猿田彦の森を登る、一歩ごとに、 天の岩戸の源流に近づく実感があった。 そして、いくつかの疑問が解けていく。 まず、 日本書紀の垂仁天皇のくだりを思った。 「五十鈴川の川上」が出てくる。 こんな話だ…。 倭姫が巡行の果てに伊勢国に入ったとき、 天照大神は宣った。 「神風が吹き、常世の波が寄せる国、傍国の美し国。 私はここにいようと思う」。 そこで倭姫は、その祠を伊勢に定め、 斎宮を五十鈴川の川上に興した。 そして、これを磯宮と名づけた…。 傍国(かたくに)=片方が海、片方が陸の国。 そして美しい国。それは、伊勢ではなく この志摩の磯部のことではないか。 だからこそ、磯宮と名付けたのではないか。 もうひとつの疑問は、内宮に 祀られている興玉神(猿田彦)のこと。 ゆえに内宮の中には「興玉神拝所石壇」があり、 それは太陽の昇る東を向いているという。 森を登りつつ、東とは、この猿田彦神社の方向 でもあったのだと、しきりと納得した。 地図左上に加筆した赤の矢印が、伊勢・内宮の方向。 右手の赤丸が天の岩戸。上の逢坂峠との間に、 江戸時代まで猿田彦神社があった。 天の岩戸の下流につけた青丸が伊雑宮。 地図は郷土史より拝借。 さて、 片枝の杉を見上げた後、足元に目を転じると、 そこには小さな祠があった。 道祖神のように、ひっそりと。東を向いている。 とにかく戻さねばと、祠を覗き込んだとき、 さらに違う神様も祀られていることに気がついた…。
by utoutou
| 2014-11-30 23:18
| 伊勢
|
Trackback
|
Comments(0)
|
by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 05月 2024年 04月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||