尾について歩きました。細い道なのでもみくちゃになりましたが、いま思えば有り得ないほど密集していて(笑)、お忌さんの晴れやかなひと時でした。
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![]() by utoutou
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