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伊雑宮へ〈8〉消えた猿田彦神

猿田彦(天照大神)と罔象女大神(みずはのめ、瀬織津姫)は、
伊勢志摩で崇められていた一対神だった…と書いたのは一昨日のこと。

そう言えば、今回、瀬織津姫の祀られる神宮内宮の荒祭宮
にも駆け足で参ったのだったと、今朝、画像を探した。


内宮では、まず正殿にお参りしてから、北側に位置する荒祭宮へと
移動しつつ、なぜかいつもこの場所でカメラを構える。
警備員の方が左へと誘導する隙に、内宮方向を撮影した。
伊雑宮へ〈8〉消えた猿田彦神_a0300530_856357.jpg

内宮の奥にあたるこの北門(写真右)から見える建物は何だろう?
天岩戸に祀られる一対神が猿田彦大神と罔象女大神(瀬織津姫)ならば、
ひょっとすると、このあたりに猿田彦神が合祀されていても
不思議ではない。というわけで、帰ってから調べてみた。


伊勢神宮HPに掲載されている ↓ 伊勢(皇大)神宮・内宮配置図
図の上部に位置するのが、写真に写る北門。建物は北宿衛屋だった。

荒祭宮はさらに北にある石段を下りて、また上がる。
神宮の正殿の玉垣内がどのような配置なのか、
こうして調べるのは初めてだが、猿田彦神にまつわる殿はない。
伊雑宮へ〈8〉消えた猿田彦神_a0300530_8412540.gif

ところが、だ。
下手な考え休むに似たり…と自戒したのも束の間、驚くべき発見。
ある本で「興玉神」の神名を見つけた(赤の囲みは著者)のだった。
『アマテラスの誕生』(筑紫申真氏著、'02年、講談社学術文庫刊)。
(※昨年の遷宮を経て、現在の正殿は、図の左の古殿地に祀られている)
北門の内側に、まるで荒祭宮と向き合うように「興玉神」の名が見える。
伊雑宮へ〈8〉消えた猿田彦神_a0300530_12264384.jpg
興玉神こそは、ご来光で有名な二見興玉神社の祭神・猿田彦大神である。
伊勢参りの前には二見興玉神社に参るのがよいとされるが、内宮にも!?

さすが「みちひらき」の大神様。猿田彦神にヒラメキをいただいたのか。

現在、伊勢神宮近く(宇治浦田)にある猿田彦神社は、
これも調べてみると、社殿を造営したのは明治11年。それまでは、
宇治土公家の地主神として、延宝5(1677)年から祀られていた。


そして、これまた驚くことに、猿田彦神社は伊雑宮にあったのである。
『伊勢参宮名所図会』(1797年刊行)。「伊雑宮 其 二」のページ。
現在の佐美長神社の境内に堂々と鎮座していた。

右の社殿が「猿田彦神社」(赤い囲み)。左に大歳社とある。
まさか。猿田彦大神は伊雑宮からいつ消えたのだろうか…。つづく。
伊雑宮へ〈8〉消えた猿田彦神_a0300530_1224532.png

          (画像は三重県のwebサイト「テーマでみる三重」から拝借)
by utoutou | 2014-10-12 21:35 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
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