イナグ(女)ナーワンダーグスクの天頂 に祀られた鏡を拝するべく、 女神岩の絶壁を登ってみると、 それはステンレスのカーブミラー状のものだった。 足のあるスタンド型。特製か。 案外と新しいように見える。 かつて荒俣宏氏の著書に掲載された鏡と同じ ものかどうかは分からない。 確かなのは、古来の信仰を伝える誰かが、 この御嶽を管理しているという事実。 伊達や酔狂で鏡を祀るほど、 ナーワンダー天頂への道は平坦ではなかった。 絶壁に挑みつつ、 ジーパンのポケットに入れたカメラ(スマホ)が、 スポっと滑り落ちないかと心配し、 普通のスニーカー履きなのを後悔した。 登るのに両手を空けようと、 水入りのペットボトルは、麓の木陰に置いた。 そして語り部の指導通り、神への挨拶を唱えながら登った。 直径約40㎝の鏡の前には香炉と石が。 こちらもさほど古くはないようだ。今次の戦争中、 ナーワンダーは日本軍の砲台として占拠されたというが、 戦後再び、この自然造形の神壇で、古代祭祀は甦った。 ![]() 絶壁に張り付いたまま背伸びすると、 斜め右(北東)の先に久高島が見える。 久高島と斎場御嶽の位置関係は過去ログに詳しいが、 その姿勢で左に振り返れば、 6〜7m下の祭祀場跡に香炉が三つ (下の画像は真ん中のを間近から撮ったもの)。 祭祀空間を囲んで緩やかにカーブして立つ岩壁、 その裾に一直線に並んでいる。 香炉の向きについては、 次回以降で考えていくとして…。 痛切に感じるのは、 この古代祭祀場を秘かに守ってきた人々の信仰の力だ。 ![]() もちろん時代によって、 聖地としての機能は変遷したと思う。 ナーワンダー「グスク」と名が付くので、 三山時代には城として使われただろう。 天頂からは、琉球王朝第一尚氏の本拠地だった 佐敷を見下ろせる。第二尚氏時代には、 王族の久高行幸という渡海儀礼を見守る 守護霊(なでるわ)であったことは 『おもろさうし』にも唱われている。 時の権力者たちは、 ニライカナイの東方海上にもっとも近い斎場御嶽と、 周辺に残る古代からの地方祭祀を内包しつつ、 中央祭祀をかたちづくった。 それゆえ、古層においては、 ナーワンダーの祭祀は守られてきた。 このナーワンダーが歴史から消えたのは、 私は第二尚氏時代だったと思う。 羽地朝秀の財政改革「羽地仕置」により、 王の久高島参詣が中止された17世紀後半。 1677年、王府は聞得大君の継承を 王の姉妹(血縁)ではなく王妃に限る決定をした。 それは、姉妹が兄弟を霊的に守護した古来の 「おなり神」信仰との訣別を意味した。 その祭祀場・イナグナーワンダー(女神、月の神)は、 王権祭祀から消えた。 ナーワンダーグスクの麓に埋もれる 「女神」の神石に、思わずutoutou(合掌)。 ![]()
by utoutou
| 2015-08-26 13:18
| ナーワンダーグスク
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