猿田彦(天照大神)と罔象女大神(みずはのめ、瀬織津姫)は、 伊勢志摩で崇められていた一対神だった…と書いたのは一昨日のこと。 そう言えば、今回、瀬織津姫の祀られる神宮内宮の荒祭宮 にも駆け足で参ったのだったと、今朝、画像を探した。 内宮では、まず正殿にお参りしてから、北側に位置する荒祭宮へと 移動しつつ、なぜかいつもこの場所でカメラを構える。 警備員の方が左へと誘導する隙に、内宮方向を撮影した。 内宮の奥にあたるこの北門(写真右)から見える建物は何だろう? 天岩戸に祀られる一対神が猿田彦大神と罔象女大神(瀬織津姫)ならば、 ひょっとすると、このあたりに猿田彦神が合祀されていても 不思議ではない。というわけで、帰ってから調べてみた。 伊勢神宮HPに掲載されている ↓ 伊勢(皇大)神宮・内宮配置図 図の上部に位置するのが、写真に写る北門。建物は北宿衛屋だった。 荒祭宮はさらに北にある石段を下りて、また上がる。 神宮の正殿の玉垣内がどのような配置なのか、 こうして調べるのは初めてだが、猿田彦神にまつわる殿はない。 ところが、だ。 下手な考え休むに似たり…と自戒したのも束の間、驚くべき発見。 ある本で「興玉神」の神名を見つけた(赤の囲みは著者)のだった。 『アマテラスの誕生』(筑紫申真氏著、'02年、講談社学術文庫刊)。 (※昨年の遷宮を経て、現在の正殿は、図の左の古殿地に祀られている) 北門の内側に、まるで荒祭宮と向き合うように「興玉神」の名が見える。 興玉神こそは、ご来光で有名な二見興玉神社の祭神・猿田彦大神である。 伊勢参りの前には二見興玉神社に参るのがよいとされるが、内宮にも!? さすが「みちひらき」の大神様。猿田彦神にヒラメキをいただいたのか。 現在、伊勢神宮近く(宇治浦田)にある猿田彦神社は、 これも調べてみると、社殿を造営したのは明治11年。それまでは、 宇治土公家の地主神として、延宝5(1677)年から祀られていた。 そして、これまた驚くことに、猿田彦神社は伊雑宮にあったのである。 『伊勢参宮名所図会』(1797年刊行)。「伊雑宮 其 二」のページ。 現在の佐美長神社の境内に堂々と鎮座していた。 右の社殿が「猿田彦神社」(赤い囲み)。左に大歳社とある。 まさか。猿田彦大神は伊雑宮からいつ消えたのだろうか…。つづく。 (画像は三重県のwebサイト「テーマでみる三重」から拝借)
by utoutou
| 2014-10-12 21:35
| 伊勢
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