白にご縁のあった旧正月。元旦に行った伊敷浜も白にまつわる聖地。
太陽の昇る東方に位置するこの浜の白砂は、琉球王朝の最高神女・聞得大君 の就任式・お新下りの際には斎場御嶽に運ばれ、祭祀場に敷かれたという。 ![]() 時代は約200年さかのぼって、英祖王統時代の13世紀。久高島の 始祖シラタルが五穀の入った白い壷を拾ったのもこの伊敷浜だった。 晴天に恵まれた旧正月、琉球の五穀発祥の地・伊敷浜の白砂は眩しかった。 そして、久高島を発つ前に行ったスベーラの御嶽(スベーラキ)。 思えば、この御嶽こそは島でもっとも白に関係する御嶽だった。 スベーラの御嶽とはスメラミコトの御嶽だと、語り部は言う。 白+王=皇(すめら)。 白は太陽または『日本書紀』に登場する天磐船の象形。つまり 皇とは、天御子(アマミコ)、天帝子(てんていし)の意味。 また、皇(すめら)は古語では「スベラ」とも言う。 ヤマト民族、そして皇室の祖先の渡来経路に沖縄の島々があり、 上古代、この久高島に、後に神武に王権を譲ることになる ヤマトの初代統治者ニギハヤヒがいた。 『日本書紀』では饒速日命、 『古事記』 では邇藝速日命、沖縄では御先天孫氏(うさちてんそんし)と呼ぶ。 語り部に琉球古代の神々を説いた神女おばあたちは、そう観念していた。 ![]() スベーラの御嶽の下にイラブーガマがあるが、洞穴はひとつではない。 古来よりイラブー海蛇の漁場は、この一帯に12ヶ所あったと言われる。 上の写真に映るスベーラの御嶽の下の、ほぼすべての岩と岩の間。 スベーラの御嶽内から海を覗く(下の写真)。砂場と水面が見えた。 ![]() 少なくとも、500年前から始まったという「イラブー漁」。 採取権は、外間ノロ家、久高ノロ家、外間神人家に限られる。 琉球王府時代にノロ制度が確立する以前は、久高ノロ家にあったという。 神の使者であるイラブー海蛇を、一般の島人が獲ることは許されない。 かつて旧9月に行われたハンザナシー祭りのなか、久高ノロが司祭する イラブー漁の感謝祭が久高殿の前庭(うどぅんみゃー)で行われていた。 感謝祭の名は百甕(むむはめー)。おもだった神屋にはこうして賽銭箱 が置かれているが、どれもこのシラタル宮のように百甕と記されている。 甕とは『先代旧事本紀』に見える 物部氏の祖神・天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命、または 『日本書記』に見える天津甕星(=みかぼし)の意味だと、語り部は言う。 ![]()
by utoutou
| 2014-02-21 12:44
| 久高島
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