ナーワンダーグスクの巨岩登頂を断念して始まった、古代琉球への時間旅行。
ナーワンダーグスクとは何だったかを、いま一度考えて、それを終えることにしたい。 スサノオこと天王ガナシーを始祖とする、琉球最古の天孫氏王朝。 知念玉城台地の東端、つまり太陽の登る久高島と、西端・大里を結ぶ東西軸上に、 斎場御嶽、そしてその奥宮としてのナーワンダーグスクはあった。 そうつくづくと感じさせるのが、いまに残る地形だ。 5月の沖縄旅では豪雨で撮影できなかったが、こちら ↓ 久高島の西海岸から見た斎場御嶽。 その奥宮に座す巨岩は、「ナーワンダー=なでるわ=守護霊」の名に ふさわしく、天王ガナシーと天妃ガナシーという男女一対の神を思わせる。 ![]() 反対側、大里から望む知念半島。ここからも斜めの稜線に一対の巨岩が。久高島は隠れて見えない。 ![]() ナーワンダーグスクはその名の通り、沖縄本島各地に有力按司が割拠した グスク時代(12世紀〜)の遺跡だが、一対の巨岩は神代から動かなかったと思う。 実は4月の沖縄旅の最後の最後、私はナーワンダーグスク近くには足を踏み入れていた。 肝心の巨岩には登れず、皇室の人が持ち帰ったと伝わる「ヒミコの鏡」のレプリカを拝むこと はできなかったが、イナグ(女)ナーワンダーの麓までは登ることができた。 久手堅集落から、ジャングルのような山中の樹々を掻き分けて急勾配の獣道を進む。 それが緩やかになったところで、イナグナーワンダーを示す「女神」の石碑を見た。 ![]() ナーワンダー“地域”まで案内してくれた久手堅(くでけん)の“仙人”は、 巨岩に登ったことはないと言い、麓一帯の楽園のような景色をこよなく愛していた。 樹々を透かして見下ろす谷間には、巨大な蝶の群れが乱舞し、川の流れる音がした。 ![]() イナグナーワンダーの横に、斎場御嶽の寄満(ゆいんち)への↓降り口がある。 「貢物が寄り満る台所」と言われる寄満だが、その本態は縄文の女神=天妃ガナシー の神魂を祀るナーワンダーグスクの真下にある聖所だったことを、ここでは確信できる。 ![]() 語り部は、玉城の神女おばあたちから、ある伝承を受け継いだという。 「聞得大君の“お新下り(就任式)”の本来の祭祀場は寄満だった。 寄満だけは、男性が絶対に入ることはできなかったという伝えがあるよ」と。 琉球王府の歴史によれば、それは斎場御嶽の御門口に近い「御仮屋」だったはずだが。 尚真王の時代(1465年〜1527年)まで、聞得大君による安全航海祈願も寄満で行われた。 寄満〜イナグナーワンダーのラインは、封印された。ともあれ、 古代天孫氏王朝にまつわる痕跡は、琉球王朝三代・尚真王時代までは残っていた。
尚真王。神号は「おぎやかもい」。かもい=カムイ。アイヌ語で「神の子」。 大陸渡来の東大神族(しうから)には、古代琉球民族とアイヌ族が含まれていたと思う。
by utoutou
| 2014-06-06 19:19
| 天孫氏
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