アマベの地、宇佐神宮奥宮の大元神社へ

福岡から東京に帰る途中、宇佐神宮に寄った。博多のホテルを朝6時に出発。
新幹線と特急ソニック1号を乗り継いで、8時04分に宇佐駅へ。
10時半前に宇佐駅を出る快速バスで大分空港へ向うという、無作法な駆け足参拝である。

とりいそぎ、宇佐神宮本殿に参拝を。
と、タクシーに乗り頼んでみると、本殿裏の南大門へ直行してくれた。
ここからは確か百段の石段を登るのだと覚悟していたら、なんと平行して超速モノレールがあった。

一之殿 八幡大神(応神天皇)
二之殿 比売大神(多岐津姫命、市杵嶋姫命、多紀理姫命)
三之殿 神巧皇后
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上の写真は本殿中央の二之殿。左が一之殿、右が三之殿と並んでいる。
主祭神は八幡神であるのに、何ゆえ比売大神が中央に鎮座されているのか。

実は三女神、八幡神ともに、沖縄に所縁のある神様だと私は考えている。
それについてはまた別途述べたいが、ともかく古代宇佐氏=海部(あまべ)の民である。
沖縄の始祖・アマミキヨの語源が「アマミ・アマベ・アズミ」であれば、決して無縁ではない。
大分の名物のあの琉球丼も、元々の由縁は古代海人族の往来にあったかもしれない。

本殿の正面に「大元神社遥拝所」があった。
額縁に首を突っ込むようにして山々を遠望。山脈の左、丸みを帯びた三角の山が大元山(標高647m)。
宇佐神宮の東南5km。下の写真左に写る木板に、次の説明があった。


左手奥に見える山が、宇佐嶋とも呼ばれる御許山(馬城峰)です。
宇佐神宮発祥の聖地として摂社大元神社が鎮座し、現在でも毎月の祭祀が厳修されています。
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宇佐嶋……『日本書紀 』神代上一書に出てくる地名だ。
曰く「市杵嶋(いちきしま)姫命、湍津姫(たぎつひめ)命、田霧姫(たぎりひめ)命の三女神が宇佐嶋に降りまさしむ」

これは登らねばと思ったが、時間制限もあるのでタクシー参拝を試みた。
「はぁ女神さんのほうへですか。それなら」と運転手さんは国道10号線をいったん西へと向かい、
山麓を迂回する西屋敷ルートをとった。長閑な集落を抜けて山道に入ったが、これがたいへんな悪路で。

「素人の運転じゃ脱輪してサラバじゃ。立ち往生してタクシー会社に代行運転を頼んでくる人もいる」
と、温厚そうな運転手さんがボヤくほどの険しい修験道。
うっかりすると、後部座席でひっくり帰りそうになる。途中見る景色のたおやかさとは裏腹に。
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ラリー走行20分+徒歩10分で、宇佐神宮奥宮・大元神社が見えてきた。朝9時前、さすがに人の気はない。
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さて、宇佐の地の地主神である三女神が「比売大神」として、
宇佐神宮本殿の二之殿に祀られるようになったのは、八幡神が祀られた6年後の731年(天平3年)。
帰宅して手に取った本『宇佐家伝承 古伝が語る古代史』
(宇佐公池守57代目の宇佐公康著氏著、1990年、オリエントブックス)にその経緯が綴られているが、
抗し難く八幡信仰へと祭祀が変更されていくなか、地主神を守り抜いた宇佐氏の執念が伺われる。
以下引用。  


一之御殿の創建後、五年遅れて聖武天皇の天平三年(七三一年)に、神託によって現在の二之殿
(本殿の中央)を造営し、(中略)神代上第六段(一書第三)の条に見える宇佐嶋の旧跡地と
伝えられる御許山(大元山または馬城峰(まきのみね)とも呼ばれている)の頂上に、
太古から宇佐氏族の氏上(族長)によって祀られていた比売大神
(三女神または天三降神(あめりみくだりのかみ)・宇佐明神ともいう)を勧請した。
この祭神は間違いなく宇佐家の母系祖神であって……(略)
  

宇佐神宮奥宮・大元神社。
山の頂きには御神体である三体の巨石があるとも言われるようだが、禁足地ゆえ詳細は不明。
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拝殿の横から奥宮の鳥居ぎりぎりに近づくと、射し込んだ木漏れ日が一気に膨らんだ。
さしてスピリチュアルな人間ではないが、尋常でない大元の女神パワーが感じられた。
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by utoutou | 2013-12-09 06:37 | 神社 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 源氏会 at 2015-12-22 13:03 x
日売大神は、卑弥呼です。卑弥呼は花菱の家紋を使用しています。卑弥呼は、漢民族です。天照大神も衣装には、花菱紋 。伊勢神宮の家紋も花菱紋です。九州 は、漢民族と古来日本人が共に暮らしていたのです。伊勢神宮、出雲大社、厳島神社、全てが本花菱から出ています。国東半島には古来から伝わる神楽祭が多く見受けられます。宇佐神宮の元神社は、漢ハ郷に有ります。(アヤハタゴウ) 又、神武天皇の墓陵も宇佐八幡宮の近くにある事がつい最近の調べで研究されています。奈多八幡宮は、卑弥呼の船着場として古くから有り、菊の御紋を使用しています。瓦は菊の御紋です。
Commented by utoutou at 2015-12-26 16:37
源氏会さま
コメントをありがとうございます。
花菱は唐花菱、唐花といいますね。ですので、大陸由来だろうと、また藤原氏の花菱もそれゆえだろうと考えていましたが、卑弥呼の神紋が花菱とは知りませんでした。
神武の墓稜の研究も宇佐で始まっているとか。興味深いですね。最近、神武ははたして何人いたのかと思っているところだったもので。またいろいろ教えてください。
Commented by フジ坊 at 2016-01-06 22:19 x
はじめまして!!

宇佐神宮について、とても、お詳しいので感心しました!

宇佐神宮は、大陸渡来の民族・秦氏が関係していると思われますがいかがでしょうか?

御許山は大変な場所ですよね!

宗像三神降臨の地として、余りに有名です!
Commented by utoutou at 2016-01-08 17:16
> フジ坊さん
コメントありがとうございます。応神天皇の時代に大挙して渡来したという秦氏は、やがて豊前の国で最多数の戸籍を有する部民となったといいますから、宇佐神宮の創祀や神仏混淆にも深く関係していると思います。また別途、宇佐神宮は日猶同祖論でも取り上げられますね。
いっぽう、宇佐神宮社家の口伝では(本を読み返したところ)古代ウサ族は「9千年前の早期縄文時代からいた先住民族」で、御許山の頂上で太古からウサ族の総長によって祀られていた比売大神(三女神または宇佐明神)は、間近いなく宇佐家の母系祖神で、宇佐津媛命と同神ということです。御許山の大元神社の境内に、向き合うようにあった摂社にスサノオが祀られていのが印象に残っています★
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