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伊雑宮へ〈9〉伊勢に沈む古代

皇大神宮の内宮に鎮座する「興玉神(おきたまのかみ)」。
またの名を猿田彦大神。現在、その姿は玉垣の中にあって窺い知れないが…。

場所は、北西の奥。
参拝順路でいえば、内宮を出て、玉垣の外周を荒祭宮に向うときに出会う
↓御稲御倉(みしねのみくら)の、小径を挟んで向かい側といったところ。
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興玉神を「非常に大切な神様」と著したのは、上山春平氏。
(『上山春平著作集 第五巻 神と国家』'94年、法蔵館刊)

〜外の垣を一つ入った裏手の西北の隅に非常に大事な神様が祀られています。
(中略)三節といって、年に三回、大事なお祭りがあります。
こうした大事なお祭りのときには、最初にお供物を捧げます。
お祭りの前夜に興玉神に神饌を捧げるという儀式があるのです。〜


興玉神は、江戸時代には玉垣の外に坐していた。  
『伊勢参宮名所図会』に載る「内宮宮中図」を見ると一目瞭然。
その大切な神様に手に届くような、大らかな参拝風景も見える。
赤い囲み(筆者による)の右が正殿、真ん中が「興玉神」。左が「御稲御倉」。
伊雑宮へ〈9〉伊勢に沈む古代_a0300530_15331588.png
(国会図書館デジタルアーカイブ「伊勢参宮名所図会 5巻」より拝借)


図会の次ページは、内宮の北門を出てから荒祭宮までの周辺が描かれているが、
こちら昨年の遷宮を経て東側に鎮座した荒祭宮と、駆け足で撮影した古殿地。
伊雑宮へ〈9〉伊勢に沈む古代_a0300530_15331795.jpg

荒祭宮を参拝後、振り返ると、正面に正宮の玉垣(黄金色)が見える。
つまり、興玉神(猿田彦大神)と荒祭宮(瀬織津姫)は向き合っている。
石段の数は、正宮の玉垣からこっちへ56段下りて、15段上がる。
差し引き40段下ったところに荒祭宮がある。
現在は枯れているが中間に川の跡が横たわる。
水神・滝神・龍神であり、日巫女であった瀬織津姫。
その神祀りを確信させる祭祀空間である。
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猿田彦と瀬織津姫という向き合う一対神が、
皇祖アマテラスが鎮座する以前から、ここ伊勢の祖神。

そして、興玉神とは、太陽神そのものだった。
『内宮宮中図』の目録は「興玉神」を次のように表している。
「興玉拝所石壇」……太陽神を拝して捉える神壇。

その石檀は太陽の昇る東を向いているという。
伊勢の古代祭祀は、古代琉球と同じで、ことごとく東方を重視する。
まるで同じ神々が沈んでいるように思えるほどだ。

伊雑宮の鳥居は、東に向いている。
御田植祭をする御田(おみた)の鳥居と忌柱も、東に向き、
現在の佐美長神社にあった猿田彦神社も、東向きである。
また猿田彦神社には、明治時代以前、熊野神社への遥拝所があった。
東西軸である。

現在の佐美長神社。江戸時代までここにあった猿田彦神社も東向き。
スマホには、画像の撮影時刻が9月23日14:00と。
日は西方向の空から射していた。
伊雑宮へ〈9〉伊勢に沈む古代_a0300530_15353654.jpg

by utoutou | 2014-10-14 23:21 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
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