1ヶ月前のことになるが「ヤファシの御嶽」(記事はこちら)と、「垣花の御嶽(かきはなのうたき)」へ行った。
ヤファシの御嶽は、神女(かみんちゅ)のおばあたちが「琉球最古」と言い遺した聖地。 いっぽう垣花の御嶽も、同じように古い祭場らしき御嶽で、戦後はCIAによって封印されていた。 現在は琉球ゴルフ倶楽部となっている地域にあり、玉城城から見渡すことができる。 玉城城一の郭からの眺め。空に稜線を描く山は、玉城王の墓があるタカラグスク。 その右下あたりに、聖なる垣花の御嶽はある。ゴルフコースでいえば8番ホールの南方向。 ![]() ![]() さて、玉城は、いわば南部戦跡の一角。 地上戦の悲惨さを今に伝える戦跡・糸数のアブチラガマ(洞窟)も同じ玉城にある。 戦時下、この玉城城には日本軍が基地を置き、また付近の民家にも駐留。 玉城や百名の集落から見渡せる海は、米海軍の艦隊で埋め尽くされたという。 終戦直後、米軍は玉城城の琉球石灰岩を、建材用にとトラック何百台分も運び出した。 二の郭と三の郭は破壊されたのだろうか、ほとんど跡形はない。 奇跡的に残ったのが、この一の郭。太陽の穴(てぃだがあな)だった。 琉球石灰岩をくり抜いた玉城城一の郭を、石段下(ゴルフ場側)から見上げる(10月末の午後3時半ごろ)。 夏至の朝日は、王城内の威部(いび、テンツヅアマツヅの御嶽)を照らす。 逆に冬至の夕陽は、この写真の位置より低く長く伸びてきて、タカラグスクを射抜く? ![]() 現在、琉球ゴルフ倶楽部のある場所には、沖縄本土返還前、キャンプ知念という基地があった。 基地に関しては『調査報告 沖縄米軍基地』(日本共産党国会議員団編、'72年、新日本出版刊)に、 また大城将保氏の著『沖縄戦の真実と歪曲』(2007年、高文研)に詳しいが、 その基地とは米軍基地ではなく、実はCSG(Composite Service Group、混成サービスグループ)。 アメリカ中央情報局CIA、つまり政府機関の基地だった。 軍人がいなかったためか、周辺に歓楽街の跡はない。 CSGは、基地関係者が外出しなくても普通に生活できる「都市」だった。 基地内に住居、学校、食堂、スーパー、遊興施設など生活に必要な設備がすべて整い、 海外へも直接渡航できる機能を有していたという。 とはいえ、基地は基地。米政府管轄の一大拠点として、 兵器、爆薬、衣類、医薬品など、あらゆる物資の調達、貯蔵、補給が行われた。 物資を発送するには、幌付きのトラックでまず嘉手納空軍基地まで運ばれ、 そこから東南アジアの戦場に向けて空輸されていたようだ。 東南アジアから拉致してきたスパイ要員のための強制収容所もあった。 その場所とは「Zエリア」。垣花の御嶽。神名は「あふいはなてるつかさのおいべ」。 基地内の御嶽へは、基本的にメインゲートで「祖先への拝み」と告げれば通されたが、 この垣花の御嶽だけは、誰であっても、何時でも、許可されることはなかったという。 メインゲートの位置は、現在のゴルフ場正門とほとんど変わらない。つまりもっとも奥地に「Zエリア」はあった。 玉城城は地図上にはないが、左下の位置。 玉城城と「Zエリア」つまり垣花の御嶽の間には、古くは玉城城の城下町だったと思われる集落があった。 ![]() 『調査報告 沖縄米軍基地』(日本共産党国会議員団編、'72年、新日本出版刊)より引用。 玉城城をゴルフ場側から遠望。標高180m。中央に見える白く小さな穴が、一の郭。 夏至の朝日があたる設計で称賛される玉城城だが、この角度からは違う意味で偉容を感じ取れる。 ![]()
by utoutou
| 2013-11-29 07:27
| 御嶽
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