伊雑宮から磯部川(旧神路川)を遡ること約3㎞、 天の岩戸の上の逢阪峠近くにあったという猿田彦神社。 いまも神話が残る森で、その痕跡と思われる祠に出会った…。 失われた猿田彦神社は、写真の正面あたりの遠い山中にあった。 お白石持行事(11/22)の日に、伊雑宮の御神田広場から遠望。 ![]() 古葉が付着する祠のなかを掃除していると、なんと石神札が倒れ出た。 神名は瑳婁儺秘祜大神。絶句しつつ見つめ、サルタヒコ大神と読んだ。 ![]() ところが、神様の石札を聖地の祠に戻そうとして、2度びっくり。 奥にはさらに神が隠れていた。實國固遠都御祖大神。 こちらは頑丈で動かない。 ![]() 何と読むのだろうかと、 旅を終えてからも頭から離れなかったが、 實國固遠都御祖大神(みくにのかためおんずおんそおおかみ)? 同名の神は、山梨県小海町の観光協会のHPで見つかった。 實國固遠都御祖大神をご祭神とする 大成宮(万世太平弥栄神社)。 観光協会に連絡すると 「詳しいことは分からないが、それは 河口湖の近くにある宗教法人のもので、 赤岳に奥宮がある」という。 ↓赤岳(2899m)山頂の弥栄神社(左半分)。右半分は赤嶽神社。 写真は「おみやさん.com」に許可をいただいて拝借。感謝。 ![]() その宗教法人には何度電話をかけても、つながらなかった。 猿田彦と八ヶ岳の山岳信仰?との関係を知りたかったのだが…。 そう言えば、猿田彦の森のある磯部恵理原の人が言っていた。 「昔、天の岩戸の近くには、いつも 修験僧が来ていて、何日も滝行をしていたものだよ」 森の石祠は、そうした神人による奉献だったのか。 ともあれ、伊勢には内宮の創祀以前から 伊勢地方の「日の神」として伊勢大神こと 猿田彦が存在していたのだと、改めて思う。 猿田彦から皇祖アマテラスへ。 天武・持統の時代に祭神が変更されたであろう伊勢志摩の国。 が、何もこの地に限ったことではないと思う。なぜなら、 それは大和朝廷の中央集権国家への道程 のなかで起こったことだったからだ。 その時代に、琉球も 大和から関係を断絶されたのだろうか。 などと思っていた日、語り部から電話が来た。 「久高島のテーラーガーミは、猿田彦のことですよ」 いまも久高島で続く、旧暦8月の「太陽神の祭り」。 祭神は、古来、とことん伏せられてきたのだったが。
by utoutou
| 2014-12-03 08:53
| 伊勢
|
Trackback
|
Comments(2)
|
![]() by utoutou
カテゴリ
全体 ミントングスク 久高島 イザイホー 玉城 語り部 城(ぐすく) 天孫氏 御嶽 スサノオ 出雲 神社 琉球の神々 伊勢 洞穴(ガマ) 龍蛇神 ヤマトタケル お知らせ 天女伝説 斎場御嶽 ナーワンダーグスク 石垣島 九頭龍 瀬織津姫 琉球の玉 舜天 琉球王 グスク・御嶽 最終章 未分類 最新の記事
以前の記事
2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 more... 画像一覧
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
記事ランキング
ブログパーツ
フォロー中のブログ
ブログジャンル
外部リンク
ファン
|
ファン申請 |
||