沖縄稲作の発祥の地・受水走水(ウキンジュハインジュ)。 その上の磐座(タカマシカマノ御嶽)に立つ、不思議な墓がある。 「稲作の祖 天武大主の墓」。 読みは一般的に「てんむうふすー」だが、 「てんむうふぬし」と、ルビが刻まれている。 数年前、受水走水から百名の集落へと登る石階段の横で見つけた。 ![]() 教科書や史書に載っているわけではないので、当初は、 ごくローカルな伝承上の人物だろうと思っていた。 が、玉城百名といえば沖縄の祖アマミキヨの渡来地。 近くに世界遺産・斎場御嶽がある沖縄随一の聖地である。 琉球民族が崇める東方の首長だったというのである。 次第に謎めいた存在に思えてきて、身震いがした。 その由来を知りたくて、百名の古老に聞くと、 「この地一帯を拓いて御嶽を守られたご先祖だ」という。 ただ「どこの門中(男系神族)のご先祖か」と訊くと、 「それは分からない」と言って、口を閉ざしてしまった。 どうやら、墓について知るのはごく限られた人のようだった。 もしや、大和の皇室に関係のある人物なのか? そう感じたのは、受水走水にある三穂田(みーふーだ)で行われた 田植え神事「親田御願(うぇーだぬうがん)」を見学したときのことだ。 ↓この'09年の初午の日も、例年通りミントングスクの当主が司祭した。 ![]() 無事に田植え神事も終わり、近くで直会を始める直前だった。 参列したミントングスクそして仲村渠区の人たちが、 一斉に整列すると「四方拝、三十三拝」をしたのである。 四方拝といえば、天皇陛下が元旦に行う儀式。 それをなぜ、この玉城で? そう訊いても「さあ」と、また誰もが口をつぐんだ。 私の直感が正しいかもしれないと思い始めたのは、 語り部の宮里聡さんの話を聞いてからのことだ。 「沖縄一見える人」でもある語り部の一言は大きかった。 「昔、天武大主の墓から“私は逃げて来た”と声がした」。 神女のおばあたちから、 「ここは昔、高天原と呼ばれた」 「高千穂の峰とも呼ばれていた」 と、教わったという語り部は、 「逃げて来たのは皇室関係の人に違いない」と言った。 受水走水(河口)。左の拝所が受水、右が走水。 天武の墓はこの磐上あたりにある。 ![]() さて、前回書いた「藤原vs.蘇我」。 中大兄皇子(後の天智天皇)が中臣鎌足(藤原鎌足)と、 宮中で蘇我入鹿を暗殺した「 乙巳の変」(645年)は、 三韓から進貢した使者をもてなす宮中儀式で起こった。 そのとき皇極天皇の側にいたのが、 古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ)である。 母が蘇我の娘・法提郎女(ほほてのいらつめ)。 蘇我入鹿が次期の天皇にと期待をかけていた皇子。 中大兄皇子、大海人皇子(後の天武)とは異母 の長兄で、皇位継承権第1位にあった。 弟の中大兄皇子による 蘇我入鹿暗を目撃した古人大兄皇子は 私宮へ逃げ帰り「韓人が入鹿を殺した。私は心が痛い」 (「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」)と言った。 蘇我家が滅び孤立した古人大兄皇子は、出家して吉野に隠遁。 ところが、謀反を企んでいるとの密告があり、 中大兄は兵を率いた臣下に古人大兄一家を「討たせた」。 (『日本書紀』宇治谷孟訳、孝徳天皇の項「古人大兄の死」) ただし、古人大兄皇子の生死は不明である。 この皇子を沖縄玉城に眠る「天武大主」と考えるに至った 私の仮説(推理)について、しばらくの間、書こうと思う。
by utoutou
| 2014-11-06 12:04
| 天孫氏
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Comments(16)
琉球が天皇家の故郷とも言われているとは初めて知りました。私は 天皇家の起源は琉球にこそ あるのではと思っていましたので、関連する大変興味深い記事ばかりです。これからも拝読させていただきます。
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> あさみゅさん
初めまして。ご来訪ありがとうございます。 沖縄に天孫氏という言葉が残っていること自体に、探究心をそそられますよね。 江戸時代、儒学者の藤井貞幹が神武は伊平屋島で生まれたとの 自説を述べ、本居宣長と論争になったそうですが、実際、 クマヤー洞窟の中に入ると祠もあり、地元の方々がいかに古来の伝えを 大切にして崇めてこられたかが実感できます。 また伊平屋島に行きたくなりました。笑
神武は徐福です。饒速日命もそうです。天武は邇邇藝命です。
浦島太郎の、モデルも天武であり、助けた亀は形状からタカラ貝です。貝のお金の時代が終焉を迎え、それを、亀が虐められた、そして富本銭がうまく経済通貨にならなくて、また沖縄から、運んだがその時には和同開珎が発行されて、また沖縄に戻って来ました。 斎場御嶽はタカラ貝の選別場所です。
はじめまして。
先日、南城市に観光に行く機会があり、受水走水にも立ち寄りました。とても神聖な場所に感じられるあたりを散策していると、階段横に鬱蒼とした森があり、よく見ると道の名残のようなものがありました。 なぜかとても気になって立ち入ったところ、例の石碑に行き当たりました。私も思わず、身震いしました。 「やっぱりあった!」という感覚で、忘れ去られようとしている石碑を再発見したような気持ちになりました。 呼ばれたというと大袈裟ですが、心持ちはそんなところです。 このブログに書いてあることの真偽はわかりませんが、わたしにはそんな話の可能性もあるかなと感じてしまいました。
> 北埜航太さん
> 北埜航太さん 受水走水へ行かれたのですね。私も石段を上がって小道で「天武の墓」に行き当たったときは、やはり呼ばれたような気がして背中がザワッとしたものでした。受水走水という聖地のすぐ上という位置だし、石は立派だし、刻まれた端正な白文字がまたただごとではない印象を醸し出している気がして、いろいろと妄想してしまいました。 沖縄にはあちらこちらに、誰が建てたか分からない石碑がありますね。私が先ごろ行った南城市大里の南風原地区には「太陽石」と刻まれた小さい石碑が建っているのですが、区長さんに聞いたら、区で建てたものではないとのことでした。こちらも謎です(笑)。 ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> hasunokokoroさん
はじめまして。百名に引っ越したお友だちがいらっしやるのですね。仲村渠では区長さんを中心に、何年か前に親田でお米作りが始まったようなので、それに参加されるのでしょうか。楽しみですね。玉城(ばかりではないですが)で外を歩いていると、いろいろな時代のお墓があることに気がつきます。お墓とは分からなくても、お墓だと感じる場合もありますね。「何か」を感じたときは、ただ心の中で合掌して祈ることだと思っています。土地(御嶽)への感謝をキーとすることで、「何か」という存在への扉が開く気がします。その開くときが許可をいただいたときではないでしょうか。それは人と「何か」の見えない関係ですから、ガイドさんやお金を介さなくても作ることはできるのかなと思います。 ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> hasunokokoroさん
ばけたん、ですか(笑)。思わずAmazonで探してしまいました。ばけたんワラシ、とか、ゴーストハンティング、とか、おばけ探知機ばけたん、とか。面白いですねー。 さて、百名の水の神様にご挨拶をするなら、産井川(うぶがー)かと思います。伊波川泉(いはがー)、百名井泉(ひゃくながー)、泉井泉(いーじんがー)、マチ川(まちがー)、公民館の前にあるのは大城井泉(うふぐすくがー)と、たくさんありますね。いちばん近い川泉(拝所)がよいのではないでしょうか。
> hasunokokoroさん
いつも海から昇る太陽を見ることができる場所、素晴らしいですね。これからは、東のよい空気を吸いながら散歩もできそうですね。 ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
最近、そこに行ったとき、それらしき墓が見当たらなかったのですが、誰か墓がない理由を知ってる方いますか?それとも私の見間違いでしょうか。
> hanzoさん
天武の墓がなくなっているのでしょうか!? 次回(9月末)、玉城に出向きましたら確認したいと思います。
> hanzoさん
8月に受水走水のそばを走ったときに、久々に車を停めて参ろうか?と思ったのですが、結局通り過ぎて浜川御嶽の方へ進みました。次回は是非にと思っています。
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