もし36年前に途絶えていなければ、
久高島の秘祭・イザイホーが行われたかもしれない午年が明けた。 戦後、イザイホーがあった午年は、1954年、1966年、そして最後となった1978年。 1990年には数名の神女たちが独自に立ち上げしようとしたが、計画倒れとなり、 その余波か、2002年には音沙汰もなくなった。そうして迎えた2014年である。 実は昨年、久高島で、玉城で「イザイホー復活計画」の噂を何度か聞いた。 また昨年の末、みるく(弥勒)の御嶽を探し当てたとき、一緒に壕に入ってくれた島人から、 久高島のあちらこちらの御嶽に、にわかに内外からの訪問者が増えているという話も聞いた。 ただし、そもそも天皇の祭りがそうであるように、イザイホーの祭神も未だ解明されていない。 戦後この祭と祭神について、民族学や宗教学や歴史学の学者たちがこぞって論考を発表したが、 むしろ謎は深まるばかり。そんななか、復活待望論だけが何度となく浮上しては消えていった。 そこで、久高島の始祖・ファガナシーとシラタルの里帰りである「玉城参り」を手がかりに、 イザイホー本来の祭神について、推考してみたい。 ファガナシーとシラタル夫婦が久高島に渡海したのは、今から約600 年前のこと。 そして、その子孫家が、休むことなく続けた「玉城参り」にも、ほぼ同様の長い歴史がある。 玉城の聖地を廻ったその巡礼先に、イザイホーの祭神を解く鍵があると思う。 12月23日午後発の久高島行きフェリーの船上より、若夫婦が渡海したコースを遠望。 玉城から久高島までは、ベテランならシーカヤックで日帰りできる距離だと聞くが……。 ![]() さて、イザイホーとともに途絶えた玉城参りの参加者は、夫婦の子孫である外間家、久高家、 大里家など5軒の元家の神人(かみんちゅ)たち。一行は始祖夫婦の航跡と逆のコースを辿った。 久高島を出てコマカ島→タマタ島→アドキ島と、休みつつ、百名のミディキンヌ浜(水堅浜)へ。 ミディキンヌ浜の少し高所にあるエーバンタという御嶽(=イビの御嶽)まで、 ミントン家関係の長老たちが出迎え、久高側の一行を歓迎して酒杯を交わすのが常だったという。 これを逆迎え(さかむかえ、方言で「さかんけー」)という。本家が分家を迎えるという意味だ。 ミディキンヌ浜。正面に見える島は、陸続きのアージ島。港をストーンサークルが囲んでいる。 ![]() 玉城参りには、久高島からいくつかの贈答品(帰郷の土産)を持参する決まりがあった。 元大阪教育大学教授の故・鳥越憲三郎氏が発掘したミントン家の古文書(明治11年)には、 「3月ぶー(巡礼)」で、久高島の神人一行が持参した土産と贈答先について、次のようにある。 久高島より魚六斤ノ内 一、五分ノ壱ハ、ヰーキビノタマシ(※出迎えに出た長老たちへ) 一、五分ノ壱ハ、長枡家へ、オシャゲ物(※ファガナシーの実家・ミントン家へ) 一、五分ノ壱ハ、百名村本部はら(※シラタルの実家・本部家へ) 一、五分ノ壱ハ、仲村渠アマスはら (鳥越憲三郎氏の著『琉球宗教史の研究』より) いっぽう、私が5年前に故・久高ノロの息子さんである安泉正祥氏に見せていただいた、 神事ノートの「百名拝礼、3月」のページにも記載があり、他にも土産があったことが窺える。 ターチメー(麦飯) ミントン ……久高島祝女殿内(※からの贈答) 3合 あまつす……大西銘(※からの贈答) 3合 本部……外間、大里(※からの贈答) 3合 いずれにしても、久高島の里帰り神人一行が、久高島特産の魚と麦飯を持って訪れた家は、 ファガナシーの実家、シラタルの実家、そして「あまつす」(=アマス、屋号・天祖家のこと)。 アマス家とは何かについて、鳥越氏は次のような見解を示した。 「アマスであるが、最近門中そのものが廃絶している。前掲の『久高島由来記』にも、 このアマスの家との関係は何等記されていないので不明であるが、多分後世アマス家と婚姻を 結んだことによるのであろうか。かように六百年間、贈答が本家と分家との間に交わされてきた ということは、真に驚嘆に価するものである。」 実はこのアマスとは、「後世」に縁のできた家ではなく、時代はいったん上古まで遡る。 初代アマミキヨ(=御先天孫氏(うさちてんそんし))の裔となる家なのである。 アマスは、天祖と表記される他、天須、阿摩祖と書く場合もある。 久高島の神人一行は、エーバンタで逆迎え(さかんけー)を受けた後、農道をさらに登り、 久高ガー(川泉)で身を清めた後、ミントン家で拝礼し、それから玉城の聖地巡礼に出たという。 そのコースには、御先三穂田(うさちみーふーだ、上古代の神田)をはじめとして、 御先天孫氏の墓所や拝所など、玉城百名に点在する琉球開闢の重要な聖地が多く含まれていたと、 語り部の宮里聡さんは言う。 語り部はそのコースについて詳しく、玉城の神女(かみんちゅ)たちから伝え聞いていた。 これまで久高島の島人たちすら知らなかった「玉城参り」のコースについては、またいずれ……。 久高島の南端の崖上にある「百名とーしばん」の石碑。始祖の故郷に向いた遥拝所である。 島人たちはこの場所から、先祖アマミキヨの故郷である玉城と百名を拝んでいたと思う。 ![]()
by utoutou
| 2014-01-02 21:35
| 玉城
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|
![]() by utoutou
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