36年前、1978年が最後となったイザイホーは「巳(み)」と関係の深い祭りだった。
巳=蛇。祭場の神アシャギは巳(南南東)を向き、神女たちの入場口も巳(南東)の方向。 祭事関係者は巳年の人が選ばれ、二重の輪を作って踊る様も、蛇の動きを模したものだった。 神女たちの髪がみな背中に届くほど長いのも、蛇の擬きだったのだろうか。 ↓神女たちが禊ぎをする西海岸のイザイガー(階段下)。久高殿はここから巳(南東)の方向。 ![]() イザイホーには、新儀(陰陽五行による南北軸)と古儀(太陽の運行による東西軸) が交差していると書き遺したのは、民俗学者の吉野裕子氏だった。 以前にも引用したが、イザイホーが行われたのは12年回りの午年の子月(旧暦11月、新暦12月)。 子月卯日(ねのつきうのひ)に始まり、午日(うまのひ)に終わる。 「子」から「午」へ。その意味でイザイホーは「子午線(しごせん)の祭り」でもあった。 祭場・久高殿。中央の神アシャギの奥、「子」(北)に神女たちが籠る七ツ屋が置かれた。 そこに籠り神女として誕生した女たちは、「子」の七ツ屋から「午」の祭場へと躍り出た。 ![]() 十二干支図で見れば「子」から「午」への軌(みち)は「懐妊から出産へ」 という「陽」の軌であったと、吉野裕子氏は『十二支』('94年、人文書院)に書いた。 つまり「子」で妊られた新生命は「巳」で極まり「午」で誕生する。 神女たちが身に受ける霊力(しじ)も同じように考えられていただろうと、私は思う。 子月の中卯日に始まり午日に終わる、イザイホーと同じ日取りで行われる祭りに、 践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい、天皇命更新の祭り)がある。 その理由は、古代からの聖なる祭りが、子午線の陽軌を踏まえているからに他ならない。 ↓明治度大嘗宮御図の錦絵。(「践祚大嘗祭」田中初夫氏著、1975年、木耳社刊)より借用。 天皇は卯日戌の刻(午後8時)まず「子」(右手)に建つ廻立殿(かいりゅうでん)に渡御なされた。 ![]() さて、改めて吉野氏の慧眼に驚くのは、祭りと潮の干満についても言及していたことだ。 次のような記事が残っている。 「(イザイホーの)神事開始の12月14日(※新暦)午後6時は満潮の時点であった。 そして終了時、12月17日午前11時は引き潮の時。祖先神の神蛇は、海彼のニライから 満潮に乗って祭場に到来し、4日後、引き潮とともに去って行ったのである」 ('79年「沖縄タイムス」連載「蒲葵と蛇と北斗七星と」より) 満潮から干潮の4日間に行われたイザイホーは、まさに「月と蛇」の祭りでもあった。 「グゥキマーイ」で祭りを締めくくったのは、月のリズムに合わせてのことだった。 神酒造りは古来、イザイホー初日の満月の夜から始まったと思う(※'78年は2日目から)。 そして祭りの最後、新しく誕生した神女たちによって、島の人々に振る舞われた。 イザイホーはこの日のように干潮のなか、波が引くように終わりを告げた。 ↓写真は昨年旧暦11月、干潮の伊敷浜。 ![]() 「月と蛇」から、ついイザイホーを再考することなったが、ここで新たな謎が…。 「日本における強力な蛇信仰の担い手は物部氏と推測される」と吉野氏は書いた。 では、天皇の祭りもイザイホーも、物部氏に関わる祭りだったということなのか?
by utoutou
| 2014-07-30 19:04
| 琉球の神々
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Comments(7)
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いつも大変興味深く拝見しています。
物部氏の名前が出てドキっとしてしまいました。この謎が解かれると、権力者が作った歴史が変わるでしょうね。 日本の正しい歴史を伝えていかれるんだろうなぁと感じました。 (偉そうにスミマセン) 調べてわからなかったのですが、三匹の蛇が描かれた曼荼羅のようなマークがあります。聖なる生命のエネルギーを表したものだと私は捉えています。 記事を読んでその絵柄がふと思い浮かびました。 写真が載せられたら良かったのですが。
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三匹の蛇ですか…興味深いですね。私は先日来「丹塗りの矢」が気になっています。これも蛇の生命エネルギーを表すのでしょうね。また何か気がつかれましたら、教えてくださいね。
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丹塗りの矢はオオモノヌシがセヤダタラヒメに会うときに姿を変えたと言われるものですよね。オオモノヌシは蛇神といわれてますし。 神武天皇が東征する以前に大和を治めていたニギハヤヒとともにオオモノヌシもまた物部氏の祖神だったのかもしれないですよね~
エリコさん コメントありがとうございます。物部氏の祖神、私もそう感じています。上賀茂神社にも似た神話がありますね。
矢にまつわる風習はないかなと思っていたら、ありました。生まれた子どもの命名式でバーキ(ザル)に向っておばあさんが矢を吹くのです。残っている地区があれば見たいと探しています〜。 ![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
![]() ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
matidanchuさん 屋号・大前(うふめー)は、古くは大米(うふめー)と書いたそうです。ミントン門中であることはほぼ間違いなく、天祖、安里のふたりと同じお墓に入っているとも伝わっています。
宮古出身の大宜味さんにはお会いしてお話を聞いたことがあります。 ツカサのことは、調べていないので私には分かりませんが、宮古島から300㎞離れた沖縄本島へと北上すると、上陸しやすい港(明澪)はヤハラヅカサだと思っています。
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