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伊雑宮と猿田彦〈7〉物部氏と秦氏の里

伊雑宮のお白石行事の木遣唄のかけ声。
私には「イェンヤー」と聞こえたが、
ニュースによれば「エンヤー」ということだ。
いずれにしても思い出されるのが、
ヘブライ語だった。

『日本書紀と日本語のユダヤ起源』
(ヨセフ・アイデルバーグ著)
によれば「エンヤー」はヘブライ語で
「(船で)行くぞー」の意味とか。

昔のお白石持ちは「川曳き」だった
というから、当たっている。
沖縄の「立ちグェーナ」の「エイヤ」も、
そうした意味のかけ声だろうか?


伊雑宮には、くだんの六芒星が裏神紋だ
という伝承もあり、古代ユダヤとの関連が
どうしても気になるところ。
『沖縄ルーツ紀行 聖書でひも解く沖縄の風習』
('10年、球陽出版)という本を出したときに、
沖縄に残る新旧聖書と類似の風習を調べたことがあり
耳にする神歌の掛け声ひとつにも、
日頃からやや敏感になっている。


伊雑宮のある上之郷まで、鳥羽から
近鉄志摩線に乗ったときは駅名が気になった。
駅は上之郷。もしや神之郷のことか、などと
思い車内でチラチラと路線図を見ていたが…
(撮影は伊勢市に戻る夕方)
伊雑宮と猿田彦〈7〉物部氏と秦氏の里_a0300530_1652565.jpg



近づくにつれ、気になる駅名が続いた。加茂、松尾、そして白木…。
伊雑宮と猿田彦〈7〉物部氏と秦氏の里_a0300530_164112.jpg



京都の賀茂神社、松尾大社は秦氏が創建に関わる神社である。
白木は…新羅を連想すれば、新羅経由で渡来した秦氏に行き着く。
実際、三井寺HPで、こちらの白木には新羅神社があると知った。
伊雑宮のある志摩磯部は、秦氏の里なのだった。


この日も語り部の霊力は冴えていた。
郷土資料館で、
志摩磯部は古来、物部の地であったと知ったとき、
語り部に電話をかけたのだったが…。

ちょっと伝えたいことがあった。
「伊雑宮の神領をまとめていたのは物部氏の裔です」
「なるほど…沖縄との関連は深まりますね」
そんな話をした数分後、返信があった。

「志摩に、的矢湾という所がありますか?」
「はい、伊雑宮の神領地の範囲でした」
「いいですか?」
「はい…?」
「ま・と・や を言い換えてみてください」
「や・と・ま…違うか。や・・・・。ヤマト?」
「的矢はヤウマト・レビ族の渡来地でしょうね」
「秦氏…!」

ヤウマトという土地のあるユーラシア大陸を渡り、
朝鮮半島の新羅を通り、日本に渡来した
と言われる原始キリスト教の民・秦氏が、
この物部氏の里に辿り着いたというのか…。
では、沖縄との関連は? 
図らずも新たな魔境に突入してしまったか。


資料館で見た、昔の的矢湾。
「待ちの帆船でにぎわう的矢湾 明治時代」と説明があった。
伊雑宮と猿田彦〈7〉物部氏と秦氏の里_a0300530_16232194.jpg

by utoutou | 2014-12-05 22:28 | 伊勢 | Trackback | Comments(0)
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